第111話:守護者の旅立ち
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王都の巨大な城門を後にした、その翌日。
どこまでも続く街道を、俺は一介の商人として、荷馬車を進める。荷台には、斥候のカゲが、その名の通り、影のように気配を消して同乗している。昇り始めた太陽が、俺たちの背中を温かく照らしていた。
「アイ。改めて、自由交易都市シエルのデータを表示してくれ」
《了解しました、マスター。シエルは王都アウレリアから南東へ約300キロメートル、大陸の中腹に位置する、どの国家にも属さない中立都市。人口約五十万。主要産業は商業と金融。独自の法と、商人ギルドの合議制によって統治されています。特筆すべきは、その圧倒的な富と情報の集積度ですが、同時に、治安の悪化と、裏社会組織の影響力も報告されています。マスターが活動するには、最適な環境であると同時に、最高レベルの危険が伴います》
俺の言葉に、それまで沈黙を守っていたカゲが、低い声で呟いた。
「……シエルは、蛇の巣だ。王都のどの裏路地よりも、深く、暗い」
彼の声には、実体験から来る確かな重みがあった。
俺は、カゲに、そして自分自身に言い聞かせるように言った。
「危険は承知の上だ。だが、王都の蛇は、信仰や伝統という毒を持つ。俺にとっては予測不能で、理屈が通じない。だが、シエルの蛇が持つ毒は、金と欲望だ。そちらの方が、商人にとってはよほど分かりやすい市場さ」
俺の言葉に、カゲはただ、「……御意に」とだけ返し、再び沈黙に戻った。
俺は、不敵に笑う。
「まずは、魔力枯渇病の治療薬。あれを元手に、最初の資金を作る。そして、シエルで、俺たちの『城』を築くんだ。誰にも邪魔されず、自由に研究し、セレスティアとの約束を果たすための城をな」
《シエルでの新規参入の商人が成功する確率14.8%。低い数値です。しかし、この数値はマスターという最大の変数を考慮に入れていません。マスターの行動次第で、成功確率は飛躍的に上昇する可能性があります。全力でサポートします》
アイの頼もしい返答に、俺は静かに頷いた。
◇
その頃、王都に残された者たちもまた、それぞれの朝を迎えていた。
聖女の居住区のテラス。
セレスティアは、昇り始めた朝日をその身に受けながら、東の空をじっと見つめていた。その手には、俺が彼女のために描き残した、星々の運行を示す一枚の羊皮紙が、固く握られていた。彼が遺した、唯一の道標。彼女の瞳には、愛する者の帰りを待つ健気な祈りだけではない。自らもまた戦い、彼の隣に立つにふさわしい存在になるのだという、静かで、しかし燃えるような決意の光だった。
王城の、第二王子の私室。
ゼノンは、テーブルに広げられた大陸全土の地図の上に、一つの駒を置いていた。その駒が置かれた場所は、自由交易都市シエル。
「……放たれた矢は、いかなる軌跡を描くか。全く、お前という男は、俺を飽きさせないな、カガヤ」
彼は、誰に聞かせるともなく呟くと、楽しそうに口元を緩めた。盤上のゲームは、始まったばかりなのだ。
王立大図書館の、地下書庫。
リリアンナは、山と積まれた古代の文献に囲まれ、遺跡から持ち帰った石板の拓本と格闘していた。
「……なるほど。『星の民』の技術体系は、我々エルフの魔法とは、根本的なロジックが違うのね。面白い……。ああ、面白い!謎が、謎を呼ぶわ!」
彼女の探求の旅もまた、始まったばかりだった。その瞳は、千二百年の時の中で、最も輝いているように見えた。
そして、王都中央教会の、薄暗い一室。
筆頭異端審問官サルディウスは、配下からの報告を、目を閉じたまま聞いていた。
「……異端者カガヤ、王都を離れ、シエル方面へ向かった模様です」
その報告に、サルディウスの口元に、初めて、歪んだ笑みが浮かんだ。
「そうか。自ら、鳥籠から飛び出したか。愚かな男よ。王子の庇護という名の光を離れた異端者など、もはや翼をもがれた鳥に等しい。……追え。そして、二度と神の地に足を踏み入れさせぬよう、その魂ごと、闇に還せ」
それぞれの思惑が、夜明けの王都で交錯する。
だが、その中心にいるはずの男は、もはやそこにはいない。
俺は、カゲと共に、どこまでも続く街道を、東へと向かっていた。
守護者としての役目は、一旦終わった。
これより始まるのは、商人カガヤ・コウの、新たな商談だ。
俺は、昇り始めた太陽を真っ直ぐに見据え、不敵に笑った。
(第5章 完)
最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。
これにて第5章、完結となります。
幕間を挟み、第6章へと物語は続きます。
引き続き、お楽しみいただければ幸いです。
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