第108話:商人の視点
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王城の一室に、第二王子ゼノンの苛立たしげな声が響いていた。
「奴ら、王家の命令を何と心得る……!伝統だの、前例だの、奴らはそればかりだ!」
俺からの報告を受けたゼノンは、怒りに拳を震わせている。薬師ギルドと商人ギルドの「柔らかなる妨害工作」は、彼の我慢の限界をとうに超えていた。彼のプライドが、この国の旧弊なシステムにへし折られかけているのだ。
「殿下。彼らは、殿下の命令に背いているわけではありません。ただ、彼らの流儀で、事を進めているだけです。この国の隅々にまで張り巡Tされた、伝統と、利権と、しがらみという名の蜘蛛の巣。これは、王家の権威だけでは、断ち切ることはできません」
俺は、冷静に、そして客観的な事実として、そう告げた。
俺の計画が、ギルドの長たちによって事実上、塩漬けにされてから、さらに一ヶ月が過ぎていた。
その間、薬師ギルドは「秘伝の薬草は、霧の深い早朝にしか摘めぬ故、大量確保には時間がかかる」と言い、商人ギルドは「街道に出没する盗賊が増え、安全な輸送路の確保が困難である」と、毎週のように同じ報告を繰り返してくる。
彼らは、決して「否」とは言わない。ただ、様々な伝統と、規則と、そして不運を盾に、事を遅らせ、骨抜きにしようとしているだけだ。それは、直接的な反逆よりも、ずっと厄介で、根の深い問題だった。
ゼノンも、当初は彼らを厳しく叱責し、新たな命令を下していた。だが、その度に、ギルド側は新たな「やむを得ない事情」を持ち出してくる。その繰り返しに、改革派の王子でさえ、この国の分厚い壁を前に、疲労の色を隠せなくなっていた。
その夜、俺は一人、自室で静かに思考に沈んでいた。
窓の外には、相も変わらず美しい王都の夜景が広がっている。だが、今の俺にとって、それはもはや「金の鳥籠」以外の何物でもなかった。第二王子の庇護という安全は得た。だが、その中でできることは、あまりにも少ない。
この状況は、かつて俺が宇宙商人で駆け出しだった頃を思い出させた。
巨大な星間企業が市場を独占する星系で、新参者の俺がどれだけ優れた商品を、どれだけ安価に提供しようとしても、既存の流通網や組合が、見えざる壁となって俺の前に立ちはだかった。彼らは、決して俺のビジネスを違法だとは言わない。ただ、「規則ですから」「前例がありませんので」「安全性が確認できませんので」と、あらゆる理由をつけて、俺を市場から締め出したのだ。
あの時、俺はどうした?
既存の市場で、彼らのルールの上で戦うことを、早々にあきらめた。そして、誰も手を付けていない、未開拓の辺境星系に、自らの手で新たな市場を、新たなルールを、ゼロから創り上げたのだ。
「……そうだ。なぜ、こんな簡単なことに気づかなかったんだ」
俺の脳内に、一本の光の道が通るような、鮮烈な感覚。俺は、思わず声に出して呟いていた。
今の俺は、王都という、すでに完成された市場の中で、他人のルールの上で戦おうとしている。だから、勝てないのだ。ギルドの、教会の、そして貴族たちの、数千年かけて築き上げてきた、しがらみという名のルールの上では。
ならば、答えは一つしかない。
彼らの土俵で戦うのではなく、俺自身の土俵を、ゼロから創り上げる。
《マスター。思考パターンに、パラダイムシフトを検知しました》
アイの、どこか嬉しそうな声が、脳内に響く。
「ああ。そうだ、アイ。現状を打破するための、新たな戦略を立案する。この大陸の全域マップと、各都市の経済状況、政治体制、資源分布、交通網、全てのデータを統合し、俺たちの新たな拠点となりうる場所をリストアップしてくれ」
《了解しました、マスター。検索条件を設定してください》
「条件は五つ。一、特定の国家や教会の支配が及ばない、政治的に中立な場所であること。二、多様な物資と人材が集まる、商業的に開かれた場所であること。三、俺たちの研究開発に必要な、希少な資源へのアクセスが比較的容易であること。四、王都や他の主要都市への交通の便が良いこと。そして五つ目……何よりも、『古いしがらみ』がなく、新しいビジネスを受け入れる土壌があることだ」
俺の言葉を受け、アイは超高速で演算を開始した。俺の目の前に、大陸の全域マップがホログラムで投影され、無数の都市や村が、俺の設定した条件に基づいて、次々とフィルタリングされていく。
いくつかの候補地がリストアップされる。鉱山都市、港湾都市、学術都市……。だが、どれも一長一短があり、俺の条件を完全に満たすものではなかった。
《マスター。検索範囲を、主要国家の支配領域外にまで拡大します。……該当する都市を一つ、発見しました》
マップの、フォルトゥナ王国から南東約300キロメートルに位置する一点が、強くハイライトされた。
《都市名:シエル。通称、「自由交易都市」》
アイが、その都市の概要データを表示していく。
政治体制: どの国家にも属さない、完全な自治都市。商人ギルドの代表者たちによる合議制によって運営され、特定の王侯貴族や教会の干渉を一切受け付けない。唯一の法は、「自由な交易を妨げない」こと。
経済状況: 大陸の東西南北を結ぶ交通の要衝に位置し、ありとあらゆる物資、人材、そして情報が集まる、大陸最大の商業ハブ。通貨の流通量、市場規模ともに、王都アウレリアを凌駕する。
資源: 周辺には未開発の山脈や森林が広がり、希少な鉱物資源や薬草の宝庫とされている。ただし、強力な魔獣の生息地でもあり、採取には危険が伴う。
その他: 規制が緩い分、裏社会の組織や、各国から追われるならず者たちも多く流れ込む。力と、金と、そして情報を持つ者だけが、全てを手にできる街。
「……これだ」
俺は、思わず息を呑んだ。
混沌と、自由。危険と、機会。
これほど、俺の求める条件に合致した場所があるだろうか。ここは、まさしく、俺がゼロから新たなビジネスを始めるための、完璧な舞台だった。
宇宙商人としての俺の血が、騒ぐのを感じる。
他人の用意した舞台では、決して思い通りのビジネスはできない。必要なのは、ルールに縛られず、自由に取引ができる『市場』と、計画を実行するための圧倒的な『自己資金』だ。
シエルに行けば、その両方が手に入るかもしれない。
もちろん、それは、王都を、そして第二王子ゼノンの庇護を離れることを意味する。危険は、今よりもずっと増すだろう。
だが、この金の鳥籠の中で、じわじわと社会的生命を絶たれるのを待つよりは、千倍マシだ。
俺は、窓の外に広がる王都の夜景に、別れを告げるように視線を向けた。
「決めたぞ、アイ。俺たちの次の目的地は、シエルだ」
その瞬間、俺の脳裏に、新たな事業計画が、確かな光となって、閃いた。
それは、この金の鳥籠から飛び出し、俺自身の翼で、新たな空を掴みに行くための、壮大で、そして、とてつもなく野心的な計画だった。
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