第99話:忘れられた神々の庭
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エネルギー障壁が霧散した通路の先は、再び長い回廊となっていた。自律型ガーディアンとの戦闘と、立て続けに現れる古代の防衛システムに、パーティ全体には目に見えない疲労と緊張が蓄積していく。
「明らかに我々の侵入を拒んでいるわね。それにしても、これを古代人類が作ったなんて……」
リリアンナが、壁に刻まれた古代文字の連なりを解析しながら呟いた。彼女の言葉は、この遺跡の異様さを的確に表現していた。
「ああ。そうだな。今の人類を見ていると、これほどの物を作れたとはとても思えない。これは単なる宝物庫や霊廟じゃないな……」
俺たちが進む回廊は、以前のものとは異なり、壁面を金属質の蔦のようなものが覆っていた。その蔦は、俺たちが近づくと、内蔵された水晶体を神経細胞のように明滅させ、情報を伝達しているかのようだ。
《マスター。これらの植物様の物体は、有機体と機械のハイブリッドです。内部構造をスキャンした結果、自己修復機能と環境情報収集能力を持つ、一種の生体センサーネットワークを形成しています》
アイの分析は、この遺跡がただの建造物ではなく、それ自体が一つの巨大な情報処理システムであることを示唆していた。まるで、古代の神々が遺した、巨大な思考機械の内部を歩いているかのようだ。
どれほど歩いただろうか。無機質な回廊が途切れ、俺たちは息をのむような光景が広がる、巨大なドーム状の空間へとたどり着いた。
そこは、外部の世界から数千年、あるいは数万年にわたって隔絶された、独自の生態系が息づく「閉ざされた庭園」だった。
「まあ……なんて、綺麗……」
セレスティアが、うっとりと呟いた。彼女の瞳には、ドームの天井から鍾乳石のように垂れ下がる巨大な発光菌類の光が、無数の星のように映り込んでいる。それらの菌類は、青や緑、あるいは柔らかな黄金色の光を放ち、この広大な地下空間を幻想的に照らし出していた。
地面には、その光を受けて銀色に輝く苔が一面に広がり、まるで天の川の上を歩いているかのような錯覚に陥らせる。
《マスター。この発光菌類は、ルシフェリン・ルシフェラーゼ反応とは異なる、未知の生化学反応によって発光しています。周囲の濃密なエーテル粒子を直接エネルギーに変換し、光として放出しているようです。極めて効率的で、持続可能な光源と言えます》
アイの冷静な分析が、この幻想的な光景に科学的な輪郭を与えていく。
足元では、手のひらサイズの、金属質の外骨格を持つ昆虫たちが、光る苔の上を這い回っていた。彼らの甲殻は、まるで磨かれた黒曜石のように、周囲の光を反射して虹色に輝いている。彼らは、俺たちの存在に気づくと、カチカチという金属音を立てて一斉に動きを止め、警戒しているようだった。
「この隔絶された環境が、独自の進化を促したのね……」
リリアンナが、知的な興奮に満ちた目で周囲を見渡しながら言った。
「地上の生物とは、全く異なる進化の系統樹を形成している可能性があるわ。我々の理解を超えた生命の形が、こんな足元にあったなんてね。この発見だけで、どれだけの価値があるか分からないわね」
彼女は、学者としての喜びを隠しきれない様子で、小さな金属昆虫を追いかけ始めた。その姿は、千年以上を生きた賢者というよりは、珍しい蝶を見つけた少女のようだった。
俺とセレスティアは、その微笑ましい光景に思わず顔を見合わせて笑った。この遺跡に入ってから初めての、心からの弛緩だった。斥候のカゲでさえ、フードの奥の目が、わずかにこの異様な光景への興味を示しているように見えた。
俺たちは、この古代の庭園を抜けるため、光る苔の絨毯の上を慎重に進んだ。
やがて、ドーム状の空間が終わり、再び人工的な通路に出た。
そして、その通路の壁一面に、巨大な壁画が描かれているのを発見した。
それは、色鮮やかな鉱石を埋め込んで描かれた、壮大な物語だった。
空から降臨する、光輪を背負った巨大な人影。彼らは、俺たちの知るどの種族とも似ていない、まさしく「神々」と呼ぶにふさわしい姿をしていた。
その神々が、当時まだ原始的な暮らしをしていたであろうエルフたちに、知識の象徴である巻物や、技術の象徴である幾何学的な道具を与えている様子が、克明に描かれていた。
「これは……古代エルフ文字……」
そう呟き、リリアンナが壁画に描かれた古代エルフ文字を、震える指でなぞった。
「『星より…来たりて、我らに…、……を授ける。我ら…、…代理人として…、この地を…育むべし』…ごめんなさい。私が知る古代エルフ文字よりも更に古い文字のようだわ。全部は分からない」
リリアンナは、悔しそうにそう言った。
星の民…。この壁画は、この世界の神話の、そして歴史の、失われた一ページに違いないと思えた。
だが、その壁画の最後には、気になる部分があった。
神々に知識を与えられるエルフたちを、遠くの森の影から、無数の小さな人影が、羨望と、そして嫉妬の目で、じっと見つめている様子が描かれていたのだ。その人影は、猿に似ていたが、その手には、粗末な石の斧が握られていた。
これは……、人類の祖先だ。
「この壁画は、エルフが神々に選ばれし民であったことを示しているんじゃないかしら。それに、私たちエルフの祖先が、人類の存在を認識し、そして……おそらくは、見下していたことも示唆しているんじゃ……」
リリアンナの声には、自らの種族の過去の傲慢さを恥じるような、複雑な響きがあった。
この壁画が示す「情報の断片」は、あまりにも衝撃的だった。この世界の支配者である人類が、かつては文明の蚊帳の外にいた「見過ごされた者たち」であった可能性。そして、現在の彼らの繁栄が、エルフの文明の、あるいはこの遺跡を築いたさらに古い文明の「遺物」の上に成り立っているという事実。
この遺跡は、人類の遺跡ではない……。古代エルフの、いや、更に古い時代の巨大な文明……。
俺は、新たな、そしてより深い謎へと、確実に足を踏み入れているのを感じていた。
この世界の歴史は、俺たちが知るよりも、ずっと複雑で、そして残酷な物語に満ちているのかもしれない。
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