第95話:金の鳥籠
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叙任式から、数週間が過ぎた。
王都アウレリアは、あの日の熱狂が嘘だったかのように、表面上は穏やかな日常を取り戻していた。だが、水面下では、俺が投じた「理術」という名の小石が、未だに複雑な波紋を描き続けている。
俺は今、王都中央教会の一角、聖女セレスティアの居住区に隣接する客室に身を置いていた。
「聖女セレスティアの守護者」――それが、あの一件の後、第二王子ゼノンの立ち会いの下、聖女セレスティアの願いによって俺に与えられた、新しい公式の肩書だった。
異端の嫌疑は晴れたものの、俺は王家と教会の共同監視下に置かれている。「鳥籠」が「金の鳥籠」になっただけの話でもある。
しかし、俺にとってこの状況は、決して悪いものではなかった。サルディウスのような行き過ぎた教会関係者たちが容易に手出しできない安全な場所を得て、何より、この世界の最大の謎を解く鍵であろう聖女の傍で、堂々と世界の理を探究できるのだから。
◇
「カガヤ様、光が、曲がっています!」
セレスティアの、弾むような声が静かな部屋に響いた。
彼女の目の前には、水で満たされたガラスの杯と、窓から差し込む光を一点に集めるための簡素なレンズが置かれている。これは、俺が彼女に教える「理術」の、ごく初歩的な授業の一環だった。
「ええ。光は、空気中を進む時と、水中を進む時では、その速さが少しだけ変わります。その境界面で、光の進む道筋が少しだけ折れ曲がる。これを『屈折』と言います。例えば、特定の音の高さがガラスの杯を震わせて、ついには砕いてしまうことがあります。それと同じです。あなたの『癒しの光』も、私の使う『結界』も、特定のパターンを持つエネルギーが、対象に直接作用して、ある現象を引き起こしているに過ぎません。あなたはそれを身体で、私はこの触媒で制御している。ただ、それだけの違いです」
俺の説明に、セレスティアは宝石のような碧色の瞳をきらきらと輝かせた。彼女は、俺が語る世界の「理」を、まるで渇いた大地が水を吸い込むように吸収していく。その知的好奇心と理解力の高さには、いつも驚かされる。
「では、あの、空に架かる七色の橋も……?」
「それも同じ理屈です。空気中の水の粒が、太陽の光を屈折させて、様々な色に分解しているだけですよ」
「まあ……!なんて、なんて美しい『理』なのでしょう!」
彼女は、俺にとっては当たり前の科学法則を、まるで神の創造したもうた世界の新たな神秘に触れたかのように、うっとりと呟く。その純粋な感動に、俺の口元も思わず緩んだ。教会の道具として、ただ祈りを捧げるだけだった彼女の世界は、俺との対話を通じて、日に日にその色彩と奥行きを増している。
だが、そんな穏やかな時間だけが流れているわけではなかった。
先日、俺は彼女に自らのことを「星の旅人」だと打ち明けた。もちろん、地球連邦やアルカディア号、そしてアイの存在といった核心はまだ伏せている。それでも彼女は、驚きはしたものの、意外なほどすんなりと受け入れてくれた。そして、それ以上詳しいことを尋ねてはこなかった。彼女もまた、自らの「神託」という力の根源を誰にも明かせずにいる。互いに触れてはならない、あるいは触れるべきではない秘密を抱えていることを、俺たちは暗黙のうちに理解し合っているのかもしれない。その奇妙な共犯関係が、俺たちの間の信頼をより深いものにしていた。
そんな、俺とセレスティアの関係は、教会、特に原典派にとって、依然として最大の警戒対象だった。俺の部屋の前には常に神殿騎士が控え、俺たちが交わす会話は、どこかで誰かに聞かれているかもしれないという緊張感が常にある。
《マスター。三時の方向、回廊の角。昨日と同じ神官が、こちらの様子を窺っています。滞在時間は三分。定期的な監視報告でしょう》
アイの冷静な報告が、脳内に響く。俺は、セレスティアに気づかれぬよう、視線だけでその方向を探る。
「……それで、コウ。昨夜の『神託』の件ですが」
セレスティアが、ふと思い出したように話題を変えた。その顔には、まだ自らの能力への戸惑いが浮かんでいる。
「また、視えたのです。今度は……天を衝くほどの、ガラスでできた塔のような……」
彼女の語る断片的なビジョン。それは、この世界の常識ではありえない、しかし俺にとっては聞き覚えのある光景だった。軌道エレベーター、あるいは超高層建築物。古代文明の遺物か、それとも……。
「セレスティア、その塔の周りには、何が見えた?」
「ええと……鉄の鳥が、翼もなく空を飛んでいました。そして、人々は、小さな光る板を覗き込んで……」
《マスター。彼女の言うビジョンは、地球連邦における標準的な都市環境の特徴と94.2%の確率で一致します。これは、単なる未来予知ではなく、過去の、あるいは別の世界の情報の断片を受信している可能性を示唆します》
やはりか。俺たちの探究は、正しい方向へ進んでいる。だが、手がかりがあまりにも少なすぎる。
その時、部屋の扉がノックされ、侍女が第二王子ゼノンからの来訪を告げた。
ゼノンは、公務の合間を縫って、時折こうしてセレスティアの元を訪れていた。だが、その真の目的が、俺との情報交換にあることは明らかだった。
「やあ、カガヤ殿。聖女様との学問の時間は楽しんでいるかい?」
王子は、親しげな笑みを浮かべて部屋に入ってきた。彼が侍女を下がらせると、その表情から笑みが消え、真剣なものに変わる。
「君の探している『世界の真実』について、一つの情報がある」
彼は、アルケムからもたらされた情報と、王家の古文書を照らし合わせた結果を俺に告げた。
「この王都アウレリアの、まさにその真下に、建国時に封鎖された『旧王都遺跡』が存在する。教会でさえ手出しのできない、王家直轄の禁域だ。アルケム殿が言及していた『禁書』とやらが眠っているとすれば、そこをおいて他にはあるまい」
旧王都遺跡。その言葉の響きに、俺と、そして隣のセレスティアも息を呑んだ。
「しかし、その入り口は王家の秘術と、古代の魔法技術によって固く閉ざされている。私の権限をもってしても、公に調査を許可することは難しい。もし挑むとすれば、非公式に、そして極秘裏に、ということになる」
ゼノンは、一枚の古びた羊皮紙を取り出し、テーブルの上に広げた。それは、王都の地下構造を示す、複雑な地図だった。
「これが、我々が掴んでいる、遺跡へと繋がる可能性のある唯一のルートだ。だが、この先は未知の領域。君の『理術』と、そして『仲間』の力が必要になるだろう」
彼の視線は、俺だけでなく、セレスティアにも向けられていた。
俺たちの新たな冒険の舞台は、この華やかな王都の、光の届かぬ地下深くに広がっている。
俺とセレスティアは、顔を見合わせた。互いの瞳に、危険な挑戦への覚悟と、そして真実への飽くなき探究心が燃え上がっているのが分かった。
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