防衛と平和は両立できるのか?
ある夜、首相官邸に一本のホットラインが鳴った。
「総理、中国公船が尖閣諸島の領海に侵入しました。現在、海上保安庁と接触中です」
報告に目を伏せ、俺は深く息を吐いた。
これが、今の日本だ。
平和を願いながら、現実には脅威と向き合っている。
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■“専守防衛”の限界と可能性
「総理、我が国はあくまで専守防衛です。相手が攻めてこない限り、攻撃できません」
防衛省の幹部がいつものセリフを口にする。
「だがそれで、“本当に守れる”と思ってるのか?」
そう、専守防衛には“構え”としての美学がある。だが現実には——
島嶼部(南西諸島)への侵攻可能性
サイバー・ドローン・ミサイルといった“非接触型”の攻撃
民間インフラ(通信、物流、AI)への間接的干渉
つまり、「攻撃されてから考える」ではもう手遅れなのだ。
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■作戦名:「“国民防衛素養”強化計画」
俺は軍備拡張の前に、まず“国民の防衛リテラシー”を高める方針を決めた。
1. 中高の社会科に「安全保障教育」を導入
・地政学・国際関係・自衛隊の役割・戦争の歴史と影響を総合的に学ぶ
2. 地域ごとの「防災兼防衛訓練」の実施
・災害時対応と同時に、通信・避難・協力体制の民間訓練
3. 若者への“政策シミュレーション演習”導入
・外交・防衛・人道支援など、仮想国家運営ゲームを通じた体験学習
4. “防衛透明化”ポータルの開設
・自衛隊の装備、活動、予算をすべて可視化し、納税者の理解と信頼を得る
「平和とは、“何もしないこと”じゃない。“何が起きても守れる構え”を持つことだ」
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■今日の学び:「戦争を避ける一番の方法は、“戦争の仕組み”を知ること」
第二次大戦以後、**「軍事を語ること=戦争を肯定すること」**という風潮が日本に根づいた。
だが、本当に恐ろしいのは、「知らないことによる無関心」だ。
スウェーデンやイスラエルでは、国民全体に防衛教育が行き届いている。
「知っているからこそ、戦争を選ばない」——それが成熟国家の姿勢だ。
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俺は日記にこう記した。
> 平和とは、ただの願いではない。
それは、「守る力」と「話し合う力」の両輪があって、はじめて実現する。
覚悟のない平和は、幻想だ。