第一話:黄昏の辺境
第一話:黄昏の辺境
エセルドニア大陸の、地図にも小さくしか載らない辺境の地。かつて聖シルヴァーノス帝国の中央から放たれる光が、このフォールクレスト領にも確かに届いていた時代があったという。今、その光は遠のき、辺境には黄昏の影が長く伸びている。私の生まれたこの小さな領地も例外ではなかった。父は老齢ながら領主としてこの地を治めているが、その顔には日ごとに疲労の色が濃くなっていた。それは父だけでなく、この地全体を覆う、抗いがたい衰退の雰囲気でもあった。
フォールクレストの風景は、それでもまだ穏やかで、息をのむほど美しい時があった。なだらかな丘陵には、古の精霊が宿ると伝わる深遠な森が広がり、谷間を清流が銀糸のようにせせらぎながら流れている。水辺にはハーフリングの小さな集落があり、彼らは葦笛の音色と共に歌いながら作物を育てている。丘の斜面には、かつて鉄峰ドワーフクランの鉱夫たちが開いた小さな採掘場跡があり、その頑丈な石造りの建物は今も風雪に耐えている。小さな村には、質素だが勤勉な人々が暮らし、畑を耕し、家畜を育てていた。人間、ドワーフ、ハーフリング、そして森の端には人目を避けるウッドエルフの姿もちらほら。種族は違えど、彼らは互いの存在を認め、大きな争いもなく共に暮らしていた。自然はまだ、この地に惜しみない恵みを与えてくれていたのだ。
だが、目を凝らせば、その平穏のすぐ傍らに、聖シルヴァーノス帝国の栄華の痕跡が、今は痛ましい廃墟として散らばっているのが見える。かつて大陸の動脈だったと謳われた幅広の石畳の街道は苔むし、旅人を拒むようにそこかしこで崩落している。獣道に成り果てたその道を使う者は、今や野盗か、あるいはもっと暗い目的を持つ者たちだけだ。谷にかかる美しい石造りの橋は、かつて帝国の軍勢や交易隊が行き交ったそうだが、今は中央のスパンが落ちて通行不能だ。橋のたもとには、薄れてはいるが、聖シルヴァーノス帝国騎士団の双頭鷲の紋章が、過去の栄光を物語るかのように刻まれている。丘の上の小さな石造りの塔は、かつて周辺の安全を守るための魔法結界を張り、敵意を持つクリーチャーの侵入を防いでいたと聞くが、今は冷たく、不気味な沈黙を保っているだけだ。塔の頂に嵌め込まれていたであろう、巨大な魔力水晶はとうの昔に失われ、魔力の供給源である地脈との繋がりも絶たれたという噂だ。これらの遺構は、単なる古い建物ではない。それは、かつて栄光を誇った帝国が、今は辺境を見放しているという、目に見える、痛烈な証拠なのだ。
街道を照らすはずだった魔法灯の柱は、今ではただの朽ちた石柱として寂しく立っている。夜には妖しい光を放つという、旅人の間で囁かれる噂さえある。かつて重要な都市や要塞を結び、情報の迅速な伝達を可能にしたというテレポーテーション・サークルの跡は、地面に刻まれた古びたルーンが、うっすらと、しかし不吉な輝きを放っているだけだ。時折、そのサークルの中心で空間が歪むのを目撃したという者もいた。これらの劣化し、機能停止した魔法的なインフラは、帝国の権威失墜と、それに伴う技術や知識の喪失を痛感させた。辺境は、物理的にだけでなく、魔法的な繋がりにおいても、ゆっくりと、しかし確実に世界の中心から切り離されつつあった。かつて帝国が維持していた魔力の均衡が崩れ、土地そのものにも異変が起き始めているという学者崩れの言葉も、今となっては絵空事には聞こえなかった。清流の水量が減り、森の樹木の色が不自然に濁り始めているのを見て、私はその言葉を思い出した。