『遊戯此一日半刻まで』
『帝国雑文録』より引用す。
時代はスレイシオ帝の治世と称す。されば、甚だ古きことにてあり。
この時代、「カルドゥーギヤザ」と称する遊戯あり。
上は貴族より下は庶民、乃至奴婢に至るまで、極めて盛んに流行せりと記録に存す。遊戯の細目は、既に古き時代に亡びたり。
されば、その遊び方の詳しきことは明らかならず。
ただ、この遊戯は二人乃至四人ほど集いて楽しむものなり。
各人、盤上に己が駒を多置きて、札を手に数枚より十数枚を持ち、互いに札をやり取りする駆け引きと、之に伴ふ戦略的な駒の移動にて勝敗を決すものなり。
また、或は六面体の賽を二つ三つ用ゐ、その出目により運を戦局に加ふる、よく出来たるものなりと云ふ。
このカルドゥーギヤザと称する古の遊戯、今なおその系譜を引く遊戯、大陸諸国に多あり。
今の遊技媒体に少なからぬ影響を遺せり。
されば、将来の遊戯史、大衆文化に至る歴史の研究、文献記録と古都市遺跡の発掘と共に、強く望まるるものなり。
『遊戯此一日半刻まで』
世にカルドゥーギヤザの流行、恐るべきものなり。
上は皇族貴族、下は庶民に至るまで、酒肆、広場、乃至カルドゥーギヤザ専用の遊技肆まで生じ、人々熱病に罹りたる如く日々これを楽しめり。仕事終はりて後の娯楽として楽しむ分には、さしたる患ひなし。
されど、カルドゥーギヤザ、勝負遊戯たるが故に、次第に「博打」の性質を帯び始めたり。
裏社会の悪党ども、深くこの遊戯の胴元となり、結果、賭博のカルドゥーギヤザにて負け続き、多額の借財を負ひ、一家離散、夜逃げする者、市民より奴婢奴隷に身を堕とす者、多数出でたり。
それら遊戯の背後には、一人を他の胴元に関係する者どもが狡猾に連携して嵌むるイカサマも多かり。
これを憂ひし賢君、スレイシオ帝、「カルドゥーギヤザの禁止令」を屡々布告せしも、効なし。また禁制遊戯として地下に潜りし時、賭博としての性質、益々強まりぬ。為政者にとりて、まことに頭痛の種なり。
されば、一計を案じたる者、皇帝に謁見し、進言せり。
側近:「陛下どうでありましょうか?
カルドゥーギヤザを我々が積極的に認め、
賭博としてのカルドゥーギヤザを国家で巧く管理すれば
そこからの国家へ収益もあり、
少なくとも巨額な金銭が賭博で裏社会に流れる形での
『カルドゥーギヤザ遊びを抑止できる』かと存じ上げます」
皇帝、「妙案なり」と大いに意を示し、具体案を聞きて喜び、これを実行に移せり。
かくして「勅命」に基づく法典の新条項
帝国法典 刑法366条『「法令又は正当な業務による行為」「カルドゥーギヤザに関する条項」』制定さる。
遊戯媒体に国家が法律にて関与する、史上初の事態なり。
この策、甚だ効を奏し、帝国各地にて巨額賭博によるカルドゥーギヤザ破産者、著しく減ぜり。
後、数十年を経て、帝国、カルドゥーギヤザの遊技者中、有力なる者を集め、巨大遊戯大会を開催せり。
ある時、帝国主催のカルドゥーギヤザ大会にて、ティカーハシなる若き男、十六連勝の圧倒的実力にて優勝せり。
この者、大衆の見物する前、皇帝より「名人」の証である月桂冠を賜ふ栄誉に浴す。
大臣、大衆に向ひ「名人として教訓を述べよ」と促せば、ティカーハシ、声高らかに英雄然として大衆へかく宣言せり。
ティカーハシ:「やはり何事も適度な修練が大事です。
特にカルドゥーギヤザはそういうものです。
最近はまた多くの子どもたちが、カルドゥーギヤザに強い興味を持って
新しい遊技者として非常に大勢が楽しんでいると聞きます。
でも、いいですかぁ?
カルドゥーギヤザなどの遊びは一日半刻程度までですよ!
あとは皆は勉強をして・・・外で遊んで心身を鍛えることが、とても大事なんです!」
これ、帝国政府、この遊戯に夢中な夫や子を憂ふ妻や母ら、怠惰なカルドゥーギヤザ遊びに否定的なる良識ある者や婦女子より、大きな拍手喝采を受けたり。
その時、最前列にゐし名もなき子、ティカーハシ名人に手を挙げ、曰く、「名人に請ふ、問を呈す」と強く云ふ。
子供:「名人はカルドゥーギヤザなどの遊びは一日『半刻』までっていいましたね?」
ティカーハシ:「うん。そうだよ、それが どうかしたかい?」
子供:「では貴方はどうして、カルドゥーギャザで誰よりも強くなったのでしょうか?
それは皆が真面目に働いたり、子供たちが勉強をしている時にこそ
名人だけがカルドゥーギャザのことを考え、
毎日長い時間一生懸命にカルドゥーギャザをしたからではないですか?」
ティカーハシ、この子の素朴なる問に答え得ず。
故に人々、何事も“名人”となる者、密かに敵を欺き修練を積むものなり、実に兵法として見事なりとよく嘲笑って語り合へり。
以後、しばらく「遊戯此一日半刻迄」に別の格言としての意味が出来たり。
終。