8匹目 ネズミ、脱走中③
夜明け
「あの、これ返します」
ネズ耳少女はハジメに、彼のシャツを手渡した。
地上だ。
街は真夜中を過ぎ、シンと静まり返っている。
先ほどの恐ろしい屋敷から脱出したハジメたちは、街の中央の噴水広場に腰を落ち着けていた。
「あれ、その服……」
いつの間にか、少女は別の服を着ていた。
服、といってもローブ一枚のようだが。
ネズミに案内されていたとき、彼女は常にハジメの後ろを歩いていた。
ハジメは心配だったが、その格好が格好(全裸にハジメのシャツ一枚)なだけに、あまり振り返って見てあげないようにしていた。
「あ、これ。あたしのスキルで、さっき出る途中とってきちゃいました」
「スキル?」
「はい。たぶん、あたしには『盗み』ってのがあると思います。って、カードも無いのにわかんないですね」
「かーど」
「あ、はい……ギルドカード」
少女は自分の言った言葉を反復するハジメを、不思議そうな目つきで見る。
と、ハジメは猛然と立ち上がった。
スキル! ギルドカード!
やっと、異世界らしくなってきやがった!
「──あの、ごめんなさい!」
突然、少女は頭を下げた。
そのいきなりの謝罪に、ハジメは首を傾げる。
「やっぱり、人様のもの盗っちゃいけないですよね。倉庫みたいなとこにあったし、この服も埃被ってたから、一枚くらいいいかなと。あと、着るものも欲しかったから……」
「いや、いいって、いいって! その……あなたをあんな檻ん中閉じ込める奴等なんです、そんくらい!」
「でも、やっぱし、ごめんなさい」
少女は深々と頭を下げる。
おれに謝られても──とハジメは頭を掻いた。
そもそも、自分が許すということでもない。
が、彼女の律儀で真面目な性格に、ハジメは心を打たれ沈黙した。
「ちゅう」
「ん?」
どこに潜んでいたか、街に出てからそういえば見なかったネズミがちろちろと登って少女の肩に留まった。
ぶっ刺さっていた角の蝋燭も無くなっている。
「チュー三郎」
少女はネズミを呼んだ。
そういえば、牢屋の中でもそう呼んでいた。
『チュー三郎』。変な名前だ。
ネズミだから『チュー』ってか? じゃあ『三郎』の部分はなんだ? 太郎や次郎がいるってのか? ──
噴水の音が聴こえる。流れが、かすかに弱まってきた。
星は見えない──異世界二日目の夜。
「──あの、ボク、お暇します」
「え?」
「なんか、チュー三郎……? さんも、ついてるみたいなんで、ハハ……では」
本当は、この世界のことをもっと訊きたい。
だが、この娘も事情アリみたいな感じだ。
それにもう、自分がしてあげられることもない気がする。
ハジメは、歩き出す。
行くあては、ない。
(それに、自分がこんなかわいい娘と、ずっといられる権利なんて。……)
ただ、遠いところへ。
(異世界最弱。お金も、知識も、何も持ってない。ただ、この世の、余りいち。……)
■■■
「待って」
少女の声。
ハジメは振り返る。
「助けてくれた、お礼がしたい……」
少女の背後の空が、その時、朱色に輝いた。
──夜明けだ。