74匹目 イヌ、崩落中⑧
「まあ、『PIERCE』が破壊された時……いえ、それ以前から、ここのダンジョンはおしまいにしようと思っていたのですがね。証拠隠滅の為に。もしくは、私の存在自体の消滅の為に、と言った方がこの場合、適切でしょうか……?」
そんなビードの台詞を思い出しながら。
ハジメは走っていた。現在ダンジョン地下九十八階層。
ベルと運命の再会を果たし、イヌ耳幼女マロナとの戦いを終結させ、研究者ビードと最期の決別さえ惜しまずに過ぎ去った、あの九十五階層から。『回復薬の泉』があった場所から。
三階層分下ったのは、また今現在も疾走しつつ下っているのは、ハジメの電光石火の脚。
その背後に回した腕と背中に、少女ベルをおんぶしながら。
「ビードさん……最初から、こうするつもりだったんですかね?」
「知りませんよ、変態の考えていることなんて。自己破滅願望だろうが捨て鉢だろうがハードプレイだろうが関係ねえ、今は三十六計逃げるにしかずですよ、ベルさん」
「ハジメさん……きゃっ」
ハジメにおんぶされたベルの声が跳ねる。
それもそのはず、今彼女は身体ごと宙に浮くように跳躍した。ハジメの背中に、なんとか引っ付きながら。
そのキュッと掴んだ細い女の指に、力がさらに籠もる。男の肩部分を遠慮がちに支えている。
地面が揺れたのだ。
ダンジョンが崩落していた。
男ビードの策略によって。
「ちょっとやばい状況ですね。スピードアップさせます。しっかり掴まっててください、ベルさん!」
「は、はい」
促されて、今度はしっかり腕をハジメの首へと回し、ギュッと抱くベル。男の口から「ぐえ」と少々苦しげな、カエルみたいな嗚咽が漏れた。
瞬時に気付いた彼女の手はその頸部への拘束を解くと、自身の発展途上な女の上体を接着させるように、彼の背中へと押し付ける形になった。
思わず約得なハジメ。が、駆ける歩調は緩まない。持ち前の電撃的な俊足で、ものの数分でダンジョン百階層へと到達。
「ハジメさん、ごめんなさい。キツくないですか?」
「だ、大丈夫です……それより、もう少ししっかりしがみついてくださいベルさん。じゃないと、万が一落っこちでもしたら大変です」
「はいっ。こうですか?」
「……もうちょっと」
「え? えっと……こう?」
「うーん。もう少しこう、上下左右に擦り付ける感じで」
「……? よくわからないけど……こうですか?」
「もう少し強く押し付けて。お願いしますよベルさん」
「え……でもこれ以上は……」
「大丈夫ですよベルさん、身体全部預けちゃってください。ホント、安全第一なので。ほら、お腹辺りももうちょっとくっつかせてください。安全第一なので。安全第一なので」
「安全第一……」
「はい。安全第一なので」
「あ……じゃあ、失礼します……うう」
ベルの顔は真っ赤になった。その上昇しまくる体温すらモロに伝導するように、おんぶするハジメへとべったりとくっついて。
優しく至って紳士的なハジメは安全第一を強調しつつ、少女ベルへと自分への密着を要請した。その試みも、つつがなく成功の兆しを見せる。
そのハジメといえば、先ほどからベルへと自身の上衣を譲っているので、現在まさに上半身裸。
ちょうどベルが彼のおんぶへとその身体を密着させたことにより、背中の肌面へと彼女の柔らかい女体がとても心地よい重さと感触で押し当てられて。
その吐息ごと、漂う近接の甘い体臭ごと、獣人少女の身体情報を余すことなく堪能もとい分析できる体位にある。
それも、安全第一という素晴らしい大義名分を伴う形で。
まさしく怪我の功名、棚からぼた餅、千載一遇の好機と言わんばかりに、ハジメは全体内の血流をハッスルさせながら、彼女の身体安全性を慮りつつ。
なるべく背負う女体を揺らさないように、水平に地を駆け脚を繰り出し、しかしある部位に及んではその限りではないように。
絶妙な感覚と短期学習能力を全開させた彼自身の頭脳を活かし、ことあるごとにダンジョン崩落(瓦礫が降ってくる等)の衝撃にタイミングを合わせ。
達人の技術でとてもよい塩梅のその背中の暖かく柔らかい少女の感触及び弾力をまるで怠惰なる快楽を貪るように追求し享受し。
まるで的確に経絡秘孔を突くプロフェッショナルよろしくそれが適度に知覚されるポジショニングセットを遂行させ。
あらゆるシチュエーションにてそれの接触認識を可能とするように、背中にそれが当たるようにハジメが仕向けた状態になっていることは。
……しかし、この状況とは関係のなさそうな話だが。
「……ありがとうございます」
「はい? 何か言いました? ハジメさん」
「いえなにも」
ダンジョンの崩落──ビードの、最期の意思。
ハジメの脳裏に思い出されるのは、先ほどの言葉。研究者の遺言となった、あの言葉だった。
「『PIERCE』の破壊、証拠隠滅──ビードの自身の、消滅?」
「あ、ハジメさん。あれ……」
「……ああ」
と、ベルに指摘され、走りながら振り向くハジメ。ビードの遺言を繰り返していた口を止め、背中に密着せし彼女の指に示された先を。
「あの派手さは、ザクロかもしれんな……」
ハハ、と失笑が零れる理由。彼が振り向いた先は、まさにあのネコ耳美女が単身暴れ回って全破壊した『PIERCE』システムそのものであり。
研究室然としたタイルの貼ってある床(というか、それも破壊されているので、ほぼ剥き出しの岩石地面)に、おびただしいバイプやコード関連が木っ端微塵に散乱している風景。
天井に張り巡らされた死んだ蛇のようなそれらにも、その犯人が一目瞭然な、エフェクトが掛けられているからであった。
ビリビリ……。
バチッ。バチチ、バチッ……。
と、未だ唸るように滞留する、ネコの電流、その残滓。
それと、謎にミートソースに似たよくわからない生き物だった物体。これは焦げ焦げで、内容が全く判別できないが、例のゴブリン山だ。
ベルとダビィが倒し、ザクロがその電撃による熱エネルギーで葬った、哀れな肉の残骸。
そして。
肉の残骸となったのは、決してゴブリンの群れのみならず、かの取り残されし二人組。
ダンジョン九十五階層──その場所。
が、彼らへの思いに後ろ髪を若干引かれつつも、先へと進む決心をしたハジメとベル二人組は、さらにダンジョン百五階層をも瞬時に突破し。
「ベルさん、急ぎましょう。このダンジョンはもうすぐ崩落します。その前に、あの奴隷の人たちを解放しなければ!」
「はい、百十八階層ですね!」
「ええ、そうです。もっとスピード飛ばすので、もっとおれにくっついてくださいベルさん」
「……はい!」
ギュッと抱きつくベル。背負われた状態の彼女には、しかし前面のハジメの表情など見えないで。
知らぬが仏という言葉がある。ベルは今、安全運行の為に、ハジメへとしがみついているのだ。
事実と真相と思惑がどうであれ、結果としてそういった形なのだから仕方ない。現実を粛々と受け入れ始めたベル少女の顔には、やはり羞恥の火花が散っているのも、また事実。
二人は一つの両脚を健全に純粋に安全的に共有して、かの救出の地へと赴く最中。
通った道は全てモンスターたちが気持ちよくハジメスタンガンでおねんねしている。後続は誰もおらず、単身、獣人少女を背負った男の姿が、崩落するダンジョンへと紫電に閃いた。
囚われ中のネズ耳奴隷。彼らがいる捕虜室、ダンジョン百十八階層に向かって、下へ下へと降り行くハジメたち。
その、一方で……。




