73匹目 イヌ、崩落中⑦
「こ……れは!?」
驚いたビードの台詞。この男がここまで狼狽するのも珍しい。
が、無理もない。
眼の前にて起こっている光景。それを目の当たりにすれば、誰だって口をあんぐり開けてびっくり仰天だろう。ちょうど今まさにこの研究者のように。
その光景──幼女マロナが向かった先。
ハジメとベルの二人組が、無慈悲にも無惨にもイヌの爪牙に掛けられて、血の泥濘ないし肉片の鬱蒼と化したはずの陣地。
現在そこは光っている。否、光っているという言語表現では少し描写力に欠けているかもしれない。
事実、彼と彼女に発光能力など保有されていないのだから。
考えられる科学的創作的見地としては、例の壁鉄鉱石、鉱物魔素反照反応。強い複数魔素=膨大に発せられた魔力の影響により、さながら共鳴するように発光エネルギーを醸し出す。その結果であった。
では、発光エネルギーを振動伝達せしめた魔力物質とはいかなるものか?
どこから、何処を起点として発せられる光か?
──上述。二人組だ。
「驚きましたね……まさか、ここまでとは。ハハ、とんでもねえや。クレイジー……」
自分の性癖を盛大に棚に上げ、そう評価を下したビード。あまりの事態の珍妙さ、劇的さに、やや口調が乱れつつも。離れた忠犬の結末を、その目で知る。
マロナは、ハジメとベル二匹へと突進した。その唸る牙と爪に、黒い竜巻の波動を纏わせて。しかし、その攻撃を与えることすら叶わなかったのは。
今もなお、手を繋いでいる二人。
ベルは優しくハジメの目だけを見つめている。その肩くらいまで下ろした、少しくせのある銀髪がふわりと風に揺らめく。空気と魔力が上昇する、その下方には。
ハジメの指の隙間に、自らの細く白い華奢そのものである指を絡ませていた。世俗で言うところの、恋人繋ぎだ。
それが向かい合って両手とも繋いでいるのは、彼女自身の願望形態か、はたまた純粋な魔力伝達における効率的事務的作業及び必要モーションか。
おそらく両方だ。が、プロセスがどうであろうと、その二人から白く噴出する光が、マロナの死の突進を弾き返したのは、言うまでもない事実。
弾き返され、イヌのように「ギャフン」と唸った幼女マロナ。まさに負け犬のポジション。
その負け犬とこの状況を創った本人たちは、特に男の方が、事態の把握にみっともなくも困窮していて。
「べ、ベルさん……?」
「はい。ハジメさん」
「あ……」
自分を呼んだ彼女の声が、あまりにも透き通っていて、綺麗で。思わず……見惚れてしまう。
白い光に包まれた妖精のようなネズ耳少女は、本当に優しい顔で微笑んでいる。まるで今この状況さえ、自分たちが殺されかけているという事実さえ、客観的に見守ることすらなく。
ただこちらだけを見つめる瞳。その青い炎は柔らかく、穏やかに、幻のように揺らされている。
口角はほのかに上がった自然体、目は心地よさげに細められている、彼女の表情と、全身の無駄な力が抜けた佇まいは、冗談でなくリラックスしているかのように。
だから、その姿を見つけたハジメさえ、少女に共鳴するように穏やかな心持ちとなり。
ベルの能力を──受け入れていた。
「ベルさん……なんかすみません、いつも色々としていただいて」
「ふふっ。今更ですよ、ハジメさん?」
「……ですよねー」
「あはは。…………ッ!」
「!? 大丈夫ですか、痛みますか?」
「いえ……ちょっとハジメさんのがおっきくて」
「……! すみません、やっぱやめましょうッ」
「えへへ、平気。ゆっくりやれば、ちゃんと入りますよ?」
「でも……ッ」
「ほら、ハジメさんも集中してください」
「あ、はい」
「……」
「……」
「んッ」
「! ベルさ、」
「集中」
「すみません」
「……」
「……」
「……フ、」
「…………」
「ん…………」
「……」
「…………あっ」
「…………!」
「……」
「……」
「……」
「……」
「ごめんなさい、ハジメさん。やっぱ全部は無理。入んない……」
「……いいえ、こちらこそすみません。無理させてしまって」
「で、でも九割くらいは、入りましたよっ?」
「あ、それで充分です」
「……そっか」
「そうです」
「……」
「……」
そんな、なだらかな午後の教室みたいな、または後半からなにやら含みのありそうな会話を交わしながら。
ベル少女はハジメのおっきな魔力を、その狭苦しい体内へと注入させる作業を終えた。
ハジメの保有している、レベル65の内61相当の魔素量を。ベルの『盗む』のスキルを発動させて。
つまり、おっきなハジメの魔力を、小さいベルの身体がそのスキルによって盗んだということだ。
輸送された魔力。ハジメは『レベル4』になった。対するベルは『レベル64』──これは彼女の元々の3に、ハジメから盗んだ分の61を足した形になる。
「これで、マロナにもビードにも勝てる……」
自認したハジメの呟き。手を繋いで、見つめたままのベルも穏やかに頷く。
が、忘れてはならない。
二人は現在進行形で、その命を狙われていることを。生きるか死ぬか、殺すか殺されるかの瀬戸際、排他と隷属と崩壊の戦場舞台に立っているということを。
おっきいのを入れられて、軽く悶絶しつつあったネズ耳少女。その青い瞳は、ようやく敵の姿を視認する。攻撃を弾き返され壁へと吹っ飛んだままの体勢の、マロナへと振り返った。
それは、鋭い目つき。
「マロナさん。あなたの事情はわかりませんが、ハジメさんをここまでするのはあたし、許せません。しかしこれは個人的な感情なので、あなたの始末はハジメさん本人に任せたいと思います」
「ベルさん……」
ベルはハジメの鎖骨の件について言及した。
回復温泉で多少癒えているとはいえ、かなり悲惨な傷痕が残ってしまったハジメの鎖骨部分。イヌ幼女がバリボリ砕いたその左骨。
もはやそれ以上は治らない。エリクサーをその場ですぐに飲まなかった時点で、生涯に渡って回復の見込みなどない。
かろうじてベルが回復温泉に漬け込んでくれただけ、ありがたいところだろう。でなければ今頃ハジメは、出血多量であの世行きであっただろうから。
そうでなくとも、大胆に裂けて塞がらない皮膚と、複雑に砕け散った骨により、傷口から雑菌ばい菌が流入して化膿していたことは目に見えていた。
「……おれは」
と、決意の表情ハジメ。壁にめり込んで怯み負け犬状態のマロナを一瞥し、すぐさま視線を水平に移した。
ご主人ビード様へと向けられる。キッと睨むその目は、現実を直視した男の覚悟。ベル少女の想いを背負っている。
ビリビリ……。
ハジメの両手の間を餅やあやとりのように、電流が伸びて接続する。閉じて、開いた手の隙間。つい先ほどまでベルと繋いでいて、今は解いた両手。
攻撃のモーション。戦いはすでに始まっている。ビードがハジメとベルの殺害をマロナに命令した時から。
否、ハジメが異世界に転移し、この世界の風雲急を告げる事態に巻き込まれた時から。
やがて大望のある身、ハジメ。のちの英雄であるその運命を知ってか知らずか、彼の礎、原材料となる未来を持つ研究者ビードは、にわかに口を開いた。
それは、およそ降参の意と取れる言葉。
「いやはや、素晴らしいですね。この研究者ビード、お二方の愛の絆をとくと拝見させていただきました。これでは手も足も出ませんよ……完敗です。やれやれ、とんだ茶番劇でしたね。おめでとうございます、あなた方の勝利です。
それではマロナ、敗者である我々は潔く終結の儀を執り行わせていただきましょう……このまま、ね」
パチパチパチと、両手の乾いたクラップ音を響かせる。ニコニコと爽やかな顔さえ崩さない。
研究者はおもむろにポケットから物体を取り出す。コンパクトで片手にすっぽり収まるような、端末型をした、とある金属物体。
ボタンだ。スイッチとも言える。
彼は取り出したその赤い簡素な一つだけしか基盤に配置されていないボタンを、押した。
ポチッと。
実にアニメ的マンガ的、そのいきなりの動作に、ハジメたちはすぐ反応することさえままならない。ボタンを押すのを、止めることさえ。
そして、何度目かわからない轟音が鳴り響いたかと思うと、急激に振動するダンジョン。
壁、地面、空間。周囲の音と空気さえも。
己が立っている岩と鉄鉱石が混じった床も。
ダンジョンが──崩壊する。




