72匹目 イヌ、崩落中⑥
「おや、ここにいたのですか」
振り向くベルとハジメ。膝枕の太ももロックは、その衝撃で外れかけている。
解放されたハジメは無意識にガバッと起き上がった。即時に警戒態勢を張る。
──ビードだ。彼が来た。
お隣に秘書みたいに引っ付いているのは、例のイヌ耳幼女マロナ。少女から幼女へとその存在をべろちゅーにてジョブチェンジした、愛すべきハジメの鎖骨砕き犯、その本人……本犬?
ご主人ビード様の美しき愛のべろちゅー。その効果は絶大、謎の『レベル低下薬』なるドス黒い試作品飲み薬を口移した主作用。
ハジメが最も恐れるもの。相性が悪い。
自分よりレベルが低い奴──
「ふむ、一匹増えていますね。ああ、ベルさんでしたっけ? あなたいつの間に脱走したんですか? いやはや流石ですね、さすがはネズミ族のお姫様ですよ」
「ビード……」
「大方、盗むのスキルを駆使した感じですか? あれがあれば大抵のモンスターなど目じゃないですからね。
あの厳重な捕虜室のどこから抜け出せたのかはわかりませんが。ベルさんでしたら、密室からの脱出さえも、さもありなんですね」
「……お前」
ハジメは目の前の敵を警戒している。対する白衣男は、ニコニコ笑顔で友人とのお喋りを楽しんでいる。
ビードたちは普通にダンジョンの裏ルートから下ってきたらしい。というのは、しかしハジメにはわからないことであったが。
孤独な主人公は、ザクロやベルチームと違って、唯一『裏ルート』の存在を知らない。だから本人は、「正規ルートで下りたには早すぎるな?」とか考えている。
「まあ、一匹増えようが百匹増えようが、所詮ネズミなど相手になりません。なんなら僕だって小指一本でねじ伏せられます。
でも僕はあまり好戦的ではないですからね。人には得意不得意があるのですよ。その点、マロナはできる子です。さあマロナ、あの御両人に快適な空の旅をお届けください?」
「クソッ。おどれはキャビンアテンダントかッ」
ハジメのツッコミが冴え渡ろうが、副作用で幼女化したマロナの突っ込みは柔らぐことなどなかろう。
突っ込み。突進。
まさに、今にも喰いかかるような体勢で。
幼女マロナは四つん這いで、イヌそのものの格好をして、二匹の男女へと唸りだす。
その音声は薄暗闇のダンジョンへと這いずり回るように轟き、地面、壁、空気や鉄鉱石にも染み渡った。
「ヴルルルルルルゥ……」
顔つきは──野生動物のそれ。
正気を失ったようなのは、薬の副作用か?
それとも、主人の命令に忠実な犬の顔か?
いずれにせよ、彼女の奴隷ピアスがとっくのとうに砕け散っているのは、紛れもない事実であり。
マロナは彼女の本心により、ビードの命令に従っている形となる……。
ハジメたちと、対面している。
「ベルさん……あなたなら逃げられるはずです。おれが何とかして隙を作りますので……」
「ハジメさん……」
ハジメはベル少女を背中へと庇う。ついでに彼女の実はボロボロだった格好を知ってか、傍に置いていた自らの上衣を預けながら。
ベルが脱がせた上着。ハジメを回復温泉にいれたための。
それに、ベルの服装。これはチュー三郎に連れられて脱走した際、狭いダンジョンの坑道をくぐり抜けた証拠であった。
例の、捕虜室からの脱出劇。今もビードが感心していた。
ダビィとの対ゴブリン共同戦線もあって、ベルの衣服はなにげにあちこち破けて悲惨な感じだったのだ。
それを視界の隅にて見咎めたハジメ。臨戦態勢を取りつつも、マロナへと特攻の意を向けつつも、上着を譲渡する。
愛するネズ耳少女へと、着実にジェントルマンな対応。
「ハジメさん、」
と、今度は尋ねるような声で、ベルは。
「先ほど仰っていた、ハジメさんの鎖骨を噛み砕いたお方は、あのイヌの女の子ですか?」
「え?」
突然、何を言うかと思えば。
『ハジメを攻撃したのが、マロナ』──?
そんな情報が今のこの状況と、なんの関係が?
よもや混濁したのではあるまい。いつだってこのネズ耳少女は『今』を向いていた。
だから、この質問さえ状況を切り拓く、何かの新たな発想なのだと。
彼女の必要な手筈なのだと。ハジメは信頼し、答えを紡ぐ口で。
「はい……マロナというイヌ獣人らしいです。男の方はビード。どっちもトチ狂った奴らですよ。あなたの同胞を、奴隷化させています……」
「あの少女はレベル6でしたね?」
「? はい……?」
「ハジメさんは今何レベですか?」
「えっと。65ですが……」
「わかりました……」
「……? ベルさん?」
どんな策略があってか、再びハジメへと質問を投げかけたベル少女。
に、真面目に答えるハジメ。まるで、「昨今の若年無業者率の上昇についてどうお考えですか?」といった形式的な社会的な街頭アンケートみたいに。
三つの簡単な質問に答えれば何かもらえるのだろうか?
お得なクーポン? ポケットティッシュ?
まさか興味本位というわけではあるまい……。
ハジメは首を傾げる。が、その間にも臨戦態勢の敵、幼女マロナ。
にわかに巻き起こる──旋風。
マロナの黒い竜巻だ。ビードを守っていた。そして、これから二人へと攻撃してくる。イヌ耳幼女の黒髪が激しく舞い上がる。
「……ッ」
ハジメはベルに、逃げる気がないのを確認。
いつもそうだ。デーモンの時も、イノシシの時も。彼女はハジメと運命を共にするかのように、その傍から引っ付いて離れない。
どんなにハジメが「逃げろ」と叫んでも。
彼女だけはなんとしても、と促しても。
その苦労や懊悩さえ、泡と消えるように。それが彼にとって、正直非常にうっとおしく感ぜられる、少女の意地であり。
彼女を、全生命を賭けてでも守りたいと思う、理由。
「──ヴガァッ!」
マロナはアタックする。初撃にして、トドメの一撃。
黒い旋風を纏った牙と爪の猛攻。元奴隷の、しかし未だ主人に忠実なイヌの意思表明。ハジメが洗脳であると感じている、幼女の叫び。
「ベルさん……!」
ベルを庇うハジメ。敵に背中を向けて。
その胴体に覆われる構図となったネズ耳少女。は、動じず、黙せり。ただ男の腕に抱かれたまま。
レベル3の彼女。
ハジメはレベル65だけれど、スキル【みじめ】の常時発動効果によって、自分より低いレベルの奴に勝てない。
つまり、味方陣二人とも、マロナには勝てない。有効打すら、存在しない。
今ここにザクロがいてくれたら別だけど。展開は、全くの別物になったのだろうけれど。
その期待はしない方がいい。彼女の居所すら把握不可能なのだから。単独行動中なのだから。
全く弱い二人。弱すぎる。
幼女にも、はたまた研究者にも勝てない。
「ハジメさん」
が。
「──大丈夫です」
その力を。
「大丈夫ですよ──あたしが、盗みますから」
……二人の力を、融合するならば?




