69匹目 イヌ、崩落中③
「んっ!?」
と、イヌの喉がごくりと動いた。どうやら、堪えきれなかった口内の液体を飲み込んだ動作らしい。そのまま、誰のか判別できない混ざったであろう二人分の液体もとい体液を嚥下するマロナ。
が、ハジメの目には異様な光景が映っている。もしかしたら、男ビードの手に先程からなにげに握られていた謎の新出物質との関連性があるかもしれない。
口端から溢れ出るその液体は──黒。
ビードの持っているのは、小瓶。エリクサーが入っていたみたいな、この世界特有の魔力要素が詰め込まれた小瓶だ。
「ちょっと苦いですね。改良の余地がありそうです」
二人の口内接着が完全解除される。そして変態科学者ビード様は、それこそ研究者然とした台詞を吐いた。
彼の口端からも、イカ墨みたいな黒液体がつつ、と流れ落ちる。拭う、少し苦味に耐えたような、でも爽やかなスマイル。
途端、イヌ耳少女の身体に異変が起こった。
「ああ、が……アあああああああああッ」
痙攣する肢体。先ほどまで泣いて口づけを受け入れていた紅い顔は、今や苦痛の色に満ちている。
ハジメは傍観していた。そのイヌの身体から、肉が灼けるような音。とともに、焦げるような異臭が放たれるのを。
──燃えている?
否、身体は焼失に向かっているわけではない。原形を保ちつつ、ただその皮膚の表面だけが溶解するように、体組織の何かが崩壊している。
崩落、している。
「お前、何やったんだ!?」
「うん? だからさっきも言ったじゃないですか。『試運転』ですよ。あなたの奇妙なスキルの判明と、僕の研究作品の一つのね」
「おれの……スキル」
「そう。戦闘風景から予測させていただきました。ダンジョンにもね、何台か監視カメラを設置しているのです。そこの情報と、現在のマロナとの戦闘結果より、あなたのユニークスキルの特性がなんとなくわかった感じですね」
「……!」
ハジメが絶句したのは、自分の能力が推定されてしまったことではなく。
目の前の、高校生くらいの若い女の子が、崩落しているからであり。
イヌ耳少女、マロナ。黒髪も、イヌ耳も、白い輝くような脚も、腕も、胴体も、頭部も。
全て粘土みたいに瓦解して。ジュワアア、と蒸気を上げつつ、その霧の中から顕現したのは。
先ほどと同じく──否、少しその体躯が小さくなった、さらに若返った様子。
小学生低学年くらいの姿に変貌した、例のイヌ耳少女、同個体だった。
「な……!?」
「あ、ちょっと失敗した? 別に幼児化はしなくてよかったのに。まあいいでしょう、副作用ということで、そこは目を瞑りましょう。研究に失敗はつきものです。要は、真価が発揮できれば申し分ないのです。
さ、マロナ。あなたの真の──いえ、これは適していませんかね。
あなたの、弱体化した力を、お見せしなさい」
「……うう」
マロナは呻いた。幼女化した彼女。「失敗した」という割には、嬉しそうな表情のご主人ビードの隣で。
立ち上がる。よろよろと、ハジメへと対面する。
ハジメはその雰囲気に壮絶さを見、予感した。これはただごとではないと。脳は瞬時に然るべき行動をとる。急速に外見年齢変換した相手のステータスを図り、測るために。
『レベル6』
──と、少女ではなく、もはや幼女になったイヌ獣人の頭上に現れる。
「レベル……ろく!?」
絶叫ハジメ。視界の端に、ニヤリと口を歪める白衣の姿。その手から、小瓶が放られ、落ちる。
小瓶は地面についた。その前にマロナは発進していたらしい。が、スピードはない。先ほどまでの、ハジメと戦闘した時のあのキレのある動きも、無い。
しかし、彼女のただでさえ若いのにさらに若返った外見、そのボンテージからサイズが縮まり、必然はだけた恐ろしいビジュアル。は、ハジメを完膚なきまでに回避不能状態に拘束させるには、十分であった。
弱い攻撃。
ハジメが最も苦手とする。彼の唯一の弱点。自分よりレベルの低いやつに、自分よりも弱いやつに──弱い。
「……ワヴッ!」
それを見越したビード。彼により口移しされた黒い液体を飲んだ、マロナ。
おそらく液体は、ビードが開発した『レベル低下薬』か何かなのだろう。試運転と言っていたし、市場にまだ出回っていない代物だ。実際、ハジメはそのような存在、聞いたこともお目にかかったこともない。
そして今、それを飲まされ肉体が退行したマロナは、ハジメへとまさに犬のように噛みついていた。
その鎖骨が、バキッと折れるほどに。
「ぐ……ああああああああああああッ!?」
バキバキと噛み砕かれるハジメの左肩口。鎖骨前面に噛み付いたイヌ幼女は、その口を緩めることはなく。
全身全霊で、ほぼ本能的に反撃するハジメ。全ての体内魔素を電撃に変換し放ち、マロナへと猛烈なアタック。
すぐさま身を翻す幼女。身のこなしは先ほどと比べれば、実に幼稚なそれだった。が、野生動物的なフィジカルは健在だ。
ハジメの胸上方より血が噴出。息が荒くなる。しかし、イヌの追い打ちは止まらない。そのまま例の黒い竜巻、けれど先ほどよりは小さいブツを出現させる。
「あ、やっぱ思った通りでしたね。いやはや、恥を忍んで口移しさせた甲斐がありましたよ。レベルを低下させる薬。試作段階でしたが、上手く行ってよかったです。テスターにもなりましたね、ふふっ」
「い、痛ええええええ……クソ、てめえ何考えてんだ、ああ……あ、」
「あー、もういいですいいです。あなたには飽きました。ほらマロナ、ちゃっちゃちゃっちゃ」
「ワゥ゙ウウ……」
狂犬のように唸る幼獣、マロナ。喚くハジメにトドメの一撃。ほぼ半裸みたいな様相で、その丸出しになった細い棒みたいな腕を振りかざす。と、竜巻も降りる。
喰らうハジメは、何を考えていただろう?
ただ自身のうちから漲る生物の危機察知能力により、やにわに地面を穿った。もう体内の魔力は一切残留していないのに、である。
しかしこれは生物としては符号することであろう。全力を出していても、どこかで火事場の馬鹿力的な、最期の力が残っているハズ。脳のリミッターというものが存在するからだ。
これでハジメはまた死に近づいたことになる。このダンジョンに入ってから三回ほど。異世界来てからは、何度になるかわからない。
実に極端な男だ。普通にそこそこのパワーで戦うということができない。それは彼のスキルやそれに従う戦闘スタイルのこともありながら、性格上の問題もあるかもしれない。
「……ッ」
とにかく、ハジメは再び生と死の境界線を無理矢理こじ開けるように、その体力を遣った。痛みに耐える顔。要は、ダンジョンの地面を崩落させたのだ。
ダビィの【掘削】よろしく。今度はマロナの風攻撃も若干加わって、二人分の攻撃。
ハジメは幼女マロナが攻撃するタイミングに合わせて、避けつつ自分の雷術を地面へと放った。
「「!?」」
驚愕するのはマロナ、ビードも同じく。
上方から吹き下ろす風術を利用し、下へ下へと墜ちるハジメの身体。受け身を取れるかすらわからない。
そのまま一階、二階、三階……と、順々に地面を砕いていく。鎖骨から滴る赤い濁流を抑えることもなく。
二人の変態アベックから遠ざかる。その敵からの無様な逃走を認識した、ハジメの意識も遠ざかる。
幼女に負ける。幼女に負けた。
『レベル6』──そんなの無理だ。勝てるわけがない。
ただでさえ訳わかんないクソみたいな人生、幼女に喰い殺されて死ぬなんて。たった6レベのイヌガキンチョに、ボロボロに敗退を決めこむなんて。
ああ、死ぬのか。
あの変態プレイの大集結で、そのアホみたいな設定と試作品で、殺されるのか。
「なんだよ、べろちゅーで幼女化って。ふざけんな……」
それが最期の言葉か、ハジメ。もっと言うべきことがあるだろう。
次々と落下しながら、その硬く分厚い鉄鉱石の地面を生身の背中でブチ抜きながら、墜落する成人男性。は、ようやく例の決まり文句を吐き出した。
「おれは……みじめだ……」
──九十五階層。




