68匹目 イヌ、崩落中②
「ご主人様は、私に食事を与えてくれます。幼少期より、お傍に置いてくれました。
私は、ご主人様のことが好きです。ご主人様にお仕えさせていただくことが、私の至上の喜びです」
淡々と紡がれる言葉。聞きようによっては、ありきたりのような台詞。に、ハジメはゾッとした。
──洗脳だ。
幼少期から拾われ、育て上げられたイヌ。ご主人様の保護、それに、それだけにあやかって生きてきたイエイヌ。
狭い世界に生きる、一人の男しか知らない少女。
忠実なるイヌ、奴隷犬。
それに、ハジメは彼女の言葉の節々に、その壮絶な人生を、犬生を想像してしまう。
戦争孤児。奴隷にされ、売買され。
どんな風に育てられたか知らないが、しかし相当な躾を受けたことは、想像に難くない。
思考を歪ませるほどに。訓練によって、その少女の若い身体には似合わない、戦闘能力を身に着けさせられたほどに。
調教され、籠絡され、崩落した。
「……ッ」
ハジメは、切なさを感じざるを得なかった。その立派な一匹の獣人奴隷に、しかし、どれだけの重荷を背負わせているか。どれだけ歪んだ人生観を植え付けているのか。
その当人。白衣のご主人様は、呆れるようなジェスチャーで、大袈裟に肩を竦める。
「ですって。彼女の好意を無下にするわけにはいきませんよね。有効活用するのが好手です。マロナ、そろそろ『フェーズⅣ』に移行してください」
「風術──《竜巻》」
「な!?」
にわかに巻き起こる黒い渦。空間を圧迫するように、ハジメとマロナの間合いに食い込んで、かき乱す。
「う……おおッ」
わずかに風の隙間から見える。ハジメは無意識に目を凝らしていた。
『レベル65』
数字が出たのも束の間。
「……」
無言のイヌ耳少女。剣呑とした目つきで、恐ろしいほどに生気のない表情を見せる。獲物を着実に殺す獣の眼。
少女の腕が宙でアッパーすると、黒い竜巻に異変が起こる。まるで操れるかのように上へと駆け巡った。それはハジメの肉体を巻き込むようにして。
天井へとしたたかに打ち付けられるハジメ。鉄鉱石の壁が揺れる。
口から血を吐いた。鈍い、嫌な音が背中から響く。背中の音なのか、天井の音なのか。いずれにせよ、確かに強烈なダメージが入ったわけで。
そのまま、六、七メートルくらいの高い天井から落下する。少し意識を失ったから、受け身は取れない。生身の人間だったら普通に死ぬ。というかハジメはほぼ死んだ。
かろうじて、息をしているくらいで。ザクロの《従魔》でなかったら、完全に死んでいただろう。
だから先ほどハジメがザクロを蘇生しておいたのは、自身の生命のためにも正解だったと言える。もはや死にかけの虫みたいになっているけれど。
「ん? 割と弱いんですね? あれ、このダンジョンをソロで攻略できたってことは、それなりの実力者なはずなんですけど。不思議です。なにか仕掛けがあるのでしょうか? ユニークスキル持ちとか?」
そんな推論を独り言のようにブツブツ呟くビード。話し相手はグロッキーだから、聞き役はイヌしかいない。
でもこのイヌは戦闘能力があっても、コミュニケーション能力は無さそうな雰囲気だった。ビードは彼女にあまりべらべら喋らない。
たぶん、合いの手を打つのが苦手なのだろう。それくらいの、あまり人間味のないマロナの犬の眼。
さて、ハジメがほぼ仮死状態になってしまったことで、ご主人様は退屈になってしまった。少し寂しい表情で、ペットへと命令する。
「マロナ。もう殺していいですよ。トドメ刺しちゃってください。あと死体処理もお願いしますね」
そう淡々と言った。黒い竜巻はとっくに消滅している。マロナの髪と同じ黒い、流麗な色。イヌの竜巻は、彼女本人が消した。
イヌはハジメに近づく。地面にべっしゃりくっついた虫みたいな男へと。
と、地面が大きく揺れたと同時に、小さい金属が割れるような音がした。
パキンッ。
■■■
マロナの耳介。その、奴隷ピアスが壊れた。
「おや」
ビードが息を漏らしたような声をあげる。が、大して驚いたふうでもない。まるで、それを予見していたかのように。
見計らったかのように割れた奴隷ピアスは、例のザクロのゴブリン一掃によるものだ。しかしもっと驚くべきことに、その衝撃で目覚めたか、ハジメは立ち上がった。
「おや」
また同じ台詞を吐いたビード。今度は感嘆の声だ。その視線は立ち上がるハジメへと沿いつつ、ゆっくりと上方へと移動する。
「フッ」
ハジメの拳がマロナに入った。それを見たビード、彼の脳に入力される視覚情報も、一瞬で。
最期の力を振り絞って、ハジメはマロナの脳天をかち割るほどに殴っていた。電撃を纏った拳が、まるで何かに充電されたように、突き動かされたように、イヌ耳少女のこめかみへとうなる。
マロナは不覚をとった。長年の、ほぼ生まれた時から着けられていたピアスが急に割れたショックもあるかもしれない。それがアイデンティティの崩壊と結びついたのか、ようやくの解放に歓喜したのか。
どちらなのかはハジメには知ったこっちゃない。ただ目の前の敵をぶちのめしただけである。その敵が若い小さな女の子だとかも忘れて。
等倍で入る攻撃。ハジメとレベルが同一だったマロナ。彼の全力を打ち込まれたら、さすがの彼女でもひとたまりもない。さっきのハジメみたいに、一撃でおしゃかになる。
なんかグダグダ二人で組み合っていたのが馬鹿みたいだった。先ほどまでのは、ご主人ビード様のお喋りに合わせるための茶番だろう。
自然界の戦いというのは、だいたい一撃で決まる。初撃がトドメ。今までのハジメの戦いもそうだ。それが彼の戦闘スタイルであり、唯一の攻撃パターンでもある。
「あ、死んじゃいましたか?」
きょとんとした気の抜けた声。ビードはイヌを、椅子に肘掛けながら見下ろしている。
「死んでねえよ」
答えたのはハジメだった。ビードを血走った目で睨んでいる。
感触で死んでいないはわかる。イヌは頭から血を流しているが、昏倒しているが、死んではいない。
イノシシや悪魔を倒した時の感触を知っている。あの、生命を奪った確かな感触。それが今のマロナにはなかった。モンスターではないからということも考えられるが、でも確実に生きている。
「あ……ぐ」
たった今、そんなうめきを彼女はあげたのだから。
「ふむ。死んでいないのは好都合ですね。ちょっと試したいこともありますし──この子に死なれる前に、ね」
と、ビードはさほど大したことないように語る。椅子から立ち上がった。
見送るハジメ。敵の出方がわからないうちは動けない。ただし警戒は絶対に解かない様相で。
マロナへと歩むビード。少女はそのあられもないコスチュームのまま、大の男に殴られたので昏睡している。彼女は先程殴られて吹っ飛んだから、殴ったハジメとは距離がある感じだ。
へと、たどり着くビード。かがみ込み、優しくイヌの上体を抱きかかえる。
「ご主人様……」
「喋らなくていいですよ。いやなに、ちょっと試してみたいだけです。僕の研究成果というのもそうだし、ハジメさん──彼のユニークなスキルのことでもね」
「……!」
驚愕したのは、マロナもそうだがハジメもだった。ご主人ビードが、この場ではかなり適していない行動を取ったのだから。
「お……まえ、ら」
現役童貞のハジメには、少し刺激的な光景だったかもしれない。
ビードはマロナに接吻をかました。突然の出来事。
真面目な戦闘中に何やってんだお前ら。ハジメはそう言いたかったのだろう。が、声はもちろん出ない。あっけにとられるだけ。
二人は目を開けていた。マロナはびっくりして気を取られている、混乱しているような目。
で、対する仕掛け人は、落ち着いて普通に口づけしている。『狙いを定めるために、目視は必然!』といったふうに。
「ふ、うう……んむっ!?」
「……」
イヌは逃れようとする。しかし体力が底ついたのと、ハジメに攻撃されたダメージがあるのと、あとは純粋に男に詰められている混乱と鼓動により、そのロックから抜け出せない。
ロック。
ビードは割と強い力でペットの頭を押さえているらしく、ジタバタともがくことすら許さない。確実に口内を接触させ、持続させる腕力。
相手が戸惑っていることをいいことに、そのまま二十分くらい続けるのではないか? という勢いで。べろちゅー続行。
「……」
思い当たる節があったハジメ。脳裏にザクロのとかげべろちゅーが思い出される。途端に、おえっと嘔吐く感じになる。トラウマになっているかもしれない。
「ん……うう」
「……ちゅぷ」
何やってんだマジでこいつら。
たぶん三十秒は経過している。イヌの顔からはすでに火が出ているのに。変態ご主人様はこちらに見せつけるように、執拗なその攻撃を続行、続行、続行。
やめたげてよ可哀想に。マロナちゃん恥ずかしがってるだろ? お前みたいな変態プレイに付き合うの、たぶん嫌なんだよ。
ああ、泣いちゃったよ。マロナちゃん泣いちゃった。真っ赤になったその瞳から涙がポロポロ溢れる。
さっきまでの気迫など、もうない。戦闘キラーマシーンみたいな女子はもういない。今はただ「きゅーん」と弱ったイヌみたいなただの少女。
エロコスチュームは頑張って慣れたらしいけど、人前でしかも男の前でその上戦闘中にべろちゅー行為なんて、いくらなんでもハッチャケ過ぎだ馬鹿野郎。何考えてんだ常識やべえよクレイジー?
「……」
「……」
なんかもう微動だにしなくなった二人。ハジメとの激しい戦闘はどこへやら。今は男女二匹の口内で激しい戦闘が繰り広げられているのでしょうけれど。やかましいよ。
……もう帰っていいですか?




