58匹目 ハジメ、ダンジョン無双中④
ベル①
「ベル様ー。きゃっきゃ」
「……」
例のネズ耳男児が、少女ベルの身体を、さながらロッククライミングの如く這い回っている。
ダンジョン、地下百十八階。
ハジメたちの侵入した一階層より、百階層以上もの構造で地下へと潜り込んでいる地形だ。
その暗室。牢獄ほどでもないが、薄暗く湿った空気が流れる、不気味な空間。
五、六十人ほどいたネズ耳たちは、クマ女に連行され、今や二、三十人ほどに減っている。半分ごっそり引き抜かれた感じだ。だから、空間は前よりは広々と感じる。
抜けた三十人は、どれも大人の男か女だった。二十代から五十代くらいまでのネズミ獣人。その他子どもや老人、身体の弱いもの、戦うべきでない女などは残っている。
無論、ベルもだ。彼女も、その残った一味として、ダンジョン地下百十八階層グループに鎮座している。
そう──『鎮座』、である。
「きゃっきゃ。ベル様ベル様ー」
「も、申し訳ございません、うちの坊やが! こら、ベル様の上乗っちゃダメでしょう!」
「あの……あたしは大丈夫です」
「え、ベル様。しかし……」
「いえ。あたしも懐かれて嬉しいですし。この子の面倒、見ときますよ」
「えっと、でもベル様」
「本当に気にしないでください。それと、あたしそんなに身分のある身でもないですから。普通でいいですよ、普通で」
「……それでは、お言葉に甘えてもよろしいでしょうか?」
「はい。大丈夫です」
「ありがとうございます、ベル様」
「ベル様ー。きゃっきゃ」
「……」
──こんな具合だ。
ベルはここの住民(捕虜民?)全員に、なぜか畏敬の念を抱かれていた。尊敬され、畏れられている。皆、会話すら遠慮気味だ。
遠くで童女と老人がベルに向かって、無言で正座して手を合わせている。まるで、神のような大いなる存在を参拝、崇拝するように。
ベル本人はこの状況を全く理解できていない。突然この地上から遥かなる暗室に閉じ込められたかと思うと、このネズ耳フィーバー、ベル崇拝。
今の彼女はただただ呆然と縮こまったまま、その元気いっぱいネズ耳男児に、きゃっきゃとその身体中を探検されている。
「して。ベル様」
と、開口した者。座布団に正座しているベルへと、これまたきっちりと正座して向かい合った老女。例の、『バヤン』とかいうネズ耳老女だ。
「あなた様は、チュー三郎の導きにより、ここへ訪れられた。違いませぬな?」
「あ、はいそうです……」
先ほどのシダノの会話の続きらしい。老女バヤンは重々しい口調で、ベルへと対面する。
方やベルは尻込みしたふうだ。無理もない。いきなりこんなところに連れてこられて、幽閉されて、崇拝されているのだから。老女の迫力も凄まじい。
「ならば、使命を授かった筈じゃ。我ら囚われしネズミ族一部、その全てをここから救出するという使命を」
「……? えっと」
ベルは何も知らない。その無知なる表情を見、嘆息するバヤン。きゃっきゃと戯れる男児。
ネズ耳男児はベルの身体にべったりとひっつき、背中側から彼女のネズ耳耳介をガジガジと噛んでいる。わりと動じないベル。
老女は説明するように言う。何も知らないベルへと、親切丁寧に解説するように。
「我らは悪しき人間の手に捕捉され、隷属させられた獣人。その印が、それじゃ」
と、バヤンはベルのネズ耳を指す。視線誘導されるベル。男児が噛んでいる場所。ベル、自分のネズ耳。
──例の、奴隷ピアス。
もちろん、バヤンのネズ耳にもある。そしてここにいる全員。全てのネズ耳に付いているのである。
向こうにまだ参拝している、先ほどの老人と童女にも。
さらには、ベルに男児を託して、自分はまた別の小さな乳児に乳をあげている、例の母親獣人にだって。
そして──今自分の耳を噛んでいる、幼い男児にも。
付いている。奴隷ピアスが。まざまざと。
「あなた様も、大変運の悪いお人だ。ここは堅牢な檻。
稀代の研究者ビードによって制作、開発された、超高難易度ダンジョン一体型研究施設、兼、奴隷管理システム『PIERCE』最終防衛線。それがこのダンジョン。それがこの捕虜施設。
ここに捕らえられたら、全てが終わりじゃ。獣人の一生など、もはや、無い。
死ぬまで研究対象。あなた様も、実験用の──ラットじゃ」
「……」
重々しく言い放ったバヤン老女。人差し指をズバリとベルに指す。
男児はその間も、きゃっきゃと遊んでいる。なんかベルの胸のところで、服の中に潜っている。無邪気だ。
「すでに五人死んだ。寿命が二人、自害が一人、ストレスによる衰弱が一人、風邪をこじらせた者が一人。実験で殺されたことはまだない。
しかし、皆もう限界じゃ。一年も軟禁状態、気が触れ始めている。はやく村へ帰りたい……はやく、解放されたい……」
「あ……」
バヤンは静かに泣き始めた。部外者のベル。言葉が出てこない。
男児はベルへとまとわりついている。閉鎖された空間と時間の中で、訪れた客人がよっぽど嬉しかったのだろう。
ベルの膝をかき分けかき分け、崩させて。そこへ自分を割り込ませている。
良いポジションで座りたいらしい。猫とかが布団に入るときグイグイやるそれだ。
深刻な雰囲気の中、ほぼ無反応なベル。たまに自身でも無意識な感じで、男児をなだめるように撫でている。
その彼女に、対面で抱きつき、ギュッと手足で拘束している男児。とても嬉しそうな表情。無邪気そのもの。
「それと、今我々は、『神の拘束具』も付けておらん。全てあやつら研究者に奪われたのだ」
「神の……拘束具?」
「ほ。おぬしも奪われたと見えるな。お可哀想に……」
「……?」
ベルは思い当たる節のないところで、バヤンに同情された。首を傾げる。
『神の拘束具』──聞き覚えのない単語だ。
ベルは、次々と自分の知らないことが増えて困っている。
と、その表情を見かねたバヤンは、わなわなとしつつ彼女へと問いただす。
「まさか……『神の拘束具』すら知らない、と申されるのではあるまいな? おぬし、ネズミ族にしてアレを装着せぬなど──」
「ちゅう」
「「!?」」
震えながら恐れ、怒るような老女へと介入した声は、今度こそ本物のネズミ。
──チュー三郎だった。彼がようやく出現した。
彼は少し離れたところで、鉄鉱石の壁からその身を現した。身体中ボロボロで、灰色と紫が混じった色の体毛は、さらに黒く、土や泥や砂で薄汚れている。
まるで、あらゆる場所を駆け巡り、探索し、捜索したみたいに。
「おお、チュー三郎! ようやっと来たか、ぬし今まで何をしておった。使命はどうした?
このベルという者は、救世主ではないではないか!」
怒り出す老女。と、ゲホゲホとむせぶ。年寄りなのに怒鳴るなど、無理をし過ぎだ。
すると、にわかにわらわらと、そこら中のネズ耳獣人が集まってくる。
「チュー三郎!」
「お前、やっと来たか!」
「救世主様はどうしたのですか!?」
「チュー三郎ちゃん、私たち助かるの?」
男も、女も、子どもも、次々とその小ネズミに尋ねる。
が、当ネズミ、チュー三郎はそれらを一切通り抜けて、一直線にベルへと駆け寄った。そしてその肩へと駆け登り、何やら耳打ちしているようである。
授乳作業を終えた、例の母親ネズ耳獣人が、そのやり取りにハッとして気づく。と、ベルに引っ付いていた男児を引っ剥がす。
男児は満足した表情を浮かべながら、すでに寝ていた。そのままベルから切り離されて、母親の腕に抱かれ、スヤスヤと鼻提灯を出している。
「お行きなされ。ベル様」
と、老女バヤンが言った。顔を上げたベル。
辺りは再びネズ耳たちに取り囲まれている。どれも、懸命に祈るような表情。
バヤンは言う。運命を少女ベルへと託すように。
「そなたが救世主でなくとも、チュー三郎のお導きがあることは確かじゃ。行って、真相を見極めてくだされ……あなたにセジウム様の加護があらんことを」
「「あなたにセジウム様の加護があらんことを」」
「あらんことをー。むにゃむにゃ」
「……」
老女が祈る。他のネズ耳たちも、一斉に祈る。ついでに男児も寝言で祈る。
全く意味がわからない。なんなんだ、この種族は?
ベルは自分以外のネズミ獣人に会うのは、これが初めてだ。が、こんなに理解できないのは、想像以上だった。
全く自分とは違う。生きてきた世界、文化、風習が異なるのだと。
「ちゅう」
チュー三郎が催促する。こっちへ来い、と言っているようだ。
ベルは歩きだす。と、壁に小さい穴が見えた。ネズミはそこを示している。
本当に小さい穴。体格の小さい者が、ギリギリ這って入れるくらい。もちろん、身体中汚れまみれ、傷まみれになるのも厭わない覚悟でなければ入れない。そのくらいの、ゴツゴツとした、狭苦しいネズミ穴。
「えっと……ここ入るんですか」
「ちゅう」
「……」
ベルは閉口する。恐ろしい要求だった。チュー三郎も容赦ない。
が、決心の顔ベル。このままここに留まるわけにはいかない。また、そうもしたくない。
──一生閉じ込められる? そんなの、嫌だ。
──今の自分には、会いたい人がいる。死んでも会いたい人。
「ハジメさん……!」
少女ベルは静かに叫ぶ。祈るような声。
やがてその声を含め、室内から彼女の姿が消えた。出発したベル。ネズ耳少女の脱出劇。
光が消える。真っ暗な穴道。
その遥か後ろ、もう見えない場所で、ネズ耳たちが手を合わせ指を組み、祈る姿。
ベル→ザクロ→ハジメ
の順で、それぞれ③までやります。
計9回の、ヒーロー&ヒロイン三人の脱出劇。
楽しんでいただけたら幸いです。




