56匹目 ハジメ、ダンジョン無双中②
「──レラ様! 起きられましたか!?」
「え……」
少女ベルが目覚めたのは、ダンジョンの中であった。
知らないダンジョンである。周囲の壁には鉄鉱石のような物体が埋め込まれている。室内は全て薄暗い闇の幕と湿ったような気流に包まれており、微弱な発光のみが照明となって辺りを認識させていた。
その光明はというと、例の鉄鉱石から放たれているらしく、柔らかくさざめく白い灯火によって、周囲へと拡散されている。おそらくこれは濃密な魔素の影響を受けた、鉱物魔素反照反応であろう。
……という、科学的創作的見地は、今はよそう。
本題、つまりベル少女が陥った運命の罠とは、現在あまり関係のないことなのだから。
本題。
ネズ耳少女・ベルが目覚めたのは、鉄鉱石のダンジョンであった。
ベル少女はその地べた、簡素な布を掻き集めて作った手製の布団に寝かされていた。
そこへ、ベルを見下ろし、不安げな表情をする女性が一人。こちらの人物も、全く見知らぬ光景だった。
が、その頭部。
驚くべきことに、またベル自身も驚いたことに。
女性の頭部には、ベル少女と同一の、およそ生物的な一対の耳介。
──ネズ耳が、生えていた。
「レラ様。よくぞご無事で……十五、六年ぶりでしょうか? わたくし大変、たいへん、御身を案じておりました……」
「えっ……と」
「ああ、私も幼少の頃でしたからね。顔を覚えてらっしゃらないのも、無理はございません。
ほら、私です。従者……あなた様のお世話係りの、シダノです」
「……」
『ほら』と言われても、わからないものはわからない。というか、全く面識がないというのが、ベルにとっての見解であった。
誰だろう。本当に覚えがない。向こうは自分のことを知っているらしいが。
いや、それもしかし違うだろう。彼女は今、自分のことを『レラ』と呼んだ。また、そのレラ様本人だと思っている。思い込んでいる。
『レラ』──これもまた聞いたことのない名前だ。
考察するに、この女性はベルを、そのレラとかいうどこぞの誰かと人間違えを犯しているのだろう。よっぽど似ているのか、ベルをレラ何某と信じて疑わない目つきだ。また、そう丁重に取り扱っている。
と、黙殺ベルが不審そうな顔をしたのを認めたか、その従者女性──シダノは問うた。
「レラ様? どこかお具合でも?」
「いえ、体調は大丈夫です……」
「いいえ、そんなことがあろうはずがございません。あなた様がこんなところに捕捉されてしまうとは、由々しき事態。こんな時に、全くデルタ様は何をやっていらしているのか」
「えっと、」
「ああ、レラ様! さぞやお辛い目に遭わされたのでしょう、お顔が汚れておいでです。さあ、この新しい清潔な布でお拭いになって……」
「あの!」
叫んだ、ベルの切り裂く声。ダンジョン腔へと深く響く。と、振り返りその光景を見た複数の影が、彼女の周辺視にチラリと映る。
キョトンと目を剥く女性。ベルの大声が意外な反応だったらしい。ベルへと上体を攻め込んでいたような体勢から、微動だにしなくなる。
反対に、たじろいだベル少女。シダノ女史の積極的なやり取りに、非常に辟易、困憊していた様相である。
が、気を取り直し、勇気を出して、その女性へと宣言する。
「あの、すみません。あたし、その……『レラ様』? では、ないです……」
控えめに言った。なんだか期待を裏切ってしまい申し訳ない、といった様相。
ネズ耳従者シダノは、これまた驚いた表情でベルの顔、そのパーツを覗き込む。
「……レラ様では、ない」
ベルの台詞を反復したシダノ。ポツリ、独り言みたいに呟く声だった。自分を納得させたかったのかもしれない。あるいは、その納得すら得ることが困難、といった雰囲気だ。
「たしかに、お顔が少し違うような……節々のパーツが異なるような? 思えば、十五年経っても、お姿が同一というのはおかしい。あまりの感動の再会に、時間経過を考慮する余裕を無くしていました。しかし、それにしてもそっくりですね。似てい過ぎます……」
シダノはベルから離れ、顎に指を当てつつ、そんな独りよがりな考察を早口で述べていた。
ベルはやっぱりたじたじしている。完全に圧倒される。このシダノという、二十代前半だろうか? の女性には、押さば押せの異世界根性が備わっているようであった。
ザクロやジークと同じ人種っぽい。というのは、しかしベルにはまだそこまで思考も及ばないことであったが。
「ばあや! 来てください!」
と、にわかにシダノ女史は叫ぶ。先ほどベルが視界に捉えた人々の影、その端の方へ。
いつからか舞台は、大量のネズミに覆われていた。否、ネズミではない。ネズミ獣人。
ベルの同族だ。この世界でも、レア獣人という。そんな希少種が、このダンジョン部屋にはわんさかと集合しているみたいだった。
ちなみにベルはネズミ獣人の希少性については知っている。ビードとハジメの会話を、食堂で片付けをしている間に盗み聞いていた。いや、『盗み聞く』なんて言い方だと聞こえは悪い。聞こえてしまった、くらいだ。
しかし、ベルのスキル、その特性を鑑みれば、この表現は妥当と言っても差し支えないだろう。
と、シダノが『ばあや』と呼んだ人物、一人の老女がベルの前へと歩み出た。
「おお……レラ様……」
「ばあや。このお方はレラ様ではございません。私もびっくりしましたが、どうやら別人らしいのです」
「シダノ。私はばあやじゃなくてバヤンだと、あれほどいったじゃろう。
……おお、そうかそうか。レラ様ではあらせられぬと。しかし、なんと美しい碧眼。まさにレラ様と同じじゃ」
「でしょう? 私もとてもそう思ったの。でもやっぱり、レラ様ではないみたい。時が経った分を考慮すると、尚更ね」
「いやはやなんとも、数奇な運命よ……」
「えっと、あの」
と、シダノと老女が二人きりで会話しているところを、しかし遮らずにはいられなかったベル。
辺りを見回す。約三十人くらいだろうか。しかしそれもその数を増やしていくように、ベルの前へとどんどんと集まって来ている。
全て、ネズミ獣人であった。ベルは呆気に取られる。こんなにネズミ獣人がいるなんて。そもそも、ここは何処だろう。何故、自分はここにいるのだろう? 様々な疑問が、いっぺんに少女の頭を襲い掛かる。
ベルは思考停止しそうになりながらも、懸命に声を振り絞った。言葉を紡ぎ出す。
「あの、あなたたちは?」
「は、レラ様。ご存知でない?」
「レラ様ではないです、すみません……」
「はっ、申し訳ございません! えっと……」
「ベルです」
「……ベル様」
シダノは言い直した。どうやら癖らしい。が、それほど、意識しつつも二度も間違うほど、自分はそのレラ様とやらに似ているのか。
と、ベルは思考する。老女の意見も合わせれば、なおさらだ。
そして、シダノは再び従者の口調で言う。厳かな、恭しい態度は抜けていない。
「ベル様。あなた様はチュー三郎の導きにより、ここへ来られましたね?
それで、デルタ様のご使命賜り、了承した、ということではありませんでしたか?」
「……?」
首を傾げるベルはしばし黙考。自分がここにいる、いや、ここへ来た道程を思い出す。
昨夜。ハジメの上に跨った、その後。
チュー三郎──彼が訪ねて来たのだ。
彼は付いてきてほしい、とベルに言った。正確には言葉を介すことはできないから、念を転送したと言うべきか。
ネズミは超音波で会話する、という現実世界の記録がある。たぶんそのような原理だろう。無論、人間、ハジメなどの耳に聞こえることはない。
が、ネズミモンスターのチュー三郎と、類似したネズミ獣人であるベルには、その共通点より、念話のような意思疎通が可能なのである。これがネズミ族全体の特徴なのかは、今はわからないが。
後に判明することだが、これはYesだ。ネズミ族とチュー三郎──《小鍵鼠》は、ある程度の意思疎通が可能。
「はい。チュー三郎に付いてこいって言われて、あたし昨日……」
「では、あなたは導かれた救世主なのです。デルタ様の従魔である《小鍵鼠》筆頭、チュー三郎の能力により。
ああ、ベル様。どうか我々をお救いください。もう民がここへ閉じ込められてから、一年の歳月が経過しました。ようやく出られるのですね。ああ、どれほど待ち侘びたことか……」
「ちょ、ちょっと待ってください! あたし、その……救世主? では、ないと思います!」
「え? では、なぜここへ? チュー三郎のお導きは? デルタ様の使命は……?」
「なんかそれ、全部初耳です。たぶん、あたしとは別件です。あたし、なんにも事情、知りません。ただの、一般人です……」
「な……」
まくしたてるシダノに、ベルは困惑している。だから、自己開示した。自分はなにも把握していない、部外者なのだと。無知蒙昧な、無関係者なのだと……。
シダノの方は、驚愕していた。己の推測が見事に外れ、破壊されたみたいに。同時に、その顔から希望の色が消滅した。再び、絶望色になった。
「おねえちゃん。レラ様じゃないの?」
と、ベルの裾を引っ付かんだ者がいる。子供だ。ネズミ獣人、その子供。
子どもがいるの? こんな薄暗く気味の悪い暗室に、子どもが?
と、ベルは不審に思った。すぐに異常事態だと知る。まず、状況を整理しよう。
・昨夜、ベルはチュー三郎に招かれてここのダンジョンへ来た。
・が、いつの間にか目覚めたのはここ、そのダンジョンの一室らしい。牢獄ほどでもないが、しかし捕虜が放り込まれるような室内だ。
・で、ネズミ女性シダノが自分を介抱していた。
・ここにはネズミ族がたくさんいる。どれもここに捕捉されているらしい。それも、一年間も。
・自分は救世主と間違われた。なぜなら、使命を負ったらしきチュー三郎の案内でここへ来たから。
・そして自分は何も知らない。
……最後の一つが強烈だ。
「おねえちゃん?」
「こらっ、やめなさい! どうもすみません、ウチの坊やが……ベル様」
「いえ、大丈夫です」
ベルを突っつくネズ耳男児を抱え、引っ剥がした母親らしき女性。これまたネズ耳だ。もう、全てがネズ耳ネズ尻尾、ネズミ獣人フィーバーである。
上体を起こしているベルの布団の周りには、いつの間にか五十人ほどのネズミ獣人が集まっていた。さながら動物園の珍しいネタアニマルを覗くように、そのギャラリーはベル少女を取り囲んでいる。
そのベルを見る、尊敬するような、畏れるような瞳。ネズミ族たちは、なんだか、ベルを崇拝しているみたいだ。もちろんシダノと老女も。全員、ベルへと手を合わせて拝んでいる。
縮こまるベル。まったく状況が飲み込めていない。
と、轟音。
■■■
「な、なんだ今の轟音は!?」
叫んだ声。これは、ここにいるネズミ族の誰のものでもない。
新しい声だ。それも、野太い声。しかし、女性の声のようである。
と、その声の主が走る足音。ベルのいる部屋へとたどり着く。
「おい、貴様ら。三十人ほど収集しろ」
「う……」
シダノの顔が曇った。その視線の先は。
「はやく行動しろ。さもなくば、貴様ら標本から無作為に抽出した一人を処刑する」
──クマ獣人だった。女性の。
「?」
ベルは混乱している。新しい情報、キャラクターが登場し過ぎだ。
と、そのNEWキャラ・クマ獣人女(三十代くらい? なんとチャイナ服を装備!)は、ベルの方へと歩み寄る。
「ふむ。貴様は昨日侵入した小ネズミだな? お前は死ぬか? それとも来るか?」
「え……」
戸惑うベル。『昨日』?
──と、瞬間。脳裏に花火が閃く。
クマ獣人。それを視認して、思い出したのだ。自分が昨夜このダンジョンに、チュー三郎に案内されて入ったこと。
そして、監視人らしきこのクマ女にあえなく即座に捕捉されたこと。
そこで蹴られたか殴られたかして、気絶したこと。──
おそらく、意識を失っていた際に、この部屋へと投函されたのであろう。この、ネズミ族の統監部屋に。
それにつけても、追いつけない展開だった。ベルに脅迫じみた二択を押し付けたクマ女は、図体がでかい。身長は二メートルに届くほどか。硬めのツンツンした茶髪を、腰くらいまで蓬々と伸ばしている。
そして謎に、チャイナ服。
クマ耳チャイナでか女。(←NEW!)
と、ベルを庇いつつ言うシダノ女史。
「ベル様は関係ありません。彼女はただの運の悪い一般人です。私たちが参ります」
「ほう……威勢のいいヤツだな。シダノ、といったか。では、二分以内に三十人を募れ。警備巡回の時間だ」
「くっ……」
歯噛みするシダノ。見下すチャイナクマ女。事態にわけがわからないベル。
シダノがベルに向き直り、言う。
「ベル様。ここでお待ちになられてください。あとのことはバヤンに。私は少し行って参ります……」
シダノの切り詰めたような表情。そしてベル少女は気づく。──
シダノのネズ耳、その耳介に奴隷ピアスが付いていることに。
この場にいる全員のネズミ族に、同じくピアスが付けられていることに。
「あ……あたし、も、」
ベルは己のネズ耳を触り、確かめる。
奴隷ピアスは自分にも付けられていた。
──ベル、奴隷獣人、確定。




