38匹目 ネコ、異世界講義中⑧
「過去は今とは、関係ない……」
ザクロの最後の台詞だけ、ポツリ、ハジメは復唱した。
それは、どこかで聞いたことのあるような台詞だった。
(ああ、ベルだ。──)
と、ハジメは思い出す。
三日前、ベルが夜襲ってきたときに放った言葉と、それは似ていた。
──『それって、今この状況と関係ありますか?』──
過去。過ぎた日。記憶。──現在。
ハジメはザクロの思い出話を脳内で反芻する。十年くらい記憶がない。最近になって猛勉強した。たった一人戦い続けて、自ら手にした強さ。想い。
復讐の観念。それが無ければ彼女はどうなっていただろう? それすらも奪われていたら、彼女の内の、たった一本の筋が、壊れずにいられただろうか?
行動原理、人格形成──完璧主義者。
両親の愛、孤独、人間性、優秀さ。妄執。
──ふと、考えつく。計算する。
(それじゃあザクロは、まともな人生がこっち七年くらいしかないってことか?)
同時に、思い当たる。彼女の言動が時折、少し子どもじみていることを。またその行動が非常識な時があることを。──
と、ザクロは急に立ち上がった。組んだ両手を上に掲げて、伸びをする。
「うーー、ん。ちょっと話し過ぎっちゃったみたいね。やっぱ岩の上で寝るもんじゃないわ。尻尾の付け根がすごく痛い」
「はあ……尻尾?」
と、ザクロは己のネコ尻尾を労るようにスリスリ触る。その手つきは丁寧で、まるで毛づくろいみたいだ。
長い尻尾だ。黒と錆色が半々くらいの割合で、縞のような斑のような幻想的な色合いを作っている。──綺麗だ。
その時、ハジメの胸中がにわかにくすぐられた。魔が差した、としか言いようがない。
ハジメは、彼女の尻尾を触った。
「にゃああああああああああああ!?」
ドゴーン!
ザクロはハジメの顔面を蹴っ飛ばした。
が、無論咄嗟に力が入ったので、その強烈な一撃は、しかしハジメに難なく受け止められる。
スキル【みじめ】の発動だ。
ザクロは今までに見たこともないようなスピードで混乱する。
「にゃにやってんの、にゃにやってんのぉよ!? ふ、ふじゃけんにゃ! ふぎゃああああ!?」
「いやいやいや何と言うかかんと言うかめっちゃ自己開示されたしなんかそういう雰囲気あったし距離が近付いたというか友好の証的ないいかなーとついついマジうっかりホントすみませんでしt(0.3秒)」
「断・罪!」
コツン。
「ぐわああああああああああああああ!!」
ドゴーーーーン!
ちょっとしたパンチだった。が、淡い電流を帯びたそれは言い訳するハジメの肉体を難なく吹っ飛ばし、十メートルほど向こうの岩壁に激突させる。
「最ッ低! あんた最ッ低! この○ん○○! ○○○○ぶ○! ホント○○○○○ぽ○○○○が!」
「ぐ、あ……」
ザクロはおよそ女性(なんなら男性も)の口から出てはいけない言葉を吐いた。もちろん放送禁止である。
それにしても、よくもまあそんなにつらつらと出てくるもんだ。最後のやつとか絶対誰にもわからない。
ハジメはガラガラと岩の瓦礫の中から起き上がる。血まみれ。満身創痍だ。
よく生きてたな。すごいぞハジメ。
異世界来てからこっち、確実にタフになっている。ヤギ娘やスライムのおかげかな?
「あんた……あんた、この世界で獣人の尻尾触る行為がどんな意味を持つか、わ、わかってんの?」
わなわなと震えながらザクロは問う。死人みたいにうずくまった男へと。
そのネコ尻尾がブラシみたいにぼわぼわに膨れ上がって、これまたプルプルと小刻みに微動している。
「ふぇ? わかりません!」
指差された男は瓦礫の中から情けない声を出す。素直、正直、誠実な表情。つまり馬鹿の顔だ。
そして、対する女は真っ青な顔だった。
唸るような低い声で掠れ気味に言う。落ち着き払ったヤンキーみたいだ。
「ふっざけんな。わたしも常識なっちゃいない方だけどな、こればっかりはもう絶対に駄目なんだよォ。倫理的にアウトだから……」
「ちょ、目ェ据わってます! 据わってますって! ぴい。本当にごめんなさい、ほんの出来心なんです。あああやめてやめてドンストップ(?)話せばわかる、」
「問答無用!」
ザクロの制裁タイムが始まる。
■■■
「あらごめんなすって少々興奮し過ぎたわ、おほほほほ」
「…………」
ハジメは動かない。赤い雑巾みたいだ。ちょっとギャグじゃ済まされない程に。完全にR15の世界である。
「ほらほら立ちなさいな。これじゃわたしがすっごい怪力で貴方をぶちのめしたみたいじゃない」
「…………」
女はスッキリしている。今や精神においても肉体においても、過去と現在の全てを純水で洗い流したように。
「……やだちょっと本当? 本当に死んでるんじゃないでしょうね……?」
「……(死にそうです)」
ハジメは瞳で訴えた。冗談ではないらしい。
それを見咎めたザクロはぽりぽりと首を掻くような動作をする。その顔は少しバツが悪いような、悪戯をし過ぎた子どもみたいな表情だった。
いいってことよー。
とは、ハジメは絶対に言えない。
正直本気で助けてほしい。
「ったくもう、しょうが無いわね……」
と、にわかに移動するザクロ。何やらゴソゴソと向こうの方で岩壁を探っている。結構離れたところ、モンスターのいる地帯だ。
戻ってきた。その手に採取したらしい謎の草の数々を所有しながら。
蔦? シダ? 苔? みたいなのが、腕いっぱいにてんこ盛りになっている。
「じゃ、じっとしててね。──ぱく、もぐもぐ」
「ええええええええええええ!?」
さすがのハジメも驚愕の声を出さざるを得なかった。もちろん、傷はめっちゃ痛いし、まともに上体すら起き上がらせられない。
「ごくん。あーもう、飲み込んじゃったじゃない。あんたが大っきな声出すから」
「いやいやいやタイムタイム。何? 何をしようと?」
ネコは草を食べた。その沢山抱えた植物を、全部圧縮してサラダみたいにムシャムシャと頬張った。
無論、たった今採取してきたものである。ダンジョンのそこら辺に自生してた草。
ハジメは再び大きな声も出せず、しかし小さめな声で応戦した。
「え? 草? 食べた? それ野生ですよね。摂取して平気なやつなんですか?」
「うーん。まあたぶん大丈夫よ」
「たぶん!? 大丈夫!? つーか何の草だよそれ!(小声)」
「薬草、みたいなもんね。まあ本来はちゃんとすり潰したり漉したりして加工するらしいけど。緊急事態よ」
「え!? もしかしてそれその咀嚼したのおれに掛けようとしてたとかじゃないよな!?」
「そうよ」
「なーーーー!?」
ハジメは卒倒する。否、元々身体は動かないのだが。
さっきのトカゲでもとてもビックリしたが、これもまた、もうなんかサバイバル過ぎるというか想像を絶する光景だった。
「み、皆そんなことするの? その、もぐもぐペッ、みたいなやつ」
「あっはっは、こんなことする奴、他にはいないわよ。ほら、わたしの【補食】スキルでなんとかなってる感じ? 苦みとエグみが凄いのよ。口に含んだら、大の男が気絶して九十年くらい目覚めないレベル」
「それ死ぬってことだよな!?」
「昔は王家の暗殺手段とかに使われてたらしいわね。薬草を生でそのまま食事に混ぜるの。泡吹いて見事にお亡くなりになられたらしいわ。良い子は真似しないでね♪」
「あああそれをおれにぶっ掛けようとしてたのか……」
「『掛けようと』じゃないわ。『掛ける』。今から。……ケッ、ケッ……」
「ハアアアアアアアアアアアアアアアアア!?!?」
がふうッ、と、ハジメは大声を出した調子に盛大に吐血した。
無理もない。ザクロは先程飲み込んだ草を、再び吐き戻そうとしているのだから。まるで毛玉を詰まらせた猫みたいに。
「勘弁して勘弁してああもう今回おれ懇願してばっかだな……」
「うーん。……おとーさんおかーさんどうしたの……?」
「「ベル」さん/ちゃん!?」
ベルが起きた。
目をくしくし擦って、寝ぼけの様相である。その眼は薄らぼんやりと縺れている二人の方へと向けられる。
瓦礫に上体を凭れ横たわる瀕死のハジメ。と、その上に跨るようにして覆うザクロ。
「あーもうあんたが大声出す所為でベルちゃん起きちゃったじゃないの!」
「えええおれの所為!? べ、ベルさん見ちゃ駄目だ。あああそして徐々にこちらへ迫りくるザクロやめてえええええ」
「ふぁい、うえおへへ(はい、腕どけて)」
「ああ……もう反芻してる……」
「……はれ? お二人とも、何してるんですかぁ……?」
ハジメの満面はすでに絶望で彩られている。
ザクロはベルに見られることはあまり気にしてない。
ベルは事態の把握に時間を要しているらしく、純粋な寝ぼけ眼をそのまま二人へと投げかけている。
始まる、静寂なる、阿鼻叫喚。
「あああああ……」
絶望。
「ふぇ?」
混濁。
「……べろ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ぇ」
──浄化。
誰かの声がする。ハジメのかもしれない、ベルのかもしれない。
それがダンジョンの岩と鉱石に反射して、響き渡る夜の蜃気楼、奏でる解放と饗宴のハーモニー。
その周囲に煌めくような鉱石の色が、ザクロの虹彩とよく似た綺麗なエメラルド色なのは、ただの偶然なことだけれど。
……今日のお話はこのくらいにしときましょう。しかし、彼らの冒険はまだまだ続きます。
なあに、ゆっくりで良いんですよ。人生は長いもんですから。私はいつだって、笑顔が一番だと思います。
それでは皆様、おやすみなさいませ。
良き夜を御過ごし下さい。
……




