31匹目 ネコ、異世界講義中①
日常
「…………」
ダンジョン。ベルとハジメの住処。
ヤギ娘とのぶっ飛んだ戦いが終わり、二人はこの薄暗い洞窟に帰宅した。
ネコ耳美女──ザクロは、そのまま建物(半壊した、半分の壊れていないほう)からベッドを引っ張り出し、そこで休憩すると言った。
あの場所。
ベルが彼女に攫われ、補食されかけた場所。
ハジメが連行され、ヤギ娘の繰り出す熾烈な傀儡と猛攻した場所。
見るも無惨に崩れた貴族の家は、ザクロの自宅だったわけである。
そして現在。
「…………」
ベルは、ハジメの肌着を所有していた。
■■■
『べ、ベル!?』
『ベル、危ない!』
『──生存、しましょう』
■■■
少女の脳裏に、男の勇ましい声が反響する。
そしてその声は、先ほどから(ハジメが積もり積もった疲労のため、洞窟に着いて早々ぶっ倒れ、気絶したように昏睡してから)延々とリピートされていた。
「…………」
少女はハジメの肌着に、ぽふっと顔を埋める。
その顔がだんだんと隠しきれないように、ほころんでくる。
「〜〜〜〜〜〜、ッ!」
布に、頭をこすりつけた。
ジタバタと体育座りをしながら、悶えている。
いつも真面目な彼女らしからぬニヤケっぷりである。
もしハジメがここにいたなら、彼はちょっと彼女の体調を心配してしまっただろう。
そのくらいの、少女の挙動不審さだった。
「えへへ……」
ベルの抱きしめる肌着。
というのも、あの時──ハジメがザクロの半壊ジオラマに拉致され、ヤギ娘とともにボコボコにされていた際、身につけていたものだ。
ついでに言うなら、その前日、ベルがハジメを襲った際に着ていた服でもある。
……それがいかにして、少女の手に?
「…………ふ、」
少女の頭はぼんやりしていた。
真っ白い霧が彼女の思考に立ち込める。
《悪魔王》の腕を掴んだときの、ハジメの冷たい眼。
でも、その後彼が差し出した手の、穏やかな温もり。表情。
服で隠された少女の顔の、しかし出ているネズ耳が、くったりと脱力する。
「…………!」
自分がのしかかった、ハジメの上半身。
匂い、熱、湿度。
彼の、狼狽した表情。
夜。
蘇り、ネズ耳がぴんっと立ち、ピンク色に燃える。
やりとり。朝の会話。
ハジメの動揺。目線。
やけに会話を逸らそうとしていた、あの不審さ。
そして、それをすっかり忘れていて、問い詰め糺そうとした自分の愚かさ。
ああそうだ、つい昨日の朝のことだ、とベルは思い出した。
「……昨日の朝?」
少女はなにか引っかかったようだ。
が、気がかりはすぐに脳内の霧にかき消され、うやむやにされる。
……とりあえず、一旦落ち着こう。
少女はそう結論に至った。
深呼吸をする。吸って、吐く。
抱いた服が生温い湿り気を帯びる。
吸って。──
「…………」
吸う。
鼻腔内に心地よい香りが充満する。
「あのー」
「ひゃい!」
ハジメの声だ。返事が裏返ってしまった。
「入ってもよろしいですかね。この洞窟、ドア無いんでノックできなくて。あ、まだ見てませんよ、ハハ……」
と、遠慮がちにはにかむ声だけが聞こえる。
彼は律儀に、ベルの部屋(洞窟の穴)の前の見えないところで立って待っているらしい。
「ちょ、ちょっとお待ちくださいね……」
と、ベルは速やかに布団(重ねた毛布)の下に、ハジメの肌着を隠した。
「ど、どうぞ」
「はい。お邪魔します……」
■■■
ベルがいた。
まあ、彼女の部屋なので当たり前なのだが。
部屋(穴)の中は、どこからともなく、ふんわりとした花のような香りが充満している。
彼女はそこの布団(毛布)の上に正座していた。
「や、すみませんね。なんかボク、またぶっ倒れちゃったみたいで……本当に、ご迷惑おかけしました」
「い、いえ。疲れてましたもんね! あんなに動いたんですもの、それはもう……!」
──ん?
ベルの様子がどことなく変な気がする。
銀髪が少し乱れて、顔がほんのり紅潮して、喋り方もなんだか焦っているみたいだ。
ああ、そうか。なるほどね。
寝ぼすけさんか。
「すみません、ベルさんも寝てましたか。起こしてしまったのなら……」
「いいえ、寝てはいませんでした!」
……うん? そうか。
なんかそんな気がしたんだけどな。
寝起きでテンパっていたんだと推測したが、どうやら外れたらしい。
じゃあなぜ様子がおかしいんだろう……気の所為か?
「もしかして、具合悪いですか? そりゃそうですよね、昨晩はあんなに激しかったんですもん」
「さく……ばん?」
「え?」
「ああ、そうでしたそうでした。昨日の──」
と、ハッとしたようにベルは立ち上がった。
「い、今何時ですか!?」
「え、ボクも今起きたばっかなんですけど……この洞窟の結構な暗さからして、夜くらいなんじゃないですかね。ああ、なにげに一日中寝ちゃってたな。おかげで体力回復、ベルさんの薬もあって傷もだいぶマシになったし、スッキリですよ。ありがとうございます!」
俺がそんなふうにまくし立てる間、ベルはわなわなと真っ青になって黙っていた。
どうかしたのかな。
やはり、具合が悪いんだろうか。
「──買い物! 食事! 洗濯!」
と、にわかにベルは叫んだ。
「……へ?」
「な、なにもやってませんでした! すみません、すみません!」
ベルはペコペコとこちらに頭を下げて謝る。
「いやいや、いいっていいって! 昨日あんなことがあったし、そんな家仕事、やらないほうが普通ですって! それに、なんかベルさん顔色よくないですよ」
「で、でも……それじゃ、あたしの存在意義が……」
「存在意義って……。そんなもの、なんにもしなくてもベルさんには十分ありますよ」
「うう……でも、挽回させてください!」
「いやいや休んで──あ、そういえば」
と、颯爽と立ち去ろうとしたベルに、ふと気がついて呼び止めた。
「あの、ボクのインナー知りませんか? なんか昨日、帰ってギリギリシャワーだけ浴びれたときにどっかに置いたと思うんですけど……」
ピク、とベルのネズ耳が反応した。
「えっとー……あ、あれはもうだいぶ汚れてたんで……そ、そう! 洗濯しても落ちなかったので、す、捨てちゃいました!」
「捨てちゃった!?」
「あっ」
と、ハジメが大声でびっくりしたのに、ベルも驚いた。
バツの悪そうに、眉が少し下がっている。
「いや、いいんですよ。そんなに大したシロモノじゃないんです。ただ、どこ行ったかなーってだけ。むしろ、汚れてたものをわざわざ捨てていただいて、ありがとうございます」
ハジメは早口でそうまとめた。
ベルは申し訳ないといったふうにお辞儀する。
「本当に、すみません、勝手に……」
「いえいえ!」
……実を言うなら、ハジメは少し惜しかった。
なぜなら、あの肌着はハジメの元いた世界から着ていたものだからである。
こちらの世界で言うところの、異世界産。
そんな今となっては思い出深い、わりと貴重なモノが失われた。
どうでもいいことかもしれないけど、やはり少し寂しく感じる。
「では、そのごめんなさいも含めて、夜ご飯おいしく作らせていただきますね!」
ベルはハジメの思いやりを受け取ったか、元気な明るい笑顔で、そう言った。
「あ、ありがとうございます。でも、本当に体調が悪いときは、無理しないでくださいね? おれの存在意義だってありますから。家仕事も、いろいろ覚えていくんで、やらせてくださいね」
「……はい!」
ベルは嬉しそうに笑って、部屋を出た。
彼女の足音が遠ざかり、小さくなり、消える。
「……ふう」
ハジメは息を吐いた。
その表情が、徐々にほころんでゆく。
「〜〜〜〜〜〜、ッ!」
──かわえええええええええええええ!!
ナンヤアレ!? 新種の小動物!?
むっちゃかわええやん!?
『はい!』って言ったよ、『はい!』って!
なんなん!? 正気保つのが精一杯。
異世界最高!
荒れ狂う大海の如く、ハジメの胸中に庇護欲が去来する。
「あれっ? そういえば……」
一通り悶え転んだ後、ふとハジメは気がついた。
ベルが言った言葉を思い出す。
『だいぶ汚れてた』。
『洗濯しても落ちなかった』。
…………?
と、彼は首を傾げた。
「洗濯、してないんじゃないの……?」




