30匹目 ヤギ、調教中⑩
「──動くなァ!」
ヤギ娘が叫んだ。
彼女は全身で蛇みたいに絡みついて、気絶した美女の身体を拘束し、口や足で器用に引きずりつつ後退する。
その右手に、銀色の何かをしっかりと掴んで。
そのまま瓦礫を登っていくと、やがてその人質とともに二階に到着した。
「……アッハハハ! マジかよ、おいおい!
倒しちゃったぜぇ? あ、ありえねえって。
……悪魔だぜ? な、なんなんだよお前、ふざけんなよ、ハッハハ!」
娘はブツブツと独り言のように溢し、狂ったように笑った。
その左腕は、服の切れ端の布をぐるぐると巻いて、応急措置はとったらしいと見える。
(ベ、ベルさん……あの、右手のヤツは……?)
(あ、あれは……)
ハジメがベルに視線で問いかけた。
この状況がただごとではない──娘の右手に光る銀色物体が、凶器じみたモノであることは容易に推測がついた。
だが、ナイフではなさそうだった。
ハジメも見たことがない、武器というよりは、道具みたいな。……
「う……ん?」
と、ネコ耳美女が目覚めた。
ハッとした彼女の瞳は、ヤギ娘の洗脳から解かれたように、もとの美しい、野性的な輝きに戻っている。
その視界にまずハジメとベルが映った。
が、すぐに自分が奇妙な肉体の檻に囚われていることに気がつくと、振り返り、ギョッとした。
「ネコ……動くなよ」
美女はピタッと微動だにしなくなった。
視線だけが上方に移動する。
先端に突起のついたペンチみたいな物体が、拘束された彼女のネコ耳を挟み、静止していた。
「────ッ!?」
美女は一瞬もがき、ジタバタとその包囲から抜け出そうとしたが、ペンチがグッと握られると、怯えたように動かなくなった。
その顔が、混乱と、恐怖と、絶望に彩られる。
「いい子だ、ザクロ。お前は賢い。……男」
と、ヤギ娘がハジメに語りかけた。
「男、自害しろ」
「「「!?」」」
三人──ベル、ハジメ、ネコ耳美女が驚愕した。
「さもなくば、このネコを処刑する。……コイツでな!」
ガッチャン!
と、ペンチみたいな道具が空を綴じる。
ホッチキスみたいな音が響いた。
「──いやああああああああああああああ!!」
美女の耳元で発せられたその金属音に、彼女は発狂した。
必死の脱出を試みるが、ヤギ娘にネコの耳介を噛まれ、恐怖で急速に脱力したようになる。
「ベル……あのペンチみたいなのはなんだ?」
身動ぎできないハジメが、再び問うた。
ベルは小声で答える。
「あれは、魔道具です」
「魔道具?」
ハジメも小声で喋る。
「はい。アレで耳を開けられたら、一生残ります。『ピアス』の穴です」
「…………」
ハジメはよく理解できない。
が、自分の死と交渉材料にできるくらいには、強い意味を持つ行為であることがわかった。
「うう……」
ネコ耳美女の眼から、涙がつたった。
「いや……いやあ。開けないで……やだ……」
満面ぐちゃぐちゃに濡れて、子どもみたいに泣く。
が、恐怖のためか、押し殺された声だ。
「う、ぐ……。そんなの……そんなの、奴隷と一緒じゃん!」
ガッチャン!
「──あああああああああああああああ!!」
しかし、美女の嘆きは再び鳴ったペンチの音に阻止される。
美女は押し当てられるペンチにやがて抵抗の色も消え、微動だにしなくなった。
「さあ、死ね! 死しておれの生贄となれ!」
ギラギラと血走った眼でヤギ娘は叫んだ。
もはや、娘が何を言っているのかわからない。
ただ、尋常ではない狂気だけが、現在の彼女を動かしていた。
「ハジメさん……」
ベルが二人にしか聞こえないように話した。
「隙を作って。あたしが盗む」
最低限の言葉だった。
その横顔は、なにか一案あるような、一か八か試そうとする閃きが見える。
ハジメはヤギ娘に悟られないような面持ちで思考した。
(隙を作る? どうやって? つーか、盗む? あのペンチを? ベルが?)
怒涛の勢いで、考えが糸のように脳内をこんがらがる。
ベルが一歩踏み出したのは、その時だった。
「動くな、つってんだろ! このアマ!」
「ひっ」
ヤギ娘が威嚇するように脅迫した。
同時に、囚われた美女の身体も大きく揺れる。
そのネコ耳に挟まれたペンチが強く握られ、美女が小さく悲鳴をあげた。
「ハジメさん──お願いします」
瞬間、ベルは走り出した!
ヤギ娘がたじろぎ、動揺する。
「──うおおッ」
わからなかった。
わからないなりに、ハジメは思考し、そばに落ちていた瓦礫の一片を投げた。
小石は宙を放物線を描きながら娘のほうへと向かった。
「な!?」
ヤギ娘の注意が、疾走するベルからその小石に一瞬だけ向けられた。
が、その一瞬のうちに、ベルは二階へと登り、敵の真ん前まで距離を詰めていた。
ベルの手が、ヤギ娘の持つペンチへと伸ばされる。──
■■■
ガッチャン!
三度目の金属音が響いた。
ネコ耳美女が二階から落下する。
受け身も取らず、頭から、死んだように落ちていく。
ハジメは咄嗟に危機を察知し、走った。
スライディングした彼の身体の真上に、瓦礫を一度バウンドした美女の肉体が重なって落ちた。
「ぐぶッ」
ハジメの口から、潰れたカエルみたいな声が出た。
すぐさま、跳ね上がるように起き上がり、美女の生存確認をする。
「あ……ああ」
美女は死んではいなかった。
が、廃人のような目つきで、この世の全ての絶望を被り、もはや、死んでいるよりも悲惨な様相である。
そのネコの耳介には、下方にBB弾大の穴が開けられていて、わずかに血が流れている。
「……ハッ。ベルさん!」
美女を地面に寝かせると、すぐにハジメはベルの安否を確認した。
彼女の姿は見えない。二階に登ったきりのようだ。
(上には、ヤギ娘もいる!)
ハジメは戦慄した。
すぐに自分も瓦礫を登る。
「ベルさん!」
果たして、二人はいた。
仰向けに倒れたヤギ娘を覆いかぶさるように、ベルはいた。
その手に、銀色のペンチを握りしめて。
「……終わった」
ヤギ娘が放った。
もうなにも持っていない右手で、顔を隠した。
と、ベルが、ペンチを握ったままの手をヤギ娘に近づける。
ビク、と娘が痙攣する。
「……憎しみのために、誰かを犠牲にしちゃだめ」
ベルが言った。
伸ばした腕は、そっとヤギ娘を抱きしめていた。
「…………」
娘も、それを見ているハジメも、唖然とした。
再びベルの口が開く。
「でも、それと同じくらいに──自分を生贄にするのはよくないです」
と、ベルの身体が淡く光った。
「……あ、」
途端、ガクッとヤギ娘の身体がもたれた。意識を失ったらしい。
ベルはそれを床に安置させると、歩き出し、瓦礫を下り、ネコ耳美女のもとへと行った。
呆然と立ち尽くしていたハジメも、移動する。
「ちゅう」
下には、チュー三郎がいた。
戦いが終わったのを見計らって、出てきたのだろうか。
そのユニコーン型の角に、ベルのポシェットを吊り下げている。
「ありがとう、チュー三郎」
受け取って、中の物を取りだす。
「ベルさん、それ……!」
ハジメの目が見開いた。
ベルの取り出したのは、例の小瓶──エリクサーだ。
しかし、ハジメの持っているのではなく、ちゃんと中身が入っている。
「これが、最後の一本ですね……えへへ」
少女ははにかみつつ、小瓶を開けた。
と、ふわり、ミントのような香りが漂う。
その内容物を美女に飲ませる。
美女は戸惑ったふうにベルとハジメの顔を眺めたが、やがてその液体を受け入れた。
「あ……」
飲むと、美女の耳介に薄い緑色の光が灯り、その穴が──ヤギ娘のペンチで開けられた、BB弾大の穴が、塞がれた。
「……いいのか?」
ハジメは問うた。
美女を許していいのか、という意味ではない。
最後の一本、おそらくとても貴重な物であるエリクサーのラストを、そんな思い切りよくあげてしまっていいのか、という意味だ。
少女は答える。美女を見つめながら。
「いいんです。あたしは、あたしがその時思ったことをしたい……今は、あなたにこれをあげたかった」
ベルのはにかみが、深い柔らかみを帯びる。
それを見るネコ耳美女の瞳が、潤い、生命の温かさに満ちてゆく。
「……『あなた』、じゃない」
「え?」
美女の口が開かれた。
恥ずかしいのか、照れくさいのか、申し訳ないのか。
ぷいとそっぽを向いて、彼女は言った。
「あなたじゃなくって、ザクロ。わたしはザクロよ。助けてくれて、その……ありがとう」
ネコ耳美女──ザクロのカーキ色の尻尾が、ゆらゆらと揺れる。
その輪郭が、昇る朝日に反射して、黄金色に輝いていた。




