22匹目 ヤギ、調教中②
襲撃
「やっぱし、ベル、覚えてねーのか……昨夜のこと」
ハジメは嘆息した。
彼は今、掲示板の前に立っている。
ギルドだ。
異世界に来て、初めてギルドに入ってみたのだ。
人が大勢いる。その中には、背中にでっかい剣を担いだ者や、三角の黒い帽子を被り、光る石の玉が嵌めこまれた木の杖をついている者もいる。
それらが、西洋風のレンガ調な建造物に、賑やかにたむろしているのだ。
まさに、異世界風景。ギルド然、といった感じだ。
その、掲示板。
「ギルドカード発行に、身分証明書が必要ってなんなんだよ……こちとら異世界から飛ばされて来たんだぞ?」
ハジメは再び嘆息した。
その脳裏には、異世界に来て二日目の朝──あの夜明けの朝、が描き出される。
カード。ギルドカード。
ベルはそう言った。それを思い出し、ここへ来たのだ。
が、カードの発行を、受付のお姉ちゃんに断られた。
考えてみれば、必然である。身元不明の人間を雇うわけには行かないのは、元の世界でも同じことだ。
前途多難。職なし、戸籍なし、住所不定、身分不詳。
ハジメは元の世界でヒキニートをやっていたことを、今後悔した。
働く、ということの経験がないのだ。
「カードが無くても受注できる案件は……ないかぁ」
と、その時。
何やらギルドの入口がざわつく。……
「……あれ、あの人じゃない?」
「ザクロさんだ……」
「え、あの、A級魔法師の……?」
ハジメは振り返──ようとした、その瞬間。
謎の電気ボールが彼の身体に直進し、衝突した!
「痛──ってッ。何すんだ!」
見る。あの、ネコ耳美女だった。
「…………」
美女は顔を俯けながら、目線だけでこちらを見た。
その手は、バチバチッ、という音を上げながらこちらへ向けられている。
「…………?」
突如、ハジメの身体が軽く宙に浮いた!
「お、おお!?」
美女は身を翻し、無言でスタスタと歩く。
そのまま引っ張られるハジメ。
美女は、ギルドを出る──ハジメも出る。
往来に出た。美女は歩き続ける。
美女の手からは、時々電流がビリッと一本の筋となって溢れる。その一端が、ハジメの身体からも生えているようだ。
「お、おお、おおッ?」
女は、見えない犬のリードで、男を連れている。
道行く人々は、その世にも奇妙な光景を不思議がった。
■■■
「おぉ……うわっ!」
ハジメは、ドサッ、と地面に落とされた。
人気のない路である。
裏路地というほど狭くはない。
居住区のようである。
見上げると、家から道路を跨いで向かい側にロープが渡されており、そこに洗濯ものが引っ掛けてある。
それが、何本も渡されていた。
建物と建物の間。日陰だ。
「──あなた」
振り返り、ネコ耳美女が口を開く。
「変ね。ネズミの方を探知したつもりだけど……まあいいわ。そうね、あなたが本命よ」
ぼそぼそと呟く。
突如、再び電気ボールを投げた!
「痛い! だから、何するんですか!」
玉はバチバチィ! という破裂音を出してハジメに直撃した。
が、彼はまるで静電気でも浴びたかのようにけろりとしている。
「……」
チ、と美女は小さく舌打ちした。
と、すぐさま無言でハジメへ猛攻を仕掛ける。
「おおッ!?」
美女は俊敏で、それはもはや人間の動作ではなかった。
ハジメは躱す。が、モロに喰らってしまっている。
しかし、それが大したダメージを喰らっていない様子である。
「なんなの、お前……」
美女は独り言のように言う。その間も、攻撃は繰り返される。
殴る、蹴る、しゃがむ、跳ぶ、足を払う、突く、踏み込む、回転する。──
まるで格闘ゲームのような動きだ。
それもおよそ人間でない、超高速再生で。
「──フッ、」
美女は高く(ロープの洗濯物を避けながら)連続後方倒立回転跳びをすると、その距離から猛烈な勢いでハジメに突進した。
バリッ!
ハジメの顔面を、電流を纏った美女のアッパークローが襲撃した!
ハジメの頬に、一条の赤い筋が走った。
しかし、攻撃の強烈さに反して、付いた傷はそれだけだった。
ハジメは自分の頬を撫でる。
「──ッ、テー。……ああ、血ィ付いちまった。ツバ塗っとかんとな、ペロり」
男は、あっけらかんとしていた。
美女は愕然とした。目を皿のように見開く。
「……なんなの」
「へ?」
美女はギリッ、と切歯する。
と、その右手を遥か天に差し向けた。
美女の地面から、複数の電流の糸が揺蕩い、上昇した。
それが一つに束ねられ、天空の一点に吸い取られる。辺りの光がそこへ集中する。……
ゴロゴロと、空が唸る音。
「なんなの、なんなの、なんなのッ……あたしは」
右手を振りかぶる。
「──あたしは、弱くない!」
■■■
ドゴォオオオオオオン!
大音量で、雷鳴が響いた。
美女は、息を吸って、吐く。その肩は大きく上下している。
彼女の手が翳した地面は、大きく抉れている。
その砂塵の向こうに、彼が見えた。
彼は、勢いで吹っ飛ばされていた。
「…………?」
男は動かない。目を瞑り、気絶していた。
その頭部に、微かに血が流れている。
どうやら、地面の岩の破片が当たったらしい。
「なんなの……?」
美女は不審そうに、目を丸くした。
そして、ふと思案顔になった。
「…………」
にわかに、美女は男を担いだ。
そのまま跳躍し、影の合間を縫うように、何処かへ去って行った。……