21匹目 ヤギ、調教中
痴話喧嘩
「おはようございます、ハジメさん」
ベルが言った。
「オ、オハヨウゴザイマス……ベルサン」
ハジメは何故か片言だ。
キョロキョロと目を泳がせ、見るからに挙動不審の体である。
朝だ。
洞窟内にも若干日の光が入り込み、昨夜よりは明るい。
「あの、今日の朝ご飯は──」
「ひゃいッ」
ハジメはビクッと痙攣した。声が裏返る。
明らかに様相が普通じゃない。
ベルが不審そうに見る。
「あの……どうかしましたか?」
「な、な、な、何も? 何も?」
視線を逸らす。上体を反らす。
ハジメは、昨夜のことを思い出す。ベルが襲ってきたことだ。
(ベルは覚えていねーのか?)
「ハジメさん……なんで前かがみなんですか? わたしに何か、隠しているんですか」
「いや! これは……」
ベルがぐい、と迫る。
どの口が言うんだ、とハジメは思った。
正直、これはベルの所為でもあると思う。
ハジメは、なんとか会話を逸らそうと試みた。
「そ、そうだ! ベルさん、その耳の『穴』って──」
一瞬、ベルが固まった。
その表情には、微かな驚きが混じっている。
まだ、耳の穴、とまでしか情報を出していないのに。──
ハジメはドキッとした。
彼自身が、ではなく、ベルが驚いたのに彼も呼応して驚いたのだ。
「あ……これですか」
彼女は落ち着いて言う。
「大した事、ないですよ。……昔の傷ですね、えへへ」
「…………」
笑った。少し困ったように。
二人の間に、数秒の静寂な空気が流れる。
(聞いちゃいけないことだったか?)
ハジメは疑問に抱かれつつも、さらに次の話題を探す。何か無いか?
「あーと……そういえば、この前の女の人。ホラ、ネコ耳の。あの後、どうしたんでしょうかねえ」
つくづく、自分には会話の才能がないと思った。
こんな時、チュー三郎が居てくれれば!
「あ、はい、そういえば。……あたし、あの方をどっかで見たことあるような気がするんです」
「そ、そうなんですか? なんか、両親がネズミにどーたらこーたら言ってましたけど」
「ああ、それはまた別の話でしょうね。ネズミ族とネコ族の問題でしょうから……」
「ネズミ族とネコ族の問題?」
「……? ご存知ありませんか?」
ベルは目を丸くした。まるで、青信号は渡れ、を知らない人間を見るような目つきで。
ベルは語り出す。
「あまりいい話でもありませんけど。……昔、わたしたちネズミ族は、人間のひとと一緒に暮らしてたんです」
■■■
暮らしてた、といっても、コミュニケーション上の関わりはあまり無かった。
ネズミ族は人間の食糧をこっそり盗み──代わりに、砂金や宝石などを少しずつ置いていく。
食糧は、必要な分だけをもらう。
そういう関係性だった。
人間の方も、毎日欠かさず置かれるその財宝をありがたがったし、その関係に満足していた。
しかし、やがて人間の技術が発展し、金や宝石などを効率よく採れる手段が見つかると、ネズミ族はその分の財宝を採れなくなった。
人間は、大いに発展した。
ネズミ族は、お払い箱となった。
毎日ほんの少ししか、それもあまり価値のない荷物を置いていくネズミ族は、むしろ人間にとって、食糧を盗むだけの存在になった。
そこで活躍したのが──ネコ族。
『ネズミ族を食べれば、レベルが上がる』。
人間たちは、そう彼らに吹聴した。
ネコはネズミを殲滅し、ネズミはその数を減らしていった。──
■■■
「それで最近、生き残ったネズミ族が、ネコ族に復讐するって話が、どこかにあるらしいんですけど──」
ベルは俯く。困ったように。
でも雰囲気を和らげるために、笑顔で。
「ホント、誰でも思いつくような話ですよね。でも、史実は史実で……あ!」
空気を断ち切るように、ベルは叫ぶ。
「ハジメさん、話を逸らしてる!」
ギクッ。
「そこに何か、隠してますね? 教えてください、何をそんなにもじもじしているんですか? ……さては、後ろ暗いところがあるんですね?」
(だから、あなたの所為でもあるんですってば!)
ハジメは口の中で叫んだ。
ベルはさらに、ぐぐい、と近づく。ジト目で、少し怒っている表情だ。
(怒った顔もかわいい!)
(……じゃない、鎮まれー、鎮まれー)
「悪いことはしちゃダメです……」
あなたがね!
「人をおちょくるのはいけません……」
いやだから、あなたがね!
ハジメは昨晩の、ベルの猛攻を思い返す。
彼女の方が、よっぽどイケナイことをしていたと思うのだが。……
「──なにを隠しているんですか!」
「はいそうです! ……じゃねぇ、ボク外の空気吸ってきまーす!」
スタタタッ、とハジメはベルの横を駆け抜けると、岩の部屋を脱出した──前かがみになりながら。
残されたベルは、わけがわからなかった。
その頬は、ぷっくりと膨らまされている。
「なんなんですか……もう!」