20匹目 余田ハジメ、押し倒され中⑤
ウマウマウマ
「余田クン……付き合ってください!」
ガバッと頭を下げる少女。
「おっ、おれと?」
言いつつ、自らを指さす少年は、ハジメだ。
彼は学ランを着ている。高校生の時だ。
「──ありがとうございます!」
ガバッとこちらもお辞儀する。
顔を、視線をゆっくり上げ、見つめ合う。
少女の顔は赤らんでいる。はにかむ。
クラスの女の子だ。いつも教室の隅っこで本を読んでいるようなコ。
(でも、おれは知っている)
(彼女が眼鏡を外したら、とんでもない美人になるということを。──)
なんてベタなモノローグを吐いてしまうくらい、男は舞い上がっていた。
次の日。教室。
少年ハジメはホクホク顔で席につく。
告白された! 付き合った!
彼女が、できた!
ぐっと拳を握りしめる。
興奮して夜中ずっと枕と格闘していたから、ハジメの目には少しくまがある。
と、教室がざわつく。
皆ハジメを見て、ヒソヒソと話し合っては、クスクスと嗤っているように感じた。
(……気の所為か?)
昼休み。視聴覚室。
ハジメは教材を置きに来ていた。
ふと、教卓の上のパソコンに目が留まる──と。
《おっ、おれと?》
《ありがとうございます!》
愕然──恐怖。
《おっ、おれと?》
《ありがとうございます!》
映像は繰り返される。
バサバサ、とノートを取り落とすハジメ──立ち尽くす。
《おっ、おれと?》
《ありがとうございます!》
告白された。付き合った。
彼女が、できた。
《おっ、おれと?》
《ありがとうございます!》
クラスメイトの目。嗤い声。──
《おっ、おれと?》
《ありがとうございます!》
《おっ、おれと?》
《ありがとうございます!》
……
■■■
「お……おれと」
ハジメの眼に、うっすら涙が浮かぶ。
「おれ、みたいな、クズで、ヒキニートで、穀潰し、ヒモ野郎……ダメ人間、勘違いの、バカ男に……ハハ」
そこまで言って、ハジメは嗤う。
「ベルさんが……ベルさんみたいな人が……」
ハジメは歯を食いしばる。左手──ベルに握られていない方の手で、顔を隠す。
「…………」
ベルはハジメを見つめていた。
と、小さく口を開けて言う。
「それって、今この状況と関係ありますか?」
「……へ?」
ハジメは吐息のように漏らした。腕を除け、見る。
屈託のない笑顔。いつものベル。
「!?」
途端、ベルの上半身がハジメのほうへと迫ってきた。
その顔は怪しい笑顔に戻っている。
ニヤニヤと攻めるような表情は、目を薄め、どんどん近づいてくる。
熱が、匂いが、息遣いが。
ハジメの満身に大量の情報を伝達し、網羅し、混濁させた。
のし、と、たしかに体重を感じる。
柔らかい、心地よい、温かい、懐かしい──重さ。
「ちょっ! と、待ってください! ご、ゴムが、アレッ、ゴム──アッ、瓶の中! ま、まって、まッ──────!」
■■■
「ちゅっ」
ゴトン!
──良い音と、嫌な音がした。
「は」
前者は、ベルがハジメの鼻頭にキスした音。
後者は、そのままハジメに覆い被さるように左にズレて、彼女の頭が地面に落下した音である。
少女は動かない。──死んだ?
「……ハッ! 大丈夫ですか!?」
自分の上に重なって倒れたままの少女をひっくり返し、下から抜け出す。
生存確認……息がある。ベルは気を失っているだけだ。
「なんなんだ……?」
ハジメは、ふうぅ、と大きく息を吐いた。
ベルの頭を見て、地面にぶつかったところを探る。
「結構、でかいコブ作っちゃってんな……あ」
ハジメは何かを見つけた──『何か』。
「んじゃ、こりゃ? ──『穴』?」
ベルの左のネズ耳、その耳介の下の方に、BB弾大の穴が空いているのを。
■■■
同時刻。真夜中。
「…………」
街をスタスタと歩く、一つの影。
あのネコ耳美女だ。
「よーう、姉チャン。ひとり? おれと一緒に遊ぼうぜえ、ぐへへ」
酔っぱらい男が話しかけてきた。──と、
ドゴォオオオン!
静かな往来に響き渡る轟音。
美女は男を吹っ飛ばした!
向こう十メートルに吹っ飛んだ男は、店先に積まれてあった砂袋に突っ込んだ。
男は白目をむき、全身に微かに電流をまとい、ビクビクと痙攣している。
美女の右手は、ビリビリと電気を帯びている。その美しい顔が、苦く歪む。
美女の脳裏に、一日前の夜の風景がフラッシュバックした。
宵闇を、少女と男の二人の影が寄り添い合って歩く姿。
美女の歩調が速まる。
「わたしは強い、わたしは強い、わたしは強い……!」
「そう。あなたは強い」
バッと振り向く──瞬間、美女の口に何かが押し込まれた。
指だ。人差し指と、中指。
背後に人がいた。いつの間に?
裏路地だ。他には誰もいない。
フードを被ったそれは、美女の口に二本指を突っ込んだ体勢のままで告げた。
「わたしの血だ。来い」
ネコ耳美女は戦慄する。ゴクリ、と嚥下した。途端、彼女の身体が赤黒く光った。
それは、ぱさ、とフードを脱いだ。
娘だった。
眼帯をかけ、クリーム色の髪。下向きに寝た長い獣耳もある。
その頭部には、モンスターに似た角が生えている。ぐるっと大きく後ろに反り返った角。
娘は笑う。その輪郭を、裏路地の寂れた月明りが、凄惨に彩る。
「──楽しい夜に、しよう」