09.恋愛指南書はまだはやい
ミレイナは好奇心に負けて、本を捲った。デートの誘い方から、場所選び、シチュエーション別の対応方法など、その内容は多岐に渡る。
ただ、これは……。
(これは王族が読むものではないと思うの)
読むべき本を身分で決めるべきではないと思うのだが、本の内容に従って行動したらスキャンダルになりそうなことばかりだ。
そして、この本の内容をすべて試されてしまってはミレイナの心臓が持たない。
セドリックからしてみれば、ただの好奇心なのだろう。本に書いてあることを実践するだけ。しかし、好みの顔でそんなことをされてドキドキしないわけがない。
この本の知識はヒロインとの本物の恋が始まってから使えばいいと思う。ミレイナは本を閉じると、そのまま腕に抱えた。
「こういうことは本を頼ってはいけないと思うわ」
「どうして?」
「相手があるものだからよ。お互いの年齢や関係性で変わるでしょう? マニュアルどおりの行動が相手を傷つけることだってあるわ」
「ミレイナはさっきの、いやだった?」
顔を覗き込まれてミレイナは思わず後ずさった。
昨日からセドリックとの距離が近い。彼の目的は明白だ。
ミレイナを結婚相手とすること。
この八年、ミレイナはセドリックの一番近くにいたと自負している。彼は恋愛に興味がない性格だ。原作小説でもしっかりと恋愛下手に描かれていた。
面倒な恋愛をせずに結婚まで済ませてしまおうと思っているに違いない。
(こういうときは先生として、しっかり教えてあげないと!)
「いやではないけれど……。でも、とても驚いたわ。こういうのは、もっと仲のいい恋人同士がやることだと思うの」
本物の姉弟であれば、この程度のことはあるのかもしれない。けれど、セドリックとミレイナはあくまで他人で、しかも身分も違う。
この本の常識を照らし合わせるのは難しい。
「恋人同士か……。じゃあ、この本はまだ我慢しておく」
セドリックはミレイナが抱いている本を引き抜くと、テーブルの上に置いた。
「じゃあさ、まだ、恋人じゃない僕たちはデートで何をすればいいの?」
「考えていなかったわ。セドリックは読書が好きだから、いつもとは違う場所で本を読んだら新鮮かなと思ったの」
「で、ミレイナはケーキを食べる? ……それって、場所が違うだけでいつもどおりじゃないか」
「いいじゃない。場所が違うだけで特別感があるもの」
いつもセドリックと会う部屋は、天井まで届く本棚にびっしりと本が並べられた場所だ。ソファとテーブルはあるけれど、他は何もない。
父の書斎よりも整然としているのだ。
八年も通うと、父の書斎が整理されていないだけのようにも感じるけれど。
「わたくしはセドリックとの時間が好きよ。本を読んでいる横でスイーツを楽しむ。それだけで幸せになれるわ」
ミレイナはケーキを口に入れた。砂糖の甘みがじわりと口に広がる。花をモチーフにしたケーキは食べるのが勿体ないほど可愛らしいけれど、ミレイナはこのケーキのおいしさを知っていた。
甘味への欲望の前では『もったいない』という感情は無意味なのだ。
「でも、いいのかしら?」
「なにが?」
「もう一時間以上経っているわ。一日一時間の約束でしょう?」
一日一時間という約束をミレイナはしっかり八年間守ってきた。どんなに名残惜しくても、話し足りなくても、その一日のわがままで友人の座を捨てることにだってなり得るからだ。
それくらい原作のセドリックは他人との関わり合いを嫌うタイプだった。
「別に、一時間って言い出したのはミレイナだろ。僕は強要したことはない」
「そうだったかしら?」
八年も前になると記憶が曖昧だ。
セドリックは小さくため息を吐くと、本を手に取った。次はデートには関係のない本のようで安心した。
(変な知識をたくさんつけたらヒロインが原作よりももっと振り回されそうだもの)
ミレイナはセドリックの横顔を見上げた。
いつの間にか抜かされていた身長。広くなった肩幅。彼はあと半年で社交デビューする。社交場に出れば、何歳でも大人として扱われるのだ。
(あとどのくらい側で見守っていられるかしら?)
ミレイナはふわりと欠伸をした。
昨日は苦手な夜会で大勢の人の中を泳ぎ、そしてダンスまで踊った。ふだんしないことをしたせいか、疲れが溜まっているのだろう。
セドリックと当たっている左側が妙に温かくて、ミレイナはうつらうつらと微睡んだ。
ここまでお付き合いありがとうございます。
GW期間中も1日1話頑張って更新していく予定です。
ちょっと時間はまちまちになってしまうかもしれません。
明日から数話、セドリック視点となります