05.全部、わたくしが教えてあげる
短編の続きはこちらからです。
清々しい朝だった。
夜会の疲れを足にじんわりと感じる以外はいつも通りだ。香を入れた湯で足を温め、メイドにもみほぐしてもらう。
ふだん、引きこもりがちだからだろうか。ふくらはぎから下がパンパンだったのだ。
優しく足の裏からふくらはぎにかけてもんでもらうのは至福のとき。夜会もダンスも社交も苦手だけれど、夜会に参加した次の日のマッサージは好きだ。
ミレイナは椅子に座ったままうつらうつらと頭を傾けた。
「お嬢様、どうしましょう!」
部屋に入ってきたメイドのサリが焦った声で言った。
大きな声に他のメイドたちの手も止まり、ミレイナの目も覚めた。
ミレイナは首を傾げる。彼女が慌てることなんてふだんはあまりない。相応のことがあったに違いないのだ。
「そんなに慌ててどうしたの?」
「第三王子殿下がこちらにおいでです」
「殿下が?」
ミレイナは再び首を傾げる。出会ってから八年、殿下が外に出たことなどあっただろうか。
しかも今はまだ日が昇りきる前の朝。
昨夜あんなことがあったとはいえ、昨日の今日で何かあったのだろうか。
「用件は聞いたの?」
「お嬢様にお会いしたいとのことでしたので、応接室にお通ししました」
「なら、急いで準備しましょう」
マッサージは少しお預けだ。
少しがっかりしたが、セドリックを待たせるわけにはいかない。だからといってこの部屋に呼ぶほどミレイナも馬鹿ではなかった。
メイドたちの尽力により、いつもよりも早く準備ができた。応接室に入ると、セドリックは退屈そうな顔で本を読んでいる。
(来るなら先に連絡をくれればよろしいのに)
そういうものだと聞いている。誰かに会いに行くときは事前に了解を得るのが基本だと。もし、緊急で会わなければならないときも、先に侍従の一人を行かせ、連絡をしておくのが基本だ。
準備に時間がかかる。先に知らせることで、待つ時間と待たせる時間を短縮させることができるのだ。
極めて合理的だと思う。
無駄を嫌うセドリックならば、それくらいしてもおかしくないと思ったのだが、違ったようだ。
「殿下ったら、こんな朝早くにどうしたの?」
「エモンスキー家に来たことがなかったから」
セドリックはいつもの調子で不機嫌そうに言う。
王宮に比べたらエモンスキー家など小さな屋敷に過ぎない。他の貴族のように特別綺麗な庭園があるわけでもなければ、絵画をコレクションしているなどもなかった。よくある貴族の屋敷と言ってもいいだろう。
出不精のセドリックがわざわざ準備をして来るほどのものだろうか?
(もしかして、お父様やお兄様に会いに来たのかしら?)
セドリックは少しシャイなところがあるから、直接会いには行けず、ミレイナを通して会おうと思ったのかもしれない。
「ごめんなさい。今日、家族はみんな出払っているから、わたくししかいないのだけれど大丈夫かしら?」
ミレイナは眉尻を下げて言った。
今日は王太子主催で狩りが開催されているため、みんな出払っているのだ。ミレイナは血が苦手だとか適当なことを言って毎年断っていたら誘われなくなった。
セドリックはまだ社交デビュー前だから参加しないのだろう。
「ミレイナ以外には用はないから構わない」
「なら、お昼まで待ってくだされば会いに行きましたのに」
「それじゃあ遅いから」
「まあ。どうして?」
「今日はデートに行こうと思って」
セドリックはさらりと言った。
ミレイナは目を瞬かせる。セドリックには似合わない言葉だからだ。
「デート?」
(デートってあのデート? 他にデートってあったかしら?)
「ああ、君は知らないかもしれないけど、男女二人で出かけることだ」
「馬鹿にしないで。それくらいは知っているわ。わたくしだって一度や二度経験があるわ」
前世で、という枕詞がつくのだが、それは言わないでおこう。五歳も年上なのに何も知らないのかと笑われるのは悔しかったのだ。
しかし、セドリックの反応は想像していたものと違った。
「誰と?」
「……え?」
「君と一度や二度デートした相手だよ」
「そ、そんなの誰でもいいでしょう?」
「誰でもよくない。昨日だって面倒な男に捕まっていたじゃないか」
ミレイナは目を瞬かせる。
もっと違う反応を期待していた。『へぇ、すごいじゃん』くらいのことは言ってくれると思っていたのだ。
人付き合いはいいほうではないが、セドリックよりは社交的であると自負している。こういうときこそ頼れるお姉さんぶりたかった。
(とっても怒っているみたい。もしかして、のけ者にされたと思って怒っているのかしら?)
他人には興味がないといってもまだ年頃の男の子だ。ミレイナは背伸びをするとセドリックの頭を撫でた。さらさらの髪が揺れる。同時に紫色の瞳も揺れた。
「昔のことだから覚えていないわ。殿下と会う前の話よ。……だから、そんなに怒らないで」
事実、前世のことはよく覚えていないことが多い。年々、記憶も薄れてきたように思う。
「……怒ってない」
不機嫌そうに言ったセドリックはミレイナの肩に顔を埋めた。彼の少し甘い香りが鼻腔をくすぐる。
こういうとき、ミレイナはただ彼の背中を撫でるようにしていた。
幼いころから母親の側を離れて王族に必要な学問などを叩き込まれたせいか、セドリックは甘えるのが下手なのだ。これは、下手なりの甘えだとミレイナは知っている。
突然、彼はパッと顔を上げた。機嫌を直したのか、ニイッと口角を上げる。
「詳しいなら教えてよ」
「何を?」
「デートだよ。デート。ミレイナは僕の先生なんだから、デートがどんなものか教えてくれるだろう?」
「デートをわたくしが?」
セドリックはミレイナの問いに深く頷く。その顔は真剣だ。
「そういうのはもっと詳しい人に聞いたほうがいいと思うけれど……」
「もし、僕がデートの仕方を人に聞いていたなんて噂が立ったら、王族の面目は丸つぶれだろ? その点、ミレイナなら口が固いし安心だ」
確かに、とミレイナは頷いた。
王族は一言一行を見られている。セドリックがデートの仕方など人に聞いていると知れば、彼に近づきたい女性がたくさん押しかけてくる可能性もあるのだ。
そうなると、ヒロインのシェリーとの出会いがうまくいかなくなる可能性もある。
「わかったわ。任せてちょうだい! 全部、わたくしが教えてあげる」
明日からは1日1話投稿したいと思って頑張って書いてます。
短編書いたときは連載予定がなかったので、自転車操業状態なので応援していただけたら嬉しいです。
感想なども大歓迎です。