04.もう『弟』だなんて言わせない
「殿下っ!? なぜここに? ちょっと……!」
セドリックはミレイナを抱き上げると、会場を出る。ざわめきを背に、無力なミレイナは何もできなかった。
彼はミレイナを抱き上げたままずんずんと進んでいく。庭園のガゼボまで連れていかれた。暗がりの中、他に人はいない。
「殿下、どうしたの?」
彼はまだ社交界にデビューしていない。来るはずのない彼が現れて、みんな驚いたことだろう。ミレイナだって突然のことに驚いている。
「あれが結婚相手?」
「あ、れ……?」
ミレイナは首を傾げた。「あれ」と言われてもどれかわからない。
「金色の奴」
「金……? フレソンさん? ただダンスを一曲ご一緒しただけよ?」
「楽しそうにしていた。ああ言うのが好きなのか?」
「普通、仏頂面でダンスなんてしないわ」
仏頂面でダンスが許されるのはセドリックくらいなのではないだろうか。
「あんな男は君にふさわしくない。アンドリュー・フレソン、二十八歳。フレソン侯爵家の長男。独身だが外に女が三人、婚外子は二人」
「まあ! 詳しいのね」
「それくらいの情報は勝手に入ってくる」
ずっと部屋にいるのに?
ミレイナは再び首を傾げた。セドリックは人と会うことを嫌い、人の訪問を拒んでいる。
セドリックが誰とも会わないせいで、ミレイナに繋ぎを求めてくる人が後を絶えないのだ。
そんな彼がアンドリューの情報を知っているとは思わなかった。しかも、かなりプライベートなことまで。
「安心して。フレソンさんとは本当に一曲ご一緒しただけよ」
「君は騙されやすいから、こんなところで結婚相手を探すのはやめたほうがいい」
「過保護なんだから。これではどちらが年上かわからないわね」
ミレイナはカラカラと笑った。
まさか、まだ五歳も年下の子に心配されるとは思っていなかったのだ。
(人の心配ができるくらいには大人になったのね)
他人のことになんか興味もなかった少年が、ミレイナの心配をしている。
感慨深い。
いつもミレイナの話を「へえ」と「そう」で返し、興味なさそうにしていたというのに。
ミレイナは末っ子だから、兄弟の成長を感じることは今までになかった。転生前は一人っ子だったから余計だ。
「君の従弟が紹介する男は全部やめといたほうがいい」
「あらあら。そうなると、一生結婚できないわ」
「だから、僕のところにくればいい」
「それはだめよ」
セドリックとヒロインの恋愛を間近で見ることを楽しみに生きてきたのだ。それだけは譲れない。
彼の好意に甘えたら、今後現れたヒロインが苦労するのは目に見えている。
(婚約者のいる王子との恋愛なんて、少しジャンルが変わってしまうものね)
エモンスキー公爵家は王家とも近しい家柄だ。ミレイナが邪魔をする気がなくても、周りが黙っていないだろう。泥仕合になることは目に見えている。
最後はヒロインの元に行くのはわかっているのだ。一度交わした婚約を白紙に戻すことがあれば、ミレイナにも悪いイメージがつきまとうだろう。
平凡な人生を送るためにも、名前に傷はつけたくない。
「なぜ? 年齢以外はつり合いが取れているのに?」
「殿下はこれから社交界にデビューして、いろんな出会いがあるわ。今はわたくししか周りにいないから、妥協しようと思えるのよ」
前世の記憶が正しければ、セドリックの前に現れるシェリーはとても可愛らしく、心優しいいい子だ。
セドリックを本当に幸せにできるのは彼女しかいないだろう。ミレイナが割り込んでいいわけがない。
「わたくしで妥協したら、一年後には後悔することになるわ」
「そんなことは絶対にない」
「蓋を開けてみないとわからないでしょう?」
「なら、賭けよう。一年後も僕の気持ちが変わらなければ、結婚して」
セドリックはミレイナの髪をひと房つかむと、唇を落とした。どこでそんな仕草を覚えるのだろうか。さすがは物語のヒーローというべきか。
ミレイナは目を瞬かせる。
「いいわよ。なら、わたくしが賭けに勝ったら何をもらおうかしら?」
「屋敷でも領地でもなんでも。まあ、屋敷も領地も僕と結婚したら君の物だけど」
半年後に運命の出会いがあることを彼はまだ知らない。
(二人の愛の巣は奪わないであげる)
ハッピーエンドを迎えたあとに二人は幸せに暮らす。セドリック所有の離宮は緑豊かで一年中花が咲いているのだとか。
一度見てみたいけれど、そこに押しかけるつもりはない。そんなところまでお邪魔したら馬に蹴られて死んでしまうだろうから。
ヒロインとのめくるめくひとときを想像して、ミレイナは頬を緩ませた。
緩んだ頬をセドリックがつまむ。
「いひゃいわ」
「全然意味がわかってないみたいだから」
セドリックは不機嫌そうに眉を寄せた。いつも興味なさそうに澄ました顔をしているのに、怒るなんて珍しい。
つい、そんな表情をじっくりと見てみたくなって顔を覗き込んだ。
眉間の皺がますます深くなる。
「ちゃんとわかっているわ」
「ふーん。じゃあ、今日から本気出すから覚悟してもらって」
セドリックはそれだけ言うと、ミレイナの頬に口づける。頬といってもほとんど唇の端のような場所だ。
ミレイナは慌てて頬を押さえた。
「で、殿下っ!? どうして!?」
「一年間、君を口説かないとは言ってない」
「……意味がわからないわ」
「ほら、やっぱりわかっていない」
彼はこれ見よがしにはあ、と大きなため息を吐き出した。
「もうこれ以上我慢しないし、もう『弟』だなんて言わせない」
彼の瞳に映るミレイナの頬は林檎のように真っ赤だった。




