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31.サシャ・フリック

 七日かけて辿り着いたフリック家の領地に降り立ったとき、ミレイナはゆっくりと息を吸い込んだ。


 幸い、馬車には酔うことなく七日の旅路を終えることができた。しかし、道はずっと舗装されているわけではなかったため、馬車はひどく揺れた。エモンスキー家が所有する一番いい馬車を使ったが、お尻と腰は大打撃を受けたのだ。


 ふだん出かけ慣れていないミレイナには耐えがたい七日となった。


(もう二度と遠出なんてしないわ……)


 セドリックから逃げた罰が当たったのだろうか。


「はあ……。死ぬかと思った……」


 別の馬車から出て来たビルは情けない声を上げた。顔は青ざめ、げっそりとしている。

 ビルは馬車酔いがひどい体質のようで、初日から休憩のたびに青いを顔をミレイナに見せていた。


「あら……大丈夫?」

「はは……。天国が見えたよ」


 遠いとはいえ、ビルがあまり婚約者に会いに行かないのが不思議だったのだが、一番の原因は馬車酔いだろうか。


 彼は胃の辺りをさすりながら、うずくまった。


「ビルッ!」


 高く可愛らしい声が聞こえ、ビルは顔を上げた。愛らしい少女が駆けてきている。


「サシャッ!」


 慌てて立ち上がったビルの胸に少女は飛び込んだ。


「いらっしゃい! 会いたかった!」


 少女は人目をはばからず、ビルの頬に口づけをする。その熱烈な歓迎に、同行していた護衛や侍女たちがみんな視線を逸らした。


 先ほどまで今にも死にそうだったビルの顔は色を取り戻し、笑顔を浮かべる。


「サシャ、紹介するよ。エモンスキー公爵家の令嬢であるミレイナ姉さん。姉さん、彼女が俺の婚約者のサシャ」


 ビルに紹介され、サシャが慌てて姿勢を正す。そして、淑女らしい礼を見せた。


「ビルからお話は伺っております。ずっとお会いしたかったので嬉しいです。サシャ・フリックと申します」

「わたくしもサシャ様のことはビルからたくさん伺っているわ。今回はご招待いただきありがとう」

「ミレイナ様、私のことはサシャと呼んでください」

「では、わたくしのこともミレイナと」

「とんでもない! エモンスキー公爵家と言えば、雲の上の方ですから。本来なら私のような子爵家がお話をできるような身分ではありません」

「そんな気負わないで。偉いのはお父様や今までエモンスキーを守って来た方々で、わたくしではないもの」


 ミレイナはたまたまエモンスキー家に生まれただけで、家には何も貢献していない自信がある。


 兄が騎士として王太子の側に仕えているあいだ、ミレイナは推しのことを追いかけてばかりいた。


 サシャは目を皿のように見開くと、感嘆の声を上げる。


「ミレイナ様はお美しいばかりではなく、謙虚でいらっしゃるのですね」

「お世辞なんて言わないで。困ってしまうわ」

「お世辞じゃありません。本当のことです。ミレイナ様がお美しいのは、この田舎領地にも噂が回ってくるほどですから! 社交界に妖精がいるって」

「多分、別の方のことだと思うわ。わたくし、あまり社交場には出ていなかったから」


 美しい令嬢はたくさんいる。噂とはたいていねじ曲がっていくものだ。きっと、サシャの耳に入った噂もそのようなものだろう。


「あの……。もしよろしければ、ビルのように『ミレイナお姉様』とお呼びしてもよろしいですか?」

「ええ、もちろん。妹ができたみたいで嬉しいわ」


 ミレイナは、サシャの手を取って笑みを浮かべる。すると、彼女は顔を真っ赤にして喜んだ。


 サシャの側に控えていた侍女が小さく咳払いをする。彼女は思い出したように声を上げた。


「あっ! 長旅でお疲れですよね。お部屋にご案内します」



 ◇◆◇



 殿下。


 お元気ですか? わたくしは昨日無事、フリック家の領地に着いたところです。


 こんなに遠出をしたのは初めてで、お尻が痛くなってしまったわ。殿下が来るときは沢山クッションを用意しておいたほうがいいと思うの。わたくしは今、帰りのためにクッションを集めてもらっているところよ。


 フリック家の領地は自然豊かで本当に穏やかな場所なの。


 今日はサシャに『エデンの丘』という素敵な場所に連れて行ってもらったのよ。……あ、サシャというのはビルの婚約者の子なの。


 もっとも天国に近い場所なのですって。本当に素晴らしい場所だったわ。どこを見てもお花畑なの。殿下にも見せてあげたかった。殿下はお花には興味がないかもしれないけれど、この景色を見たらびっくりすると思うわ。


『エデンの丘』には有名なジンクスがあるのですって。

 ここでプロポーズをすると、末永く幸せに暮らせるのよ? 素敵でしょう?


 いつか殿下に運命の人が現れたら、丘の真ん中にあるガゼボをおすすめするわ。





 ミレイナは手を止めて、手紙を見直した。


(運命の人……。きっと、もう現れているわね)


 今ごろ、シェリーに恋人のふりをすることを提案しているはずだ。ミレイナがお膳立てしなくても運命の歯車は回り始めている。


 少しだけ胸が痛かった。


 胸をさすっていると、扉が叩かれる。「どうぞ」と答えると、扉の奥から現れたのは、ビルとサシャだった。


「姉さん、ちょっといい?」

「どうしたの二人揃って」


 サシャは部屋に入ってすぐミレイナに招待状を差し出した。


「実は明日、ミレイナお姉様の歓迎パーティーを企画しているのですが、来て頂けませんか?」

「歓迎……パーティー?」

「パーティーと言っても、王都と違ってこじんまりとしたものなんです」

「嬉しいけれど、気持ちだけ受け取っておくわ」


 今はパーティーに参加するような気分ではなかった。せっかく王都から離れたのだから、ゆっくりしたいというのが本音だ。


 それに、こんな田舎のパーティーでエモンスキー家の令嬢が参加したら、みんなも気兼ねなく楽しめないだろう。


「少し顔を出すだけでもいいから来られない? サシャが初めて最初から最後まで企画したんだ」


 ビルの言葉にサシャが何度も頷く。二人に見つめられて、ミレイナは「いや」とは言えなかった。


「……本当に少しだけよ?」


 結局、二人の押しに負けて、頷いてしまったのだ。


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