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29.ベスタニカ・ローズ2

「勝手に入ってしまってすみません……。悪気はなかったんです!」


 女は慌てたように言うと、深々と頭を下げた。ピンクブロンドの髪が揺れる。彼女に悪気があるかないかには興味がなかった。


 セドリックが従者に視線を向けると、彼は心得たように女の腕を掴む。


「あっ! あのっ! 話を聞いてくださいっ! 私、ここの薔薇が必要で……!」

「君の事情には興味がない」


 セドリックはミレイナとの思い出に浸っていたところに水を差され、苛立っていた。セドリックは冷ややかな気持ちで女を見下ろす。


「お願いします! 一輪だけでいいんです。そうじゃないと、私……家を追い出されてしまいます……!」


 従者に強く押さえつけられてもなお、女はセドリックに叫び続けた。


「へぇ」

「病気の姉が、王宮の舞踏会に行けなかった代わりに王宮の薔薇が見たいと……。あの……。私はエント家に引き取られたシェリーと申します」


 シェリーと名乗った女は、ペラペラと身の上を語り出した。


 曰く、自身はエント家の遠い親戚であり、引き取ってくれたエント家には病弱な姉がいたということ。そこまで黙って聞いていたが、長く掛かりそうなことに嫌気がさし、セドリックは話しを遮った。


「僕は公務があるから、話があるならその男にして」

「あのっ!」


 セドリックは従者に「よろしく」と言って王宮に逃げ帰ってきたのだ。





 従者がセドリックの部屋に戻ってきたのは、二時間後のことだった。薔薇の香りをまとい、げっそりとした様子であることから、相当大変だったのだろう。


 セドリックは顔を上げて従者を見ると、すぐに手元に視線を戻した。


「殿下、ひどいですよ。シェリーさんの話、長くて重くて大変だったんですからね」

「へぇ」


 シェリーがどんな事情を抱えていようと、興味はない。元々他人の身の上話に耳を傾ける性格ではなかった。赤の他人ともなれば尚更だ。


 ミレイナであれば、話は別だが。彼女のことであれば、朝食べた食事の話でも聞き逃したくはないと思うほどだ。


「結構可哀想な子でしたよ、シェリーさん」

「……興味でも湧いた?」

「そ、そんなわけないでしょう! 十歳も年下の女の子ですよ!?」


 従者が声を上げる。


「十歳差なんて普通だろ? 父上と母上は二十歳離れている」

「それは陛下が二度目のご結婚だからですよ。まあ、貴族の政略結婚だと十歳差くらいなんてことないんですけどね」


 従者は口ごもる。二時間のあいだに随分と絆されたようだ。よほど、シェリーの身の上話は従者の心をわしづかむほどの辛く悲しいものだったのだろう。


 彼は涙もろい。


 異母兄弟たちに馴染めずにいるセドリックに、王宮内で一番心を砕いているのは彼だろう。実際にはただ面倒なだけなのだが、それを彼にわざわざ言うつもりない。言ったところで、彼は持ち前の思い込みの強さで「きっと殿下は強がっているのだろう」と思うのは火を見るより明らかだった。


 つまり、彼は一度思い込んだら止まらないところがあるということだ。シェリーに関してもそれは例外ではないはず。


「別に恋愛は自由だから好きにしたらいいだろ?」

「そういうわけにはいきませんよ。シェリーさんは義姉の代わりに結婚して、エント家を支えていかなければならないんですから」

「なら余計都合がいいじゃないか。おまえは五男で継ぐ家もないからってここにいるんだからさ」


 従者は照れたように笑いながら「まあ、そうなんですけどね」と言った。照れる意味がわからない。しかし、従者がシェリーと結ばれるのはセドリックとしても好都合だった。セドリックでは彼に与えられる爵位は一代限りのものだが、エント家の婿養子になれば話が変わってくる。


 そして、彼女ができればセドリックへのお小言も、少しは減るだろう。


「あ! そうでした。殿下宛に手紙が届いていましたよ」

「どうせ夜会の招待状だろ? 興味ない。断りの返事を出しておいて」


 ミレイナが行かない夜会に行って何の意味があるというのか。しかし、従者はニヤニヤと君の悪い笑みを浮かべた。


「いいんですか? そんなこと言って」

「……何が?」

「今日の手紙は招待状じゃなくて、ミレイ――」


 セドリックは従者が言い終わる前に、彼女からの手紙を奪い取った。


「まったく。そんなに焦らなくても手紙は逃げて行きませんよ」


 従者はブツブツと小言を言うが、セドリックは耳を傾けることなく手紙を開いた。


 ミレイナからの手紙などもらったことがあっただろうか。毎日会う相手に手紙を送る人はいない。そして、ミレイナが風邪で寝込んでセドリックの元に来ないときは、彼女の侍女などの使用人が直接来ることが多かった。


 丸みを帯びた少し癖のあるミレイナの字。そこに彼女の人柄のようなものを感じて、より愛おしく感じた。


 しかし、内容はまったく愛おしいものではなかったが。


「殿下。ミレイナ様はなんと?」

「……旅行に行くって」

「へ?」


 従者が抜けた声を出す。


「……フリック家の領地に少し行ってくると書いてある。着いたらまた連絡すると」

「フリック家というと、だいぶ遠い場所ですね。でも、ミレイナ様はフリック家と関わりなんてありましたか?」


 セドリックは静かに頷く。


「フリック家にはミレイナの従弟……ビルって奴の婚約者がいる。絶対あいつがミレイナを唆したんだ」


 感情のままに手紙を握り潰しそうになって、セドリックは机の上に手紙を叩きつけた。


 ビルは一度ミレイナにアンドリュー・フレソンという男を紹介した前科がある。フリック家で馬鹿なことを計画する可能性は否めない。


「……フリック家の領地に行く」

「へ? は? いやいや。殿下、フリック家まで馬車で七日ですよ!? そのあいだ公務はどうするんですか!?」

「今できることは朝までに全部終わらせる。残りは帰ってきてからやるように調整しろ」

「半月分の調整を今からですか? 身体壊しますよ!?」

「おまえも僕も馬車で眠ればいいだろ?」


 到着の連絡を待っているだけでは、ミレイナは離れていってしまうような気がしたのだ。フリック家の領地は有名な自然豊かで有名な観光地だという。開放的な気分になるため、新婚旅行には人気な場所だと本に書いてあったのを覚えている。


 セドリックが知らないあいだに新しい出会いがあるかもしれない。次に会った時に「この人と結婚することにしたのよ」と紹介された日には、もう生きてはいけないだろう。


 セドリックは顔を青くしている従者に追い打ちをかけた。


「あと、ベスタニカ・ローズを持って行く」

「へ? あれを?」

「ああ。七日持たせる方法を庭師に確認しておいて」


 あれがないと、プロポーズは完成しない。あの薔薇は王宮の庭園以外では咲いていないのだから、ここから持って行くしかなかった。


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