26.罰ゲーム3
セドリックは肩で息をしながら、ビルを睨んでいた。
不機嫌そうな顔つき。何かあったのだろうか。ミレイナは首を傾げる。
ビルは慌てて立ち上がり背筋を伸ばす。そして、人形のように腰を折り曲げ深く頭を下げた。
「で、殿下。本日はおめでとうございます」
「ああ」
「ミレイナ姉さん……。いえ、ミレイナ嬢にご用ですか?」
「君には関係ないだろ?」
冷たく言い放ったセドリックに、ビルは全身を凍りつかせた。
ツンケンしているのはいつものこと。ミレイナやセドリックの従者には幾分か丸くなったけれど、ほとんど話したことがない相手だと、ハリネズミのように鋭い針で威嚇するのだ。
「はは……。ですよね。……邪魔者の私は失礼します!」
ビルは逃げるように舞踏会の会場へと走っていった。
まだ外には誰も出てきていない。噴水の水音とオーケストラの音楽が混じりあう。
ビルの背中を目で追いかけながら、ミレイナは笑った。
「殿下、あまり怖がらせてはダメよ」
「別に、僕は何も言っていない」
今日の彼はどうやらご機嫌斜めらしい。慣れない社交、たくさんの人で気が立っていても仕方ない。
ミレイナは苦笑をもらした。
「ミレイナが突然いなくなるから探した」
セドリックが「側にいると約束したのに」と小さく呟いた。
「ごめんなさい。たくさん人がいて疲れてしまったの」
「体調が悪いなら、休んだほうがいい。部屋を用意させようか?」
「心配性ね。ただちょっと人に酔っただけ」
あと、少し興奮しすぎて胸が痛くなっただけなの。とは言えず、ミレイナはなんでもないと笑って見せた。しかし、セドリックは心配そうにミレイナの顔を覗き込む。
今までこんなに過保護だっただろうか。
「もう、調子もよくなったの。約束の庭園を散策しましょう?」
ミレイナが手を差し出すと、セドリックはその手を掴む。少し嬉しそうに頬を緩めたから、もう機嫌は直ったのだろう。
先客のいない庭園は静かで、そして幻想的だった。もう少しするとカップルであふれてしまう。その前に散策ができたことは幸運だ。
「シェ……。あの女の子とのダンスはどうだったの?」
「別にどうとも。足を踏まれて痛かっただけだ」
(あんなに可愛い子と密着して感想がそれだけだなんて……。もしかして、照れているのかしら?)
しかし、セドリックは心の底から嫌そうな顔をしている。嘘ではないのだろう。
ならば、セドリックほどの美形になると、シェリーの可愛らしさが人並に感じるのかもしれない。そうだとすれば、ミレイナはその辺の石ころレベルだろう。
「今日は踏んだり蹴ったりね」
ミレイナに脛を蹴られ、シェリーには足を踏まれ。きっと、セドリックの足は青あざだらけだ。
「これからダンスをする機会が増えるから、ミレイナはもっとダンスの練習をしたほうがいい」
「そう? ダンスなんて年に数回しかしないのよ?」
夜会には必要最低限しか参加していない。もしかしたら、今年は婚活のために少し増えるかもしれないけれど、それだって限定的だ。
きっと、これからも年に数回を繰り返していくと思う。
そんな数回のために、大変な練習を繰り返すのは合理的ではないと思うのだ。セドリックとの一ヶ月の特訓で随分と上達した。
必要十分は満たしたと思う。
「……なら、その数回は僕が相手をする」
「どうしたの? 急に」
「他の奴が脛を蹴られたら可哀想だろ?」
ミレイナは目を瞬かせ、そして、笑った。
「ひどいわ。毎回脛を蹴るわけではないのよ? 今日はたまたま――……」
「たまたま?」
(殿下の笑顔に見惚れてしまったから)
ダンス中に見せた笑顔を思い出して、ミレイナは顔を赤らめた。
「た、たまたま失敗しただけなのよ!」
「ふーん」
頬が熱い。ミレイナは空いた手でパタパタと扇いだ。
無言でランプの灯りに誘われて歩いていれば、薔薇の香りに包まれた。ランプに照らされた薔薇が大輪の花を咲かせている。
思わずミレイナはセドリックの手をすり抜け、顔を寄せる。
「いい香りね」
セドリックは何も答えない。花の香りには特に興味はないからだろう。
「殿下は知らないかもしれないけど、この薔薇はこの庭園でしか見られない特別な薔薇なのよ?」
「へぇ」
「初代王妃の名前からベスタニカ・ローズという名前がついていて、とても高貴な薔薇なの」
深紅の大きな大輪の花で、強い香りと鋭い棘が特徴だ。初代国王が異国の姫に捧げた薔薇として、王宮の庭園のみに植えることを許された薔薇だ。
もちろん、勝手に持ち出すことも許されてはいない。
「この薔薇で初代国王はプロポーズしたのよ。素敵でしょう?」
「へぇ」
「もうっ! 興味がないからって適当な返事をしてはだめよ!」
初代国王に習い、王族の多くがこの薔薇を捧げてプロポーズとしているのだ。
きっといつか、セドリックもこの薔薇をシェリーに捧げるときがくる。
(たしか、殿下が王妃様に王族の慣習を聞くのはもう少し後なのよね)
「詳しいんだな」
「え、ええ。お花が好きだから調べたの」
ミレイナは曖昧な笑みを浮かべた。実際に知ったのは前世の原作を読んでいたからだ。
セドリックとシェリーだと身分の差が大きすぎると周りから反対され、シェリーが心を痛めたときに彼がベスタニカ・ローズを差し出すシーンがある。
何としても共に一緒になろうと将来を誓いあう感動シーンだ。
原作の内容を思い出し、ぎゅっと胸が痛んだ。
また、興奮してしまったのだろうか。痛む胸を押さえる。
(やっぱり疲れたみたい。今日は先に帰ろうかしら?)
パートナーとしての義務は果たしたし、ダンスも一回踊った。大役をこなしたミレイナが早く帰っても誰も怒らないだろう。
(でも、もうこんな風に二人で庭園を歩くこともできなくなるのよね……)
セドリックはこれからシェリーとの仲を深めていくのだ。ミレイナが近くにいると、邪魔になるだろう。そして、ミレイナも自分の将来も真剣に考えなければならない。
永遠に続くような八年が瞬く間に変化していく。
(なんだかとても悲しいわ……)
「ミレイナ?」
セドリックは不思議そうに首を傾げた。
もう、こんな風に近くで見上げることもなくなってしまうのだろう。そう思ったら、身体が勝手に動いていた。
ミレイナはそっとセドリックの頬に口づける。
ほんの少し触れるような優しいものだったが、確かに彼の頬の柔らかい感触が唇を通して伝わる。
彼は目を見開いたまま、微動だにしない。
「罰ゲーム。……約束だったでしょう?」
ミレイナはそれだけ言うと、彼の手をすり抜け舞踏会の会場へと走る。
頬が熱を持ったように熱かった。