02.わたくしそろそろ結婚相手を探そうと思うの
それから八年。セドリックは小説のとおり美少年へと成長を遂げた。
この八年間で、ミレイナも少しずつ変わっていった。少女から大人の女性へ。そして、少しずつ前世の持っていた感情や価値観も混ざり合っていった。
最初こそセドリックのことを「もう一人の自分が好きな男の子」だったのだが、今ではミレイナ自身も可愛い弟のような、そんな風に思っている。
十歳から十八歳という一番変化する時間を共に過ごしたせいだろうか。
いつの間にかミレイナの背を抜かし、見下ろされるようになってしまった。
肩幅も広くなり、筋張った手は青年へと近づいているように思う。
原作小説では成長したあとからの話だったから、これはミレイナの特権と言えよう。
ミレイナはクッキーを口に含むとにへらと笑った。
「そんなにそのクッキーがおいしい?」
「ん? ええ。王宮のパティシエは腕がいいわ」
セドリックは「ふーん」と興味なさげに言うと、本に視線を戻す。
八年間続いた二人の関係は友達と言っていいものかはわからない。いつも、ミレイナが遊びに来てぴったり一時間、セドリックとともに過ごす。
たいていはセドリックの読書の横で用意されている菓子を楽しみながら、彼の顔を眺めて楽しむのだ。
会話はどちらかというとミレイナからの一方通行であることが多い。それでも相槌を打ってくれるし、原作でもそこまでおしゃべりなキャラクターではなかったから、問題ない。
セドリックの情報は王妃や、彼の乳母から手に入れられた。彼との時間は彼の麗しい姿を記憶に残すことに費やさなければならないのだ。
ミレイナはエキストラ。物語が始まる前にこの関係は終焉を迎えなければいけないのだから。
二枚目のクッキーを手にしながら、「そうだ」と小さな声で言った。
「残念だけれど、そろそろ頻繁にここには来られなくなってしまうの」
残念なのはミレイナだけで、セドリックは内心喜んでいるだろう。毎日のように押しかけ、隣で一方的に一時間しゃべっている女など邪魔でしかないだろうから。
セドリックの眉がピクリと跳ねた。読んでいた本から顔を上げる。
「なぜ?」
「ほら、もうわたくしも二十三歳でしょう? そろそろ真剣に結婚相手を探さないといけないでしょう?」
「……結婚相手?」
「ええ。殿下はまだ先の話でしょうけど、わたくしはそろそろ『売れ残り』なんて言われてしまう時期が来てしまったのよ」
ミレイナは小さくため息を吐いた。
前世の記憶を辿ると、セドリックの青春はあと半年後くらいだろうか。ヒロインのシェリーが子爵家の娘として引き取られ、社交界に現れるのがそのくらいだ。
恋愛とは無縁の彼にはまだわからない話だろう。
「結婚なんてまだ必要ないだろ」
セドリックの呟きにミレイナは笑う。
「そう言えたらいいのだけれど……」
できることならずっとセドリックの綺麗な顔を眺めて過ごしたい。けれど、物語が始まる半年後にはシェリーとの恋愛が始まり、彼に会いにくることも難しくなるだろうからちょうどいいともいえる。
彼らの大切なイベントの場所や時期は記憶しているから、偶然を装い二人の恋愛を楽しむつもりではある。
(この八年で『あら、偶然ね』って話しかけられるくらいには仲良くなったはず)
セドリックの幸せも大切だけど、そろそろ自分の幸せも考えないと。
前世の記憶があるせいか、子どものころからずっと夢を見ているような気分だった。けれど、もう二十三歳。夢ならもう目が覚めてもおかしくない時間だ。
「ミレイナは社交が嫌いなのにどうやって結婚相手を探す気だ?」
「これからは頑張るつもりよ」
今までの社交はセドリックもいないしつまらなかった。けれど、今年は彼の社交デビューとシェリーとの恋愛が始まるのだ。楽しみに決まっている。今のうちに社交界に溶け込んで、最高のエキストラにならなければ。
「そんなにすぐ結婚したいのか?」
「うーん。そうね。早めのほうがいいのではないかしら?」
この世界は前世とは違う。前世のように自由な時代であれば、独身を貫く道も考えた。この世界では独身は肩身が狭い。結婚こそが女の幸せであり、結婚してこそ男は一人前だと考えられている。
たとえ、公爵家の令嬢だったとしても同じだろう。いや、公爵家の令嬢だからこそ、家のための結婚を重要視される。
両親はミレイナに甘い。両親が痺れを切らして相手を連れてくるよりも前に自分で決めたほうが、ある程度自由に決められるはず。だから、自分の身の丈に合う相手を探すつもりだ。
「なら僕と結婚すればいい」
「あら、売れ残りになりそうなわたくしに気を使ってくださるの?」
ミレイナはカラカラと笑った。
推しとの結婚は憧れだけど、半年後にシェリーに奪われるとわかっていて手を取るわけがない。ヒーローとヒロインは運命の赤い糸で結ばれている。そのあいだに割って入るなど言語道断だ。
セドリックがミレイナの手を取った。持っていたクッキーがテーブルに転がる。
「僕は本気だ」
「だめよ。殿下とわたくしとではつり合わないわ」
「第三王子と公爵令嬢。十分釣り合いが取れているだろ」
「つり合いって身分だけじゃないもの」
身分、年齢、他にも色々ある。シェリーと出会うまでのあいだだとしても、ミレイナのように社交界でもあまり目立たない地味な女性が第三王子の相手になるのは、気が引けるというものだ。
「わたくしは殿下のお友達になれただけで十分幸せですから。わたくしに気をつかわなくてよろしいのですよ」
もてない女を哀れんだのだろう。恋を知らないセドリックは結婚を軽く考えているのだ。きっと『まあ、好きな奴もいないし、かわいそうだから結婚してやるか』とでも思っているのだろう。
残念ながらセドリックには友達がいない。ミレイナ以外との交流はほとんどないといっても過言ではなかった。
ほんの少しでも、哀れんでくれたのであればこの八年間は悪いものではなかったと思えるだろう。