16.罰ゲーム2
セドリックはミレイナの耳元で囁いた。言葉の意味を理解して顔にカッと熱が昇る。
「キ、キスって……!」
「場所はどこでもいいよ。頬でも手でもさ。ね?」
可愛らしく言われてもキスはキスだ。しかも自らセドリックに……だなんて、想像しただけで恥ずかしくて彼の顔が見られない。
ミレイナは思わず自身の顔を両手で覆った。
「そんなの無理よ」
「なんで? 別にここにしてほしいなんて言わないよ」
セドリックは親指の腹で自身の唇をなぞる。その色気のある仕草に、ミレイナは見たことを後悔した。
彼は自身の魅力をまったく理解していないと思う。理解していたら、こんな危うい提案はしないだろうから。
「ほら、上手になったんだったら脛を蹴る可能性なんてないだろ? ただ、ドキドキとワクワクがほしいだけだって」
ミレイナは小さく頷いた。たしかに、最近では脛を蹴ることはほぼなくなっている。確率でいったらほとんど0に近いのだ。
セドリックがミレイナの手を握った。
「……だめ?」
推しに可愛らしく聞かれて、「だめ」と返せる人間がいるだろうか。ミレイナは目をぎゅっと瞑って彼の視線から逃れあと、小さく頷いた。
「いいわ。その代わり、セドリックが失敗したら……」
「失敗したら?」
どんな罰ゲームがいいだろうか。天才と言われる彼のことだ。ダンスの練習で失敗することはない。だから、これはただのお遊びで、本当に行うわけではないのだろう。
でも、万が一ということもある。
「そうだわ。セドリックが失敗したら、ファーストダンスの他にもう一人と踊るというのはどう?」
原作でセドリックは社交デビューの舞踏会で適当にシェリー一人と踊ると、さっさと会場を後にしてしまったのだ。彼を狙っていた令嬢は数知れず。その後シェリーが目の敵にされたのは間違いない。
しかし、二人に増えればきっと無意味ないじめはなくなるはずだ。
(いいアイディアだわ。あらすじどおりことが進むと可哀想だもの)
数ヶ月前まで平民だった令嬢が、日々荒波に揉まれてきた都会の令嬢と渡り歩くのには無理がある。だから、彼女は令嬢たちのいじめに苦しむことになるのだ。
セドリックは少し不満そうに顔をしかめた。
「普通、舞踏会は二人どころかたくさんの人と踊るものだろ? そんな賭け意味ないと思う」
「あら。わたくしに『ファーストダンスだけやって逃げてくれば?』という助言をした人の言葉とは思えないわ。どうせ、セドリックのことだから一曲踊ったら逃げるつもりでしょう?」
彼は不機嫌そうに顔を逸らした。いつもの顔に戻って少しホッとする。最近ミレイナを見るとき、少し雰囲気が変わって不安だったのだ。
こういう風に拗ねているほうが彼らしくて安心する。
「……六年も前の話を覚えているなよ」
「忘れるわけないじゃない」
推しとの一日一日を忘れるはずがない。彼の言葉、仕草、表情。全部日記に書き留めてあるし、何度も読み返している。
「まあ、失敗しないからいいけどさ」
セドリックは恥ずかしそうに呟いた。
◇◆◇
いつもは楽しみだったセドリックとの時間。ミレイナは初めて緊張していた。あまりよく眠れなかったのは、あの賭けのせいだろう。
『脛を蹴ったらミレイナからのキス』
セドリックからは何度か受けてきた口づけ。――もちろん唇以外だけれど。それだけでも驚いたし、恥ずかしかった。不意打ちでもあんなに胸がドキドキしたのに、自分からと想像すると、その心臓も止まってしまいそうだ。
昨夜は何度も想像しては身もだえてしまった。嫌なわけではない。だって、相手は前世から推してきたヒーローなのだ。
この世界で指先や頬へのキスは挨拶のようなものだということは知っている。高貴な令嬢や婦人が紳士や騎士から指先へ口づける挨拶を受けているところを、幾度となく見ているからだ。
しかし、ミレイナはそういう機会に恵まれたことはなかったし、口づける相手といえば、家族ばかりだった。
(殿下にはお遊びかもしれないけど、わたくしにとっては一大事だわ)
脛を蹴るなんて失敗、最近ではしていない。けれど、もしかしたらという心配が頭をぐるぐると回る。
セドリックの脛に青あざを作ることも大問題だし、彼にミレイナから口づけるというのも大変な話だ。
家族が聞いたら卒倒するかもしれない。
(どうにか回避しないとっ!)
そう意気込み、ミレイナはセドリックの元へと訪れた。来て早々、王宮の侍女に案内されたのはいつもとは違う場所だ。
舞踏会の会場となる大きなホールだった。
そして、ダンスの練習のためだけに用意されたオーケストラを前にミレイナは顔を引きつらせる。
「音がないと練習にならないから」
「だからって、全員用意することはなかったとおもうのだけれど……」
本番さながらの数が揃えられている。練習ならば主旋律を弾いてもらうだけで充分だと思うのだ。それともこれが王室流なのだろうか。
「お嬢様、お気遣いなさらず。我々も舞踏会までに練習をしなければなりませんから。殿下のおかげで本番と同じ環境で練習ができて光栄です。舞踏会までのあいだ、よろしくお願いします」
指揮者の男が深々とミレイナに頭を下げる。
「もしかして、一ヶ月毎日ここでダンスの練習を?」
「もちろん。ミレイナも付き合ってくれるだろ?」
「……構わないけれど、わたくし一人では一時間も付き合えないと思うわ」
自慢ではないがミレイナは体力がない。甥と一緒に遊んでいても、途中でバテて甥に気遣われるほどなのだ。
セドリックはストイックな面があるから、彼の要求には応えられる気がしなかった。
「休み休みでいい。それに、僕が頼める相手はミレイナしかいないし」
少し寂しそうに言うものだから、ついミレイナは「わたくしに任せて!」と言ってしまうのだ。
「ありがとう。では、ひとまず一曲いかがですか?」




