13.セドリックの最初で最後の恋4
「わたくしの手って冷たいの。冷やしたタオルはすぐにぬるくなってしまったから……」
「そうじゃなくて、なんでここにいるんだよ……」
窓の外は真っ暗で、きっと夜会はすでに始まっている。こんなところで暇を潰している余裕はないはずだ。
「安心して。夜会はちゃんと行ったのよ? お兄様とダンスを踊ったら暇になってしまったからこっそり逃げてきたの」
悪戯を告白するような表情で、ミレイナは小さく舌を出した。
熱のせいだろうか。心音が強くなったような気がする。セドリックは、悟られないように小さく息を吐いた。
「本当にファーストダンスで逃げ出す奴がいるか」
「あら、殿下が助言してくれたのよ? もし、怒られたら庇ってくれないと困るわ」
「……怒られそうになったら、僕のせいにすればいい」
実際、セドリックの看病をしに来たのだろう。
きっと、昼間従者に追い返されたときに聞いたのだ。従者はときどき余計なことをすることがある。
彼がもっとうまい理由でミレイナを追い返しさえしていれば、彼女は今ごろ夜会で多くの人と交流を広げていただろう。
まさか、こんな簡単な方法で彼女のダンスを阻止することができるとは思わなかった。
いつもとは違う華やかなドレス姿。むき出しの肩に大ぶりのネックレス。ランプの光に反射して、宝石が輝いている。
どうしてだろうか。ミレイナがどこか遠くへ行ってしまうようなもどかしい感覚。セドリックは彼女の腕を掴んだ。
「ひどい熱だわ。一人で辛かったでしょう?」
「ぜんぜん。このくらい平気だ」
「嘘。こういう時くらいお姉さんに甘えたっていいのよ」
「ミレイナのこと姉なんて思ったことは一度もない」
セドリックはミレイナに背を向けて丸くなった。腹違いの姉が一人いるが、彼女は常にセドリックに無関心だ。あんなのと同列なわけがない。
もっと、大切な。でも、それを表現するいい言葉は見つからない。
「風邪がうつるから、早く帰れ」
「だめよ。まだ二十分しか経っていないわ。あと四十分はいいでしょう?」
彼女はそう言いながら、二時間くらいセドリックの側にいたように思う。「早く帰れ」と言いながら、セドリックは彼女の声を、言葉を、存在を求めていた。
◇◆◇
セドリックはベッドの上にミレイナを下ろした。いまだ気持ちよさそうに眠っている。
あどけない寝顔を見せられていると少し苛立った。警戒すらされないくらいに安全だと思われているということだ。
子どものころはわからなかった感情も、今ならはっきりと理解できるようになった。
(閉じ込めておければ簡単なのに)
ミレイナは元々アクティブなほうではない。だから、セドリックが用意した箱の中に閉じ込めて、他の人に会えなくしてもそこまで不便は感じないのではないか。
そんなことをすれば、彼女から生涯嫌われてしまうことはわかるので、できるわけがない。
セドリックは彼女の身体がほしいわけではない。彼女のすべてを求めているのだ。
笑顔も、視線も、彼女の心もすべて独占したい。
「なんで最近、婚活なんて始めようと思ったんだ? 知ってる?」
アンジーに問うと、彼女は困ったように眉尻を落とした。
「私にもはっきりとは言わないのですが、お嬢様は殿下には運命の相手が現れると信じているようです」
「運命って……」
運命があるとしたら、ミレイナ自身だとは思わないのだろうか。セドリックにとってこれが最初で最後の恋だというのに。
社交デビューを果たしたら結婚を申し込む予定だった。そもそもセドリックとミレイナは婚約者同然の関係ではないか。
でなければ毎日会うわけがない。ただ約束を交わしていないだけ。その必要もないほどの仲だと信じて止まなかった。
ミレイナはずっと隣にいると疑わなかったのだ。
「……作戦変更だ」
セドリックは思わず呟いた。
セドリック視点はここで終わりです。
14話からミレイナ視点に戻ります。