11.セドリックの最初で最後の恋2
次の日も、その次の日も彼女は来なかった。
元々約束はしていない。だから、来なくても問題はなかった。
最初のころはミレイナが『明日も来ていいですか?』と聞いてきて、セドリックが『好きにしたら』と答えていたのだ。しかし、毎日聞かれることに億劫になり『許可を取らなくても来たいときは来ればいいし、来たくないときはこなくていい』と言ってしまった。
そう言ってからも、彼女はいつも同じ時間にやってきて、一時間経つと帰るからそれが普通になっていたのだと思う。
「殿下、心配でしたら確認の手紙を送りましょうか?」
「いや、いい。どうせ飽きたんだろ」
「何か事情があるのかもしれませんよ? ウォーレン殿に会ったときにそれとなく聞いてみましょう」
「そこまでする必要はない」
そんなことをすれば、セドリックがミレイナを気にしているようではないか。
ただ、毎日来ていたのに、突然来なくなったから調子が狂っているだけだ。数日経てば、すぐに忘れてしまうような存在である。
「こっちのほうが静かでいい」
セドリックは本を一冊選ぶと、どかりとソファに腰掛けた。
「殿下、今日はこちらで読書されますか?」
「ああ」
従者の質問に短く答える。
この部屋はセドリックの書庫のような場所だ。増えていく本を置いておくための場所であり、最近はミレイナを迎える場所にもなっていた。
ふだんはこの部屋を使っていない。ミレイナが来ているあいだ、本を読むからここにしたというだけだ。
彼女が来てからソファやテーブルが増やされた。換気も定期的に行われ、いつの間にかどこよりも居心地がいい空間が出来上がっていたのだ。
空いた一人掛けのソファを見る。いつもセドリックが座る席の右斜めに置いた一人掛けのソファに彼女は座り、王宮のスイーツを楽しむ。
『ねえ、殿下。なんの本を読んでいるの?』
彼女は何の気なしに聞くことがある。タイトルを答えても、内容を答えても理解はできていない様子だった。
『十歳ってもっと冒険小説とか、読んでいるものだと思っていたわ』
『そんなもの読んで何になるんだよ』
『ワクワクするのよ。この前、お兄様の蔵書を読ませてもらったけれど、色々な場所に冒険に行くの。このお部屋には同じ本がなさそうだから、今度お持ちしますね』
『必要ない』
セドリックは断ったのに、ミレイナは次の日にはその本を部屋のテーブルに積み上げたのだ。
『いらないって言ったのに』
『あらあら。わたくしったら。でも、もしかしたら読みたくなるかもしれないでしょう?』
そう言いながら置いていった本は五冊は今もテーブルの上に積み重なっている。一度も手をつけていないのに、彼女は持って帰る素振りも見せなかった。
ミレイナは来なくなり、彼女の本だけが残った。
この部屋にあるのは歴史書などの王族に必要な教養を身に着けるための本だけだ。こんな冒険小説はこの部屋にはそぐわない。
(そうだ。さっさと読んで返せばいい)
返すときに文句の一つや二つでも言ってやろう。
そう言い聞かせ、セドリックは五冊の本を読み始めたのだ。
◇◆◇
ミレイナが王宮にひょっこりと顔を出したのは五冊目に差し掛かった時だ。
「あら殿下、お会いしないうちに少し髪が伸びましたか?」
まるで季節の挨拶でもするかのように、悪びれもなく自然だった。だから、セドリックはこの数日で溜めてきたミレイナへの文句が吹っ飛んでしまった。
「……十日で髪の毛がそんなに伸びるわけがないだろ」
「そうですわよね。わたくしったら」
ミレイナは恥ずかしそうに笑った。
「なんで、今更来たんだ?」
「あら、いけませんでしたか?」
「……ダメとは言っていない」
「よかった。もう忘れられていないか心配いたしておりましたの」
「あと一日来なかったら、忘れていたかもな」
「まあ! では神様に感謝しなければなりませんわね」
ミレイナは胸の前で手を組んで目を瞑った。神に感謝の言葉でも上げ連ねているのだろうか。
いつだって、ミレイナの調子に振り回される。彼女の独特の雰囲気がそうさせるのかはわからない。ただ、彼女が笑っていると、文句の一つを言うのも無粋だと感じるときがある。
「風邪を拗らせて十日もお部屋から出してもらえないなんて、思いもしませんでした」
「風邪?」
「はい。最近はやっているようですので、殿下もお気をつけくださいね。うがいと手洗いが予防になりますからね」
まるで幼い子を相手にするように、彼女はわざと屈んで視線を合わせ、セドリックの目を覗き込んだ。綺麗な青い瞳を直視できず、セドリックは目をそらす。
「子ども扱いするな」
「あら、そんなつもりはなかったのですが」
「うがいと手洗いくらい当たり前にやるだろ」
「まあ! 殿下はしっかりなさっているのね。お兄様なんて、帰ってきても手を洗おうなんてしないのよ」
ミレイナはセドリックの頭を撫でた。カッと頬に熱が上がる。最近は母にだって撫でられることはなくなったというのに。
「こ、子ども扱いするなって言っているだろ?」
「いいではありませんか。大人になっても頭を撫でられると嬉しいものですよ?」
「嘘だ」
「では、大人になったら試してみましょう? ね?」
まるでその日まで一緒にいるような言い方だ。
彼女はきっとその時までセドリックの側にはいない。だから、大人になったセドリックの頭を撫でることもないだろう。
「試せるなら試してみろ」
「ええ。でも、そのときはわたくしよりもうーんと背が伸びているはずですから、屈んでくださいね」
ミレイナは鈴が転がるような声で笑った。
「次、風邪を引いた時には王宮に来い」
ミレイナは不思議そうに首を傾げた。
「王宮の医師なら十日もかからない」
「お父様が『いいよ』と言ってくださったら、押しかけちゃおうかしら?」
エモンスキー公爵の許可など必要はない。セドリックに与えられた場所はセドリックが許可さえすれば立ち入ることが許されるのだ。
ミレイナがここに来れば十日間ヤキモキする必要がないと、セドリックは思った。