悪役令嬢 弘徽殿の女御
私は、一番最初に帝に入内し、一宮様を産みました。
帝は好色な方でして、沢山の更衣や、女御が親兄弟など貴族から差し出されては色々な方と関係を持って華やかな後宮になってゆきました。
時は過ぎて桐壺に更衣の身分で入内した妃がいました。
帝は彼女を側におき、身の回りの世話をさせました。
更衣という妃の身分で入内したので、軽々しく女房の様に身の回りの事をさせては品位が堕ちると帝をお諌めしましたが、お前は嫉妬深いななどと言われ、聞く耳を持たず、彼女は案の定まるで遊女の様だなどと侮られ他の妃と溝が生まれました。
数年が経ち、彼女もまた、男児を産みました。
そしてまた数年が経ち、あろうことか国庫を開け、帝はその男児の儀式の為に使いました。公務もなさらなくなりました。流石に私も腹を立てました。
彼女は徐々に私が何かすると思い怯えて弱ってゆきました。
聞く所によれば身分の低い妃に寵を奪われたと怒った他の妃に清涼殿に向かう道中締め出したり、神聖な宮中を汚物で汚して通れなくしたりしたそうです。
確かにお気の毒ではあります。しかし、ニの御子は親王宣下も受けてらっしゃらぬ、そんな母子共々臣下の身でありながら、国庫を開ける、公務もなさらないそんな帝が近くにいらしてもお諌めなさらない、可哀想だから同情しろ、とは、図々しいとしか思えません。
ついに更衣は亡くなりました。
自分が殺した様な者なのに、おいおい泣いて他の妃を呼び寄せて慰めさせたかと思ったら、お前達なんて呼んでないなどとおっしゃいます。私もその一人で理不尽極まりないと思い、当てつけて管弦を自分の御殿で何も考えたくない、音で遮ってしまえとじゃらじゃらならしていました。
私とは反対に、虐めていた女達は帝の子を母無し子にしてしまった罪悪感からか、はたまた自分のせいで帝が狂ってしまったなどと思い込んだからなのか、桐壺の更衣はこうしてみると良い人だったわね、などと言っています。
おふたりはもういいとして、また桐壺の居ないだけの後宮の日々が回ってくるのだろうと思ってました。
しかし、帝は先代の内親王を入内させると言いました。私は初めて焦りというものを知りました。
そして、入内した内親王は藤壺宮と呼ばれる様になりました。占いだかなんだかで二の御子は源氏という名を賜り、臣下に下りました。
また数年が経ち、藤壺は見籠り、産月がおかしいが、御子を産み、やがて中宮に立てられ私の一宮様の次に帝としてその子は立てられました。
そしてようやく私を散々苦しめてきた帝は死にました。
どうせ呪詛の類の言葉をかけらると思われるので、死に目には合いに行きませんでした。
後は、私の子の世話をして過ごそうかと思います。