お持ち帰りされました ~花のような美女は放置側室ライフを満喫したい~
寒い朝に、ホットミルクをまず指先で味わった。白い陶磁器肌から温もりがじんわりとカップを包みこむ両手に伝わる。
ホットミルクもいいけど、春雨スープが飲みたいな。
水の中を水そのもののように泳ぐ白魚みたいな、お湯に入れると透き通って流れる春雨が私は好きだった。
春雨と卵とワカメ。
鶏ガラスープの素と醤油を入れて、ごま油と塩胡椒で味を調え、いりゴマを散らして完成。
簡単に作れるから朝の定番だったのよね。
歯で噛む弾力も喉をすべる感触も美味しくて楽しくて、え?
――――ええ?
春雨?
春雨って何? 食べたことないわ、この世界では。
混乱する7歳の私に、この時突然、前世の記憶が洪水の如く渦巻いた。
ぐるぐると記憶が螺旋を描いて頭痛がするが、私は神殿に急いで向かった。自室は一階だったので、テラスから庭に出る。ふわり。ぎゅっと濃縮されたような濃い甘さの香りに包まれた。庭園の、満開に咲く花々の熟れた香りだ。
鮮やかな色彩の花が翅を広げたように、爛漫と。
孔雀の尾のように華やかに美しく庭園の一面に咲き誇っていた。
甘い香りに酔いそうになった私は走る足を少しふらつかせ、トンと金髪青眼の10代後半くらいの貴族の青年とぶつかってしまった。
「ごめんなさい、お怪我はありませんか?」
謝罪する私に青年が目を見開いた。
「あ、ああ、いえ、わたしは何とも。貴女は大丈夫ですか?」
「本当に申し訳ありません。花に誘われてしまったみたいで、足がよろめいたのです」
「花も、花よりも美しい小さな貴婦人に嫉妬をして芳香を高めてしまったのでしょう」
まだ言葉を綴りそうな青年に再度の詫びの礼をして、私はドレスの裾を持って走り王宮内にある王族専用の神殿に駆け込んだ。だから気がつかなかった、いつまでも私の後ろ姿を見送っていた青年の青い目の瞳孔がジワジワとひろがり、滾る熱に染まっていたことを。
神殿に入ると後方に続く護衛と侍女に、扉を閉めて命令をする。
「ヴィトス様と大事なお話があります。誰も入室することを禁じます」
と。
この世界には魔法がある。
人間以外の、妖精や聖霊などの上位生命体も存在するらしい。だって、神様が神殿にご在宅の世界なのだから。
私の名前はエリージア。
王国の第二子として生まれた。そして、よみがえった記憶によると将来の悪役王女様である。
ポイントはただの悪役王女ではないこと。
王国一番の美貌の、歩く宝石と称えられる悪役王女様なのだ。
と言っても王国はちょこりとした小国だから、井の中の蛙ね。他国に行けば私よりも、月も花も恥じらい姿を隠すほどの綺麗な女性はたくさんいると思う。それでも前世の1億倍美しいもの、神様ありがとうございます。ペコペコ。
神様はひとつの国にひとりずつ。
国イコール神様、て感じなの。我が国はヴィトス王国、で神様のお名前もヴィトス様。
「ヴィトス様! 私は悪役王女なんて役、ごめんですわ!」
呑気に神殿で朝寝をしていたヴィトス様の胸元を掴んで、私は叩き起こす。
「エ、エリージア?」
半分寝ぼけているヴィトス様をゆさゆさ揺する。本当はガクガク揺さぶりたいけれど、相手は神様なので上品にゆさゆさ。
「きちんと起きて、どういうことか説明をして下さいませ!」
ヴィトス様曰く。
地球の乙女ゲームに興味を持って、あるゲームの設定通りの子どもが生まれるようにしたのが、私。それからヒロインや攻略対象者たちや役付きモブたちエトセトラ。
あとは強制力という名の神力をふりかければ乙女ゲームの世界へまっしぐら、だったのだけれども。
「ヴィトス様、王国が滅んでもいいのですか? 逆ハーレムルートにしても婚約破棄で処刑ルートにしても、身分制度が法となっている王国において制度そのものを真っ向から崩壊させるものですよ。虚構と現実は違うのです。だいたい兄の婚約者は隣国の姫君です。兄が浮気の上に婚約を破棄すれば戦争待ったなしですよ。お忘れですか、隣国はバリバリの軍事国です。王国が滅亡すればヴィトス様も消滅してしまわれるのでしょう?」
前世の記憶がよみがえった7歳の私に、メッ、されてヴィトス様は萌えの世界から現実の世界に戻っていた。消滅はイヤ消滅はイヤと呟きながら。
私は、ちまこい小国だけれども平和で穏やかなヴィトス王国が大好きだから、ヴィトス様が二度と乙女ゲームなどと言い出さないようにトドメをさした。
「乙女ゲームは乙女ゲームの世界だから成り立つのです。それを周辺諸国との関係や国内の貴族のパワーバランスを無視して現実世界に持ち込んで、ヴィトス様は消滅願望がおありだったのですか?」
ヴィトス様は真っ青になってメソメソ泣き出した。平和な毎日が退屈だったからちょっと刺激が欲しかった、なんて言い訳をしていたが。けれども本当は。人間の信仰心が存在する上で不可欠なヴィトス様は、平和すぎる王国で忘れさられないように、己の存在を誇示するために時々問題をおこすのだ。善行ではなく悪行方面で。こんなヴィトス様でも王国の守り神であるので、かけがえのない大切な神様なのだ、なむなむ。
人間の価値観と神様の思考回路は異なるので、文句を言っても仕方がないのである。
「ヴィトス様。神力はご飯にかけるふりかけではないのですから。貴重な神力は、遊戯ではなく重要な神託に使って下さいませ」
「うん。乙女ゲームは止めるよ。登場人物たちはもう誕生しているけど、強制力がなければどう生きるかは、個人次第だから自由だよ」
「いいですか、くれぐれも! くれぐれも二度と王国滅亡コースの遊びをしてはいけませんよ!」
大きな声ではなかったが、私の声には空気をビリビリと震えさす厳しさがあった。王国と神様は一蓮托生なのだ。どちらかが倒れれば片方も崩壊してしまうのである。
「……エリージアが怖いから二度としない……」
子どもですか!? 7歳の私に言われたくないだろう言葉をぐっと呑み込む。相手は神様、相手は神様。私は、忍耐力のゲージがぐんぐん上がった気がした。
こうしてヴィトス様の消滅ではなく、乙女ゲームのレールが悪役王女を自覚して1時間でめでたく消滅した私であるが、神様お手製の、この世の美しいものを集めて咲いた花のような絶世の美貌が残った。残ってしまった。
前世で美人に生まれたかった、と願ったことは何百回もある。が、何と言うか、周りがヤバいのだ。
私は新興宗教のカリスマ教祖様ですか? と言うくらい拝跪してくるの、みんなが。
崇め、
奉り、
敬い、
「お美しいエリージア様」って、感嘆の涙を流してひれ伏してくるのよ。もう、魔性っていうのかしら? 人間の性を掻き立てて、水の中だろうが火の中だろうが飛び込ませてしまう、この世にあらざる美しさなのよ。しかも声まで雪解けの水のように濁りなく清らかで耳に心地よい。
「お美しいエリージア様のためならば」と財産はもちろん命まで捧げられるような。何をしても許されて肯定される環境で。前世の記憶がなければ、ヴィトス様ではなく私が、王国を破滅させる傲慢な傾国の悪女になっていたと思うわ。
ヴィトス王国の主産業は農業なのだけれども。
「お美しいエリージア様に食べていただきたい」と土壌を改善したり肥料を工夫したり色々頑張って、果物も農作物も毎年おいしくなっていって。
いい話と思うでしょう? でもね、全国民が私の顔を見て恍惚の表情を浮かべて狂信者となる現状では、前世が平凡な私としては恐くて冷や汗が噴き出るわよ。国民も貴族も父も母も兄も、顔がイッちゃってるのを見ると、私の顔は気持ちよくなるヤバイお薬ですか? て冷や汗が流れてしまうわ。
しかも「お美しいエリージア様に貢ぎ物をしたい」と商業面でも急成長して。拒絶しても金銀財宝が私のもとに貢がれ集まってくるの。はい、アウト。
国民のお金を吸い上げる悪役王女コース復活!
いやいやダメでしょう。悪役王女になりたくなくて努力している私に最悪のご褒美だわ。地位もあってお金もあって美貌もあるのに、人並み以上にとってもとってもとぉ~っても苦労するのはどうして!? と夕日に向かって叫んでしまったわよ。
前世の記憶さえなければ、私は美貌に驕って貢がれる贅沢に溺れて、相手にも自分と同じ心があることも理解せず、相手にも自分と同じ命があることも認識せず、狭い視野で王女としての権力を振り回し、王女としての立場や義務を忘れ権利だけを主張して、傾国の悪女になっていたでしょうけれども。
無理。
前世の記憶のある私には、傾国は無理だった。
だって知っているもの。
踏みつけられれば痛いし、虐げられれば辛い。貶められれば水に沈められるように苦しいことを、私は知っているのだから。
とういうわけで、勤しみました。もう奮闘しましたとも。
幼女なのにガンガン働きました。だって努力する目的があって、その価値があり、実行する頭と手足があるのだ。
私の周囲には、私の美しさに魅せられ離れられなくなった色々な分野の秀才天才が畑のじゃがいもの如くゴロゴロいるのである。もちろん、ちびこい小国であるヴィトス王国に多種多様なこれほどの人材はいない。ほとんどが他国からの移住者であった。
「エリージア様を描くために生まれてきたのです」と熱狂に目をギラギラと光らせて、巨匠と名高い画家たちが私に張り付いて日夜献上してくれる絵は、うっとりするほど美しくまた価値も高い。
私は、私に貢ぎ物をしてくる人に対して、にっこり微笑んで握手をしてお礼を述べている。そこに、高額の貢ぎ物の人にはこの絵も贈っていた。
握手も絵も評判がよくて、さらなる貢ぎ物が集まる悪循環、いや、私以外はみんなニコニコしているから悪循環ではないのだけれども、私的には悪役王女コースに突入したくないのよ。
だから次にしたのは富の回帰。
国民の福祉、医療、教育、インフラ整備、そして国防に貰ったお金をジャンジャカ全部つぎ込んだのだ。
私には優れた政治の才も軍事の才もないのだけれども、才能ある人材はたくさんいるのだから、それぞれの分野にその人たちを抜擢したのである。
「お任せ下さい、エリージア様。全てはエリージア様のお望みのままに」
それに名工と称賛される職人たちには前世の知識を伝えた。おぼろげな記憶でも、さすが名人たち。養蚕、染色、刺繍にレース編みなどの手工業から紙の製造まで、私の虫食いの知識からきちんと商品になるものを作ってくれた。
それらが売れに売れた。高価格なのに、他国から目の色かえた商人たちが波濤の如く押し寄せてドンドン買い漁って、ヴィトス王国は空前絶後の好景気となったのだった。
「とったー! そのレースはわしが買うぞ!!」
「違う! わしの方が早かった、わしのものだ!!」
「絹! 絹! 絹! 絹を売ってくれっ!!」
「紙! 紙! 紙! 紙を売ってくれっ!!」
「金ならあるっ! 2倍いや3倍出すっっ!!」
獲物を狙う目を血走らせた猛禽のごとき商人たちの争奪戦が日常となったのは計算外だったけど。
くわえて私がヴィトス様の神殿に足繁く参拝するものだから、国民の信仰心も過去最高にうなぎ登りになって。すなわちヴィトス様の神力も過去最高に強くなって。王国の隅々まで神力が行き渡り、大地は豊穣、気候は安定、豊作豊作大豊作の毎年となったのである。
飢餓がなく、
天災がなく、
戦争がない。
結果として、ヴィトス王国は世界で一番住みやすく安全で豊かで幸福な国と言われるようになったのだった。
おとぎ話みたいにいい話よね。我が身への悪循環がなければ。いや、みんなニコニコしているから私以外には悪循環ではないのだけれども。
だって、賢王ならびに賢妃と名高い父母が、王太子として申し分のない立派な兄が、忠誠を誓ってくれる臣下や国民たちが、「王国の繁栄はエリージア様のおかげ」と私を女王に即位させるべく計画をたてているのよ。
悪役王女の王位簒奪コース突入じゃない!?
私は女王になるために、年々歳々何ヶ月も国内の彼方此方を視察に回ったのではないわ。国民の要望を聞いて、困り事を解決して、にっこりと王女らしく綺麗に微笑んで。全部、全部、王女として国民に寄り添って、次期国王となる兄の支えとなって、悪役王女のコースアウトという私欲のために勤労幼女となったのよ!
10年も頑張ったのに。
10年も働いたのに。
悪役女王コースに突き進むなんて。
あきらめなよ、とヴィトス様に言われたけれども、棄てる神あれば拾う神あり。
大陸の半分を支配する超大国アレクサンドロス王国から側室のお誘いの使者がきたの。新しく即位される国王様の新しい後宮をつくることになったから、て。
やったね。
ヴィトス様は私を世界一の美女として作ったと言ったけど大陸中から美人が集まるのだから、もしかしたら他国の神様も気合いを入れて美女を作っているかも知れない。私以上の美人がいるかも。それに新しい国王様の好みだってあるだろうし。
働くのは嫌いではないけれども、少し休みたい。それに前世が平凡な私には王女の地位は重い。ひとつの間違った命令で、簡単に人の命を奪ってしまう可能性があるのだ。間違うことが許されない立場なんて、張りつけた笑顔の裏で背中が汗でびっしょりになってしまうわ。
だからこそ、その重荷を背負っても真っ直ぐに堂々と立っている父王や兄を、小心者の私は常々尊敬しているのだ。
繰り返します、私は小心者なの。ココ大事。
だから目指すは、後宮の隅っこ生活。後宮の穀潰しとなって、責任なくのんびり暮らしたいのである。
現実逃避だとわかっているけど、いいじゃない。17歳なんだからお気楽生活の夢を見たって。愛も恋も白馬の王子様もいらない。王女様なのに、王女様なのに、二度寝すらしたことがないのよ。疲れた時はひたすら寝るべし! 無理をすることと頑張ることを同じとするべからず! が前世のモットーだった私なのに。
問題は命を張って後宮入りを阻止しようとする周囲と後宮の同行を希望する巨匠のおじいちゃんたち。
天井を突破するほど尖った才能のおじいちゃんたちは、突き抜けた性格もしていた。「だってもう爺いだし未練はない」と、じじ子さんになってしまった。
ヤンデレ臭の漂うおじいちゃんたち。
「拒絶されたら死ぬ」て。現在進行中のハンサムならば許す女の子もいるかも? でも大昔のハンサムにすがられても嬉しくない。嬉しくないけれど、もう去勢済み。
「「行くったら行く!!!!」」
床に寝転がって手足をジタバタさせるじじ子さんたち。
じじ子さんプラス加齢臭ならぬヤンデレ臭プラス幼児化。しかも大金持ち。
オブラートに包んでも面倒しかなかったけど、しぶしぶオーケーした。
しわしわのちびちゃいじじ子さんたちがコロコロ転がって、ちんまりとしていて可愛いかもとちょっと思ったのはナイショにした。
それに後宮入りといっても、アレクサンドロス王国の使者のお勧めの白い結婚だし。
アレクサンドロス王国には、ガチ後宮の第一後宮となんちゃって後宮があって、私はなんちゃっての方の第二後宮。使者の方が手続きを全部してくれる、って。
アレクサンドロス王国の後宮は、人質の意味合いが大きいから有り難いことに選べるのよ。ヴィトス王国のような周辺の小国は、アレクサンドロス王国に恭順を示すために代々人質を差し出しているの。国王も大集合した女性全員を相手にするのは、遠慮したいと言うことで。なんちゃって後宮の第二ができたらしいの。
ただし、どちらの宮に入っても側室の身分が与えられるのだが、第一と第二の格差が凄まじい。
まず費用面では、第一は側室費があるのに対して第二はオール自腹。これはヴィトス王国はお金持ち国になったからクリア。
次に第一の側室は第二の側室を見下す。第一の側室は近隣諸国の姫君だけではなくアレクサンドロス王国の貴族の令嬢もワンサカいる。次代のアレクサンドロス王国の国王の母親になる可能性も高いのだから、第一の側室たちと関わらないのが消極的解決方法。
他にも問題はあるが、第二は国王のお渡りがない分、側室は基本ほったらかし。逃亡さえしなければ規則はゆるくグータラできる、とアレクサンドロス王国の使者が言っていた。
父王も兄も、アレクサンドロス王国に人質を差し出す必要があることは理解しているし、王家には差し出せる王女が私だけしかいない、ということも――本当は父王の弟の娘である、従姉姫が行く予定だったのだけれども、従姉姫は従者と駆け落ちしてしまったので――毎日ウォンウォン泣き崩れながらも理解していた。でも、アレクサンドロス王国の使者が父王と兄にヒソヒソ耳打ちをしたら、たちまち笑顔になっていた。解せぬ。
それからはタイヘンだった。遠い目になるくらいタイヘンだったのよ。
じじ子さんで懲りたから去勢は禁止に清き1票をしたら。
男性は、萎びた青菜のようになるし。
女性は、私の侍女や護衛の座を目指して血で血を洗うような壮絶な争いになるし。
ちまこい王国だから国民総兵士の訓練をしていたのが、こんなことになるなんて。どこかの世紀末ですか、な感じでタイヘンだったの……。ぴぇん。
「ぐふふ、勝ったわ……!」
「げへへ、これからもお美しいエリージア様にお仕えするのは私よ……!」
「うへへ、お美しいエリージア様とずっといっしょ、ずっといっしょ……!」
私の長年の侍女たちも勝利したけど、彼女たち、とっても美人なのに笑い方がヘンテコなのよね。残念美人とはコレのことかしら? いつも、胸を押さえて悶えたり、天を仰いで涙を流したり、鼻からツツーッと鼻血を出したりしているし。
アレクサンドロス王国へのヴィトス王国内の道中も、「エリージア様、お幸せに~!!」と国民が大音量の弦楽器のように悲嘆にすすり泣くし。親が泣くから赤ちゃんもオギャーオギャーとつられて盛大に泣くし。
もう壮絶だった。
草が萌え、花が咲き、鳥が鳴く春なのに、夏に鳴く蝉の大合唱をも上回る人間の泣きの大合唱。アレクサンドロス王国の使者が特例として1年に3ヶ月間、ヴィトス王国に里帰りを許可してくれなかったら正直どうなっていたことか。考えるのも恐ろしい……。
泣き落としってあるのね、としみじみ実感したわ。
まぁ許可は、ヴィトス王国がちびちゃい王国で、アレクサンドロス王国にとって重要性がたいしてないと言う理由もあるのだけども。
ということで、万難を排してイザ憧れのグータラ側室ライフへ。
二度寝をするぞーー!!
と思っていたのに。
ルンルンウキウキランランしていたのに。
どうして、
どうして、
ヴィトス王国の王宮並みにドデカイお屋敷に到着するの!?
しかもこの屋敷が建っている場所ってアレクサンドロス王国側ギリギリの国境線。目の前はヴィトス王国。
「いやー、エリージアの嫁入り場所が近くて良かった! 国民たちも感激して泣いていたし」
「毎年3ヶ月間、里帰りの約束もありますしね!」
「アレクサンドロス王国の公爵家の領地がヴィトス王国と隣接しているので友好は結んでいましたが、まさか公爵が求婚してくるなんて。国内の貴族だとどの家を選んでも、選ばれなかった残りの貴族家が反乱を起こしそうでしたし、人質政策も達成で、一石二鳥ですね」
私の見送りにくっついて来ていた父と母と兄がニコニコ笑う。
「「「「これからよろしくお願いいたします」」」」
同行してきた護衛や侍女たちはドデカイお屋敷の女性使用人たちに品の良い笑顔でニコニコ挨拶している。
「「やれやれ、嫉妬深い夫じゃのう。男は側には置けんと宣うのだから」」
ちびちゃいじじ子さんたちが、てちてちとお屋敷に入っていく。
私は、右に首を傾げてその様子を見て、次に左に首を傾げて、艶やかに目を細めるアレクサンドロス王国の使者に疑問の視線を送った。
「アレクサンドロス王国の人質政策は、後宮だけではなく王族との結婚でもいいのですよ。わたしの母は先王の王妹で、わたしも王位継承権を所有していますので資格があるのです」
アレクサンドロス王国の使者が、不満を露わにする私に優しく微笑む。
「姫はご存じないでしょうが、わたしはずっと姫に恋をしていたのです。ですので、屋敷を建てアレクサンドロス王国の各所で根回しをして、新王の即位を好機に使者に立候補して姫に求婚するためにヴィトス王国に赴いたのです」
「私の第二後宮グータラ生活は……?」
政略結婚は王族の責務である。父王が認めたならば私は従うしかないが、諦め悪く言葉が口に出る。
「騙した形になり申し訳ありません。ですが姫は結婚する意志が欠片もなかったでしょう? 最初から結婚を前提とすると逃げられるかと思いまして」
図星をさされ、私はいさぎよくない返答をゴニョゴニョとしてしまう。
「だって結婚より、後宮で寝んねこ生活をしたかったのだもの……」
アレクサンドロスの使者が私の前で、流れるような動作で片膝をついた。
「その寝んねこ生活は、わたしの隣ではダメでしょうか?」
「え!? ぐーたら生活をしてもいいのですか?」
「もちろん。姫の望むものをわたしは何でも用意するつもりなのです。ほら、これらも」
アレクサンドロスの使者の後ろに、彼の従者たちが駆け寄って並んだ。彼らの手には。
「えええ!? 春雨? その黒い液体は醤油? その乾燥している海産物はワカメ? そっちは、ああ、そっちもこっちも、もしかしてお米にスパイスに、きゃあ、色々ある~!」
ひゅる~~っ、ぱ~ん!!
私の頭の中で大輪の花火が打ち上げられる。
一瞬で広がり、火花が一滴一滴煌めいて、火の粉の雫がキラキラと星屑みたいに消えていく。
10年間も探して探して、でも発見できなかった懐かしの恋しい食材たち。
おもむろにアレクサンドロス王国の使者は跪いたまま、私の手に春雨をのせてくれた。
「嬉しい~!」
私は握りしめた春雨にスリスリと頬擦りをする。
「我が公爵家の貿易船が、このたび新たな交易ルートを開拓いたしまして。船で3ヶ月ほどの距離に位置する、今まで他国と外交を結んだことのない小さな島国なのです。ですので取り引きをしているのは当公爵家だけです。姫、お気に召しましたか?」
私は、薔薇よりも美しいと称えられる笑顔で幾度も頷く。
「グァ……ッ!!」
「グォ……ッ!!」
侍従たちが奇妙な唸り声をあげて苦しそうに悶絶する。
アレクサンドロス王国の使者も片手で顔を覆っていた。眉間に寄るシワが深い。
「下手に直撃すれば即死ものの危険な笑顔だ」
ぼそっとアレクサンドロス王国の使者が何かを呟いて深呼吸をするのを、私は小首を傾げて見ていた。
「あの、皆様どこか体調が悪いのですか?」
尋ねる私にアレクサンドロス王国の使者は、息を吐くと表情を取り繕い微笑を浮かべた。
「ありがとうございます、姫はお優しいですね。わたしは10年前に、友好を目的に訪問したヴィトス王国の王宮で姫の容姿に一目惚れをしたのです。年齢差があり諦めようとしたのですが、ここ数年間の姫の言動を拝見して、姫の民へ向ける優しさに感服し、姫を諦められなくなってしまいました」
私の手をとり、アレクサンドロス王国の使者は触れるだけの口付けをした。切望の眼差しで。もう一度、蝶がとまるような接吻を指先に重ねる。愛おしさが溢れ出しているみたいな雰囲気が極上に甘い。
「どうかわたしの求婚を拒絶しないで下さい」
溺れてしまいそうな愛情に私の頬が色づく。
彼の、アレクサンドロス王国の使者の名前は。
私は、陽に透けて輝く金髪に青眼の彼の手に自分の手を置いた。
「ザリオン公爵?」
「どうぞアレクシスとお呼び下さい、愛しい姫」
「では、私のことはエリージアと」
にっこりと微笑む私に、アレクシスは眩しげに目を細める。アレクシスの双眸は甘露のごとく甘々に蕩けていた。
1年は365日。
今日は後宮に入れずしょんぼりしたけれども、残りは364日もチャンスはあるのだから、どこかできっと楽しい1日や嬉しい1日があるはず。
アレクシスとの結婚は、ヴィトス王国にとって絶対に必要なものであり父王も許可を出しているのだから、364日のどこかで婚儀を結ぶことになるのだろう。その日をとびきり幸福な1日にできるように、私はアレクシスに歩み寄った。
これは、悪役王女として生まれて、大国の後宮でぐーたら放置側室生活を願ったものの叶わず、歩く美しい宝石と歌われてザリオン公爵夫人となった私の物語。
読んで下さりありがとうございました。