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全てを許した聖女様  作者: めるめる琉


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29/30

過ち③

 そのベッドは牢の物と同じで酷く硬く、火のない地下の一室は肌寒かった。

ヘラルドはエミリアを抱いた。贖罪の言葉を言い訳にして、自身に宿った熱を目の前のエミリアにぶつけた。


 行為が終わり、熱の冷めた身体が冷たいシーツに触れ、ヘラルドは現実に引き戻された。

――まるで熱病のようであった。婚姻前の、しかも正式に婚約を結んでいないエミリアと、そして罪人になることで、これから婚約を結ぶことがなくなったエミリアと契ったことを、ヘラルドは深く後悔した。

「す……まなかった」

 いくら懇願されたからといって、これではあまりにも不誠実すぎる。


「謝らないでヘリー」

 エミリアが手を伸ばし、ヘラルドの手にそっと触れた。

「あたしね、……あたし、ヘリーと結婚して、みんなに祝福されて、そうして初夜を迎えるのを心待ちにしていたのよ」

 そう、エミリアは悲しげに笑った。

「あたしの我儘を、叶えてくれてありがとう」

 その手の温かさが余計、ヘラルドの罪悪感を募らせた。


「……学園での生活は、とても楽しかった」

 エミリアはそんなヘラルドの罪悪感に気づくことなく話し出した。

それはまるでもう、二度と手に入らない愛おしい宝物を語るかのように。


「初めていっしょにランチを食べた時のこと、ヘリーは覚えてる? あたし、とっても緊張したわ。だって王子様と一緒にご飯だなんて、そんな凄いことあるなんてって思って……。でも、ヘリーもルイもダントもすごく優しくて、あたしの昔話を聞いてくれて。あたし平民出身だから、平民の子からは疎まれてるし、貴族の子たちからはやっかまれてるしで、でもそれでも皆んなと仲良くしようっていつも一生懸命になっていたから……ありのままを受け入れてくれるヘリーたちが本当に嬉しかったの」

 ヘラルドも、その頃に想いを馳せる。

エミリアと出会った日、エミリアの聖女の力が発動し、方々に報告してからの遅い昼食であった。

 夕日の差し込むテラスでの食事で、マナーを気にしながら恥いるエミリアに、身分もマナーも関係ない。普通に接していいと告げたのだ。

 自分が知っている女性は、そんな風に恥じらったり、笑ったりなんてしなかったから……。


 「武術大会では恥ずかしいくらい大きな声で応援しちゃって……。決勝戦のヘリーとダントの試合なんて、どっちを応援していいかわからなくてワタワタしちゃってたわ」

 その時のことも、ヘラルドはよく覚えている。

一勝する毎に、真っ先に駆けてきてくれたのはエミリアだった。

エミリアは、ヘラルドの準優勝を少しだけ惜しみ、そして賞賛した。

ヘラルドは、そんな風に無邪気に喜ばれたことがなかったから、むず痒い心地よさを感じていた。


「ダンスパーティーのあとも、二曲目で真っ先にあたしのところに来てくれて……あたしダンスなんて授業でしか踊ったことがなくて……ふふ。あの時は三回も足を踏んでしまって、でも次の曲では、ヘリーの足も踏まずに踊れて……幸せだったわ……」」

 学園のダンスパーティーは一度目は婚約者と踊るもので、義務を終えたヘラルドは二曲目でエミリアに手を差し出した。

本来二曲連続踊るのは婚約者だけに許されたことだったが、「次は足を踏まずに踊るから、もう一回」と、エミリアにねだられてヘラルドはそれに応えた。

 あの頃にはエミリアの力のことは人々に浸透していて、二曲目を踊り出した時にはホールに喝采が沸き起こった。


「ヘリーがあたしを婚約者にって言ってくれたとき、あたしとっても嬉しかった。元は平民だったあたしに、そんな物語みたいなことが起きるんだって」

 聖女の力を有したエミリアに、ヘラルドは婚約を申し込んだ。ヘラルドは、このダイナル国のため、幼い頃から聖女と結婚すると決められていたからだ。


「マナーは……これでも頑張ってたのよ。あのこわーい教師に、厳しく仕込まれたんだから。元平民だけど……それなりには、なってるって……言われて……」

エミリアの口調はどこかおどけているが、嗚咽が混じっていた。

「結局、お披露目する機会なんて、全然なかったけど……」

 リイナへの刑罰後、王都は度重なる天災と疫病に翻弄され続けた。エミリアも癒しの能力が使えなくなり、婚約は引き伸ばしになった。その後エミリアとの婚約の話が再び持ち上がった時、城に落雷が落ち、結局その話は有耶無耶になってしまった。

 結局エミリアとはリイナの刑罰以降、一度も公式の場に立つことはなかった。

それはまるで、エミリアの婚約を神に認められていないかのようだった。



「すまない……」

 ヘラルドの頭の中は、リイナのことばかりでいっぱいだった。エミリアが語る学園での日々の中でも、思い出すのはリイナのことばかりであった。


 エミリアに聖女の力が使えるとなったとき、ヘラルドはリイナに声をかけただろうか?

ただ事務的に、エミリアの力の発動をリイナに告げただけだった。

あの時リイナがどんな表情をしていたか、ヘラルドには思い出せない。


 リイナも昔は天真爛漫だった。少しポーッとしたところはあったが、穏やかで表情豊で、まるでひだまりのような娘だった。

大人になるにつれ、完璧令嬢と言われた氷のような娘になっていたが、果たして本当にそうだったのだろうか……。


 武術大会も、去年まではリイナは一番に声をかけてきた。でもそれはエミリアとは違い、ヘラルドを気遣うものであった。

怪我はないか、無理をしないで欲しいという、懇願めいたことを毎年のように口にしていた。

惜しかったですねと、そう語っていた。今年こそは優勝だと思っていたのに、結局叶わず終いで……でも準優勝になっていたのだ、もしあの場にリイナがいたら、彼女は喜んでくれたのだろうか。


 学園に入ってリイナと踊った最初のダンスは、特に表情が顕著に現れていて、ほんのり染まった頬が人形のようだと言われたリイナの人間らしさの部分を現しているようで、思わず三度も踊ってしまった。

 リイナは、ヘラルドが公の場でエミリアと二曲連続踊った時に、どんな顔をしていたのだろうか。辺りに響く喝采を、どのように受け止めていたのだろうか。


 そういえば、どうして……ヘラルドに一つの疑問が思い浮かぶ。

武術大会の時も、本当にリイナは側にいなかったのだろうか。武術大会では試合後の選手に声をかける特権は本来婚約者にあるはずだ。

だから本来、あの場もリイナはいるはずであった。あの時ヘラルドはリイナを見ていなかっただけで、確かにリイナはそこにいたはずだったのだ。そこにいながら、何も語らず、エミリアに賞賛の言葉を譲ったのだ。

いつも、リイナはヘラルドの傍にいて、エミリアのために譲ってきたのだろう。


 リイナは、とても献身的な人間だった。ヘラルドに対しても、人々に対しても。

聖女として人々の悩みをきき、週末は必ず孤児院へ慰問し、信心深く神への祈りも毎日欠かさなかった。

未来の王妃としての教育も、王太子の婚約者の責務も、いつも懸命に行っていた。

完璧な令嬢であることが唯一の欠点として語られてしまうほど、完璧な令嬢だった。完璧であろうと、相当な努力をしていたのだろう。

それを、誰よりも寄り添うべき立場の自分が見て見ぬ振りをしていた。

聖女であり、完璧であるリイナに嫉妬していた。

 そうして、見捨てたのだ。何も調べず、彼女を偽者だと罵って、本当に守るべき存在だったのはリイナだったのに。――彼女こそが、聖女だったのに。ヘラルドの婚約者だったのに。



「……ヘリー?」

 呼ばれた声に、ふと我に帰る。

腕に別の女を抱きながら、ヘラルドはリイナを想い続けていた。

「ああ……すまない……」

 謝罪の意味を理解していないであろうエミリアは、涙で腫れた目を少しだけ細め、微笑んだ。

「……いいの。謝らないでヘリー」

 じっと見つめてくるエミリアに申し訳なく、ヘラルドは誤魔化すように話題を変えた。


「いいかい、エミリア……」

 これからエミリアには、猜疑の目が向けられることになる。

「全て正直に話すんだ。君の力は偽物だったかもしれないが、君も……献身的に人々に尽くしてきた。そのことは覆らない」

「ヘリー……」

 不安そうなエミリアの肩が、ピクリと震え出した。

「ヘリー……あたし、怖いわ……」

「大丈夫だ……君のことは、私が守る」

 そんなエミリアをヘラルドは優しく抱きしめる。

リイナは守ることはできなかったけれど、エミリアのことは、まだ間に合う。

「大丈夫だ。私は、君を信じている。君のことは、私が救ってみせる……」


 あの時、本当はヘラルドがリイナにかけることができなかった言葉を、ヘラルドは告げた。

この言葉を、あの時リイナにかけるべきだった。

深い深い後悔が、ヘラルドを支配していた。





――その日の夜は、恐ろしいほど静かな夜であった。

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