皇子②〜救いの手〜
いくら説得を試みてもリイナは首を縦に振ろうとはしなかった。
「貴女の求めるもの、欲しいものは全て差し上げます。貴女を虐げ、辱め、冤罪で裁いた国より、どうぞ我が国へお越しください」
この雪深い辺境の地ファーロンがこれほど豊かな緑あふれる土地になったのも、きっと聖女リイナの力の影響なのだろう。
「モーデナート皇国も貴女を歓迎します。貴女が望むのであれば、ダイナル国との国交を断絶して制裁を加えることも可能です」
噂に聞くと、今のダイナル王国は経験したことのないような天災に見舞われているらしい。皇国が追い込まなくても、十分神罰は降っているのであろうが、聖女リイナを貶めたダイナル国を、ルリウス自身が許せなくなっていた。
「私は、この数日、貴女と過ごさせていただき、貴女のひととなりを知りました」
リイナは、素晴らしい女性だった。
時折ぼんやりとする様子を見せることがあるが、さすがに王太子妃の教育を受けていただけあり、皇子であるルリウスに対して見せるマナーは完璧であった。貴族令嬢としての嗜み、優雅さ、美しさ、教養の高さも持ち合わせていた。
そして村人たちと気さくに話す姿にまた驚いた。孤児たちと笑い合い、裸足で庭を走りまわっていた。ルリウスと語らっていた淑女は、無邪気な少女になっていた。
「俺は貴女に惹かれています。決して貴女を蔑ろにしません。生涯貴女だけを愛し、貴女に全てを捧げます」
ルリウスはリイナに縋った。皇位も何も諦めていた自分が、これほど何かを欲することがあるとは思わなかった。
こんなにも共にいたいと思う女性ができるなどと思わなかった。
「俺は、貴女を妻に娶りたい。俺の全てを貴女に捧げます。もし皇妃になりたいと貴女がおっしゃるのならば、何があっても王位継承権を取り戻して見せます。どうか、俺の妻になることを承諾して頂けませんか?」
ルリウスは跪き、リイナの手を取った。再生された腕は、優しくその手を掴んでいる。
しかしリイナは困ったように微笑み、ほんの少し首を傾げた。
「ありがとうございますルリウス様。ですが私は、ルリウス様の気持ちにお応えすることはできません」
リイナが触れた手をそっと離そうとし、ルリウスは思わずその手を掴んだ。
「なぜ……何故でしょうかリイナ様……」
あまりにも美しい微笑みを浮かべたまま、リイナはその理由を告げた。
「私は、ヘラルド・ダイナル殿下を愛しているのです」
ダイナル王国はリイナに罪を被せ、身分を剥奪し、辱めるような刑罰をくだし、そしてこの地へと追放した。
それでもリイナは美しい微笑みを浮かべる。その笑顔は、ルリウスに対して見せる困ったような笑みとも、孤児たちと無邪気に笑う笑みとも違う。
それは、愛するものを慈しむような笑顔であった。
「例えこの想いが伝わらなくともよいのです。私がヘラルド様を思い、愛していることは変わりません。例え実を結ばずとも、奪われてしまったとしても、私はヘラルド様を愛しているのです」
ルリウスは、恨むことなく告げるリイナを、心から美しいと思った。
「ルリウス様のお言葉は大変有り難く存じますが、でもその気持ちにお応えすることはできません。申し訳ございません」
「リイナ様……」
彼女はダイナル王国の王子を愛している。
その高潔な愛をまざまざと見せつけられ、ルリウスは息を呑んだ。
「どうしても、我がモーデナート皇国に来るのは、不可能でしょうか?」
「はい。私は、ヘラルド様がいるこのダイナル国と共にあります。例え処罰されようとも、処刑されようとも、私はこの国にあり続けます」
ルリウスの瞳を真っ直ぐ見つめ、断言した。
リイナはこの国の王子を愛している。
ダイナル王国の聖女は、豊穣と愛の女神の愛し子だと言われている。
愛の女神の愛し子に、愛する気持ちを捨てさせるのは不可能なのかもしれない。
自分には決して向けられることのない笑顔と、そして得られぬ彼女の愛。
それならば、彼女を助けたい。
「では、貴女の友人にならせてください。貴女が王国に戻れる手伝いを、俺にさせてください」
まるで婚姻の申し込みをするように、リイナの元に跪き、そして乞う。
「貴女には私の腕を治して頂いた恩もございます。どうか、俺に貴女を助ける名誉をください」
ルリウスは己の全てを賭けてリイナが聖女であると証明することを誓った。
「わかりました。ルリウス様」
そうしてリイナは、ようやく頷いた。
そして、恐ろしいほど美しい笑みを浮かべる。
「私が聖女として、再びダイナル国に立つことが叶いましたら、お礼として貴方のモーデナート皇国の願いも叶えて差し上げますわ」
まるで全てを見透かすように笑うリイナに、ルリウスは畏怖の念を抱いた。
「……あ、りがとう、ございます。リイナ様」
「期待していますわ。ルリウス様」
皇国に行くことを頑なに拒否したリイナは、ダイナル国に留まる道を示した途端快く頷いた。
こんなにも一途で、こんなにも高潔な愛が目の前にあるのに、それを得られぬことに、ルリウスは落胆し、そして己がどれだけ欲しても手に入らぬ愛を向けられながら、別の女を選んだ愚かなヘラルド王太子に、心の底から嫉妬をした。
そうして、ルリウスはダイナル国王都へと赴く。
モーデナート皇国第一皇子として、真の聖女リイナを連れて。




