ダイナル国の聖女①
王太子ヘラルド・ダイナルの人生の歯車が狂い始めたのは、エミリア・ドーパン男爵令嬢に、癒しの力が覚醒したときであった。
“聖なる力があると教会から認定されただけ”の、リイナ・パルデト公爵令嬢とは違い、エミリアの癒しの力は多くの人々が目撃した。
癒しの力をもつエミリア・ドーパンは、瞬く間に真の聖女として名を馳せていくことになる。
そのエミリア男爵令嬢と、ヘラルド王太子が出会ったのは、二学年下のエミリアが貴族の学園に入学して、ひと月も経たぬ頃だった。
エミリアが学園の木に登った猫を助けようとしていたところを、偶然通りかかった王太子とその側近たちが手を貸した。
その時、エミリアの癒しの力も覚醒したという。
ヘラルドとエミリアの出会いはエミリアの癒しの力の覚醒と共に、瞬く間に市井に広まった。
二人の出会いはまるで絵本の恋物語のようで、身分を超えた“真実の愛”は、民衆の間で熱烈な盛り上がりを見せた。貴族と平民との確執に不満があるものからも、絶大な指示を得た。
当事者である王太子自身が、「聖女エミリアとの出会いは、神が思し召した運命のようだった」と語っているのを多くの人が耳にしていた。
しかし、王太子ヘラルドには婚約者がいた。
四大公爵家の一つのご令嬢であり、教会から聖女と認定された、リイナ・パルテド公爵令嬢である。
この国では時折愛と豊穣の女神の愛し子として、聖なる力を持ったものが誕生する。
聖なる力を持って産まれたものは聖女として教会に属し、その力を使い国を豊かにしていくという。
聖なる力を授かることができるのは女性だけで、それは身分関係なく誕生する。
それ故に、ダイナル王国では聖なる力が発現する六歳になる年の少女を集め、選定の儀に参加させることが義務付けられている。
選定の儀では、湖で洗礼を受け、神に祈りを捧ぎ、水晶に触れることで聖なる力を授かったかどうかが判定されるという。
聖なる力があると言われたものには、不思議な力が宿ると言われていた。
それは癒しの力であったり、植物を育てる力であったりする。雨を降らせることができる能力を持った聖女もいた。
どんな能力であっても、それは人智を超えた力であり、歴代の聖女は国に大きな繁栄を齎した。
聖女が属する教会は聖女を神の愛し子として祀りあげ、神聖なものとして人々の信仰の対象とした。
国に恩恵を齎してくれる聖女の存在は国民から絶大な指示を受け、教会はその聖女信仰を元に、王国とは別に独自の権力を持つことになった。
そんな中、今代の聖女であるリイナ・パルテド公爵令嬢は今までの聖女とは異なっていた。
今までは平民の少女ばかりが聖女として選ばれてきた。しかし今回は貴族、しかも高位貴族である公爵令嬢が聖女として認定されたのである。
王は歓喜した。今まで聖女の血を王族に取り入れたくとも、教会に制限されそれは叶わなかった。
王族に聖女の血を取り入れることで、聖女信仰の強い国民の支持もまた得られる。
何より、聖女の年齢は第一王子の一つ下。
血筋も、家柄も、年齢も、肩書きさえも、婚約者にするのに相応しい。リイナ・パルテドは婚約者にこれ以上はないほどの娘であった。
「聖女の血を王家に取り入れることこそが、神のご意向である」と、そう国王は教会に陳情し、第一王子であるヘラルドとリイナ・パルテド公爵令嬢の婚約を命じた。
王政派であったパルテド公爵もそれに同意し、かくして二人の婚約は結ばれ、第一王子ヘラルドは王太子となった。
しかし、教会から聖なる力を授かったはずのリイナ・パルテド公爵令嬢は、聖女に認定されたのにも拘らず、何の力も得られてはいなかった。
「公爵が教会と癒着し、聖女の座を金で買った」という噂が、実しやかに囁かれるようになった。
教会とパルデト公爵も、「授かった力は目に見える力ではない可能性がある」「過去に事例のない能力で、まだどのような力があるかわからないだけ」とそう言い続け、異論を唱える者を弾圧した。
人々は教会が認めた聖女を否定することはできない。みな疑問に思いつつも教会の権威と、公爵の権力を恐れて何も言わなかった。
しかしリイナが十四歳のデビュタントを迎えてもその能力が花開くことはなく、成人まであと一年というところまで迫っていた。
そうなると民衆だけではなく、王族貴族たちも疑惑の目を向け始める。
何も言わぬが、言わぬだけで言い知れぬ疑心が人々の心に刻まれた。
そうして教会とパルテド公爵家の力に翳りが落ちたところで、ついにエミリア・ドーパンの能力が覚醒することになる。