真の聖女?
――ダイナル国・国王――
この国に新たなる聖女が誕生した。
真の聖女は元平民のエミリア・ドーパン男爵令嬢。
偽りの聖女リイナ・パルテド公爵令嬢は教会と癒着した公爵家の力で聖女となり、真の聖女として覚醒したエミリア男爵令嬢を虐げた。
正義の鉄槌、悪しき偽りの聖女は断罪され、裁かれた。
そうして、この国の王太子と真の聖女エミリアは結ばれ、王国は正当な権威を取り戻し、幸せに暮らしましたとさ。
そんな幼稚な絵本のような王太子と男爵令嬢の恋物語。教会の権力を削ぎ、目障りな公爵家を排除し、元平民の娘を王家に迎え入れることで国民からの支持を得る。すべて筋書き通りにうまくいっていたはずだったのに。
「王都で病……? それは疫病なのか?」
「いえ、治療に当たった医師や看護師などは誰も感染しておりません。長雨で家に篭り、人と接触していない者が病にかかったと報告もあり、人から人への感染が確認できない事例も多くあります」
疫病ではない。されどそう語る宰相の言葉は重々しいのは、その病を発症した者の中に、己の息子がいたからであろう。
「ううむ……徐々に死人も出てきているというではないか……」
「聖女殿はいかがでしょうか。力が戻られる気配はございますか?」
宰相がヘラルドと一緒に並び立つ娘へと声をかける。すると真の聖女と言われるエミリア・ドーパン男爵令嬢の肩がビクリと跳ねた。
「……申、し訳、ございません……あたし……」
礼節のなってない、貴族とは到底思えぬおどおどとした態度に、王は苛立ち眉間の皺を深めた。
「宰相、エミリアは、リイナの刑罰を見たショックから未だ立ち直れておりません。落ち着けばまた以前のように力は使えるでしょう」
申し訳なさそうに項垂れる娘をヘラルドが庇い立てる。
「大丈夫。大丈夫だエミリア。本来の君に戻ったら、きっと癒しの力は君のもとに戻ってくる」
「ヘラルド様……」
ヘラルドに庇われ、うっとりと目を潤ませる男爵令嬢に、国王は呆れて冷たい視線を向けた。
真の聖女エミリアが力を使えなくなった。しかも、最悪のタイミングでだ。
王都で蔓延し始めた原因不明の病と、新たなる聖女。
この状況で民衆がエミリアに助けを求めるのは必然であろう。
力の使えない聖女など、いないのと同じことだ。そしてここでのエミリアの評価は、王の評価といっても過言ではない
エミリアは人々を癒し、信頼され、愛され、敬われ、感謝されなければならない。
この窮地に真の聖女エミリアが人々を癒せば、何の力も持たぬ公爵令嬢を担ぎ上げていた教会にも一矢報いることができるのに。
「聖女殿。病が流行っている以上、一日でも早く、力を使えるようになって頂きたい」
王の言葉を代弁するような厳しい宰相の言葉に、男爵令嬢は涙を目に溜めて「だって……」と小さく呟いた。
一年もの間、貴族たちが通う学園に通ったにも拘わらず、敬語や最低限の言葉遣いすらままならぬ令嬢に、王はすでに失望し出していた。
それから、幾人か病の症状があるものをエミリアと面通しし、癒しの力の行使を試みるように命じた。
その病の発症者の中には、宰相子息のルイや、騎士団長子息ダントも含まれていた。
しかし、彼らを含め、聖女の力によって癒されたものは誰一人もいなかった。
僅かな傷さえも、癒すことはできなかった。
「このままではいかん……」
病が蔓延した今、聖女エミリアが力を使えないなどと、民衆に知られるわけには行かなかった。
聖女と面通ししたものたちには、強く口止めをしてはいるが、しかし聖女が力を使えないことを知らぬものたちの症状が重くなれば、王城に癒しの力を求め、民衆が押し寄せてくることもあるであろう。
「何か早急に手を打たねばならん」
王は宰相を呼び出し、ことの次第を告げた。
息子が病を発症した宰相はここ数日で随分と疲弊しているようだったが、王の右腕たる男はすぐに良策を思いついた。
「市井での噂を利用すれば良いのです」
「噂……とな?」
「はい。今王都では刑罰を受けた元公爵令嬢の呪いで、この病が流行っているのではないかという噂になっております。その噂を利用し、全ての原因を偽聖女のリイナ元公爵令嬢に擦りつければ良いのです」
窓の外が雷鳴で眩く光った。
まるで天啓のようなその光に、王は思わず口元を綻ばせた。
「なるほどのう」
断罪された令嬢が原因とすれば、王家を責める声は全てパルテド元公爵家へ逸れる。
呪いをかけたとなれば、あのリイナは聖女ではなく、むしろ魔女のような扱いになる。そしてそれは同時に、教会への意趣返しにもなる。
「よいであろう宰相。皆、王命である! この度の病、リイナ元公爵令嬢の呪いが原因であると、そう民へ……」
そう、王が口にした途端、バリバリと大きな音が城内に響いた。
それは今まで聞いたことのないような激しい音であった。
驚愕と恐怖に震える声が、至る所から上がる。
雷が、王城に落ちたのだと理解するのに、そう時間は要さなかった。
「なぜ……このようなことが……」
王の脳裏に、恐ろしい推測がよぎった。
――これは、天罰、なのではないだろうか……。
大きな過ちを犯してしまったという、恐ろしい推測。
それは、間違えては決してならない、最悪の過ち。
その場にいた者たちは顔を合わせ、口を結んだ。皆同じことを考えていたが、とても口には出せるような状況ではなかった。
しばらくして、王城に二度目の雷が落ちた。
それは王が、エミリア男爵令嬢に癒しの力が戻ったのなら、王太子ヘラルドとの婚約を考えても良い、と、口にした時であった。
しかも、一度目は王城の一角に落ちただけの雷は、二度目は王太子妃の自室になるであろう場所に落ちた。
その雷は激しい火を起こし、雨が降りしきる中でも激しく広まり、中々鎮火することはかなわなかった。
ようやく火がおさまったのは、王太子妃の部屋、そして隣の王太子の部屋をすらも焼き尽くしたあとであった。
神がお怒りになられている。元公爵令嬢を悪しく言うことも、エミリア男爵令嬢を王太子妃に据えることも、神は認めていない。
王都に再び、真の聖女が誰であったのかと、噂が広まった。
エミリア男爵令嬢が力を使えなくなり、それを元公爵令嬢リイナの呪いのせいにしようとしたことで、王城に雷が落ちたこと。王太子と未来の王太子妃を迎える予定だった部屋が、酷く焼け落ちたこと。
それは瞬く間に広まり、それと同時に病に苦しむ民たちは恐怖した。
本物の聖女を陥れてしまった王国の地獄は、まだ始まったばかりだった。