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悪役スチルフルコンプした公爵令嬢は大好きな悪戯が止められない

舌禍美人

"悪役スチルフルコンプした公爵令嬢は大好きな悪戯が止められない"シリーズと世界観で繋がっていますが、そちらを読まなくてもお楽しみ頂けます。

 --------

「おい、聞いたかギスラン。また二年生がやらかしたらしいぞ」


「え、またか?」


 僕が学園の高等部に入学して数ヶ月経つが、正直こんなにも毎日のように何かしら事件が起こるとは思わなかった。特に一つ上の学年がひどい。


 まずテンセイシャとかいう聞いたことのない経歴の不可思議な男爵令嬢が転校してきたのみならず、何故か多くの男たちの好みを知り尽くしており、無差別に魅了し始めた。


 そして別のクラスではマリアンヌ・フォン・クローデルという名の御令嬢が、高笑いを繰り返しながら平民を虐めているという。そのせいで婚約破棄まで秒読みだと言うのだから笑えない。


 実に世も末と言った様相だが、さらに悪いことに、僕もそんな上級生たちと無関係ではなかった。


「今日は何があったんだ」


「お前のお姉さんが、また例のテンセイシャとやらと揉めたらしい。蚊の鳴くような声が耳障りだと怒鳴ったらしいぞ。しかもそこにあの公爵令嬢様が喝采を浴びせる中、お姉さんの婚約者が婚約破棄をチラ付かせて、混乱が広がってるんだそうだ。なんというか、その……掛ける言葉も無いよ」


 ……これは帰ってからが大変そうだな。




 --------

 時が経つほどに、周囲の環境は様々な変化を迎えるものだ。高等部に上がった僕には新たな友人が出来たし、入学前には使えなかった魔法もいくつか使えるようになった。件のマリアンヌ公爵令嬢の勇名と、例のテンセイシャの求愛行動が猛威を振るっているらしいが、僕の周りは一見平和そのものだ。


 だけど、変わらない部分もある。僕の場合、それは姉であるパメラ・クレマンティの舌禍だった。


「ああ、もう!なんなのよあの女!ジブリール様にあんな露骨な色目を使うなんて!あれが同じ女かと思うとゾッとするわ!」


 今日も姉はプリプリと頬を膨らませながら怒声を浴びせてくる。ジブリール様とは、姉と入学前に婚約した伯爵子息のことだが、どうやらあまり上手く行ってなさそうだな。


「教室でも話題になってたよ。今日は何をやらかしたの?」


「やらかしたって何よギスラン!?別に悪いことなんてしてないわよ!あの女の挨拶が小さすぎて聞こえなかったから、もっと大きな声で挨拶しなさいって指摘しただけよ!そしたらあの女、よりにもよってジブリール様にウルウルと瞳を揺らがせながら、怖い!とか言って抱きついたのよ!不潔よ不潔!おかげで私だけが悪者扱いよ!」


 いや、もっときつい物言いをしたはずだが。しかし……なるほど、どうやら姉はすっかり学園のクラスメートから誤解されてしまっているらしい。割と普段からその男爵令嬢に限らず、未熟な貴族たちに対しては殊更辛辣に接してきたからだ。


 姉は黙っていれば美人に見えなくもないのだが、言葉だけでなく顔立ちもきつく、配慮も足りず、色気も足りず、おまけに例の公爵令嬢と同じくイタズラめいたことが好きという側面もあって、周囲からはいじめっ子であるように誤解されやすかった。


 だが身内贔屓を抜きにしても、決して悪性の人間ではない。


 実際はいじめられっ子に対して苛烈な態度とはいえ叱咤激励し、いじめっ子に対してはそれ以上の制裁でもって成敗してきたような人だ。そして他人に厳しい分、自分にも厳しく、何事も陣頭に立って指揮することを良しとするリーダー気質でもある。


 だがそれが周囲の好感に繋がるかどうかは別問題だ。どちらかと言えば、慕われるよりも恐れられるタイプと言えるだろう。


「あんな蚊の鳴いたような挨拶では、他の上位貴族とまともに交流出来ないでしょ!?だから教えてやったってのに、あの恩知らず!!いっそ八つ裂きにしてやろうかしら!?」


「姉さんはとにかく言葉が足りないし、強すぎるんだよ。それに声も大きい。さては今日も『そんな蚊の鳴くような小さな声で貴族を名乗るつもりなの!?片腹痛いわよ!』とでも言ったんでしょ」


「そんっ……!?……か、片腹痛いとまでは言ってないわ……」


 恐らく言ってないというより、言い切る前に抱き着かれてしまったんだろう。そして前半部分だけでも十分に強力な発言であり、一年生に伝わる頃には『耳障りだ』などという尾ひれが付いてしまったのだな。片腹痛いと言われるのと大差はなさそうだが。


「で、姉さんはどうしたいの?その女を懲らしめてやりたいの?」


 そう言うと姉は頬を真っ赤に染めて口をモゴモゴさせた。この仕草を見せるのは僕の前だけであり、姉が最も素直になる瞬間でもある。


「…………だけよ」


「ん?」


「別に懲らしめたい訳じゃないわ。あの娘が卒業後に恥をかいて欲しくないだけよ。それに、私の言い方が間違ってるのは、自分が一番良くわかってるわ!言葉遣いがきついのもわかってるけど、他にどう言えば伝わるのかわからないのよ!」




『エヴィン!そんな廊下のまんなかで駄弁ってたらみんなのじゃまになるでしょ!すみっこによけなさいよ!』


『なんだと!?おれたちが先にいたんだぞ!おまえこそひかえろ!』


『ひかえるのはあんたよ!このいしあたま!みんなが使う廊下をひとりじめしていいわけないでしょ!!』


『こ、このやろー!やるってのかよ!』




 初等部までは良かった。姉の舌鋒に晒された勝ち気な男子生徒が、負けじと取っ組み合いをしてきたから。だけど、その男子生徒も中等部に上がる前に隣国へ帰ってしまった。最後の最後まで口喧嘩し続けていたらしいが、今思えば全力で反発してくれたのは彼だけだったのかもしれない。


 綺麗なバラには棘があるとは言うけども、姉の棘には猛毒が塗られてしまっている。だけど僕だって昔のままじゃない。


「でも、そうも言ってられないわ……このままではきっと、ジブリール様にも愛想を尽かされてしまう。私の口の悪さを直す、良い方法は無いものかしら……」


「わかったよ、パメラ姉さん。そういうことなら、僕も協力する。僕にいい考えがあるんだ」


「いい考えって……何をするつもりなの?」


 あの頃は見ている事しかできなかった。姉の怒声と泣き声を聞く以外にやれることがなかったけど、今の僕にはほんの少しだけ力がある。


「要は言葉の棘を抜けばいいんだよね?僕の魔法を使えば、姉さんの印象回復と、言葉遣いを直す時間を作れると思うよ」




 --------

「ジブリール様……私、いつもパメラ様に怒られてばかりです……」


 俺は今日も婚約者パメラによって深く傷付けられたセレストを慰めていた。パメラめ、あそこまできつく当たることもないだろう。この子の声が小さいのは生来のものだし、貴族の礼が足りないのも下位貴族であるならばある程度仕方のないことではないか。


 いや、きついのはセレストに対してだけではないかもしれない。恐らく誰にでもきついのだろう。たぶんあの弟や、未来の夫に対してさえきついに違いない。


「セレスト……俺はいつでも君をパメラから護ってみせる。彼女の毒舌で傷ついた時は、いつでも俺を頼ると良い」


 この大きな瞳が湖畔のように揺れた時、俺の心もまた同じように震えるのを感じ、どんな敵からでも護ってやりたいと思ってしまう。なんと愛らしく、美しい少女だろう。婚約者であるパメラが同じような瞳を見せるところなど、とても想像できない。まあ、そんなことをしたところであの毒女には似合わないし、そもそもやらないだろうが。


 ただ、セレストがパメラより優れているのかと言えば、決してそんなことはない。むしろ好みなのは見た目と仕草くらいで、内面的な部分は足りない部分が多すぎる。その仕草でさえ、人によって変えている節がある。


「嬉しいっ!私も、ジブリール様のためならどんなことでもしますわ!」


 ……どんなことでも……か。ではまずはパメラに言われたことを実行してほしいものだ。この通り少しは大きな声を出せるわけだし、パメラの指摘自体はそれほど的外れでもない。パメラは辛辣ではあっても、悪辣ではない娘だ。


 そうとわかっていても、あの毒舌に生涯にわたって付き合える自信など俺には無い。仕事や社交ならまだしも、プライベートにおいてちょっとした失敗で妻から怒鳴られる日々など、俺には絶対に耐えられない。そういう意味では、セレストとの新婚生活の方がまだましなものになるだろう。


「……ジブリール様?どうかしましたか?」


 だが今愛らしい少女が、その後愛らしい淑女となり、愛らしい妻となり、そして愛らしい老女となれるかどうかは別の話だ。


 それにこの少女はどんなことでもすると言ったが、今のまま貴族社会で出来ることなど知れているだろう。貴族社会とは、精神論だけで生き延びられるほど甘い世界ではない。少なくとも伯爵家の伴侶がそれでは困る。


 つまるところ、この娘が伯爵子息の婚約者として相応しいかと問われれば、考えるまでもない話なのだ。良くて愛妾、率直に言えば愛玩動物ペット扱いが精々だろう。庇護欲だけで結婚を継続できる保証などどこにもない。継続させるメリットも薄い。


「本当に君は愛らしいな。いずれきっと、よいパートナーを見つけられることだろう」


「そんな……もったいないお言葉ですわ」


 尤も、パメラとの結婚を破棄するためにこの娘を利用する俺も俺だな。だが、利用できるものを利用してこそ貴族というものだろう。




 --------

 あの舌禍の翌日。僕は姉と一緒に登校し、姉と同じ教室へと入っていった。当たり前だが、下級生である僕が一緒に入ってきたことに対して、上級生は皆怪訝な表情を浮かべている。


「お、おはようございます、パメラ様……あれ、あなた様は……?」


 なるほど、これが姉の言っていたご令嬢か。蚊の鳴くような声というのは、的確な比喩だな。小さすぎて、周囲に気を配っていなければ聞き逃していたかもしれない。


「初めまして、ギスラン・クレマンティと申します。パメラ・クレマンティの弟で、少々事情があって共に行動させて頂いております」


「か、かっこいい……隠しキャラ……?」


「はい?」


「あ、いえ!私セレスト・マンデスと申します。会えて光栄ですわ、ギスラン様……!」


 向こうからスッと差し出してきた手に対し、僕はあくまで儀礼的な礼に留めた。何故か頬を染めていた彼女は手を出したまま困惑しているが、これは彼女のほうが無作法だ。学園でのマナーとして、たとえ親密な相手であっても、社交の場でダンスをするのでもない限り軽々と肌と肌を触れ合わせてはいけないのだから。外交上の演出ならまだしも、初対面での握手など以ての外だ。


「パメラッ!!」


 丁寧に挨拶をしている最中に怒鳴り込んできたのは、また別の上級生だった。もちろん彼には見覚えがある。それもそのはず、姉のご婚約者様だ。そう、例えば彼なんかはこの女の肩を抱いているが、これは二重の意味でマナーを逸脱していることになる。ジブリール殿らしくない失態だな。


 彼はどちらかと言えば情熱よりも打算が目立つ男だったはずだが、これもわざとやっているのか?それとも常識すらどうでも良いと思えるほど、夢中になる何かがこの女にはあるのか。


「どうして彼女に挨拶を返さない!お前は彼女に声の小ささを指摘したが、お前は声の一つもかけてやらないのか!それがお前のやり方か!!」


 一方セレストと呼ばれた女子生徒は、ウルウルと瞳を震わせながら怒鳴る男に体を預けている。よくぞあそこまであからさまな態度を取っていながら、多くの男子生徒を魅了できたものだ。よほど周囲がチョロいのか、あるいは魅了したと思われているだけで実際は遊ばれているだけなのか。


 姉も反論しようとしているが、パクパクと口を開けるばかりで何も発しない。そして口元を隠しながら、僕の耳元で囁いた。


(婚約者の様子がおかしいことにも気付かないばかりか、それでもあの男爵令嬢の肩を持つわけ!?それでもあなたは伯爵家の婚約者なの!?って言い返して頂戴!!)


 僕は無言で頷き、婚約者へと向き直った。


「誠に失礼ながら、私が姉に代わってご説明いたします」


「お前には聞いていない!下がれギスラン!!」


 呼び捨てか。まだあなたの義弟ではないのだがな。姉が一瞬険しい表情を浮かべたが、()()()()()()()()()()()。僕はとりあえず温和な表情を選んで、このお方にもわかるように丁寧な言葉を使って説明を試みた。


「ジブリール殿。申し訳ありませんが、今の姉は声を発することが出来ないのです」


「何!?どういうことだ!?」


「僕にも詳しい事情はわかりませんが、どうやら昨日過度なストレスを感じたらしく、今朝方になって声を発することが出来なくなってしまったのです。そこで学園長と担任教諭へ相談し、姉が声を取り戻すまでは代弁者として僕が隣に立つことになりました。幸い学力についてはしばらく休んでも問題ないレベルだろうと判断されましたし、姉も僕にだけは声を出せるようですから」




『姉さんに沈黙魔法サイレントヴォイスを掛ける。ただし、完全に沈黙させる訳じゃない。耳打ちするか、周りに物音がしない環境なら聞こえる……文字通り、蚊の鳴くような声にするよ』


『うるさいからもう黙ってろって言いたいわけ!?』


『僕は常に姉さんの隣に立つから、そう言いたい時は僕に耳打ちして。そしたら僕が代わりにこう言うよ。"もっと声を下げた方がよろしかったでしょうか?"ってね』


『あっ……添削しつつ、代弁してくれるってこと?』


『言葉遣いを学びつつ、周囲への印象も回復する機会になる。一石二鳥でしょ?』




 あの日の夜にかけた沈黙魔法サイレントヴォイスがいい具合に作用しているな。危うくこの激昂したご婚約者殿に燃料を投下するところだった。


「馬鹿な、パメラがそんなストレスを感じるような女であるものか!それにお前には話しかけているではないか!!」


「つまり僕以外には何も話せない何かが昨日あったのでしょう。()()()()殿()()()()()()()()()()()()()()


 そのご婚約者殿は「ぐっ!?」と唸ると、そのまま声の小さい女と共に着席した。僕も既に先生によって用意されていた特別席に着席し、同じ授業を受けることになる。流石に一学年上だけあって内容はやや高度だろうが、折角だし予習だと思って僕も真面目に受けるとしよう。


 好奇の目こそあるが、担当教諭が教室に入ってくる前に全員着席していた。先生は早速クラスの上級生達に、姉が僕以外に声を出せなくなったこと、僕が姉の()()()としてしばらく隣に立つことを説明した。そして僕も自己紹介をし、一時間目の授業が始まる……はずだった。


「今日はもう一人、転校生を紹介します。数年前までここの生徒だったので、再入学でもあります。皆さん、仲良くしてあげてください。さあ、お入りください」


 先生がそう言うと、教室のドアが開いて一人の男子生徒が入ってきた。この時期に転校生とは珍しい。一つしか年齢が違わないはずなのだが、そうとは思えないほどの迫力と威厳を感じさせ、それでいて物腰は非常に丁寧で柔らかな印象を与える。一足先に大人になったような雰囲気だ。


 誰もが自己紹介を待ち望む中、姉だけがギョッとして固まっている。




「エーベルハルト・フォン・サランジェです。一応、隣国サランジェの第三王子に当たりますが、学園では身分に関係なく平等に接して頂けると嬉しいです。今日から卒業まで、お世話になります」


「ありがとう、サランジェ君。君の好きなものを教えてもらえますか?これから共に過ごす彼らの参考になると思うのだけれども」


「そうですね……ものというより人ですが、率直に物申す人を好ましく思います。私は察しの悪い男ですから。ちなみに……」


 そこで言葉を切ると、彼は姉の方をちらりと見て薄く笑った。


「うるさい人は苦手ですね」




 その日の休憩時間は、完全に転校生の独壇場だった。婚約者のいない女子生徒は、普段よりもずっと声を抑えてお淑やかに話しかけ、転校生の返事一つ一つに喜んでいる。その中にはもちろん、あのテンセイシャもいた。


 一方の姉は、なんとも微妙な表情だ。歓迎していない訳ではないが、手放しで喜んでいる訳でもないように見える。笑うにしても怒るにしてもハッキリしてる姉が、こんな曇った表情を浮かべるのは珍しい。


「姉さん、なんだか今日は一日静かだったね。もしかして彼を知ってるの?」




(……エヴィンだわ)


 その名前を聞いて、僕も驚いた。記憶の中の彼と、あのエーベルハルトの姿が一致しない。別人としか思えないのだが……姉の声には確信があった。


(名前も雰囲気も変わってるけど、間違いない。あれは私の喧嘩相手だった男の子……エヴィン・ダイムラーよ)


 それは彼と最も激しくやりあった姉だからこそわかる、一種の直感だったのだろうか。




 --------

「……口が利けないほどの過度なストレスだって?」


 俺は転校生に夢中なセレストを教室に置いたまま、一人屋敷に戻った。俺も転校生の存在が気にならない訳でもなかったが、正直それどころではない。俺の頭はパメラのことでいっぱいだった。


 彼女のストレスの原因は明らかだ。昨日のセレストに対する暴言に、俺が彼女に代わって返す刀で切り捨てた時の物だろう。




『挨拶が小さいわ!そんな蚊の鳴くような小さな声で挨拶しても他の貴族には通用しないわよ!?』


『そ、そこまで言わなくても……!!あっ、ジブリール様!』


『パメラ!また君は強すぎる言葉でセレストを傷つけたのか!?』


『で、ですがジブリール様!!貴方も彼女が大きな声を出せることはご存じではありませんか!?生まれつき口が利けないならまだしも、今だって彼女は――』


『俺はセレストの声ではなく、君の言葉の強さを問題にしているのだ!!本当に君は俺に相応しい婚約者であろうとしているのか!?こんなことが続くようでは婚約を継続することが難しくなるぞ!!』


『……っ!?』




 くそっ……今思えば言い過ぎどころか、理不尽ですらあったかもしれない。確かに俺はパメラを愛せそうにない。これは家柄がどうこうではなく、彼女との相性の問題だ。それを婚約破棄の動機付けに利用している面もあるのも否定はしない。


 だが俺も俺で、必要以上にパメラを責め立ててきたのではないか?どうもあの毒舌に普段から頭を痛くしていたせいか、加減できなくなっていたらしい。目的は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()で、その証拠を積み重ねるためにセレストを露骨に守って見せてきたに過ぎない。しかし彼女が俺の仕打ちで傷付き、健康被害を受けてしまったとなれば話は変わってくる。


 下手すれば俺の有責になるばかりか、声が出なくなった責任を取らされる形で無理矢理結婚といった事態になりかねない。それだけは避けないといけない。


「……だが今は何も出来ない。なんとか決定打を見出したいところだな。あの暴言を復活させるか、暴言だけが理由ではないことを印象付けられる何かが必要だ。これまでの暴言に重ねる形で説得力を持たせられる、何かが……」


 彼女には()()になってもらわないといけないのだ。俺の結婚生活を暗いものにしないためにも、絶対にな。




 --------

「おかえりなさいませ、殿下。久しぶりの母校はいかがでしたか?」


「ただいま。なんだか記憶よりも小さく見えたけど、やっぱり懐かしかったよ」


 登校初日の疲れを感じつつ、見知った顔も数名見つけた私の気持ちは晴れやかだった。ここは元々私が母と隣国へ帰るまで住んでいた古屋敷で、今は私と数名の執事と侍女だけが使っている。


 私が王族の血を引いていると知ったのは、ちょうど初等部から中等部に上がろうかという時期だった。現国王が公爵家の三女だった私の母と密かに逢瀬を重ねた結果、偶然生まれたのが私だったらしく、祖国サランジェから使者がやってきたのだ。


 娘が婚姻前に誰ともわからぬ子を孕んだ時、当然のことながら公爵は激昂し、金の入った財布を叩きつけた上で即勘当した。母も自身の罪を償うつもりでいたので、自身と子の身分を伏せて消息を絶ったつもりだったのだが……。


「そもそも王位継承権を持つ男児が遺ってさえいれば、祖国に連れ戻される事も無かったんだけどね」


 第一王子、第二王子の相次ぐ病没により、愛人の子とはいえ国王の血を引く私に白羽の矢が立ってしまったのが運の尽きだった。祖父に当たる公爵も、勘当した娘が国王の子を宿していたと知った時は、さぞ肝を冷やした事だろう。


「まあ、そう言わずに。陛下も最後の学園生活は前の母校で過ごしたいという、殿下の願いは叶えてくださったではありませんか。お会いしたいご友人がいらしたのでしょう?」


「……まあね」


 しかし気掛かりなのは、喧嘩友達パメラの事だ。彼女のことは一目見てすぐにわかったし、向こうも気付いてたはずなのだが、私に近寄ろうともしなかった。あれは明らかに避けられている。


「お会い出来なかったのですか?」


「いや、会えたよ。だけど過度なストレスによって、一時的に弟以外に話しかけられなくなっているらしい。昨日クラスメートとやりあった時に、婚約者から手酷く批難された時からだそうだ」


「それはなんとも、お労しいですな……」


 だがそんなことはありえないのだ。あの娘はその場で受けたストレスをその場で発散するタイプだ。だからこそ敵も多く作るが、それを苦にするような良い性格はしていないし、逆に何か言われたところで根に持つこともない。




『ねえ、エヴィン。その……きのうは言いすぎたわ。ごめんなさい』




 そして何よりも、不用意な言葉が原因で舌禍を招いたとしても、自分にも原因があることを認めるだけの器量がある。


 言い方を間違えてでも、言いたいことはその場で言う。打てば響く相手を好み、逆に打たれることも受け入れる。パメラはそんな娘だったはずだ。


 つまり声が出ない原因は、舌禍によるストレスではない。関係があるとしたら……隣に立っていた弟か。


「……さては、荒療治に出たな?」


「は?」


「いや、なんでもないよ」


 意図はわかる。だがお前はそれでいいのか、パメラ?




 --------

 転校生がやってきてから数日間、僕は常に姉と行動を共にした。姉が発言する際は必ず僕が隣に立ち、代弁するという作業を繰り返す。




(レアさんは攻撃魔法こそ得意だけど、詠唱に集中し過ぎて攻撃を避けるのは苦手なのよ!あのボンクラ男子共はどうしてあの子の肉壁になってあげないのよ!?まともに攻撃できないならせめて囮になるように言ってやって!!いや、やっぱりいいわ!!私が先に前に出るから雑魚は下がれって言っておいて!!)


「姉さんが言うには、レア様は後方で火力支援に専念された方が貢献出来るだろうとのことです。姉が陣頭に立って敵を引き付けるそうですので、皆さんは姉を支援して頂けますか?」


「なにっ、彼女が陣頭に!?わかった!おい皆、急げ!ご令嬢を盾にしたとあっては貴族の恥だぞ!!レア嬢は後方から支援攻撃を続行!他の前衛はパメラ嬢から敵を引き剥がせ!」


「は、はい!」


(!?だ、男子が連携を取っている!?いつもならこんなに積極的じゃないのに……どうして……!?)




(なんでエリザベートさんが料理担当なのよ!?アリスさんの方が料理上手だったはずよ!!学園祭のテーマが"侍女喫茶"だって言うなら、見た目は良いけど不器用なエリザベートさんにこそ客寄せさせればいいじゃないの!!黒焦げのチキンソテーと十人並みの淑女で盛り上げようって言うの!?)


「えっと、以前アリスさんの手料理を食べた際にとても美味しかったそうですので、まずはアリスさんの試食品を食べてから決めませんか?と言っています。それと、どうも姉さんはエリザベートさんにこそメイドの看板として立ってほしいそうです。自分よりもずっと華やかだからと」


「え……先日の調理実習でのこと、覚えててくださったんですね……わかりました!すぐに一品作りますので、皆さま試食して頂けますか?」


「わ、私が、看板娘!?き、緊張しますけども……やってみますわ!調理の方は頼みますわよ!」


(あのプライドの高いエリザベートさんが、素直に退いてくれるなんて……そっか、物事を良い方に話してあげればいいのね……)




「あの、パメラ様。先ほどの授業で教わった火魔法の応用式なんですが、光を熱へ転換させる際の術式がよくわからなくて……」


(ギスラン、これの代弁は不要よ。今、ノートに式と解説を書くわ。レアさんほどの実力者なら、それでわかるはずよ)


「今、ノートで解説するそうです。少しお時間を頂けますか?」


「あ、ありがとうございます!パメラ様!」


(……こんな風に誰かに頼られたのは、初めてだわ。でも、それは……)




「では明日の集団戦闘演習では、指揮を声が出せないパメラ様ではなくエリザベートさんにやって頂きましょう。彼女は判断が速く、声もよく通る。皆さんもよろしいですか?」


「本当に私がやるのですか!?経験豊富なパメラ様の方がよろしいのでは!?」


(そうよ!エリザベートさんは指揮をやったことがないじゃないの!確かに意外と視野が広い方みたいですけど、私の方が経験もあるし、いきなりは彼女にとっても危険だわ!私だって声が出せなくてもギスランがいれば……っ、いや……待って!)


「姉さん?」


(…………前言撤回。私も賛成するって言って。それと――)


「あの……姉も、エリザベート様にやってほしいそうです。皆さんの言うとおり、エリザベート様ならきっとできるだろうと」


「そ、そんな……!?」


「今の姉は声を出すのに一々僕を通す必要があり、緊急時の指揮が難しいそうです。その点、エリザベート様は思考の瞬発力もあるし、柔軟性も十分なので、不足は無いはずとのこと。ただ、いきなりは不安だろうから、参謀アドバイザーとして自分を傍に置いてほしいと言っています」


「……っ、わかりました。パメラさんが参謀に立ってくれるなら、安心できます。よろしくお願い致します」


(……ごめんなさい、エリザベートさん)


「……?」




 地味だが着実に、棘を抜いた姉さんの発言はクラスの中で力を持ち、少しずつだが姉さんに声を掛ける生徒たちが増えていった。相変わらず隣のクラスからは奇声のような高笑いが響いていたが、概ね平和な日々だったと思う。


 一方で、問題が全く無かった訳でもない。オブラートに包んだとしても行き過ぎた正論は人の神経を逆撫でることも多く、口論になりかけることもゼロには出来なかった。そのことについて、ジブリール殿が僕達のやり方に口を差し挟む場面があったのだ。




「ギスラン。今の発言はパメラのものか?それとも君のものか?」


「どういう意味ですか、ジブリール殿?」


「君は姉の代弁者を名乗っているが、パメラの発言によって意見衝突が生まれそうになると、自分の伝達力不足だと謝ることがあるだろう?だが意見が衝突するのは健全なことだし、別に俺たちはパメラと喧嘩したい訳じゃない。伝達力の問題なら、いっそ君は代弁者から外れるべきではないか?」


(ギスラン、ジブリール様の言う事にも一理あるわ。だから――)


「すまないがパメラ、俺は今ギスランと話しているんだ。相談事なら後でやってくれ。で、どう考えているんだ、ギスラン?」


(……っ!?)


「申し訳ありません、ジブリール殿。あなたの言うことにも一理ありますが、原因がストレスである以上、ここで僕が外れれば症状が悪化するやもしれません。必ず治療しますので、今少し僕ともお付き合い頂けたらと存じます」


「……そうか。それならやむを得まい。精々伝達力とやらを高めるんだな」


(…………っ)




 一部衝突こそあれど、姉の印象は改善しつつあるように見えた。そんなある日――




「ご機嫌よう、クレマンティさん?ようやく落ち着いて話せそうだね」


「エーベルハルト……様?」




 あの転校生が、昼休みが終わろうという時に、わざわざ僕らの前に立ち塞がった。




 --------

「せっかく再会出来たというのに、君が声を出せないと聞いて驚いたよ。しかもあの頃の率直さはそのままに、毒舌が見事に封印されている。きっと君の弟くんがとても優秀なのだね」


 一見温和な雰囲気だが、妙な迫力がある。その青い瞳はあまりに力強く、まるで僕らの心を見透かしているような、あるいは咎めているような鋭さで、どこか居心地が悪い。


「あの、何か御用でしょうか」


「お人形さんに用はない。私が話したいのは君だよ、()()()()()()?」


 ぴりっとした空気が流れた。姉は何か言いたそうではあるが、僕に声を届けることはしない。だが、今のは僕にとって聞き捨てならない言葉だ。


「そのお言葉、撤回して頂けますか。いくら王族とはいえ、そのご発言は我が家の名誉を傷つけかねません」


「何を怒っているのかな?そこの腹話術師が自分の言いたいことや欲求を通すために、弟をお人形にして利用しているのは事実だろう?君もよく付き合っていられるねえ?実に感心するよ。恥を知る私には到底真似できない」


「僕達が恥知らずだと言うのですか?」


「それ以外の何かに聞こえたのかな?」


 悪意で滴るような言葉は留まるところを知らない。この人だって姉が声を出せないことは承知しているはずだ。なら、代理で僕が話していることの妥当性は理解できるはずだろうに……いちいち不愉快な物言いをする方だ。それでも第三王子なのか。


「……僕が好きで付き添いを願い出たのです。姉は何も悪くありません。それにあくまで、声が出るようになるまでの間だけです」


「これは驚きだ。よくもまあそんな無意味な役割を願い出たものだね?あまりの近視眼に呆れて物も言えないよ。それでも君は貴族、それも伯爵家の子息なのかい?それともそれは庇っているだけで、実際に願い出たのも腹話術師さんの方だったりするのかな?」


 僕が冷静さを保てたのはここまでだった。どうしてこの人にここまで言われなくてはならないのだ。王族なら何を言っても良いと思っているのか?学園では平等に接しろと言ったのはこの人だ。僕自身の名誉のためにも、この人にこれ以上言いたい放題言わせるわけにはいかない……!


「いい加減にしてください!あなたに姉の何が分かると言うのですか!それに僕らは遊んでいる訳じゃありませんよ!」


「何が分かるかだって?()()()()()()()。だってそこの腹話術師は()()()()()()()()()()()()()()()()じゃないか」


「言おうとしないのではなく、言えないのです!僕が代弁して過不足なく伝えていることに何の問題があるというのですか!?」


「へえ、何の問題も無い?君はそう感じているのか。大した神経だが、ところで肝心な腹話術師さんもそう思っているのかな?」


 姉の方を見てみるが、悔しそうにしながらも何も言い返そうとしない。何か言ってほしい。言い返してほしい。でないと、僕ではこの第三王子の高慢な口撃に勝てそうにない。勝てるとしたら、いつもの姉さんだけだ。なんとかいつもの言様で、この男の不遜な物言いを止めることは出来ないのか!?


(…………っ)


「ふん。どうやら腹話術師の方は人形と違って、ちょっとは思うところがあるようだな」


 …………待て、僕は今、何を考えた?僕は姉の言葉の棘を抜くために一緒にいたはずだ。姉を助けたかったはずだ。だがつい先ほど、僕は姉さんの棘を武器にしようとしなかったか。この男を言い負かすために……!?


 何故姉さんも、そうも痛いところを突かれたような顔をしているんだ。そんな顔、今まで一度も見せたことなかったじゃないか。


 思わぬ衝撃の連続に愕然とする僕に対して、第三王子は黙っていなかった。


「なあ、お人形さん?君は従順で忠実な人形を演じて、腹話術師のお役に立てればそれで満足かもしれないけどな。意思伝達の手段は声だけじゃない。ノートに文字を書けるなら、勉強を教えてた時みたいに筆談をすればいいだけだろ。その方がよっぽど相手に自分の考えが伝わる。わざわざ君が代弁する必要なんてないはずだ。姉に良いところを見せたくて出しゃばっただけじゃないのか?」


「それ……は……」


 ……違う、と言い切る自信はない。いずれにせよ、このやり方を提案したのは自分なのだから。


「それともやっぱり腹話術師だから、お人形が無いとまともに意思表示も出来ないのか?ほら、腹話術師さん、そこのお人形を使って何か言い返してみろよ?愛しいお人形が虐められて腹が立つだろ?バカにされて悔しいだろ?王族の言葉遣いじゃないって俺を怒鳴りたいよなあ?ならご自慢のお人形さんを操って、いつも通り堂々と、()()()()()()()()()()()()叫ばせてやれよ。昔みたいに受けて立ってやるからさ」


 いつもの姉さんとは比較にならないほどの悪意と棘を有した言葉は、それでも姉を動かさなかった。姉は顔を赤くして目に涙を浮かべたまま、強く握りしめた両手を振るわせたままだ。何も言い返せない……というより、敢えて反論を飲み込んでいるようにも見える。今はそうすべきだと信じているかのように。


「……そうだろうな。大事な弟の口に毒棘を着けたくはないだろう。君は昔から弟思いの優しい女の子だったもんな」


 第三王子が深い溜息をつく。そんな他愛のない一挙手一投足が、何故か僕の心を寒からしめ、痛みを与えてきた。あまりにも痛みが激しすぎて、彼の目を直視出来ない。


「そこを理解できてて、どうしてこんなことをしてるんだよ?()()の言葉遣いは確かにすこぶる悪いが、少なくとも叫ぶ時はいつもその人の為だっただろ。間違ってる部分を大声で指摘して、それを正そうとしてきたんだよな?正直に言うと、()()これでも結構お前のことを尊敬リスペクトしてたんだぞ?言い難いことをあそこまで堂々と忠告出来る人は、そういないことを祖国で知ったからな」


 だがこの言葉には、流石の僕も顔を上げざるを得なかった。相変わらず傲慢不遜な表情だが、目は冷たくなかった。認めたくはなかったが、姉の本質に当たる一部分を、この人は確かに理解している。姉の喧嘩相手に過ぎなかったはずの、この人が。


「だけどそれがうまくいかないからって、肉親に代弁させるのは卑怯者のすることだ。正論と言うものは人を傷付けることもあるし、時には取っ組み合いになることもある……というのは、お前が一番よく知ってるだろ?そんなお前が弟を盾にして、まさか取っ組み合いまで弟にさせるつもりじゃないだろうな?正論で物事を正したいなら、直接お前の口から言えよ。口が駄目ならお前自身が書いた文字や魔法を使え。()()()()()()()()()()()使()()()()()


 話は終わりだとばかり歩き出した第三王子は、僕らの横を通り過ぎる時に――


「――なんてな。仮病もその辺にしとけよ、パメラ。うるさく小言を言うのは本来お前の役目だろ」


 そう言い残して、ニヤリと不敵に笑いながら去っていった。




 姉は恥じ入るように、顔を赤くしたまま震えている。だが、僕の身体もまた恐怖で震えていた。もしかしたらあの人は、最初から全てを見透かしていたのではないか?


 あるいは誰も指摘しないだけで、他の人も姉さんの声が出ない理由を……僕が隣に立っている理由を分かっているんじゃないのか?もしそうだとしたら、姉は皆からどう映っているのだ。やはり、卑怯者であるように映っているのだろうか。


 僕は絶望に近い危機感を覚えていた。確かに今までは上手く行っていたように見えていた。だが、良かれと思って提案した手が、却って姉の名誉を傷付けていたのかもしれない。このまま続けたとしても、本当の意味で姉を救うことにはならないのではないか。


(……ギスラン。もう、やめにしましょう。屋敷に帰ったら、すぐに沈黙魔法を解いて頂戴。私の欠点は、やっぱり、私自身が努力して直さないといけなかったんだわ……)


 ――そんなことは僕なんかよりも、姉が一番良くわかっているに違いなかった。




 --------

 今日は久しぶりにジブリール様と一緒に昼食を食べている。転校したての頃は他の男子からチヤホヤしてもらえてたのに、今となってはジブリール様くらいしか付き合って頂けない。隠しキャラっぽいギスラン様は常に悪役令嬢っぽい人の傍から離れないし、二周目限定ルートのエーベルハルト様は女性と一緒に過ごそうとしない。やっぱり、まだ一周目っぽいからかな。


「セレスト。最近はパメラから何もされてはいないか?」


「あ、はい、ジブリール様!ジブリール様のおかげでとても平和に過ごせています!」


「そうか。それは何よりだな」


 折角前世の記憶を取り戻してこのゲームの攻略情報を思い出したというのに、主人公イザベラじゃないせいなのか全然攻略が捗らないなあ……悪役令嬢役も、何故かマリアンヌじゃなくてパメラさんみたいだし。色々噛み合ってないのよね。


 唯一上手く行ってそうなのはこのジブリール様くらいなもので、他の攻略キャラからは適当にあしらわれてるっぽいし。


 うーん、このままジブリール様ルートでもいいけど……なんかこの人って転生する前と比べて違和感があるというか、どこか胡散臭いのよね……。


「セレスト。実はパメラとの婚約を破棄したいと思っているんだ」


「えっ!?」


 婚約者との婚約破棄スチル!?で、でもまだそんなに好感度高くなってない気がするんだけど!?それに、まだ卒業まで期間がある。あのスチルは卒業パーティーで発生するはずなのに、どうして!?


「俺がもっと幸せな結婚生活を送るためには、パメラとの婚約破棄が不可欠なんだ。協力してくれるかい、セレスト?」


 もしかして、私が知らないルートがまだあったの?正規ルートではジブリール様の意思で婚約を破棄して、ヒロインに電撃告白するはずなのに。……でももしこれが上手く行けば、ジブリール様ルートのエンディングに向かうことはほぼ間違いないと思う。他の攻略ルートも見込み無いし、一周目はジブリール様で良いかな?


「……はい!なんでもおっしゃってください!」


「ふっ……ありがとう。では、まずは――」




 この日のことを、私はずっと後悔し続けることになる。




 --------

 第三王子と接触したの日の放課後。下校しようとする生徒たちが廊下に何人もいる中で、それは起こった。


「きゃあ!」


 あの女が僕らとすれ違う際に転倒したのだ。


「どうした、セレスト!?パメラのやつに足を掛けられたのか!!パメラ、君というやつは!!」


「えっ!?えっ、そんな……!?」


 当然、何のことかわからない姉さんは、何も言い返せずに首を横に振るばかりだった。僕にも何が起こったのかわからなくて困惑するばかりだ。あろうことか、転んだ本人さえも混乱しているように見える。


「失礼ですがジブリール殿。姉は窓際を歩いており、セレスト嬢に足を掛けることなど出来ません。恐らく僕の脚が当たってしまったのでしょう。大変申し訳ございませんでした、セレスト嬢。お怪我はございませんか?」


「は、はい、大丈夫です!そんな、私はそんなつもりじゃ――」


「やめろ!!セレストが怯えているじゃないか!!」


 もしやこの女は……初めから姉を周囲に誤解させるために動いていたのか?……いや、違うな。今回のはあまりにもやり方が稚拙だし、どうも本当に戸惑っているように見える。まさか、この子は無理矢理やらされたのか?


 ということは、仕掛けたのは……婚約者ジブリール殿か。


「ええい、パメラ!声が出せないならと、今度は弟を利用してまでセレストを虐げるのか!毒舌は隠せても、本性は汚れ歪んだままらしいな!……もう我慢ならん!!君との婚約を破棄することをここに宣言する!!卒業後の身の振り方でも考えておくがいい!!」


 無茶苦茶な言い掛かりだ。殊更大きな声で怒鳴り散らしているのは、僕達に対する怒りからではなく、周囲にアピールするためだろう。


 姉はまだ声を出せない。事情を詳しく知らない人の中には、何も言い返せないように見えてしまうかもしれない。堂々たるジブリールの言い分をまず信じようとしてしまう人もいるだろう。声の大きさだけで物事を判断する浅慮な人間は、少なからずいる。


「ジブリール殿、それはあまりに乱暴な物言いです。姉は本当に何も――」


「お前には聞いていないぞギスラン!だが乱暴な物言いと言えばお前の姉の方だろうな!もし今声を発することが出来たなら、聞くに堪えない戯言を叫び散らしていただろうよ!このままこの女と結婚していれば、一生その毒舌と付き合うことになっていたかと思うとゾッとするわ!何がストレスだ!!そのまま死ぬまで黙っているがいい!!」


 婚約破棄の正当性をアピールするために……姉を無理矢理悪役に仕立て上げるために、そこまで言えるのか……!?


 まさかこの男は、姉の毒舌を問題視していたのではなく、それを婚約破棄の理由にしたかっただけだったのか。つまり仮に姉の毒舌が改善されたところで、この男が姉を愛することは永遠に無い。


 姉は、あなたにも認めてもらおうとしていたというのに……!!


 好き放題言った男は、転んだばかりのセレスト嬢の手を引きながら去っていった。集まっていた生徒たちも次々と退散していく。その目には姉に対する不審の目が確かに混ざっていた。




(ギスラン)


 誰もいなくなった廊下で、姉さんの小さな声が僕の鼓膜を打った。その響きに、僕の背筋が凍りつく。この感覚を味わうのはいつぶりだ。


(行くわよ)


「…………はい」


 あの男は何もわかっていない。姉が本当に怒った時とは、うるさく叫んでいる時ではない。冷たい瞳で端的に話す時だ。特に自分自身が許せなくなった時こそ恐ろしい。




自分を罰することに、躊躇しなくなるからだ。




 --------

「あそこまで言う必要があったのですか、ジブリール様!?それに、転ぶフリをするだけで良いって言ったじゃないですか!!まるで転ばされたみたいに演出するなんて!!」


「あれくらい言わないと彼女には響かない。それに今やらなくとも、いずれ彼女は同じことを君にやっていただろう。多少それが早まったところで何の問題もない」


「話が違います!!転んだふりをして、パメラ様達が助けないところを破棄の決め手にするって言ったじゃないですか!!それに今のパメラ様は声が出せないのですよ!?あんな大きな声で責め立てたらパメラ様が悪女のような印象を与えられてしまいます!あんなやり方は酷すぎます!!」


 私は例の二人が、というより女の方の様子がおかしいのが気になって後をつけていた。空き教室で何を揉めてるのかと思えば……そういうことか。


「私、こんなやり方でパメラ様たちの名誉を傷付けるつもりはありません!今すぐに謝ってきます!!」


「ほう?随分と大きな声が出るものだ。つまり君は、今までやれば出来ることをせずに、俺の同情と関心を引くためにわざと小さな声を出していたのだな?向こうも突然大きな声で謝罪する君を見たら、さぞ驚くだろうなあ?果たして嘘つきの謝罪を、彼女達が受け入れるかどうか……」


「そ、それは……!」


「既に君は共犯者なんだよ、セレスト・マンデス男爵令嬢。安心しろ、俺が幸せな結婚生活を送るために必要なことだったのは本当だ。後悔はさせないさ」


 男の邪悪な笑みとは裏腹に、既に女の方は後悔しているように見える。……馬鹿な奴らだな。特に男の方は救いがなさすぎる。


 しかもタイミングが最悪だ。よりにもよって、私がパメラの仮病を止めるよう言ったその日に決行するとは。せめて明日であれば、また違う結果になったはずだろうに……これではパメラのやつ、思い詰めてしまうんじゃないか?暴走して退学届くらいは余裕で出しそうな気がする。




『よせって!あそこのじいさんは貴族令嬢相手でも顔をひっぱたく頑固おやじだぞ!?逃げればバレないって!』


『いやよ!私のかばんがおじいさんの鉢植えを壊したのは事実だわ!私はころされてでもあやまるわよ!』


『〜〜〜っ、ああもう!わかったよ!しかたないからおれが半分受けてやる!さっさといって叱られていくぞ!』




 やると決めたら絶対にやるやつなんだよなぁ……私が暴走を止めようとしても、たぶん聞かないだろう。ここで婚約者の悪事を暴いたところで、「そうさせたのも私ですわ」とでも言って聞かないだろうな。


 なら、まずは最悪を想定して動くとしようじゃないか。それ以外の動きなら、その後で考えれば間に合うだろうから。


 それにもしかしたら、その方が私にとっては都合がいいかも知れないしな。


「………ジブリール様、こんなこと私が言えることではありませんが……あなたは、最低です!!」


「褒め言葉だと思っておこう」


 仲のよろしいことだ。精々気が済むまでやっていればいい。さあ急ごう。時間は有限だ。




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「ごめんなさい、ギスラン」


 屋敷に着いて自室に入った途端、姉は僕に深く頭を下げた。あまりの光景に、僕は失神するかと思ったほどだ。


「私、誰かが私の気持ちを代わりに言ってくれれば、きっと色々うまくいくんだと勘違いしていたわ。でも、そうじゃなかった。感じた不満は口にしないと伝わらない。弁明を人任せにしたところで何も解決しないのよ。そして結局、貴方を私のトラブルに巻き込んでしまったわ……」


「姉さん、それは違う!僕が悪いんだ!僕が余計なことをしたばかりに!」


 足が、背中が、手が、あまりに深い絶望感と後悔で震えている。


「僕のせいだ……!僕がもっとうまくやっていれば、姉さんを傷付けることなんて無かったのに!」


「いえ、違うわ。あなたはとても頑張ってくれた。私の代わりにたくさん傷付いてくれたじゃない。でも、そもそも嘘をついて自分の欠点を隠そうとした時点で、私は皆を裏切っていたのよ。……エヴィンの言ってたとおり、私は卑怯者だわ」


「そんな、姉さん……!」


「両親と先生、そしてクラスメートの皆に全てを告白しましょう。私は退学するつもりだけども、あなたは無理矢理やらされた事にすれば罪に問われないはずよ。私の分も、ちゃんと勉強して頂戴ね」


 僕は……なんてことをしてしまったんだ……!浅はかな思いつきで、姉の未来を奪ってしまった……!




『みんな!どうしてにげるの!?わたしはおこってないわ!!みんな、まって!!おいていかないでよぉ!!』




 僕は……僕はただ、姉さんがもう泣かなくて良いようにしたかっただけだったのに!!


「ねえ、ギスラン。一つだけ私と約束して頂戴。私は退学になると同時に、きっと勘当されるわ。でも、両親と自分を責めないで。私は自分の頭で考えて、選んで、失敗したの。自分の意思でこの結果を選んだのよ。絶対に後悔なんてしないから……私の分も、絶対に幸せになってね……!」


 ごめん……ごめんなさい、姉さん……!!




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 次の日、姉は僕の沈黙魔法サイレントヴォイスを解除した状態で、学園長と担当教諭に背景と理由を説明した。当然学園長は怒り、普段温厚な担当教諭もすごく怒った。ただ嘘の目的が悪事ではなかったことと、学園とクラスメートに心から謝罪したいという姉の気持ちを知った二人は、憤慨しつつも退学まではさせないつもりだったという。


「クレマンティ君。君の嘘は、とても多くの人を心配させたし、あまりに利己的だ。だから誠心誠意謝ったところで数週間の停学処分は免れないが、退学に値する程の悪事とは考えていない。君がそこまで反省しているのなら、これからは心を入れ替えて、改めてこの学園で学ぶつもりはないか?その方が君にとっても、皆に対して責任を取る道になると思うのだが」


「学園長……お心遣いはとても嬉しいのですが、既に両親からは勘当を申し伝えられています。停学が明けたとしても、この学園に通うことは叶わないでしょう。どうか、この退学届をお受け取りください」


「……君を失うのは実に惜しいよ、クレマンティ君。この学園で学んだことを、是非社会で活かしてくれ。君になら出来るはずだ。では、学園を出る前にクラスメートに挨拶してきたまえ」


 そして、ついに姉は先生と僕を伴って教壇に立った。クラスメートに最後の別れを告げるために。




「私は皆さんに嘘をついていました。私はストレスによって声が出なかったのではありません。弟に頼み込んで、自ら声を封じていたのです。何故なら私は、自分の言葉遣いの到らない部分を、弟の口を利用して払ってもらい、皆さんを傷付けないようにすることで好かれようとしたからです。皆さんに嫌われたくなくて、皆さんを騙していたんです」


 教室中がざわめき、様々な表情が浮かんだ。困惑、驚愕、そして……軽蔑。そのすべての表情を、凛とした表情で受け止める姉の姿は、今まで見たものの中で最も晴れやかなものだった。


「ですが、私はここ数週間で気付きました。自分が正しいと思うことは、誰かに言わせるのではなく、自分の口から言うべきだということを。そうしなければ、これまで私の弟が証明したように、代わりに話した人間が矢面に立って傷付くのです。私は……大事な弟を利用しました。弟を盾として使って傷付けた、最低な姉です。皆さんにご迷惑をお掛けして……これまで酷い事ばかり言って、本当に……申し訳ございませんでした」


 深々と頭を下げる姉に対し、向けられた目線の多くは冷たいものだった。そして僕に対しては同情的な目線ばかりが集まる。なんてかわいそうな弟だろう。ギスラン君こそが本当の被害者だと、そんなあまりにも雄弁な瞳が向けられてきた。




 こんなの、僕に耐えられるわけないじゃないか、姉さん。




「…………違います!!僕が悪いんです!!僕が姉に代弁者になることを提案したんです!!姉は悪くありません!!全部僕が提案してやらせたことなんです!!」


「ギスラン!?や、やめなさい!!」


「上級生の皆さん!!本当に……本当に申し訳ございません!!こんな不出来な弟のために姉は、勘当されてしまいました!!一人で退学届を出したことだって、全部僕を守るためです!!だけど、本当に愚かで罪深いのは、僕なんです!!姉は僕の被害者なんです!!僕が一番最低なんです!!だから……だから!!」


 胸に閉まっていた封筒を、僕は教壇に叩きつけた。


「……僕も退学して、姉とともに学園を出ていきます!!僕にはもう、皆さんと同じ学園で学ぶ資格はありません!!」


 その封筒は、退学届であることを表す赤い色をしている。




 --------

 まだ昼前という時間に学園の門をくぐるのは、これが初めてだ。そしてもちろん、これが最後となる。僕が自主退学したことは、当然学園からクレマンティ家に伝えられるだろう。そしたら僕も、晴れて勘当される身だ。


 なら、別に屋敷に帰る必要もないだろう。行く当てのない姉とともに、僕も旅立つことにした。


「どうしてこんなことをしたのよ、ギスラン……!こんなことをしたって無益だわ!誰も幸せにならないじゃない!!」


「うん。だけど、姉さんを焚き付けておいて、僕だけが幸せになるなんて、そんな事できるわけないでしょ。僕は共犯者なんだからさ」


「ギスラン……本当に、なんて、馬鹿な子なの……!」


 僕は本当に不出来な弟だ。結局、今日まで姉を悲しませてばかりじゃないか。だけど今度こそ間違えない。絶対に姉の幸せを守ってみせる。たとえ僕の身を削ってでもだ。


「さて、じゃあ姉さん。着のみ着のままで世間体も悪いことだし、まずは隣国に向かおうか。僕らの年齢でも、きっと冒険者にだったら――」


「ツレナイ人達だな。私に挨拶も無しに旅立つ気かい?」


 後ろを振り向くと、そこには例の第三王子が立っていた。何故か制服ではなく、隣国の礼服を着用している。……そういえば、この人はあの教室にいなかった気がするな。


「エヴィン……いえ、殿下、大変失礼致しました。しかし、我々はもう貴族ですらない、中途退学者です。殿下に拝謁する資格はございません」


 極々当たり前のことながら、僕と姉は深々と頭を下げて応対した。が、その様子を見たサランジェ第三王子は憤慨して、言葉遣いを悪い方へと改めた。


「はあ?拝謁?()鹿()()()()()。俺はそこの腑抜けに喧嘩を売りに来たんだよ。喧嘩友達としてな」


「え……わ、私に?」


 そう言うと、彼は堂々たる姿で姉の前へと歩みだした。初等部では同じくらいだった背丈が、今は並ぶと頭一つ分、第三王子の方が高い。


「お前、自分のことを最低な女だと思ってるな。弟を使ってクラスメートを騙して、甘い汁だけを吸おうとした寄生虫みたいな人間だと、どうせそんな風に考えてるんだろう?」


 姉もその様子を見て、敢えて態度を崩した。


「実際にその通りでしょ。弁解の余地はないわ。それに私には……もうあの学園にも、伯爵家にも居場所はないの。寄生虫らしく、他国という新たな宿主を探すことにするわよ」


「まあ、それもその通りだな。流石に自分をよくわかっている。俺から指摘する手間が省けたよ」


 卑屈になっている姉に対し、エヴィンである彼は容赦しない。温かな目を向けたまま、しかし否定はしなかった。


「で、そんな最低の寄生虫共の就職先は決まっているのか?金もないのに夕飯は何を食うつもりだ?野宿するための道具はどこだ?明日の予定は?」


「そ、それは……」


 ……そして実に痛いところを突く。僕にせよ姉にせよ、戦闘能力はそれなりにあるはずだが、サバイバル能力に優れているかと聞かれれば首を傾げる他ない。できることといえば魚釣りくらいしか思い至らないが、そもそも釣り竿さえないのだ。こんな有様で無事に隣国へ辿り着けるかどうかは、正直運次第だろう。


「そんなお前に朗報だ、パメラ。お前を今すぐ雇用したいという物好きなやつがいる」


「は?私を?……冗談はやめてよ、そんな気分じゃないわ」


「冗談ではない。そいつは最近祖国からこの国の学園に転校したんだが、かねてより信頼できる臣下を確保出来なくて悩んでいたんだ。祖国には知己が少なくてな。特に率直に物を言い合えて、一切の遠慮がなく、それなりに聡明で、同年代の若い人材が欲しかった。ついでに言えば、今まで恋人を作ったこともないから女心もわからないので、女であることが望ましい」


 ……これはまた、露骨なアプローチがあったものだ。まさか、転校してきたのもそれが目的じゃなかろうな。


「それはそれは、随分と残念な殿方がいたものだわ。でも私がその求人に応募する資格はありそうね。……で、仕事の内容は何よ?」


「道化師をやってもらう」


芸人ピエロをやれって言うの?芸らしい芸は出来ないわよ?」


「いや、君にはピエロではなく、次代の宮廷道化師ジェスターを任せたい」


 彼は表情を一変させた。凛として覇気があり、未来の王としての威厳すら感じさせる。そして口調もまた、王族のそれへと戻っていた。


()は祖国へ帰ったら帝王学を学び、いずれ国王として立つことになる。その時、王の不興を買う事を恐れずに、率直な意見や批判を言える人間が必ず必要になる。君も知ってるだろうが、私は行動力はあるつもりだが視野が狭く、かなり強く言われないと物事の道理が分からない時があるからな」


「だから姉さん……姉上をブレーキ役として傍に置いておきたいということですか」


「そういうことだ」


 そう言ってエーベルハルト殿下は、姉の腰に手を回して自分の方へ引き寄せた。姉も突然のことに驚いたのか、顔が真っ赤になっている。随分と近い。い、いや、近すぎるだろ……!?鼻が触れそうだぞ!?


「ちょっと、エヴィン!?殿下!?」


「それに君がいない日々はつまらなくていけない。一緒に来い、パメラ・クレマンティ。私と毎日喧嘩しながら、サランジェ王国をより豊かにしていこうじゃないか」


 ……これは果たして登用と言えるのだろうか。殆ど愛の告白ではないか。姉の周りには、かなり癖のある殿方ばかりが集まる傾向にあるようだな。


「……一つだけ殿下の誤解を訂正いたします」


「なんだ?」


「殿下は不興を買うことを恐れない部下を求めておいでですが、私はそんな強い人間ではありません。言葉で人を傷付けておきながら、人から嫌われたくない弱い人間なのです。幼い頃もずっとそれで泣いてました。そんな私ではんむぅっ!?」


 おいっ!?


「…………俺は絶対にお前を嫌いにならん。さあ、返事を聞かせろ」


「……全く、強引でわがままな所は昔から変わってないのね。承知しましたわ、殿下。どうか私を殿下の思うままにお使いくださいませ」


「ああ、存分に活用させてもらう。ところで、先程は芸人として雇う訳ではないとは言ったが、一応宮廷道化師である以上は一芸が必要だ。何か出来ることはあるか?」


「腹話術でしたら得意です」


 ……いや、唇を奪われておいて平然としているというのは、どういう神経をしているんだ!?なるほど、僕も僕で一つ大きな誤解をしていたらしい。姉が癖の強い人間を集めているのではない。


 そもそも姉が一番、癖が強いのだ。


「そうか。ではそこの上質な人形も持参するが良い。良い腹話術を期待しているぞ、パメラ、ギスラン」


「はい、殿下」


「……ぎ、御意っ」


 こうして僕達は、学園を退学してから数分で、隣国の宮廷道化師見習いとして登用されることとなった。これも姉の舌禍が招いた結果であると考えても良いのだろうか……?




 --------

 殿下が住んでいる屋敷で数日間居候をさせて頂いた後、隣国サランジェより迎えの馬車がやってきた。あまりにも手際が良すぎるが、もしかしたら本当に初めから姉を登用するつもりだったのかもしれない。まだあの男と婚約していたらどうするつもりだったのだろう。


 馬車には僕と姉、そして何故か登校中であるはずのエーベルハルト殿下も乗り込み、隣国へと旅立つことになった。


「殿下、学園はどうなされたのですか?」


「あの日に退学している。本来の目的は果たしたからな」


 本気マジで言ってるのか、この人は。


「一日に3人も自主退学するなんて、前代未聞ですわね。特に最後の一人がよろしくありませんわ。どっかの誰かさんみたいに勘当されますわよ?」


「誰かさんと一緒にするな。あそこでは教材のレベルが低すぎて、祖国で学んだ方がマシと判断したまでだ。それと二人共、他に臣下がいない時なら敬語は不要だ。俺もお前達と話す時は言葉を崩す。その方が話しやすいだろ」


「あらそう?なら遠慮なくそうさせてもらうわ。ね、ギスラン?」


「え!?ぜ、善処します……」


 とてもではないが、このお方に敬語を外す気にはなれない。色んな意味で。




 3人の不良少年少女を乗せて、いざ出立という時だった。外から何やら物音が聞こえてくる。……女の子の声?


「お待ち下さい、殿下!パメラ様!ギスラン様ぁ!」


「何だお前は!?早く取り押さえろ!!」


 馬車の外が騒がしい。それを聞いた殿下と姉は、自ら馬車の扉を開けて降り立った。僕もそれに続いて降りてみると、そこには見覚えのある少女が拘束されていた。……セレスト嬢、か?


「離してやれ。その者はパメラのクラスメートだ。……で、何の用かな?セレスト・マンデス男爵令嬢」


「あの!私、パメラ様に謝らなきゃいけないことがあるんです!」


「私に?」


 こんな声だっただろうかと首を傾げそうになったが、すぐに合点がいった。声量が違うのだ。あの蚊の鳴くような声だった女と同じ声とは思えない程、その声はよく通っている。


「私はいつもわざと声を小さくして、パメラ様に怒られながらジブリール様の興味を引こうとしていたんです!ジブリール様がパメラ様のご婚約者であることを知っていながら、あの人から好かれようと演技をしていたんです!!でも、それは間違ってました……人の婚約者を奪うなんて考えちゃいけなかった……!あの転んだ日だって、パメラ様の名誉を傷付けるつもりなんてなかったんです!本当に、申し訳ございませんでした!!」


 ……驚いた。これがあの女なのか?いつもの芝居がかったような、鼻につく立ち振る舞いがない。この後に及んで誠実な演技をする理由もないし、もしや本気で申し訳ないと思っているのか。


 姉の方をちらりと見ると……こっちはこっちで、ここ数日で何度目かわからない衝撃を受けた。


「出せるじゃない、大きくてよく通る声が。綺麗な声だわ。その方があなたには似合ってるわよ」


 信じられない……あの姉が優しく微笑んでいる。本当に心から嬉しそうに。


「パメラ……様……!?」


「自ら非を認めて、嘘をつかずに誤りを正そうとするあなたなら、きっと私よりも立派な淑女になれるわ。私も向こうで頑張るから、いつかまた会いましょうね」


「は……はい!あっ、あの、皆からお手紙を預かってます!馬車の中で読んでもらえますか?」


「まあ!レアさんにエリザベートさん、それにアリスさんまで!ありがとう、セレスト!皆にもよろしく伝えておいて頂戴!」


「はい、わかりました!では……いってらっしゃいませ!パメラ様!ギスラン様!殿下!」


 セレスト嬢は泣き笑いのまま、僕達の馬車が見えなくなるまで手を振り続けた。まさか、あの女からこんなにも晴れやかな気分を貰えるとは思わなかったな。


 ……セレスト・マンデス……か。僕も少しだけ、再会するのが楽しみになってきた。


「彼女に出立の時刻を教えたのは殿下ですか」


「ご明察だ、ギスラン。まあ実は教えるつもりなんか無かったんだがな。ちょっと面白い物を見せてもらえたから、褒美のつもりで教えてやったのさ」


「面白い物……ですか?」


「ああ。君達を私の屋敷に送った後、私もすぐに退学届を持って学園に向かったのさ。そしたら授業中のはずなのに、教室が妙に騒がしくてな?――」




 --------

 一体何事かと思って覗き込んでみたら、あのセレストとジブリールが教室の真ん中で対峙していたんだ。


「ジブリール様!私は今まであなたに好かれようとして、なりふり構わず演技をしてきました!ですがそれも今日までです!」


「な、何を言っているんだセレスト……静かにするんだ。授業中だぞ?」


「いいえ、黙りません!ジブリール様はパメラ様と婚約を破棄するために、私にパメラ様の前で転ばせたんです!私はパメラ様に転ばされてなんかいません!あの時、私はジブリール様に背中から突き飛ばされたんです!」


 ジブリールの狼狽する顔を二人にも見せてやりたかったよ。なんせ普段声が小さくて聞こえないほどのセレストが、あの立派な声量で糾弾を始めたんだからな。あれはなかなか様になってたよ。


「それにパメラ様は私に対して、いつも当たり前のことしか言っていませんでした!確かに強い言葉でちょっと傷付くこともあったけど、指摘の内容はいつも正しかった!パメラ様は私をいじめてたんじゃありません!心配してくれていただけなんです!」


 しかも普段と違って媚びる様子も無いから、周りも事実なんじゃないかと信じ始めていたんだ。実際にギスランが代弁者を務めてからはそういったトラブルも減っていたようだし、当人たちが自主退学してその場にいなかったことで、パメラの発言を冷静に振り返ることが出来てたのも大きいかもな。


 教室の空気が明らかに変わった。でも、ジブリールのやつは諦めなかった。流石は貴族の息子だけあって、根性だけは据わってたみたいだな。


「……ふん、俺の寵愛を受けられなくなったからと言って、今度は作り話で俺の名誉まで傷付ける気か。本当にお前という女は救いようのない嘘つきだな。反吐が出る」


「反吐が出そうなのは俺の方だ、ゲス野郎が」


 ただ、ジブリールの悪辣っぷりに私のほうが我慢できなくなってな。ちょっと王家特権を使わせてもらった。


「で、殿下!?」


「良かったなセレスト嬢。君は実に運がいい。あの日、君の様子がおかしいと思った俺は、こっそり後をつけていたのさ。そして空き教室での会話も聞かせてもらっていたんだ」


「……それがどうしたのですか?いくら殿下とはいえ、証言だけではなんの証拠能力もありませんよ」


 ジブリールのやつは、ビビりつつも強気だった。まあ、言ってることは間違っていない。ただ高級貴族なら常識であるものを知らなかったんだ。


「馬鹿か貴様?第三王子である俺には、安全確保のために動向を記録する、影の記録部隊が見えない所から常に張り付いているんだよ。ここの第一王子にだって付いてるはずだろ?」


「影の記録部隊……?」


「そんなことも知らないのか?よほど自分の利益しか見てないのだな。つまり俺は、飯を食ってようが風呂に入ってようが、常に監視されてるってことだよ。そして学園で何を見聞きしたかも全て記録されている。公的で、裁判にも使える資料として、全てな」


「な……に……!?」


「どれ、ではその記録とやらを少し見せてやろう」


 ジブリールのやつがまともに話せたのはここまでだった。俺は影から一時的に借りていた記録をこれみよがしに読み上げてやったんだ。パメラの印象をより悪くしていた、あの転倒劇の真相を知った彼らは、一斉に非難の目を向けていたよ。


「――とまあ、これがあの日の教室で話していた内容だ。いつ見ても吐きそうな内容だな。どうだ、記憶とどこか違うところはあるか?」


「……あ……い……」


「一字一句同じだろう?……もしセレスト嬢に何かつまらないことを起こしてみろ。お前の人生をもっとつまらないものにしてやるからな。まあ……学園生活の方は、もうつまらないものになってそうだが」


 ジブリールのやつは顔面蒼白のまま、パクパクと口を動かすばかりだったよ。ある意味あの男が見せた、一番面白い顔だったかもな。


「では、私は失礼する。学園長に()()()()()をした後で、クレマンティ姉弟を隣国サランジェへ送る準備をしなくてはならないからな」


 なかなか悪くない気分で教室を出ようとしたところで、あのセレスト嬢が走り寄ってきたのさ。




「パメラ様達がサランジェへ……!?あの、お待ち下さい殿下!あの方々はいつご出立されるのですか!?」




 で、今に至るってわけだ。




 --------

「あの時、セレスト嬢が"目が覚めた、もうゲームとは思わない"とか言ってたのが印象的だったな。意味はよく分からなかったが、これだけはわかる。要するに、君たちの()()()()()()にも意味はあったってことさ。パメラの言葉を思い返す機会を作れたし、クラスメートの一部に一泡吹かせた。そして、パメラへ手紙を書いてくれる()()が出来た訳だ」


「友……人……!?」


「友人だろ?別れを惜しみ、時間を惜しまずに手紙を書いてくれるのは友人だけさ」


 姉の目から、大粒の涙が手紙の上に流れ落ちた。僕も少しだけ、涙が滲む。


「いい友人達だな」


「……そうね……!私……いい友人を持ったわ……!」


 僕らのやったことは、無駄じゃなかったんだ。




「さて、感動のエンディングを迎えてすっきりしたところで、未来に向けて話をしようじゃないか。強引に誘っておいて悪いが、今のサランジェは結構治安が悪いことは知っているか?」


 姉は化粧が崩れるのも気にせず、涙をぐっと手で拭った。その目には既に挑戦的な色で染まりつつある。


「奴隷の扱いがひどいらしいわね。奴隷商人が幅を利かせてて、騙し討ちみたいなやり方で、無理やり奴隷にするケースもあるらしいじゃない。特に、子供に対する扱いが雑と聞くわ」


「ほお、そこまで知ってるのか。よく勉強しているじゃないか」


 それはそうだろう。姉はあなたと喧嘩しながら別れたあの日から、あなたが帰っていった国がどんなところか、毎日必死になって調べ、知ろうとしていたのだから。


 全く、素直じゃない人達だ。


「正直言って今の国王では奴隷制度の改革は難しい。個人的癒着が酷すぎるのもあるが、奴隷そのものはまだ労働力として必要とされる部分もあって、一定の正当性がある。特に恩恵を受けている富裕層や高位貴族共が、使役に対する制限を付けることに渋っているんだ。だが、俺はなるべく早期に王位を継承してもらって、奴隷達の待遇改善に向けて動くつもりでいる。国王も既に十分、ご高齢だしな」


 父上と言わない辺りに、殿下のお気持ちが伺える。


「それならクローデル家とのパイプを持つといいわ。あそこの公爵は()()()()()()()()とやらを掲げて、奴隷解放に向けて法案づくりを進める実力派の名家よ。特にそこの長女は、変わり者だけど真面目で、気さくな人物だからすぐに話を繋いでくれると思うわ。尤も、早計にもあなたがすぐ退学したせいで、彼女には接触しにくくなったでしょうけど」


「どういう意味だ?」


 クローデル……?……あ、まさか!?


「マリアンヌ・フォン・クローデル公爵令嬢!?隣のクラスで毎日高笑いしてた、平民いじめを自称してる変わり者のご令嬢のことか!?」


「な、何!?そ、そういえば確かに毎日オーッホッホッとかいう奇声が聞こえていたが、ま、まさかあれがそうなのか!?」


「私から言わせれば、あれはいじめに見せかけた可愛がりだけどね。それにしても……馬鹿ねぇ……せめてあなたが退学届を出す前に、私に少しでも仕事内容に触れてくれてたら、自主退学する前に太いパイプを作れたかもしれないのに……」


 なんてことだ……まさか隣のクラスに、そんなキーパーソンがいるなんて思わないじゃないか……。


「いや、今からでも間に合うだろ!馬車を学園に向けさせろ!」


「無理よ。すでに私たちは退学した部外者だから、たとえ王族でも軽々に入れないわ。それにあの人の気持ちになってみなさいよ。勝手に中途退学しておいて、人脈欲しさに近付いてくるような卑しい人間と、お付き合いしたいと思う?学園の外で会ったとしても、良い印象は受けないでしょ?」


 そ、それは……確かに……。


「……殿下がブレーキ役を欲しがる理由がよくわかりました」


「ええ、私もよ。これからはしっかり手綱を握ってあげるから、安心なさい」


「……頼むわ、マジで」




 こうして意気消沈する殿下を()()()()()()、馬車はサランジェに向けて走っていった。


 後に僕達はマリアンヌ様と無事再会出来たのだが、何故かマリアンヌ様が卒業パーティー当日に婚約破棄と国外追放を食らっていたことで捜索に手間取り、結局僕達が旅立ってから数年という時間を要することになる。


 そしてその頃には、僕らも新人宮廷道化師として働いており、多くのトラブルや喜劇に巻き込まれることになるのだが……それはまた、別の話だ。




「ねえ、ギスラン」


「なんだい、姉さん?」


「きっとこれからも、私は舌禍を招くと思うわ。その時は……何が良くなかったのか、教えて頂戴。絶対に治してみせるから」


「ああ、もちろんだよ。僕がただのお人形じゃないってところをお見せしますよ、腹話術師さん?」




 ええ、頼りにしてるわね。私の自慢のお人形さん。


 そう言って微笑む姉は、今まで見てきた中で一番美しかった。




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マリアンヌ様のご活躍については、シリーズ作品にてどうぞ。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  姉弟仲がほんとに良い所。  まあ根が善良なふたりだからきっとついてきてくれる人も傍に寄ってきてくれる人も居るでしょうね。 [気になる点]  第3王子殿下のキャラクターは確かに少々くどい印…
[一言] 第3王子が気持ち悪い なんだこいつ なんかふと振り向いたら腕組みながらにやにや笑って立ってるおっさんを思わせる気持ち悪さ
2021/09/05 21:01 退会済み
管理
[良い点] 素敵な青春でした。
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