転生令嬢は現実を語る
過去の記憶がある人間を転生者と呼べばいいのだろうか。過去といっても私が持っている記憶の世界と、今いる世界は全くの別物。過去の記憶が有用だと思える部分はそれほど多くない。
「私一人だけとは限らないとは思っていたけれど」
一人いるのなら、二人いたとしても不思議じゃない。そんな気持ちを持っていたのは確かだけど、それがこんな面倒な事態になるなんて思いもしなかった。原因は私の目の前で息巻いている少女。
「何で誰も私に見向きもしないのよ!」
学園の近くにあるテラスで紅茶を飲みながら休憩していたら、いきなりこの子が突撃してきた。それこそ私が転生者じゃなければ意味不明な言動だと思われているでしょう。誰が悪役令嬢よ。
「コーグナー子爵令嬢ですね。貴女は目の前にいる私が誰なのか知っていますか?」
「悪役令嬢のアルエでしょ」
「違います。フォーリナー伯爵令嬢です。身分の差も分からないほど愚かなのですか?」
この学園に通う生徒は全員が貴族である。その為に年功序列ではなく、貴族階級がものをいう。上級生であろうとも、自分よりも身分の高いものには道を譲らないといけない。そんな面倒な決まりがある。それをガン無視している馬鹿が目の前の子。
「私はヒロインなのよ。それなのに相手役の殿下もギブスも、フォルン先生さえも構ってくれないとかどうなっているのよ」
「私の話を聞いていますか?」
「しかもあのいけ好かない性悪悪役令嬢が何で皆の憧れなのよ!」
誰が性悪よ。これでも人様に迷惑を掛けるような行動はそれほどしていないつもりよ。娘に激甘な父親に対してだけは厳しく接しているけど。あれは子供を駄目にする大人ね。早めに反抗期に入って良かったと思っているわ。
「貴女。この場で首を切られても文句を言えないわよ」
お気に入りのこの場所を血で汚したくはないからやらないけど。傍に控えている執事がそれこそ排除しようと動こうとしたのを止めたくらいよ。以前の世界と同じように動いたら、命を失う可能性は高いというのに。その自覚はないのかしら。
「ふん。私が死んだら、疑われるのは貴女よ」
「目撃者は大勢いますからね」
子爵令嬢が伯爵令嬢に対して暴言を吐いていたという目撃情報が。それで私がこの子の命を奪っても非難されることはない。それがこの世界では当たり前だから。まだ命があるのは私からの慈悲である。というか、そろそろ気づけ。
「はぁー。私も甘いですね。とりあえず、そちらに座りなさい。貴女に現実を教えてあげます」
いずれにせよ、この子は近い将来に命を落とす可能性が高い。過去の価値観は捨てないと、今は生きていけないのだから。何より、この子の所為で私は色々と愚痴を聞かされている羽目にもなっている。それを少しでも減らすために話すくらいはいいでしょう。
「現実って。ここは『サジタリウスの恋愛成就』という乙女ゲームの世界なのよ」
「聞いたこともありませんね」
むしろ、事情を知らない人間にそんなことを言ったところで頭の中身を疑われるのがオチ。ちなみに私はそのゲームをプレイしたことはない。彼女の言い分を信じるなら、私は悪役としてヒロインである彼女を害する存在なのだろう。ありきたりな展開だとしたらね。
「悪役令嬢がまともなパターンなんて一つしかないわ。貴女も転生者なのでしょう?」
「それが何を意味しているのか分かりません」
馬鹿正直にこちらの事情を話すと思っているのかな。貴族社会で自分の情報は大切なもの。貴族が通うこの学園は学び舎ではない。将来のコネを作る為、そして相手の弱みを握って有利な関係を作るのが目的とされている。ちゃんと勉強もしているけど。
「貴女はその乙女ゲームなるものを行動の指針にしているのですか?」
「そうよ。その通りに動けば、幸せな将来が約束されているのだから」
馬鹿なのかな。すでにその前提条件は崩れているというのに。私や彼女のようにキャラクターと入れ替わっている時点でそのゲーム知識は意味を成していない。だって、私達とゲームのキャラクターの性格は違うのよ。
「現実を見なさい。貴女とゲームのキャラクターでは根本的なものが違います」
「だって、私はヒロインなのよ」
「それで殿下の前で転んだフリをして、どうなりましたか?」
「隠れて見ていたなんて性格悪いわね。やっぱり悪役ぽさは滲み出るものなのかしら」
頬が引き攣りかけたが何とか我慢する。こちらはその殿下から愚痴を聞かされたのだというのに。ワザとらしく転んだ少女にまでどうして手を差し伸べないといけないのかと。
『それが王族たる者の務めです。見ぬふりをしてしまえば、冷たい人物だと思われてしまいます。ただでさえ、ここには多くの貴族がいるのですから悪い噂は極力抑えるべきです』
『その行動が相手に勘違いされる原因となっても?』
『下心のある方ならば、殿下が見抜けぬはずがありません。その場合の対処法は教え込まれていると思っているのですが?』
『君は本当に優しい言葉を掛けてくれないのだね』
『その代わりにこのように愚痴を聞いているのですよ。抱え込むくらいならば、私に話してください。それで殿下の心が少しでも軽くなればですが』
そんな会話だっただろうか。というか、今月だけで殿下の前で何人の女子生徒が転んだだろうか。話すきっかけを欲しての行動だろうけど、印象はマイナス方向に働いていると気づいていないのかな。
「殿下の貴女に対する第一印象は自身とコネを作りたくて、安易な方法を選んだ愚かな人物として認識されています」
「何でよ!」
「明らかにワザと転んだのが丸分かりだったらしいです」
演技が下手だったのもある。ゲームの人物だったのなら、本当に躓いて転んだのだろう。だけど、それを意識して行動した場合どうしたってワザとらしさが伝わってしまう。そんなのに好印象や、心配しようと思うだろうか。
「あとは手作りのお菓子を渡したところで無駄です。受け取りはしますが、その場で食す訳がありません」
「だから何で?」
「王族ですよ。毒見役もいないのにそんな安易な行動を取るはずがありません」
初対面の人物から受け取ったものを口に入れるわけがない。その中にどのようなものが仕込まれているのか分からないのだから。仮に目の前の人物が食べたとしてもだ。解毒剤を事前に服用、それか自身に影響のないものだって存在しているから。
「王族や高貴な方と繋がりを得たいのであれば、地道にコツコツと信頼を得るしかありません。特殊なイベントなんて簡単に起きるはずがありませんから」
私のように幼少期からの付き合いがあるのならば話は変わってくるけど。王族の相談役である父がいるのだから、殿下との付き合いだって自然と生まれる。最初は私の父に対する苛烈さに引いていたが、今では慣れたものである。誰が悪いのか分かっているからね。
「あと、生徒会に突撃するの止めてもらえますか。兄が嘆いておりましたので」
「手伝おうとしているのよ」
「それで計算間違いや、いらない行動をされた方は苦労が増えるのです」
唐突にやってきて仕事を手伝うと言われて、最初は兄も喜んでいた。生徒会は忙しいのに人手不足になり易いから。実際にやらせてみて後悔したらしい。完璧さを求めているわけではないけど、それでも間違いが多い。
『すまない、アルエ。手伝ってはくれないか?』
『兄様からそのような言葉を聞くなんて珍しいですね。唐突な案件でも発生しましたか?』
『新しくやってきた新入生が問題でな。手伝ってくれるのはいいが、私に引っ付いて離れない。幾ら答えても質問してくる』
『兄様。新入生に甘いのも結構ですが、厳しさがないと簡単に取り入れられると勘違いされますよ。役に立たないと思ったのなら、切り捨てるのも重要です』
『相変わらず厳しいな』
『家督を継ぐのであれば当然のことです。今のうちに経験を積んでおかないと分からないことは多いはず。その手助けとなれば喜んでお手伝いいたします』
そして私の放課後のティータイムの時間が削られてしまったのだ。その新入生を排除したことにより、生徒会の仕事はいつも通りに戻り、私もお茶を楽しめている。その問題児が目の前の子だろう。諦めずに突撃している行動力は半端ないわね。
「その行動力だけは褒めてあげます。それで優秀なら問題はないのだけれど」
「私は優秀よ。だって、未来の聖女様なのだから」
「何ですって?」
ちょっとその発言は聞き逃せないわね。聖女とは教会の象徴。悪しき災いを祓い、地に平和と安寧を与えると言われる存在。だからこそ軽はずみに自分が聖女だと発言すれば、教会に罰せられる可能性もある。ただ気になるのが彼女が転生者であるという点。もしかしたらの可能性がある。
「未来の王妃を狙っていて、聖女にもなりたいと?」
設定を盛り過ぎでは。それに聖女の仕事は王妃と兼任してやれるようなものではない。話を聞く限りでは相当に大変で辛いものであると。それがこの子に務まるとは思えない。
「ちなみに聖女はアイドルみたいなものじゃないですよ」
「えっ?」
「各地の巡回をしなければいけないのだけど、その旅路で魔物との遭遇率も多い。危険性も高いし、戻ってきたら陳情が山ほど溜まっているそうです」
そういえば聖女の愚痴も聞いていたわね。辛い、辞めたいと連呼していたけどそれでも職務を全うしているあたり根性あるわ。貴重な休みを寝て過ごして損した気分になるものだから、私を引っ張って街を散策するのが趣味となってしまっている。私も楽しいからいいのだけれど。
「この世界は貴女が考えているほど、甘い世界ではないのですよ」
「でも、ゲームだと幸せに暮らしたって」
「幸せの定義は人それぞれです。貴女にとって辛いことでも、ヒロインにとっては誰かと添い遂げ、苦労する日常でも満足できるものだったのでしょう」
過去の世界と比較してはならない。あちらほど便利な世界ではないし、危険はそこかしこにある。貴族社会では毒殺されることだって珍しくないし、それを捜査する機関だって汚職に塗れている場合だってある。本当に苦労ばかりよ。
「殿下や兄を諦めなさいとは言わないわ。それでも他に誰か、貴女のことを大切に思ってくれている人に目を向けるのも大事ですよ」
例えば、建物の陰からこちらを覗き見ている彼とか。明らかに不審者であろうとも、彼の視線の先にいるのは私ではなくこの子。心配で様子を見ているようだけど、今にも飛び出しそうなほどハラハラしているわね。
「ゲームと現実は違う。仮に本当にここが貴女の知っているゲームの世界だとして、貴女は心に蓋をして、私情も感情も捨ててヒロインになりきれますか?」
「そんなことできるわけないじゃない!」
「全く同じことをしようとするならば、その覚悟は必要です。行動一つ違うだけで、相手に与える印象は変わるのですから」
表情の変化だってそう。褒められたから安易に照れたり、喜んでも結果は変わってくる。褒められ慣れていないから泣いたりして、情緒不安定のように見せかけるのも手ではある。演技力一つで随分と行動に幅を持たせられる。
「それよりも本当の貴女を理解してくれている人物と結ばれる方が何倍も幸せだと思います」
ゲームの世界の始まりは学園に入学してからだろう。どこに生まれてからスタートするゲームがある。盛り上がりまでが長すぎるゲームなんて早々に飽きられてしまう。だから現実ではその過程で未来が違ってしまう。
「でも、ヒロインとしての魅力は惜しい」
「では一つ教授してあげます。この国での王妃の仕事は基本的に面談が多いです。法の整備や国の方針などを決めるのは陛下の役目ですが、王妃からも説得してくださいと言われる場合が多いです」
「えーと、それって常に仕事している感じ?」
「それだけではありません。陛下のサポート、そして親以外からも子供を作れと延々と言われ続けます。それに耐えられますか?」
後継ぎを作るのは王妃としての役目。もちろん側室がいるのであれば、そちらに頼ることもできる。だけど、先を越された場合は風当たりが強くなってしまう。正直、気が滅入る環境ではあるかな。
「うん。王妃は諦めるわ」
私の言葉に納得するあたり、彼女の過去は成人以上が確定しているかな。仕事の辛さを分かっているし、結婚しろ、孫の顔が見たいと親から言われ続ける苦痛も知っているみたい。
「聖女は更に辛いかもしれませんね。なにせ、常に出張がある仕事みたいですから」
「でも、馬車で移動とかじゃないの? あとは街で休憩とか豪勢な出迎えがあるとか」
「馬車での移動だって楽ではありません。硬い椅子に一日中座り続けるのは辛いですし、街についても巡礼の最中ですから節度ある行動を心掛けないといけません。休憩も基本的にないらしく、到着次第挨拶回りをするそうです」
この世界に労働基準法なんて存在していないから。一日の仕事が終われば寝れる。そして朝、目が覚めれば仕事が始まる。まだ実家の家督を継いでいる方が楽な部類だと思われるよ。
「私が想像していたのと違う」
「これが現実です。ちなみに私はこれらの話を本人達から聞かされています」
なぜ愚痴を聞かされ続けているのが不思議でならない。誰かに聞いてもらいたいのは分かるけど、その相手にどうして私を選ぶのかが全く分からない。相手のストレスは緩和されるだろうけど、私のストレスが溜まり続ける。
「現実はゲームほど甘くはありません。それは貴女だって理解しているはずです。ですから貴女らしく、これからの人生を送った方が幸せとなれるはずです」
「そ、そうね。演じ続けるのも疲れるものね」
演じ切れているようには見えないけどね。ヒロインとしての現状に耐えられなくて私に突撃してくるくらいだし。行動力は人一倍あるみたいだから、他の役目が彼女には合っている気がする。それが何なのかまでは考えが回らないけど。
「ほら、あちらで心配そうに見ている彼。貴女の知り合いでしょう」
「あっ、本当だ。ゲームだとただのモブだったのに、今だと小さい頃から一緒だったから演じる必要もないのよね」
「彼と結ばれるというのも選択肢の一つですよ。もしかしたら、貴女の望んでいる悠々自適な生活があるかもしれません」
確か彼は男爵家だったかな。領地を治めているから将来は安泰。王妃や聖女ほど忙しくないのは確か。彼女を心配してここまで来たのであれば、見込みもある。有望株だとは思うのだけれど。
「あー、うん。ちょっと考えてみようかな」
もし彼女が王妃などを諦めたとしたら、現実を受け入れたというよりも私の話でいかに大変なのかを理解したからだろう。理想よりも過酷なら、グレードを下げて楽な方に向かう。それも選択の一つではあるわね。
「あとはこちらの暗黙のルールをきちんと理解しなさい。そうしなければ投獄されるか、死ぬわよ」
「わ、分かったわ。忠告ありがとう」
「分かったのであれば、さっさと行ってください。あと、私とここで会ったことは内緒にして頂戴。面倒ごとは抱えたくない主義ですので」
子爵令嬢と付き合いがあるというよりも、私と彼女に繋がりがあると知られると彼女の方に人が寄ってくる可能性がある。私よりも彼女の方が危険なんだけど、気づいているのかな。そこは様子見を見ている彼に期待するしかない。
「さて、これで邪魔者は片付きました。ゆっくりとお茶を楽しみましょう」
「そうだね。これでゆっくりできるね」
彼女と彼を見送り、今日の面倒事は終わったと思っていたのだけれど、新たな来訪者がやってくるなんて。しかも、私の将来に関わる人物。そう、話に出ていた殿下の登場である。
「やっと子猫ちゃんと二人っきりになれたね」
「その子猫という表現は止めてくださいと何度も言っていますよね」
幼少からの付き合い、そして王妃とも親しい私は殿下の有力な婚約者候補として名を上げられている。彼女にも話した通り、王妃は常に忙しい。私だってそんな立場に立ちたくはない。それなのに、現状はこれである。
「目を離すとすぐに私から離れようとする君を子猫ちゃんと表現するは合っているはずだよ」
「別に殿下から距離を置こうとは思っておりません。ちゃんと話だって聞いているじゃないですか」
ただし、それ以外の場合では極力距離を置こうとは思っているけどさ。ジワジワと外堀を埋められているのは知っている。完全に埋め尽くされる前に私は王妃となる運命から逃れる算段を立てないといけない。
「それが難易度ナイトメア級なんですよね」
「子猫ちゃんは偶によく分からない単語を呟くね」
私もゲーマーであったのは否定しないからね。もちろんゲームと現実はちゃんと分けて考えている。現実は本当に無理ゲーの連続よ。さて、今日はどんな愚痴を聞かされるのかな。そして毎度思うことは同じ。
私にも愚痴が言える相手を与えてくれないかな。
ゲームに転生したらどうなるか。
私なりに考えて、疑問点を並べてみたらこうなりました。
スタート地点よりも前に行動を開始しているのですから、未来が変化していても不思議ではありません。
ただ、慣れないものを書くと凄い疲れるということだけが分かりました。