第3話 導き手
お待たせしました、第3話です!
遂にあの人の実力が明らかになります。
買い物を終えた恋たちは一度帰宅。荷物を片付け、運動着に着替えて水筒とタオルを持つと柊家が所有する道場の門を跨ぐ。
外から見ると劣化している箇所もちらほらと見受けられるが、入り口の戸を開けば中は思いのほかしっかりしている。道具が仕舞われている棚を見ても埃っぽさが無いのも、定期的に手入れされている証拠だった。
この道場は武道が出来る場所としても貴重なため、近隣学校の部活動などに貸して維持費を捻出しているらしい。もっとも、その多くも結局は龍玄の懐から出ているらしいのだが。
靴を脱ぎ裸足となった恋たちは道場へと続く戸を開けた。
「――来たか」
音か、それとも気配を察知したのか。瞑想していた龍玄は静かに面を上げる。
胴着を身を包み、床の上で正座する姿は老いなど微塵も感じさせない。鋭い眼光は見ただけで他人を委縮させてしまうほどの迫力があった。
だが、三人が狼狽えることは無い。その程度の気迫は慣れたものだ。
道場内を四周ほど駆け足で回り、充分な準備運動を済ませれば龍玄と視線が交わる。
「よし、構えろ恋」
「はいッ」
気合を入れる一声の後、地面に張られたテープで囲われた稽古場に脚を踏み入れる。
初期位置に立った両者の距離はおよそ三メートル。一見かなり離れているように見えるが、二度でも大きく踏み込めばそれだけで攻撃が届く間合いだ。
そして何より、相手は龍玄。これが例え一〇メートルと離れていたとしても油断など出来ようもないことを、恋は身を以て知っていた。
「それでは……試合開始ッ!」
号令役である桐花の声が、道場に嫌に響き続ける。
それも当然だろう。恋は拳を構えるのみでその場を動かず、龍玄もまた両腕を重力のまま垂らして留まっていたのだから。
号令の残響は既に消え、蝉時雨が鼓膜を打つ頃になっても両者は見合ったまま動き出さない。
――否、動き出せない。
(……やっぱり見えない、か)
恋が内心独り言つのは、龍玄に対する率直な評価だった。
越える壁としては遥か高く、霧濃い谷を眺めているような未知さ。脱力した姿勢は一見無謀にも思えるが、考えなくして一度踏み込んでしまえば瞬く間に刈り取られるだろう。
身体を極限まで脱力させることで全方位からの攻撃を迎撃する。型に当てはまらないその戦闘スタイルは、まさに桐花と同じだった。
いや、こう表現するべきだろう。桐花の戦い方が龍玄に似ている、と。
型が無い故に、相手に次の挙動を読ませない。それは対人戦における一種の解答であり、予備動作を極限まで小さくした先にいるのが柊龍玄という武人だった。
魔獣を倒し、数多くの魔法使いたちとの決闘を経験をした恋も、龍玄の実力を見抜くことは未だ叶わない。
だが、それは挑まない理由にはならない。
例え相手がどれだけ強大だろうと、挑戦する心意気だけは失ってはならない。『心技体』の中で技と体が負けていようと、心だけは負けてはならない。
それこそが、恋が武術を通して学んだ“意志”だった。
「シィッ!」
動き出したのは龍玄が瞬きで瞼を閉じた瞬間。鋭く吐き出された息と共に発せられたのは、床を踏み抜かんばかりの力強い踏み込みの音だった。
脚に体重を乗せ、弾けるように跳び出した恋。続く二歩目で龍玄を射程内に収めれば、最後の三歩目で震脚の勢いを乗せた拳を放つ。
大気を震わせる音は雷鳴の如く。龍玄の胴体目掛けて、拳が霞むほどの速度で撃ち出される。
バチィッ! と、肉を打つ鮮烈な音が鼓膜を打つ。
しかし、それは拳が龍玄の手で受け止められたことで発せられた音だった。
「良い拳だ。だが、まだ甘いッ!」
直感に身を任せ身を捻った直後、空間を抉り取るような正拳突きが胸前を通過する。
仕留めに来ているとしか思えない攻撃に思わず冷や汗が滲む。これでいざという時は止めることが可能なのだから畏怖すら抱いた。
だが、恐れていては何も始まらない。
後退は心の遅れや余裕を相手に悟らせる。故に自分がやるべきことは、動いた試合展開を止めないこと。
「フッ!」
重心を整えた恋が繰り出すは手刀。その軌道は吸い込まれるように首裏へと向かう。
それも読まれていたかのような反応速度で手首を抑えられることで防がれる。恋は時を置かずして逆手による掌底で拘束を外した。
それだけではない。下から弾き飛ばしたことで龍玄の腕は伸び切っているため、腹部ががら空きとなっていた。
先程まで拘束されていた腕を引き絞り、力強く踏み込む。
――だが、その一撃が放たれることは無かった。
「そこまで! お爺ちゃんの勝ち!」
桐花の号令が試合の終わりを告げる。
恋は拳を引き絞った体勢のまま視線を下に動かしていくと、自身の喉元には手刀の先端が突きつけられていた。そこで初めて、先程の隙は誘われたものだと理解した。
ごくりと喉を鳴らせば指先が掠る。もし攻撃していれば、拳を突き出した勢いのまま喉に食い込んでいたことは想像に難くない。
「儂相手に組み合いを嫌うのはいい。だが、少々攻め急いだな。一度仕切り直すくらいの余裕は持っておけ」
「うす。まだまだ敵わないか……」
「そう易々と敗れるわけないだろう。だが、去年よりも確実に手応えがあったぞ。経験を積む機会でもあったか?」
「え、えーと……まぁ、そんなとこかな」
核心をつく問いかけに思わず言い淀む。
世間では御伽噺の産物とされている『魔法』と関わるだけでなく世界を破滅から守る戦いに身を投じ、挙句の果てには異星の魔法使いたちと鎬を削り合った。
言葉にしてみれば容易いが、それを口にするのは憚られた。出来る限り取り繕った返答を心がける。
「……ふむ、まぁいいだろう。誰しも胸に秘める事はある」
だが、そんな努力虚しく見破られた。どうやら自分はとことん誤魔化すことが下手らしい。嘘をつきたいわけでは無いが、相手を心配させないための取り繕いくらいは出来るようになりたかった。
「全く、何を落ち込んでおるか。真摯さは他人を傷つけることもあるが、その実必ず誰かの心を救う代物だ。寧ろ胸を張れ。それほどまでにお前が持っているのモノは貴く、持ち続けるには苦難を伴うのだ」
「う、うす。ありがとうございます」
「それでいい。理解できたのなら号令に回れ。さて、次は紗百合の番だな」
「うっ……分かりました」
紗百合は苦い顔をしながらも稽古場に入る。二本ある模擬槍の一本を龍玄に手渡すと、開始線の上に立った。
「……それでは、試合開始ッ」
恋の号令と共に、道場に模擬槍が接触する音が聞こえ出す。
龍玄による恋たちに対しての武術稽古は、陽が沈み始めるまで行われた。
「はー、はー、はぁ。キッツ……」
「や、やっぱり、お爺ちゃんいつもより厳しかったよね……?」
「それは俺も思った……。明らかに動きが違ったからな」
時刻は午後六時ほど。稽古を終えた恋たちは柔軟運動をしながら語り合っていた。
結果として、三人全員が龍玄に勝つことは無かった。魔法による戦闘経験で少しは食い下がれるようになっているかと思えばそんなことは無く、寧ろその実力を遺憾なく発揮するようになってきた節すらあった。
つまるところ、龍玄は手加減の度合いを緩めただけなのだ。
その証拠に、稽古が終わると「良い運動になった」と言い残して道場前の掃除をしだす始末。とても老人とは思えない体力だった。
「改めて思うけど、なんであんなに強いんだろうな」
「ほんとそれ。私の勘も上を行かれるし……どうなってるの?」
「ゲームだったらバグキャラかと疑うレベルなんだよね、ほんとに」
恋に対しては徒手格闘術、桐花に対しては二刀流術、紗百合に対しては槍術を教えている龍玄。聞くところによれば、身に着けている戦闘技能は一〇もあるという。
ただ、本人はその後「武とは探求の道、故に終わりなど存在せん。儂とて未だ道半ばよ」と言い放つ辺り、まだまだ満足していない節が見受けられる。これ以上どう強くなるのかなど想像も出来なかった。
「よし、柔軟終わりっと。あとはモップがけで終わりだな」
「ピカピカにするぞー……」
「お、お姉ちゃんがゾンビみたくなってる……」
三人で横一列に並び、隅々まで床にモップをかけていく。最後に埃を外で叩き出せば自分たちの役割は終わりだった。
「それじゃお爺ちゃん、私たち先に帰ってるね!」
「応とも。気を付けて帰れ」
「はーいっ」
帰路につきながら水筒の中身を呷る。ひんやりと冷たい氷水は一気に飲みたくなる反面、胃の負担が大きくなってしまう。
運動後のため、体温が高い状態では落差も激しい。転がすように口の中で程よく温めながら水分を補給していく。
「これ、筋肉痛にならないか心配だなー……」
「あ、そっか。お姉ちゃん、生身での激しい運動は退院してからも無かったもんね」
「そうそう。これで明日楽しめなかったら悲しすぎて目から海出るよ、きっと」
「海が涙で出来ている的なヤツ? 詩的だねぇ。好きだよそういうの」
「いぇいっ、高評価だー!」
他愛のない会話を重ねながら夕日に照らされる帰路を歩く恋たち。
それは、彼ら本来の日常を表していた。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
次回は九曜市三日目、海での出来事となります!
お楽しみに!




