第12話 赤と黄の魔導書
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第12話です!
「な、なんだったんですかね、今の……」
決闘を見ていた育が小さく呟く。その会話が差す内容は勿論、たった今終わったルルの決闘についてだった。
彼らからの視点で見れば攻撃を仕掛けていた対戦相手が途端に直立不動になりそのまま気絶してしまったのだ。ルルが魔法で何かしたことは当たり前だが、その『何か』が分からないことと彼女の雰囲気の変わりようが見た者たちに不気味さを感じさせていた。
「ベネトはああいう魔法に心当たりある?」
「うーん、結果だけを見るといろんな魔法が当てはまっちゃうから『これ』って言い切るのは無理かな。簡単に考え付くのだったら条件発動型の罠とか、あとは単純に呪術系統も考えられるし」
「絞り込むのは難しい、か」
異様な空気が流れる中、それに呑まれる事なく顎に手を当て考え込んでいた紗百合が小さく溜息を吐いた言葉はどこまでも冷静さを感じさせるものだった。少し浮き足立つ周りに比べて彼女のいつもと変わらないその様子は恋たちに安心感を与えていた。
場所は変わって闘技場控室。そこでは『グリモワール』の少女たちが待機していたがそこに蔓延する空気はかなり落ち込んだものとなっている。
その原因は、帰って来た傍からまるで隠れるようにローブのフードを深々と被り部屋の隅で体育座りをしたルルにあった。
「まったく、いい加減元気出しなさいっての。別に怒ってなんかないわよ」
「……でも流石にアレは無いでしょう?」
どうしたものかとそれぞれが考えていたところでセラが立ち上がり落ち込む彼女に近づくとその体を抱き締める。その表情は慈愛に満ちたもので今までは彼女たちが姉妹だということが解るだろう。
そして片手でルルのローブのフードを取り払うと頭の上に手を置き優しく撫でながら満面の笑みを浮かべた。
「大丈夫っ! ルルがどれだけ挑発に対してクソ雑魚で赤ちゃんより早くプッツンしちゃうような子でも、お姉ちゃんだけはずっと一緒だからね!」
「コポォ!?」
抱き締められていたルルの口から血が溢れた。
「ちょ、ちょっと! アンタには人の心ってのが無いの!?」
「あれ? 元気出してもらおうと思ったのに」
口から大量の血を吐き出し沈んだルルを見て悲鳴を上げたナコは直ぐにその視線を元凶へと向ける。しかしその表情はきょとんとしていて邪念のようなものが一切無いことに気付く。
彼女が心の底から元気になって欲しくて先のようなことを言ったことを察するとナコは大きな溜め息を吐いた。少し慣れたような様子からしてこの光景も珍しいものではないのだろう。
「無邪気って怖いね」
「ほえ? 何が怖いの?」
「……なんでもないよ」
イヴが首を傾げるセラに対して苦笑いを浮かべたところで控室の扉が開き係員が顔を覗かせるが、中で起こっていた惨状に狼狽えた様子を見せる。しかしそれも一瞬のことで役目を果たすために直ぐに表情を平常なものへと戻した。
「す、すみません。準備が終わりましたので2番手の方は入場をお願いします」
「わかりました! イヴ、後はよろしくね」
「はーい。頑張れー」
控室から出て行くナコに手を振ったイヴはルルの目の前まで歩み寄るとその視線と同じになるようにしゃがみ込んだ。
「ナコも言ったけど、別に怒ってないよ。使ったのは『1本』だけなんでしょ?」
「……うん」
「それならバレてはないだろうし、もしバレたとしてもルルの魔法は対応が難しい。種さえ割れなければ大丈夫だよ」
「……ありがと、イヴ」
よしよし、と頭を撫でられたルルは少しばかり落ち着ついたようで、甘えるように自ら頭を擦りつける。それを見て今度はそれを見ていたセラがその頬を膨らませた。
どうやらセラは妹が仲間内とはいえ自分以外に甘えているということが気に入らないらしいが、先ほどのやり取りからわかる通り彼女は少しばかり言葉を選ばないことがあるため無自覚に他人を傷つけてしまうことがある。
ルルも確かにセラを姉として慕っているがその無邪気さからくる残酷な言葉の餌食に何度もかかっている。そのためこうして他のメンバーに甘えることが多かった。
セラが立ち直ったルルを抱きしめていると部屋の隅で今まで微動だにしていなかったアルがゆっくりとその顔を上げる。瞼が半開きになっていることからどうやら眠っていたらしい。
「ごめんね、起こしちゃった?」
「……自然に起きた。今は?」
「ちょうどナコの決闘が始まるとこ」
軽く目を擦ったアルの視線が設置されたモニターへと移る。そこに映るナコは赤い装丁に五角形の描かれた魔術書の文字を指でなぞると、彼女の体が光に包まれその腕が籠手に包まれていた。
拳を構える彼女と剣を構える相手の少女を見たセラはこれから始まる戦闘に楽しみにしているようで笑顔を浮かべていた。
「ねぇねぇ、勝てるかな?」
「まぁ勝てるんじゃない。私たちのリーダーだよ?」
当たり前と言わんばりに平然とした調子でイヴが言うと同時に進行役の戦闘開始宣言が言い渡される。少女たちはそれぞれモニターに映る自身の仲間の戦闘に意識を向けた。
決闘が始まってすぐにナコは魔導書に記された『身体強化』の魔法を発動させることで相手に一瞬で肉薄するとその拳を振るう。鋭く放たれた拳は相手の剣によって防がれたがそれはかなりギリギリで、彼女の体が繰り出された攻撃が思ったより強かったからなのか意表を突かれた様子だった。
「シィッ!」
ナコはその様子を見て瞬時に体勢を変えると鋭い呼吸と共にハイキックを繰り出すが身を屈めることで回避され、相手が剣を一気に振り上げるのを視界の端に捉えるとその軌道上に自身の腕を差し込むと火花が散った。その攻撃で後退したナコは既に剣を中段で構えている相手を視界の中心に据えると腰を落とし勢い良く飛び出す……が、それを見た観客たちは一様に驚いた。
彼女の突撃する体勢が身長を見てもあまりにも低い。上体を限界まで倒すその姿は相手を見る鋭い眼も相まってまるで地を這う蛇のようだった。
「剣よ、我が想いに応えよッ!」
それに対して相手は詠唱し剣に魔力を纏わせ下段から一気に薙ぎ払うと2人の間の地面が割れ岩が隆起する。大量の粉塵が舞う中ナコは自身に向かって来る尖った岩を身軽な動きで躱して行けば視界が晴れ、目の前に倒すべき敵の姿を捉えた。
「ハァァァッ!」
剣の間合いの内側へと入り込んだナコは低空からアッパーを放つ。元々の拳の威力に加え踏み込みの力も上乗せされたその攻撃は、剣によるガードを弾き飛ばし腹部へ強烈な衝撃を与えた。
しかしそれだけでは終わらない。
ナコはあろうことか、吹き飛んだ敵に肉薄すると同じように敵の攻撃の範囲の内側へと入り込むと更に接近した。それは互いが擦れ違ってしまうほどの超至近距離、もはや拳を振るう事すらままならない距離だった。
そこから更に1歩、前に踏み込む。
敵の背後へと降ろしたその足で軽々と跳び上がれば彼女の体が宙返り、空いていたもう片方の足がその勢いで振り子のように揺れ動くと敵の首裏にサマーソルトキックが炸裂した。
大きな音を立てて顔面から地面へと叩きつけられる相手選手。その体は時間が経っても動くことはなく、審判によって続行不可能判定が下された。
「……っし」
ナコは歓声を受けながら退場し闘技場内の通路へと入り、暫く歩いて周りに誰にも居ないことを確認すると小さく拳を握る。その口角は少し吊り上がっていて雰囲気も明らかに嬉しそうなもので、心の底から喜んでいることが解る。
それも数秒すると頬を軽く叩き表情を引き締め廊下を歩き、自分たちのチームの控室の扉を開くとナコの視界が黄色に染まり体に柔らかい感触が伝わる。セラが帰って来た彼女に飛びつき抱き締めたのだ。
「お疲れ様ー! カッコよかった!」
「ありがと。セラも頑張りなさいよ」
「うんっ!」
満面の笑みで出迎えたセラがまるで自分の事のように喜ぶその姿に釣られ自然とナコも笑みを浮かべながら黄色のローブの上から頭を撫でる。気持ち良さそうに目を細めていたセラはナコからの激励の言葉に力強く返事をすると控室から出て行った。
ナコは控室に設置された椅子に腰を下ろすと視界の端から飲み物の入ったボトルが差し出される。そこには黒いローブに身を包んだ少女、アルが居た。
「ん、ありがと」
「……どういたしまして」
感謝を述べてから蓋を開けると口を付ける。水分を欲していたからか中身は一気に減っていき、半分くらいまでになってようやく離したところで視線がルルへと移った。
「あれ、もう機嫌直ったんだ。あんなにへこんでたのに」
「ちょ、そのことはもう忘れて!?」
「どうしようかしら? ほら、私って物覚えいい方だし?」
「な、ナコの意地悪っ!」
「冗談だって。だから落ち着きなさいな」
ルルは顔を赤らめ慌てながら言葉を紡ぐ。彼女にとってもあの出来事はそれなりに恥ずかしいものだったのだろう。
対してナコはそれを分かり切っているようでニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべながらそれを指摘している。しかしそれをしても特に険悪な雰囲気にならないことが彼女たちの仲の良さを現しているのかもしれない。
そうして二人がじゃれ合っているとモニターから司会者の声が聞こえてくる。そこにはいつも通り花の咲いたような笑顔を浮かべるセラと腰に剣を差している女性が入場している場面だった。
ふとナコは自身の横にいるルルへと視線を動かすと心底不安そうにモニターを眺めている姿が目に入った。
「どうしたのよ、何か心配なことでもあった?」
「……お姉ちゃん、やり過ぎないかなって」
「大丈夫でしょ、決闘祭のルールだと『王』と『妖精』は禁止だし。『女王』は……まあセラなら使うだろうけど」
「ほらやっぱりそうじゃないですかぁ!」
気まずそうな表情を浮かべ答えるナコに涙目になりながら駄々を捏ねるように反論する。そのやり取りは彼女たちにしか分からないものだった。
「まーまー、流石にセラでもルールは守るって。愛車の修理費かかってるんだし」
「だといいんですけど……お姉ちゃん、縛りが多くて可哀そうです」
ルルは悲しそうに呟く。
それに対してイヴは小さく溜息を吐くと再び口を開いた。
「だってしょうがないじゃん。セラが全力出したら星が更地になるんだから」
さも当然のように言い放たれたそれを受けたルルは「そうですよね……」と渋りつつも納得した様子を見せていて、その場にいるナコとアルも特に反論することも無かった。
「というか、ルルも禁止されてる魔法あるじゃん。それはいいの?」
「へ? 私は縛りプレイ好きですし、別に何の問題も無いですよ?」
「あ、そうなんだ……」
きょとんとしながらも答えるルル。その様子にどこかセラの面影を感じ取ったイヴはやっぱり姉妹なんだなと再認識した。
場所は変わって闘技場の中心ではセラと相手の女性が見合う。その身長差はなかなかのものがあり、およそ15cmほど相手の方が高いためまるで大人と子供が相対しているように感じられた。
女性は腰から剣を抜き放つと身に纏う衣服が変化する。鍛え上げられた四肢と見た目の華やかさは勿論のこと体の動きを阻害しないように作られており機能面でも優れているのが見て取れるだろう。
そんな相手を見てセラは遠足を楽しみにする幼子のように目を輝かせた。
「おぉ、カッコいいな!」
「……一応、礼は言っておきます。あなたも準備をどうぞ」
「分かった!」
セラの手に1冊の本が現れる。
先に戦ってきたルルやナコと同じサイズの大きな魔導書で装丁は白一色、表紙には何やらクエスチョンマークが3つ組み合わさったようなシンボルが描かれているそれが開かれると彼女の目の前でふわふわと浮き始めた。
そうして互いに決闘の準備を終えたところでセラが人差し指を立てる。それは相手からすれば自身を指差しているようにも感じ取れるがそういった意図ではないことが察することが出来た。
「あの、何か?」
「えっとね、さっき戦ってたナコがカッコよかったから、私もカッコよくいこうと思うの!」
「……はぁ」
笑顔のセラとは対照的に相手女性は戸惑いを隠せないようだ。
それも当然でセラの話が余りにも突然であり、先が不透明であるからだ。話が見えて来ないので受ける側からしてみれば空返事をするしかないだろう。
しかし、それも次に発せられた言葉で一変した。
「だからね? お姉さんのこと、一手で倒そうって考えてるんだ!」
「……な、なんとセラ選手! ドーラ選手にとんでもない啖呵を切ったーッ!?」
「非常に大胆ですねぇ。心理戦でしょうか」
決闘開始前にも関わらず一気に沸き立つ会場。対して『グリモワール』の控室ではルルが顔を青ざめ慌てふためき、ナコが自身の顔を手で覆っていた。
「……ナメられたものですね」
「えっ、ナメてなんかないよ?」
セラは純粋な心でもってそう言ったのだろうが現状その態度を取るのは非常によろしくない。何故なら先の発言は人によっては馬鹿にしたように感じてしまうし、何より『ナメていない』という発言により『お前を一撃で倒せるのは当たり前』と受け取られかねない。
そしてドーラはそう受け取ってしまった。その証拠に額には青筋が浮かび上がっており、雰囲気も先ほどよりも刺々しいものへと変わっていた。
それを受けてもセラはにこにこと笑顔を浮かべるだけ。自分の言った事が相手にどう捉えられているか考えもしていないようだ。
「それでは会場も温まったところで第三戦、始めぇ!」
その瞬間、ドーラの足元から魔力光が走るとその場から姿が消え去る。会場にいる観客が気付いたその時には既にセラの背後から手に持つ剣を振り被っており観客たちは驚愕の声を上げる。
取った。
ドーラはそのまま自身の敵に向かって剣を振り下ろし――
「――――きひっ」
――声が聞こえた。
それは心底楽しそうな笑い声であり、同時に心底愉快そうな嗤い声だった。
そんな声が――セラから発せられた
ドーラの表情には驚愕、焦りと言った色が浮かぶ。
種明かしをしてしまえば単純で、彼女は魔法によって強化された脚力でセラの背後に回り込んだだけ。ただその速さが途轍もなく、観客どころか見物していた出場選手たちも見失っていた。
そう、その位に異次元の速さなのだ。
しかし、それを扱う彼女だからこそ驚くのだ。
自分の扱っている魔法を誰よりも知っている彼女自身が、何よりも動揺してしまうのだ。
――セラの緑色に輝く眼が、ばっちりと自身と捉えていたのだから。
突然だが、人はどういった時に汗をかくだろうか。
ありきたりで言えば運動している時だろう。運動で熱くなった体温を冷やすために自然と体は発汗し、温度調節を行うという生理現象だ。
他で言えば緊張した時だろうか。手汗だけで済む人もいれば着ている服がびしょ濡れになるくらい汗をかく人もいるし、緊張の糸が切れた時にどっと汗を流す人もいる。そこは個人差があるだろう。
だがここで言いたいのはそれらではない。
人間にはもう一つ、万人が自然と発汗してしまう場面がある。
それは恐怖を抱いた時。
ここで言う『恐怖』とはただ怖がることを言うのではない。恐れが無ければそれは『恐怖』ではないのだ。人間だけではなく、生物全てに共通する最も簡単で最も根深く誰もが感じる恐怖。
それは――自分自身の死を感じ取った時。
セラの身長はかなり小さい。決闘祭に出場しているとはいえ普通にそこらを歩いていれば笑顔の可愛い元気な子供だと誰もが思うだろう。
しかし今、この瞬間においてドーラには愉しそうに嗤っているセラのことが、自身の命を奪う死神に見えていた。
「『紫殻の戦車』!」
セラの傍に浮いていた魔導書の装丁が緑色から紫色に染まり、同じ色の魔力が彼女の体を覆う。
そして握り締められた拳が振り抜かれた次の瞬間、ドーラの胴体に当たるとその場に汗の雫を置き去りにして蹴られたボールのように吹き飛んだ。
慌ててスタッフたちがドーラの元へと駆け寄ると詳しくその様子を観察する。そして数秒後、彼らから手でバツ印が掲げられた。
「勝者はセラ選手! 一撃必殺! まさかの宣言通り、ドーラ選手を一発で落としたーッ!」
その宣言に一層沸き立つ観客たち。本当に宣言通りの決闘にしたその実力とパフォーマンス性は見る者たちを熱狂へと誘う引力のようなものを持っていた。
セラが扱う魔導書が再び真っ白な状態へと変わると入場した道を戻っていく。
その表情は、満面の笑顔だった。
≪公開可能情報≫
・ルルの魔導書
決闘において相手選手が不自然に気絶したことから記されている魔法には様々な憶測が飛び交っている。
メンバー曰く、彼女の魔法は優しい方らしい。
・ナコの魔導書
彼女は身体強化のみで戦っていた為、そこに記された魔法は未だ未知。
メンバー曰く、エグさだけならセラとタイマンを張れるとのこと。
・セラの魔導書
記された魔法は全部で七つで『紫殻の戦車』がその一つ。どうやら彼女の魔法は『色』に対応しているらしく、使用する魔法によって魔導書の色が変わるのは仕様なのだとか。
また今回の決闘において途轍もない速さの移動を捉えることが出来たのは、『橙』の効果のお陰である。
メンバー曰く、歩く爆薬庫。
・『紫殻の戦車〔パープル・ルーク〕』
セラが使った魔法。
荒事が前提である闘技場の防御結界を破るほどの膂力を得ることが出来る。
……しかし、これでもまだ抑えている方で、この魔法の真骨頂は文字通り『戦車』である。
・『王』『妖精』
セラの魔法で完全に使用禁止とされているもの。
・『女王』
セラの魔法。ルールには抵触しないが、メンバーからは良い顔をされていないようだ。