第3話 始まりの日
「うぇ、ネチョネチョする……」
一息ついたことで嫌な感覚が襲い掛かってきた。身体のいたるところに粘液質な液体が付着しており、拳を開けば糸を引く。それに伴って肉が腐ったような異臭もした。
ただでさえ魔法少女にななんてなってしまったというのに、こんなことになるっとは。
泣きそうになっていたその時、まるで何もなかったかのように纏わりついていた物質が塵となって消えていった。体に纏わりついたスライムが消えたことで力が抜けた。
「はあ……」
「お疲れさま! 助かったよ!」
その場に座り込んでいたとき、頭の上から声がかかる。視線を向けるとそこにはベネトと名乗った黒い鳥が空を飛んでいた。
「うん、どういたしまして……じゃない! さっきの魔獣ってなに!? 魔法ってどういうこと!? そんでこの格好は何なんだよ!」
「あー……急だったから何も説明できてないね。でも、まずはここから出るのが先かな」
俺の質問攻めに申し訳なさそうにした黒い鳥だったがふと空を見上げた。その動作に釣られ自分も上を見ると空がガラスのようにヒビ割れていた。目にした光景に思わず立ち上がる。
「ちょ、ちょちょっと! なんかやばそうなんだが!?」
「大丈夫!そこから動かないで!」
どこから取り出したのか小さなサイズの球体をベネトが地面へと放ると足元に魔法陣が現れた。そして突如襲われる不自然な浮遊感に気持ち悪さを覚える。
そんな感覚に耐えているといつの間にか周りの景色は変化し、自分が元歩いていた道へと降り立つと地面にへたり込んだ。
「大丈夫かい?」
「な、なんとか。……じゃなくて! さっきの質問にムグゥッ!?」
「しっ、静かに。ここはもうキミの住む世界だ。声が響いちゃう」
心配されたことに普通に返してしまったが先ほどの質問に答えられてないことに気づき詰め寄るが、その翼で口をふさがれてしまう。言われたことに納得し首を縦に振ると、口に当てられていた翼は無くなった。
「僕も説明しなきゃいけないことがある。でも長くなるから……どこか話せる場所はないかい?」
暗い夜の中、自分を見つめる赤い瞳が爛々と輝いていた。
星宮市灯台区、その一画にある二階建て一軒家の玄関扉が開けられる。
「へー、中はこんな感じになってるんだ」
「ほら、こっちだぞ」
話が出来る場所、ということで恋は自らの住む家へと招いてしまった。ベネトの方を見るとリビングを興味深そうに見つめている。
とはいえ、恋自身も初めはそうだった。一人で住むには明らかに広すぎる家には面食らったのも記憶に新しいし、今でも使い余している部屋が幾つかあるほどだ。
元はといえば、地元にいた頃にお世話になっていた家族の親戚が親戚の人から譲り受けた物件とのこと。自分には勿体無いと思う反面、星宮学園に通う際に都合が良いのも事実。有難く使わせて貰っている。
いつまでも眺めていそうな雰囲気に耐えかねて呼びかけることで案内する。そして寝室への扉を開け、相手も入ったことを確認すると扉を閉めるとベッドへと腰掛ける。
「で、そろそろいいか?」
「はっ、そうだった。ごめんごめん」
寝室の様子をきょろきょろと見渡していた相手に質問すると、それに気づいたようで謝りながら頭を翼で掻いていた。
ベネトは目の前にある机へと降り立ちこほん、と咳払いをすると向き直り視線が合う。
「まずは自己紹介から。僕の名前はベネト・エレプリーズ。一応、魔法使いをやらせてもらってる」
「俺の名前は櫻木恋。一応、普通の学生」
突然の自己紹介に面食らうも相手に合わせる。それを聞いたベネトは少し考えたそぶりを見せると口を開いた。
「サクラギ、レン……なるほど、覚えたよ。ちなみに聞くんだけど、レンというのは種族名……または家名にあたるものなのかい?」
「あー違う。櫻木が苗字……家名で、恋が名前……えっと、個人名だ」
「なるほど、じゃあレン・サクラギなのか。レンって呼んでも大丈夫かい?」
「大丈夫だぞ。それなら俺もベネトって呼ぶけどいいか?」
「うん、いいよ」
どうやらベネトの常識ではこちらで言うところ、海外のような名前構成になっているらしい。小さいながらも文化のギャップを感じているとベネトは翼を羽ばたかせ音を鳴らす。それに釣られ意識を相手へと戻すと話が再開される。
「自己紹介も済んだし、レンの疑問を解決したい気持ちはやまやまなんだけど……まずは僕の話をしてからでいいかな? その方が、レンもわかりやすいと思うから」
「……ん、わかった。それじゃあ頼む」
「ありがとう」
そう言って声の調子を整えると、彼はゆっくりと口を開いた。
「まず、僕は『サブテラー』っていう別の星から来たんだ」
ベネトと視線が合うと俺は小さく頷く。わからないことはあるが、キリのいい場所まで話を聞いてからにしようと思ったからだ。
それを分かってくれたのか、ベネトは頷きを返して話を再開した。
「ある日、サブテラーで転移魔法を使った無断での異世界渡航事件があってね。犯人はこの星、地球へ入り込んだ。それを追って僕も地球に来たんだ」
「なんか……スケールが大きすぎて全然わからん」
「まあそうだよね。異星なんて突然言われてもか」
話の概要を聞いても全く現実味が湧かない。異星の生命とはおとぎ話、空想の産物である魔法が存在することが驚きだというのに、そこから異星人が地球にやってきたという。
パンクしそうになる頭をなんとか制御し、ベネトが言ったことを整理しながら疑問を口にする。
「その……転移魔法、だっけか? なんでそれで異世界に行くのが事件になるんだ?」
「異世界への転移魔法……もとい異世界への渡航は何重にも許可を必要とするんだ。星の文明と接触したことでその星が滅んだ、なんてのはよくある話さ。許可を得ずになんて、とんでもない事件なんだよ」
「てことはあれか。俺はかなり大きい事件に首を突っ込んだことになるのか?」
「……申し訳ないけど、そうなるね」
ベネトは申し訳なさそうに頭を垂れる。俺自身としては巻き込まれた側だが、命を救ってもらった身でもあるのであまり強くは言えない。
「というか、そんな事件にベネトだけ来たのか? 仲間は?」
「……この世界に来てから直ぐに犯人と交戦することになってね。仲間は……僕も含めて五人の隊を組んでいたけど、みんなやられちゃった」
「……すまん、悪いこと聞いたな」
「大丈夫だよ、こういうことも想定されてた。それにこの星に来てから一年以上経ったし、気持ちの踏ん切りもついたさ」
なんでもなさそうに翼を軽く振るが流石にバツが悪く顔を逸らした。そんな俺を見て慌てて話しかけてきた。
「ま、まだ質問とかないかい? 僕で分かることならなんでも答えるよ!」
そう言って胸を張るベネト。どうやらこの空気を換えようとしてくれているらしい。
そのことに気づくと相手へと向き直り、今回のことを思い出す。そして、俺は自分が襲われた存在を思い出した。
「そうだ、あのスライム。あれはいったい何なんだ?」
「あれは魔獣。魔力を持っていて、それを扱うことができる人間以外の動物だよ」
「魔獣……」
自身を襲った存在の名前を噛みしめるように呟く。
「魔獣は逃亡犯から生み出されている。これは実際に相対して確認しているから間違いない」
「それも魔法で?」
「うん。レンが戦ったのはいわゆる『人工魔獣』っていうもので、まあ名前の通り人工的に作られた魔獣のことさ」
話を聞くと、ベネトが追っている逃亡犯は魔獣を生み出しては武器や兵隊として扱っているらしい。
そんな魔法もあるのか……と考えているとベネトから声がかかる。
「話を続けるけど、僕は逃亡犯を追っている最中にキミに出会った。それで僕たちが持ち込んだメモリーズ・マギアを使ってもらって、レンには魔法少女になってもらったんだ」
「それだよ! なんで魔法少女!?」
そう、俺はなぜか魔法少女になっている。ベッドから立ち上がり部屋に置いてある姿見を見るとそこには赤髪の女の子もとい、俺が魔法少女に変身した姿があった。
するとベネトは後頭部を翼で掻き、言葉を選びながら説明し始めた。
「あーそのー……発明者の悪ノリと言いますか。『戦うなら男より女の方が画になるだろう』ってことで、使用者が女の子になる機能がね」
「……その発明者、そういうの趣味なのか?」
「まあ……うん。あはは……」
ベネトの言い様はかなり苦しいものだった。しかも否定してない。
一刻とはいえ女になってしまったことを考え憂鬱になっていると、ベネトはどこからか俺に渡したものと同じメモリーズ・マギアと呼ばれた黒い四角の物体を取り出した。そしてそれを持ちながら勢いよく話し始める。
「で、でもでもこれって本当すごいんだよ! 規定量の魔力さえあれば誰にでも魔法が使えるし、何より魔力の運用効率がとても良いんだ! しかも使用者に合わせて武装が最適化した形になるから、使い始めた瞬間から動きやすい! それでそれであとは――」
「――ぷっ、はは。そんなに必死にならなくても大丈夫だって」
メモリーズ・マギアと呼ばれたものを必死に褒めまくるベネトに思わず笑ってしまった。俺の雰囲気が元に戻ったからか、ほっと胸をなでおろす。
再びベッドに腰かけると、ふと今まで気にはなっていなかったことが疑問になった。
「……そういえば、なんでベネトは喋れるんだ?」
「そうだ。それも説明しないとね」
そういうとベネトは手に持っていたメモリーズ・マギアを仕舞うと息を整えた。
「僕の種族であるエレプリーズ族っていうのは、こういう鳥型魔獣の種族なんだ」
「ま、魔獣!?」
突然のセリフに飛び上がり距離を離す。目の前の存在が俺を襲った存在ということで体が強張った。そんな状況に首を傾げていたベネトだったが『あ』と声を上げると慌て始めた。
「ご、ごめん説明が足りなかった! だから怖がらないで! ね!?」
相手の必死にな物言いに恐る恐る元の位置に戻り座り込む。そんな俺を見ておもむろに話し始めた。
「僕の種族であるエレプリーズ族は高い知能と様々な動物と会話できる魔法が使えるのが特徴でね。人の言葉も理解して喋ることが出来るんだよ」
「ほー……そんな魔獣もいるのか」
「うん、そうなんだ。分かってくれたようで良かった……」
納得した様子を見たからか、落ち着いたように翼で胸を撫でおろす。そんな相手をまじまじと見つめていると、まだ聞きたいことがあったのを思い出した。
「そういえば……あそこはなんだったんだ?」
俺が歩いていたときは人がいたし、車も通っていた。しかしその時は人はいなくなり、あったのは無機物のみ。あの時感じた寒気と関係があるのだろうか?
そんなことを考えていると、疑問に答えるようにベネトが口を開いた。
「あそこは魔法で作られた結界空間。便宜的に僕は『シャドウ・ワールド』と呼んでいるよ」
「シャドウ・ワールド……」
「レンが普段生活してる世界の影を媒介として作られた世界だからね。わかっていることは、魔獣がいる間だけ現れる世界ってこと」
ベネトから与えられる情報に、思わず考える。
「なんで俺はあの世界に……?」
そう、それがわからない。俺はいつも通りに家に帰ろうとしていたが急に悪寒がしたと思ったらいつの間にかあそこにいた。
それに関しては自分の想像になってしまうがまだ納得ができる。例えば、先ほど話になった転移魔法で俺をあの影の世界へ転移させたりだ。
わざわざ俺を狙った理由を考えているとベネトが口を開いた。
「理由に関しては予想になるけど、魔力量が多い人間を狙っているんだと思う。レンが初めてっていうわけじゃない」
「は? それってどういう……」
「最近、星宮市では変な事件が起きたりしているだろう? “突然、子供が行方不明に……”とか。あれは魔法が原因だ。それもおそらく、僕が追っている逃亡犯によるものだね」
「な……!?」
予想外のことに大きな声を上げてしまう。最近ニュースにもなっている有名な事件だ。
犯人が全く捕まっていないことは知っていたが、それがまさか魔法によるものだったなんて……。
「それで、ここからが本題だ」
その声に視線を合わせる。ベネトの表情は真剣そのものだった。
「僕の今の任務は“魔法適正のある現地人に協力を仰ぎ、異世界転移の犯人を確保すること”だ」
そこで、と言葉を切ると目を逸らす。ベネトの様子は少し躊躇っているようにも感じた。
しかし再び視線を合わせれば、赤い瞳に力強さが戻っている。
「勝手に巻き込んでしまって申し訳ないと思っている。でも、どうかこの事件を解決する手助けをしてくれないだろうか!」
頭を机に着くほど下げるその雰囲気は、必死という他なかった。
それを見た俺は――
「いいよ」
「……え」
「分かりにくかったか? 助けるって意味で『いいよ』って言ったんだよ」
――俺は、助けたいと思った。
そんな俺の言葉を聞いたベネトは顔を上げて慌て始める。
「い、良いのかい!? 自分で言っておいてアレだけど危険だよ!?」
「そんなことあのスライムとやりあって分かったよ」
だけど、と続ける。
「ベネトは俺の、命の恩人だ。そりゃ助けるさ」
「あ……」
そう、俺は目の前の彼に命を救われた、
だったら少しでもその恩義に報いたい。
「それに知ったからには見逃せない。いくら見ず知らずの人でも、助けられるなら助けるべきだと思う」
それを聞いたベネトは俯いて体を大きく震わせる。そして大きく深呼吸をすると視線を再び合わせる。
「……わかった。レン……僕と一緒に、この事件を終わらせてくれ」
「おう、わかった」
そう言うと相手の目の前に右手を差し出す。そうするとそれを察したのか差し出してきた相手の右翼を優しく掴む。そして数回縦に揺らすとその手を離した。
「よしッ! 僕も気合を入れなおすぞ!」
「はは、力みすぎないようにな」
手を離すと大きい声で宣言したベネトに苦笑いで反応する。両翼を拳のようにぐっとしている様子に思わず笑顔がこぼれた。
黒き鳥は向き直ると、目を細めて笑う。
「これからよろしくね、レン!」
「ああ、よろしくな」
そうして、一人の少年が異彩蔓延る世界に飛び込んだ。
待ち受けるのは数多の試練。されど臆することなどない。
その胸には、誰かを救う心が宿っていた。
「ところでレン、いつまで変身したままなんだい?」
「……そうだった! ちょ、これどうやって解除すんの!?」
約十分後、ベネトの助言により無事に解除できた。
遅くなって申し訳ありません!
この先、話を進めるにあたって設定の矛盾が生まれる可能性が高く最新話を書けずにいました。
そのなかで、これまでの話で内容を変えた部分があります。本当に申し訳ありません。
ちびちびと書いておりますが、何とか完結まで行きたいと思っているので応援よろしくお願いします。