第2話 赤の魔法少女、爆誕
2話になります。
「……っ、やっぱりまだ寒いな」
いつものように住んでいる家から一番近いバス停に降りた。春とはいえこの時期の夜の空気は冷えており、肌に触れた空気の冷たさに思わず身震いした。
大通りだからか多くの車が通り過ぎる。その音をバックに歩いていく中で交差点へと差し掛かると、横断歩道の信号が赤になったのを見て立ち止まる。
交差点をなんとなく眺めると様々な人がいた。
散歩だと思われる老人の男性、仕事帰りかスーツに身を包んだ女性。直ぐ傍では最近ニュースにも取り上げられた行方不明事件について仲睦まじい男女の二人組が話している。横断歩道の向こう側にはファストフード店があり、店内には小さな列ができていた。
「…………、」
交差点をを通り抜ける車をぼんやりと眺めながら、これからのことを考える。
学校のこと。私生活のこと。そして――入院する桐花のこと。
このまま目覚めないのではないか、という考えを振り払うように頭を横に振る。自分でも珍しくナーバスになっていることを自覚し、一度大きく息を吐いた。
そうしていると、いつの間にか横断歩道の信号は青に変わっていた。思考を打ち切ると横断歩道を渡り、いつも通る少し細い道へと入る。暫く歩けば自身の家へと辿り着き、いつものように扉の鍵を開けようとした。
「――――――ッ!?」
次の瞬間、空気が変わったのを肌で感じ取る。
今いる場所の気温が何度も下がったかのような感覚。張り詰める緊迫感に周囲へと神経を尖らせていると、先程来た道から何かの音が聞こえた。
慌ててそちらの方へと視線を向けると――そこには現実ではありえない存在がいた。
「スライム……?」
知識が間違っていなければ、視界にいる存在はゲームに登場するスライムのようだった。
ようだった、と表現するのはその見た目がゲームで出てくるようなそれとは全く違っているからだ。
街灯に照らされるのは粘液質で不定形な肉体。コールタールをそのままスライムにしたらこうなるだろうと思わせる様相だ。
もしゲームに登場するなら、それだけで年齢指定を上げざるを得ない。そう感じさせるほど、視線の先にいる存在は不気味に尽きた。
地面に身体を擦り付けながらこちらへと這い寄ってくる謎の生命体。そんな光景に自身の頬をつねって確認したくもなるが、それよりも目の前にいるモノから目を離さないようにしていることが大事だと考えた。
しかし、その考えもスライムが動きを止めたことで投げ捨てられることになる。
――明らかに、目が合うような感覚がした。
「やばいッ!?」
悪寒が背中に駆け巡る。恋は自身の勘が鳴らす警鐘に従い、踵を返して走り始めた。
形振りなど構っていられない。持てる力を全て逃走に注ぎ込み、意識は前に進むことだけを考える。
爛々と輝く赤い瞳が宵闇を斬り裂くように、風すらも置き去りにする速さで駆け抜ける。
そして先ほどまで歩いてきた大通りへと躍り出て――愕然とした。
「な、なんで……なんで人がいなくなってるんだ!?」
目の前に飛び込んできたのは、人間が全く存在しない大通りの光景だった。
それだけではない。つい先ほどまで交差点を賑わせていた車など、およそ人が動かす全てのものが存在していない。
酷く静かで不気味な様へと姿を変えた交差点。まるで自分が異世界に紛れ混んでしまったかのような錯覚を覚える。
動揺しながらも反射的に止めていた足を動かす。後ろを確認するとスライムとの距離は縮まっていないが、離れてもいなかった。
思わず歯噛みしたが次の瞬間、スライムが体から伸びた触手が自分に迫っていた。
「そんなのありかッ!?」
何も考えずがむしゃらに転がる。自身がさっきまで立っていた場所を触手が高速で通過する。
起き上がり顔を上げると、街灯で黒光りした触手が交差点の端から端までを繋ぐほど伸びていた。辿った先にある先端は建造物に深々と突き刺さっている。
――もし、あれを受けていたら。
思わずしてしまった想像に背中に冷や汗が浮かぶ。そしてそれを振り払おうと即座に逃げ出すために前傾姿勢になったところで――盛大に転んでしまった。
「な……ッ!?」
地面に這いつくばった恋は自身の足を見て、思わず目を剥いた。
そこには、スライムの触手が絡みついていた。
振り払うために手を伸ばそうと身体を動かすが、視界の端に更なる触手が迫ってきているのが見えてしまった。
――死ぬ。
その二文字が頭の片隅に浮かび、腕を顔の前で交差し目を閉じて顔を逸らす。風を唸らせながら迫る触手。ただ自分の死ぬときを待っているだけだった。
「――見つけたッ!」
それは自分以外が発した声だった。その声が聞こえた瞬間自分の足の拘束が無くなり、金属同士が擦れ合う音が静かな交差点に鳴り響く。
自身に襲うはずだった衝撃が無いことで、恐る恐る目を開ける。すると目の前にはカラスのように黒く、小さい鳥が飛んでいた。
前方には薄い青色の壁のようなものが自分と黒い鳥を囲むようドーム型に張られており、スライムの触手はそれに阻まれているようだった。自分の足にも目を向けると絡まっていた触手は切断されている。
呆けながらそれを見ていると、突如カラスのような鳥から声が発せられる。
赤い瞳と目が合うと、その鋭い嘴が開かれる。
「キミ、大丈夫かい!」
「……え? と、鳥が喋った!?」
あまりにも非現実的なことに思わず叫んでしまう。謎のスライムといい、眼前の鳥といい、訳が分からないことだらけで思考が上手く纏まらない。
そんな恋の様子を気にすることなく、カラスのような鳥は矢継ぎ早に言葉を発する。
「僕の名前はベネト。時間もないから単刀直入に言うけど、キミにやってもらいたいことがある!」
「や、やってもらいたいこと?」
こんな状況でやってもらいたいことなど、恋には想像がつかなかった。
ほぼ反射的に相手の言葉に無意識に聞き返す。ベネトと名乗った黒い鳥は満足したのか、更に言葉を紡ぐ。
「キミに、あの生物……魔獣を倒してほしい!」
「……は? 俺がアレを倒す!? 無理に決まってるだろ!?」
視線の先には、突如現れ襲ってきた黒い粘液質の生命体。
驚愕してしまうのも無理はないだろう。ただの高校生である自分があんな怪物に立ち向かえだなんて、死ねと言っているのと同義だ。
第一、戦うにしても武器が無い。最低でも拳銃クラスが欲しいが、それですらあの生命体に通用するか定かではない。
そんな恋の思考を察してだろうか。ベネトと名乗った鳥の生き物は、何処からか取り出した黒い四角の物体を渡してきた。
「これを!」
「……何だ、これ?」
手の上に乗ったそれは少し重く、何かの塊かと思ってしまう。厚みがほどほどにあり、まるでカードケースを思わせるような形だった。
まじまじと見つめていると、ベネトが再び口を開く。
「それを使うことでキミは魔法が使えるようになる!」
「魔法……?」
突拍子もないことに、思わず首を傾げる恋。
魔法……それは、創作上で登場する魔法のことだろうか。
手渡されたカードケースのようなものに視線を落とすが、近くから鳴った音に顔を上げる。目の前に張られたバリアに触手が触れた場所に徐々にヒビが入り始めていた。
暗がりで見えづらいが、ベネトと名乗った鳥が辛そうに顔を歪めている。状況が悪い方に傾きつつあるのは察することができた。
時間が無い――悟った恋は、決意を固める。
「どうすればいい!? えーっと……ベネト、だっけ!?」
「それを……『メモリーズ・マギア』を握って理想の自分をイメージするんだ!」
「理想の、自分?」
その言葉を反芻し、手元の物体を見つめる。
理想の自分――つまりは、自分が成りたい思う自分自身の姿。
ピシピシという音を聴覚が捕らえる。咄嗟に顔を上げると、バリアに入っていたヒビが亀裂へと変わりつつあった。
「ぐ……、やっぱり今ある魔力じゃ足りないか……!」
ベネトは苦しそうに言葉を発する。どうやら目の前のバリアのようなものはベネトによって成り立っているらしかった。一度だけ大きく息を吸って吐き、精神統一の要領で目を閉じる。そうして『メモリーズ・マギア』と言われたそれを強く握りながら思い浮かべる。
理想の自分。
それは心の底から夢に見たもの。
「ごめん……もう……限界……ッ!」
まるでガラスが砕け散るような音が鳴り響き、そんな中でも構わずにスライムの触手が真っすぐにベネトへと襲い掛かる。
俺は大きく踏み出すとベネトの目の前に迫る触手に向かって拳を振り抜いた。触手は弾かれ、あらぬ方向へと伸びて建物に突き刺さる。
「き、キミ……なぜ……?」
困惑する声が聞こえる。それを頭の片隅に置きながら遠くから触手を伸ばすスライムを睨んだ。
そんな中、左手に握ったモノが赤色に淡く発光している。
「俺の、理想の自分は!」
でも、今を諦める理由にはならない。
櫻木恋は『あの日』に、そう心に決めたのだから――!
「――“守りたいものを守れる自分”だッ!」
次の瞬間、左手から自分の体を包み込むように球形のフィールドが発生する。それが一気に収束した刹那、強い光が溢れた。
閃光に伴った衝撃が、スライムを弾き飛ばす。
「眩しい……ッ!」
その光に思わず目を細めてしまう。暫く耐えていたがその光が止むと左手に握っていたものは無くなり、代わりに一枚の絵が描かれている透明なカードが握られていた。
自身の左腕に違和感。視線を移す。
「な、なんだこれ……?」
そこには、いつ着けたのかも分からない銀色の機械が装着されていた。
突然の状況に困惑しているとベネトが近寄ってくる。
「手に持っているカードを左腕の装置に入れるんだ!」
「え!? えーと……!」
鬼気迫った声に自身も慌てながらも左腕の機械を探る。そうすると、ちょうどカードが入るような大きさの細い隙間を見つけた。
カードを右手に持ち替えると、言われた通りに手にあるカードを挿入する。
【TRANCE , Stand-By】
「こっちも喋った!?」
突然聞こえた機械音声に思わず驚いてしまうが、どうやら挿入した部分は合っていたらしくほっとする。
「あとは『メモリアライズ』の掛け声でキミは魔法が使えるようになる!」
「りょ、了解!」
ベネトの言葉に返事をする。小さく深呼吸をしたあと鋭く息を吐き出せば覚悟が定まった。
「……メモリアライズ!」
【Yes Sir . Magic Gear, Set up】
次の瞬間、左腕の装置から自分の体を中心に球体型の魔法陣が展開される。それと共に発生した強い光に目を閉じた。
その光はとても暖かく、まるで体を包み込んでいるようだった。
暫くしてその暖かみが消えたためゆっくり目を開けると、周りに展開されていた光も魔法陣も無くなっていた。
「――っと、どうなって……は?」
視線を動かし周りの状況を確認したとき、近くにある店のガラスに映る自身の姿に愕然とした。
まずは下半身。
登校用のローファーではなく、赤色の機械で作られたブーツが脛まで覆っている。右足の太ももには赤い幾何学模様の入った黒いケースがベルトで括りつけられていた。
また、先ほどまで履いていた制服のスラックスではなく黒いショートパンツを履いている。
次に上半身。
こちらも制服のブレザーではなく赤を基調としたローブの上から胸当てが装着されている。またローブを腰の帯で締めつけているため、裾が足元でひらひらと風に揺られていた。
両腕には赤色を基本とした籠手が装備されている。見れば右側には銀色、左には黒色の幾何学線が走っている。
最後に顔。
髪は自前の暗めの赤色ではなく鮮やかな赤色に変化している。長さはショートのままだが髪形は一目で見て『女の子らしい』と思えるものに変わっていた。
そして中性さを感じさせる自分の顔――ではなく、明らかに女子と思える顔がそこにはあった。
見惚れるように呆けていたのも束の間。鏡に触れかけていた手を戻すと共に、脳機能が一気に再稼働を始める。
「え……なんでええええええええ!?」
目の前に映っているのは自分のはずなのに自分じゃないことに思わず叫び声を上げた。
理解が及ばない現象が立て続けに起こったことにより思考は完全に混乱。
「よし、魔法少女になれたね! その状態なら魔獣を倒せるよ!」
「いや良くない! なんでこんな姿になったんだよ! ……てか声まで変わってるし!?」
思わず文句を言ったことで判明してしまう事実。変質した声に震えていると轟音が鳴り響く。それだけで意識のスイッチが再び切り替わった。
砂埃を突き破ってくるのは敵の触手。足に力を籠めて地面を蹴れば、大きく跳び上がって建物の屋上に着地する。
視界は未だ晴れないが、空気の唸りからスライムの挙動を察知。その場から跳び退いた瞬間黒く煌めいた触手が建物を裁断する。
再び地面に降り立つと息を一つ吐き出す。砂のカーテンから覗いた敵を改めて見据えれば、攻撃が再開された。
「……ッ、ふ……!」
迫り来る攻撃を慣れないながら籠手でいなし、蹴りで弾き、跳んで避ける。それらをただひたすらに繰り返していく。
「ちょ、なんで反撃しないのさ! やられちゃうよ!」
「いまッ、集中してるから! すまんがちょっと黙っててくれ!」
「ご、ごめん!?」
相手からの抗議に即座に返答する。意識が逸れたその瞬間、触手が両腕に巻き付いた。
触手から伝わる圧倒的な外力。どうやらこのまま力任せに吹き飛ばす算段らしい。
「ッ、おらぁッ!」
雄叫びを上げ、触手が腕に絡みついたままの腕を全力でスイング。拮抗の果てにスライムの体は地面を離れ、近くの建物に激突した。
脚を踏み替えると流れるまま逆方向へ腕を振るい、もう一度スライムを建物の壁に叩き付ける。
「……よし!」
与えられた衝撃からか腕から触手が離れた。これで自由に動ける。
しかし、この程度で仕留め切れているとは到底思えない。敵の身体は粘液質で、まともな物理攻撃が通るとは思えなかったからだ。
「なぁ、魔法ってどうやって使うんだ!?」
「それなら右脚にあるケースを開いて!」
そう言われ自分の右脚を確認すると、太腿に黒い鳥に渡されたケースがベルトで括り付けられていた。指先で触れると赤い幾何学模様が描かれケースが開かれる。
中には絵が描かれた透明なカードが数枚入っているが、それが何なのか分からない。全て取り出してみても結局分からないままだ。
そうして戸惑っているのを見かねてか、カードを見たベネトが口を開く。
「とりあえず今は『インパクト』って書かれているカード使って!」
「えっと……これか!」
言われるがままにカードを取り出し、残りをケースに仕舞う。そのカードには“爆発する絵が”描かれており、下の方に英語で『IMPACT』と文字が書いてある。
「それを左腕の機械に入れるんだ!」
「わかった!」
言われたままに機械に先ほどの透明なカードを挿入し、警戒のために敵の方を見れば砂埃は晴れ始めスライムがその姿をうっすらと晒している。
「えっと、次はどうすればいい?」
「あとはキミの“ロード”っていう音声で、さっき入れたカードが読み込まれて魔法が発動する。さっき入れた『インパクト』っていう魔法は、自身の魔力を衝撃として放出する魔法だよ!」
「え、ええと……すまん! もっと解りやすく頼む!」
魔法のことを初めて知った身としては、そんな説明をされても頭が混乱するだけだった。
「とりあえず、パンチが相手に当たった瞬間発動すれば大ダメージを与えられるってこと!」
「なるほど、分かった!」
そんなやり取りをしていると舞っていた砂埃が完全に晴れる。向こうもこちらを再度認識したのか、その身体から触手を何本も生やし襲い掛かってきた。
いなし、躱すことで全てやり過ごすとスライムは触手を引っこめる。それを見て小さく息を吐き、身体を揺するように軽くジャンプした。
「……よし、やっと慣れた」
手を何度か開閉し、掌を見つめる。そして握り拳を作りを作ると、スライムへ視線をぶつけた。
「待たせたな……いくぞ!」
力強く踏み込むと自分の身体が跳び出し、スライムへと接近する。瞬間スライムからは伸びた複数の触手が襲い掛かってきた。
迫り来る触手を身体を捻って回避。全て躱し切ると目前にスライムの体を捉えた。
「くらええええええええッ!」
叫び声と同時に大きく地面を蹴り、スライムへ目掛けて右の拳を全力で振り抜く。拳が突き刺さるとスライムの身体は大きく形を歪ませた。
「ロードッ!」
【Loading , IMPACT】
声を発すると左腕の機械から音声が聞こえ右の拳が輝く。
次の瞬間スライムの身体が泡立ったように膨れると爆発四散。辺り一帯に肉片を撒き散らした。
「……か、勝てた……?」
籠手の装甲が開かれ蒸気が噴出。呼吸を荒げながら振り抜いた拳を見つめた。
そしてなんとか助かったことを実感すると、大きく息を吐いたのだった。