第4話 山雨来らんとして、風、楼に満つ
フードコートから移動すること数分。三人はゲームセンターの入り口に辿り着いた。
「ここがゲームセンター……凄くキラキラしてて楽しそう!」
「だろ? それじゃあ行くぞ」
「うんっ!」
恋と清蔭にとってはよくある見慣れた光景だが、エマにとっては違う。二つの緑眼を宝石の如く輝かせ、興味津々といった様子で周囲を眺めている。
奥まで歩いていくと先頭の清蔭が足を止める。壁際には車の座席を彷彿とさせる筐体が横一列に四つ鎮座していた。
『RED ZONE RISING』。自動車競技をテーマとしたゲームで、企業提携によって実在する車両が登場することが特徴の一つだ。昨今ではゲームセンター離れが進んでいるものの、操縦という肉体動作を絡ませていることもあってか根強い人気を博している。
「ねぇねぇ清蔭、これってどんなゲームなの?」
「これはレースゲームって言って、実際の車を運転するみたいに遊ぶゲームだ。遊び方としては対戦が主だけど、タイムアタックのランキングなんかもある。恋もエマも初めてだし、説明がてら一回やって見せるぞ」
そう言うと清蔭は筐体の一つに腰を下ろす。財布から取り出したデータカードと一〇〇円硬貨をそれぞれ挿入した後、画面が切り替わった。
使用する車は流線形の黒フレームが特徴のもの。舞台は峠といった山中もあるが、今回は首都高速道路がモチーフとなっている場所が選ばれた。
車両とコースが決定されればゲームが始まる。ハンドルやシフトレバー、ペダルといった各種コントローラーの操作方法を挟みながらも直線的な道を一切の衝突なく切り抜けていく。
稲妻の如きシフトレバー操作から繰り出されるドリフトでコーナーを曲がっていく車体。絶え間なく流れる画面を捉え、細かくハンドルを調整していた。
数分後、レースは終了。今回競い合っていたのはコンピューターによる自動操縦機だったものの、大差をつけてのゴールインとなった。
コースを変えて、続く第二レースでも終わってみれば結果は同じ。清蔭の圧倒的勝利で幕を閉じた。
「まぁこんなトコだ。言葉じゃ限界があるし、とりあえずやってみな」
促されるまま筐体に座る恋とエマ。シートの位置を調整して遊ぶための料金を入れると、ゲームが始まる。
車両は同じ物を、コースには直線が多い初心者向けの場所が選ばれた。今回はプレイヤー同士の対戦形式で、恋とエマによる勝負だ。
三秒のカウントが終わり、二両が一斉に走り出した。
ゲーム画面で繰り広げられるレースはお世辞にも華麗とは言えない。操作は不慣れで、壁に衝突しては減速する。傍から見ればとても不格好で目も当てられない物かもしれない。
だが、そうだとしても、遊ぶ二人にとっては真実楽しいひと時。何事も最初は上手くいかないものであり、だからこそ克服したくなる。その果てに得られるものこそ何事にも代え難き経験と感情だ。
そして最後の直線に入り、ゴール。勝ったのは恋で、五秒ほど遅れてエマもゴールに飛び込んだ。
「ふぅ。意外と集中力要るなこれ……」
「むぅぅぅ! 次は勝つ!」
疲れから溜め息をつく恋。それに対してエマは敗北による悔しさから唸りを上げていた。
一分ほどの休憩を挟んで再び勝負が始まると、変化は劇的だった。
「上手い……!」
ついて出た言葉は賞賛。発したのは恋だった。
先ほどのプレイは何だったのか。エマが操作する車両はそう思わせるほどに滑らかにコースを走り抜けていく。
二回目という事もあって恋も相応に速くなっているが、更にその上を行かれている。ブレーキのタイミングからコース取りと何から何まで圧倒的な上達を感じさせ、常にテールランプの軌跡を追う展開となっていた。
気付けば両者共に走り切り決着。終わってみれば最後まで彼女が先頭を譲ることは無かった。
「やったー! 恋に勝ったーっ!」
諸手を上げて喜びを露にするエマ。満面の笑みと噛み締めるように握られた拳から、その程が見て取れる。
「お疲れさん。二人とも初めてのレースゲーはどうだった?」
「すっごく楽しかった! 画面がビュンビュン流れていくのが気持ち良かったよ! 教えてくれてありがとう!」
「本物の車を運転するのとはまた違うと思うけど、これはこれで楽しいな」
「それなら紹介した甲斐があるってモンだ。折角だし、他のゲームも色々やってみるか?」
「え、いいの!? ……でも、お金は大丈夫?」
一転不安そうな表情を浮かべたエマに、清蔭は笑った。
「ンなモン今更だろ。自分で稼いだ金なんだから使いたいように使うのさ。そんな小さいことなんて気にしないで、今日を楽しめば良いんだよ」
「……! うんっ、分かった!」
それを言われて、もう迷いは無かった。
胸の内に秘められているのは純粋な想い。今日という自由を、何処までも望むがままに過ごすという願望だった。
「それなら、このゲーム清蔭ともやりたい! さっきと同じコースで勝負しよ!」
「ほぉ。でもいいのか? 勢い余ってボコボコにしちまうかもしれないぜ?」
「ふふん。私の手に掛かれば清蔭だって負かせちゃうんだから!」
「随分と大きく出たな。それならここいらで経験に裏打ちされた実力ってヤツを見せてやるよ。恋、そこ変わってくれ」
「ん、分かった」
入れ替わりでシートに着く清蔭。慣れた手つきで各種操作を終えていくが、その中の使用する車両選択で迷わずエマと同じ物を選択した。
このゲームではデータカードを持っていると独自にカスタマイズした車両を使うことができる。教本代わりとして見せたプレイでは実際に走らせていたのがその証拠だ。
つまり、敢えて選ばなかった。それが意味するところは機体の性能差が無くなるという事であると同時、純粋な実力で捻じ伏せてやるという意思表示に他ならない。
「望むところ……!」
薄い唇は盛大に吊り上がり、極めて獰猛な笑みを見せる。
物怖じなどしない。心意気は格上への挑戦ではなく、対等の存在としての一騎打ちだ。
小さい体にあらんばかりの闘志を滾らせ、ハンドルをきゅっと握り直す。据わった眼は真っすぐゲーム画面を見つめていた。
遂にカウントが始まる。
三。
二。
一。
「ふッ!」
ハイカットスニーカーの靴底がアクセルペダルを思い切り押し込む。スタートと同時、二台の車両が勢いよく飛び出した。
互いに先頭を譲らないまま一つ目のコーナーが見える。しっかりブレーキを踏み込んで速度を落とし、コーナー突入からタイミングを見計らって速度を上げて一気に脱出する。
先頭を走るのはエマ。内側を取っていた分の有利が働いた結果だが、その差はごくごく僅か。安心など出来ようもない。
直線では差は大きく広がらず、かといって大きく縮まるわけでもない。何から何まで同じ車でのレースなのだから当然とも言える。
大前提としてミスは許されない。どれだけ無駄なく、かつ素早く操作することが勝敗を分ける鍵になる。
その点清蔭は圧倒的なまでのアドバンテージを有している。考えるまでも無く勝利を勝ち取るのは一朝一夕にはいかないことが理解できる。
だが、勝負が終わるその瞬間まで結果は誰にも分からない。可能性というものは、観測されるまで決してゼロにはならないのだから。
続く二つ目のコーナーは右で、そこから直ぐ後に三つ目のコーナーが左向きに配置されているS字カーブ。一手間違えれば連鎖して大幅なロスが生まれてしまう。
エマは小さく息を吐き、集中力を引き上げる。減速を経てコーナーに侵入し、常時出口に視線を飛ばしながら駆け抜ける。無論ギアの操作も忘れない。
今日始めたばかりとはとても思えない走りだが、初心者であることに変わりはない。操作にはどうしても揺らぎが生まれてしまう。
それを見逃す清蔭ではない。三つ目のカーブで僅かにエマの車体が外側へ膨らんだその瞬間、内側に空いた隙間に車体の先端の捻じ込んだ。
鋭いコーナリングから立ち上がりの加速で順位は逆転。今度は清蔭が前を走る番となる。
「くッ……!」
距離単位にして五センチメートルほどの差。しかしそれはあまりにも決定的過ぎる差だった。
当初エマが計画していた予定では先頭を維持し続けてそのままゴールインするつもりだった。技術で負けている以上、一度でも前に出せば追い越すのはほぼ不可能になってしまうからだ。
そんなエマの懸念は見事に的中する。
コーナーを一つ経る度に車間距離が開く。何もミスはしていない筈なのに、じりじりとテールランプが遠のいていく。
劇的な逆転など無い。最終的に両者間のゴールタイムには五秒もの差が生まれていた。
「よし、俺の勝ちだな」
「うーっ! 負けたぁ……」
がっくりと肩を落とすエマ。残念がる姿は最後まで勝利を諦めなかったからこそのものだ。
「でも、数回でこんだけ速く走れるならセンスあるぜ。ちゃんと練習すれば直ぐに追いつけるようになるだろうさ」
「……追い越せるようになる、とは言わないんだね」
「当たり前だろ。こっちはそれなりにやり込んでんだ。まだまだ負けねぇよ」
「むー!」
エマは頬を命一杯膨らませる。どうやら清蔭の忽然とした態度に拗ねたようだが、その容姿ゆえに可愛らしさを感じさせる。
「というか、清蔭なんかズルしてなかった? コーナーでの減速と抜け出すときのスピード、明らかに私の車よりも速かったもん!」
「おっ、そこに気付くとは勘が良いな。やっぱりセンスあるよ。そうだな、俺たちの違いとして分かりやすいのはペダルの踏み方だ」
「……えっ。踏み方なんてあるの?」
「あるんだよこれが。エマがやってたのはブレーキで速度を落としてアクセルで速度を上げる、いわば普通のやり方。俺がやってたのはヒール&トゥーって言って、ブレーキとアクセルだけじゃなくてクラッチも使うテクニックだよ」
「実際にやって見せるわ」と清蔭が再び筐体に。先程の勝負と同じ車両とコースを選択するとゲームが始まった。
第一コーナーに進入する手前。シフトレバーでギアを一段階落とした後、ブレーキペダルを右脚親指付け根で押し込む。そこから左脚でクラッチペダルを踏み、最後に右脚首を捩じるようにすると踵で軽くアクセルペダルを踏む。
都合約一秒。ほぼ同時の域で行われた一連の行動によって、画面内の車体がスムーズな流れでコーナーから抜け出した。
「とまぁこんな感じだな。ギアチェンジのタイミングもそうだが、こればっかりは練習あるのみだ」
「こんなに目に見えて変わるものなんだ……。レースゲーム、奥が深いね!」
「だろ? 最初の内は苦戦するだろうが、上手くなる過程を楽しむのもゲームの醍醐味だよ。まぁ今回は金持ちが俺だからいいが、本来なら自分で払わなくちゃいけない。そういうの考えると初期費用さえ払えばずっと遊べる据え置きのゲームとか無料PCゲーの方が満足度は高いことが多いな」
「なるほど、こういうゲームにも色々種類があるんだ。初めて知った」
「そう言うってことは、電子ゲームはこれが初めてなのか?」
「うん、そうだよ。……あっ、でもでも、チェスとかならいっぱいやったことあるよ! 複数盤面の同時指し出来るし、一番強いプログラムにだって勝ったんだから!」
「ボードゲームとはまた小学生にしては渋い。というか本当に凄いなオイ」
「ふふん、そうでしょそうでしょ! ……よしっ、そろそろ他のゲームもやりたい! 恋、清蔭、行くよ!」
そう言ったエマは右手で恋、左手で清蔭を掴みぐいぐいと引っ張る。溢れんばかりの活力に為されるがまま二人は移動を開始した。
メダルゲームを初めとして音楽、シューティングと片っ端から遊んでいく。そのどれもがエマにとっては初体験であり、全てが新鮮な物として映っていた。
ある程度冷房が効いた施設とはいえ、夢中でずっと遊び続けるというのも熱中症の危険性がある。水分を補給することは欠かさない。
そして様々なゲームを経て、恋たちがやってきたのはクレーンゲームだった。
「……ッ、」
小さくも円らな眼が見据える先には竜巻をモチーフとした可愛いキャラのぬいぐるみ。全神経を研ぎ澄まし、アクリル板で囲われた箱の中を凝視する。
開き降り立った二本アームは景品を掴むことに成功。しかしいざ持ち上げようとしたところでバランスを崩し零れ落ちた。
「うぐぐぐ、難しい……! でも絶対取りたい……!」
挿入口に追加で硬貨を投入。再度透明な壁一枚越しに目標を捉える。
初めてのクレーンゲームに苦戦するエマを、恋と清蔭は後ろから見守っていた。
「そういえば前に聞いたことあるんだけど、クレーンゲームって景品取るには一定の金額入れなきゃいけないんだろ。大丈夫なのか?」
「あー、確率機かどうかってことか。それなら問題ない。エマがやってるのは二本爪だろ。あの形式のは基本的に実力機なんだ。見てる感じアームの緩みは無いし、アームが上がる時と上がり切った後に不自然な揺れも無い。単純な技量勝負だよ」
「へぇ、そういう風に見分けるのか。だとすると取れるまで結構かかりそうだな……」
「そうでもないぜ? ほら、見てみろよ」
促されるまま正面に向き直ると、尚も奮闘するエマの後ろ姿が見える。そして清蔭が言わんとしていたことを自ずと理解した。
失敗こそしているものの、回数を重ねるごとに確実に堪能になっている。恐る恐るだった操作に迷いは既に無くなっていた。
挑戦すること七回目。遂にアームがぬいぐるみをがっしりと掴み込んだ。
エマは固唾を飲んで行く末を見守る。周囲の音など聞こえておらず、世界に自分一人しか居ないと錯覚するほどに集中していた。
出口の真上でアームが止まる。次の瞬間爪が開き、掴んでいたぬいぐるみが筐体下の取り出し口に落とされた。
「…………~~ッ、やったぁぁぁああああッ!」
数刻の間。本当に現実かどうかを確かめるように瞼を数度瞬かせた後、ぬいぐるみを手にすると恋たちに向き直る。
「ねぇねぇちゃんと見てた!? 私取れたよ!!」
「見てたよ。俺はこういうゲーム苦手だから本当尊敬する」
「いやはやお見事。初めてでそんだけ少ない試行回数で取れたら大成功だろ。地頭の良さもあるんだろうが、それでも充分すげぇよ」
「でしょでしょ! んふふ~、やっぱり私ってば凄い!」
自画自賛しつつも、ぬいぐるみに顔を埋めるようにして抱き締める。新たな成功体験を得た彼女の様子はまさに歓天喜地といったところだ。
そんな時、ふとエマが顔を上げる。
「そういえば、この子の名前ってなんだろう。分かる?」
「ちょっと待っててな。えーと……」
恋はスマートフォンを取り出し検索エンジンを開く。単純に『竜巻 キャラ ぬいぐるみ』と入力し決定すると、エマが抱き締めているぬいぐるみと全く同じ画像が表示された。
そこから少し辿っていくと、そのキャラクターを取り扱っている会社の公式ホームページを見つけた。
「おっ、出たぞ。『ボーラ』っていう名前だってさ」
「ボーラ……そっか、ボーラちゃんって言うんだ! うん、この子にぴったりの名前!」
名前を知ったことでより一層愛着が湧いたのだろう。先程よりも抱擁を強めるエマだったが、それもあってぬいぐるみの形が歪んでしまっている。
「おいおい、あんまそうやってると潰れちまうぞ。少しは加減してやれ」
「わわっ、そうだね。折角ゲットできたんだし気を付けないと」
エマは清蔭の忠告によって我を取り戻すと、慌てて腕の力を緩めた。
「それでいい。自分で言った通り、折角手に入れた物なんだ。大事にしてやれ」
「うん! そうだよね、ボーラちゃんも苦しかったよね。ごめんね……」
語り掛けるように言葉を紡いだ後、今度は優しく包み込むように抱き締める。それこそ母が我が子を抱くように、相手のことを最大限想いやるものだ。
そんな彼女のことを見ていた恋だったが、脳裏にピリッとした感覚があった。
今自身の瞳に映る光景に似たような光景を過去にも見たような感覚。端的に表すのなら既視感と呼ばれるもの。
そして、その正体は意外にも直ぐに突き止めることができた。
見知らぬ少女との食事、共に過ごした時間。つい先週出会い、そして別れた人魚の少女――アウィラとの思い出に酷似していた。