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メモリーズ・マギア  作者: 雨乃白鷺
鳴海の章 深き底より少女は来たる
114/163

第18話 少女は戦い、人魚は歌う


 弱点である核が体内を自由に移動する――目に見えて派手ではないものの、ことその能力が備わるには敵の質が悪すぎた。

 なにせ核の位置が自由自在に変わるのだ。幾ら表面上の変化を読み取って攻撃しても、その時にはアルカエスの花が致命傷を逃れるために核を別の場所に移動させる。

 ならば限界まで身体を切り刻んでしまえばいい、と考えるのは自然だろう。核の大きさは未だ定かではないが、重要な器官ゆえにそれなりの大きさを持っていると予想される。核が見えるまで身体を分割してしまえば隠すだけの肉体はなくなる。実際に恋はその考えの元で剣を振るっていた。


 だが、そうなると今度は他の個体が邪魔になってくる。何らかの方法で意思疎通を行っているのか、それとも仲間意識があるかは定かではないが、一個体が危機に陥った途端に他の個体が援護するようになるのだ。

 一度攻撃が中断されてしまえば持ち前の再生力で元通りに修復される。そうなればまた最初からやり直し。幾ら積み重ねようとも一瞬で無に帰し、全ては徒労に終わる。

 まさに賽の河原のような現状。にもかかわらず、無情にも更なる追い打ちが恋たちを襲う。


 恋たちが耳を澄ませばシュゥゥゥという音が聞こえてくる。それに釣られてアルカエスの花を注視すれば、その樹根から何やら白い霧のようなものが発せられている。それが蒸気だと気付くまで時間は要らなった。


「――――――――」


 ゆっくりと面を上げるアルカエスの花たち。猫背のまま腕をだらんと垂らし、ただ静かにそこに在る様子は不気味と評する他ない。

 恋たちは言葉も無く得物を構え直し、(きた)るべき戦端に備える。

 吐き出す息は白く、呼吸音と鼓動がやけにうるさく感じる。じり、と踏み締める大地は氷に閉ざされ酷く硬い感触がした。

 次に瞬いた時、冷ややかな一陣の風が紗百合とアウィラの間を通り抜る。前に立っていた筈の恋の姿がそこには無かった。

 風に導かれ振り向く二人。視線の先では二体のアルカエスの花と、その同時攻撃を大剣で受け止め地面を滑る恋がいた。

 突如背筋を襲う怖気。弾かれたように正面に向き直った二人の正面には、アルカエスの花が既に腕を振り被っていた。

 その攻撃に対して反応できたのは、生命の危機を察知した肉体が脊髄反射で動いたからだろう。

 槍を頭上に掲げるようにして防御態勢を取った紗百合とアウィラ目掛けて樹根が叩き付けられる。ビルでも倒壊してきたのかと言わんばかりの圧力が二人をその場に縛り付ける。

 そして、それは恋も同じ。


「ぐ、ぁ……ッ!」


 恋は歯を食い縛り、全力を籠めて攻撃に抗う。

 だが、足りない。辛うじて押し切られはしないものの大剣を支える腕は震えて安定せず、ふとした瞬間に瓦解してしまう危うさを孕む。


 ――おかしい、膂力(りょりょく)が違い過ぎる!


 大樹と草花。恋はアルカエスの花を表す上で、過去に戦った個体と現在戦っている個体とでそのように分けている。理由としては見た目も含まれるが、攻撃の威力といった観点からそういった表現をしていた。

 それがどうか。こうして攻撃を受けてみれば、今までとは違い遥かに上を行かれている。押し返すどころか維持するだけで全力だ。

 アルカエスの花から発せられていた蒸気。『イイーキルスの冷光』による凍結の影響が無くなったのだろうという察しはつく。

 しかしそれを加味したとしても、動きが凍結前と比べてまるで違う。その変化は最早別の生命体と言ってもいいほど顕著だ。


 蘇るのは苦い記憶。アルカエスの花の樹根に万力の如く締め上げられたことで骨が粉砕、神経を灼かんばかりの激痛と口から臓物が飛び出ると錯覚するほどの圧力は一生忘れられない。

 今、恋の眼前にいるアルカエスの花は、それを彷彿とさせる力を持っていた。同等か、下手をすればそれ以上かもしれない。

 大剣ごと押し潰さんとする重圧に歯噛みする恋。大剣越しに向こう側を見据えれば、アルカエスの花が追い打ちのためにもう片方の腕を振り上げようとしていた。


「セット!」

【MEMORIA BREAK】


 歯を食い縛りながら空気を肺に取り込むと即座に詠唱。呼応して魔力が脚部武装に集う。

 敵が振り被り攻撃する際に生じる僅かな間隙に合わせ、爆発にも似た衝撃を利用して後方に離脱。それと同時、標的を失った樹根が大地を叩き割った。

 夜の世界に轟く地響きは怪物の咆哮のよう。大地を震わせ、大気を波打って遥か先まで行き渡っていく。

 恋は地面を転がり、勢いを殺しつつ起き上がる。紅玉の瞳でもって捉えたのは敵の攻撃で隆起した大地。切り立った崖のように跳ね上がった土くれは、攻撃の威力を如実に物語っていた。


「ッ、ふざけろ……!」


 無意識に荒い言葉を発しながらも、恋の身体は自然と紗百合たちとの合流に向けて動く。

 それを妨げんと眼前に立ちはだかるアルカエスの花。絢爛な薄桃色の花弁が恋に向けられたのと、恋が『インパクト』を起動したのはほぼ同時だった。

 煌めく閃光と大地を打ち鳴らす衝撃。地面を這うように跳び出した恋の頭上スレスレを激しく輝く光束が駆け抜ける。

 恋の眼前にはレーザーを放ったことで隙だらけの敵。引き絞るように構えられた大剣が魔法の行使と共に淡く輝く。


「邪魔だッ!!」


 咆哮、そして疾走一閃。アルカエスの花を二体まとめて一刀のもとに斬り捨て、勢いそのままに全速力で地面を蹴り駆け抜ける。目算距離二十メートルを一秒足らずで詰め、紗百合とアウィラを押し潰さんとしていた二体を背後から深々と斬りつけた。

 攻撃から解放された紗百合とアウィラは空かさず後退する。恋も合わせて移動すれば、肩で息をしていることからも消耗が見て取れた。


「はぁー、はぁ……っ、お兄ちゃん、大丈夫だった?」

「俺は平気だ。というか、それを言うなら紗百合たちの方こそだろ」

「あはは、そうだね。……ふぅ。まぁ、なんとか大丈夫。お兄ちゃんが助けてくれたから」

「心配するのはいいけど、今はアイツらのことを考えるのが先よ。なんなのアレ、急に強くなったんだけど」


 既に再生しつつあるアルカエスの花たちを睨みつけるアウィラ。その端整な(かお)は苦虫を噛み潰したように険しい。

 額に滲んだ汗を手の甲で拭って一呼吸置く。


「はっきり言って異常ね。特にあの身体能力、私と紗百合はまともに打ち合えない」

「同感。お兄ちゃんに助けて貰わなかったら……そのまま潰されてた」


 自身が浮かべた想像にぶるり、と身震いする紗百合。表情に余裕は無く、疲労が浮き彫りとなっている。

 状況は想定していたよりも悪化の一途を辿っている。どうにかしてこの場から脱したいものだが、標的をみすみす逃がす敵ではない。アウィラが脱出の準備をする間、四体からの猛攻を恋と紗百合だけで守り切るなど到底不可能だ。

 かといって敵を倒せるかと問われれば、それもまた厳しい。なにせ現状考えられる有効手が核を破壊することのみ。それも核を破壊するには再生能力と妨害の二つを乗り越えなければならない。


 自分たちでどうにかできないならば、他者を頼るのはどうか。戦闘をできうる限り長引かせ、星宮市にいる仲間たちの救援を待つ。現状を打破するという意味ではこの上ない策だろう。


 だが、それも無理だ。理由は主に二つ。

 一つは時間。隔離された結界内ゆえに定かではないものの、戦闘が始まってそれなりの時間が経過している。それでも救援がないということは、星宮市側の仲間が救援に来れない状況にあるか、あるいは来れても距離の問題で相当遅れているかのどちらかだと予想される。どちらにせよ、あまり期待はできない。


 そして二つ。こちらこそ何よりも重大で恋たちを悩ませる最大の要因――それは魔力。

 今更になるかもしれないが、魔法とは魔力というエネルギーを消費することで使用者が思い描いた超常現象を引き起こす術のこと。当然、魔法を行使するならば材料である魔力が必要不可欠となる。


 その魔力だが、もう余裕が無い。恋で六割、紗百合は五割を切っており、アウィラに至っては紗百合からの補給があって四割程度しか残されていなかった。

 今までは必要最低限の魔法と武術でなんとか凌いでいたが、必要最低限のラインが跳ね上がった以上その戦い方はもう通用しない。

 救援より先に魔力が尽きる――それが恋たちに突きつけられた現状だった。

 再生を終わらせたアルカエスの花。頭を垂れ、二本の樹根脚が収縮する。


「ロードッ!」

Loading(取得), SLASH(斬撃)


 恋は二人よりも前に。重心を落としどっしりと構え、力いっぱいに剣を振るう。

 破壊音と共に跳躍したアルカエスの花は吸い込まれるように剣閃上へ。そのまま下半身と上半身が泣き別れた身体は片方が地面を転がり、もう片方は突撃の勢いのまま後方へと飛んでいった。

 ――もう形振り構っていられる状況ではない。敵の底が見えない以上、これ以上の遅延戦闘は首を絞めるだけ。多少の危険を承知してでも勝負に出るべきだ。

 恋は素早く『ブラスト』のメモリアを取り出し大剣のスロットに装填。足元に転がる下半身の残骸が再生していないことを確認すると前方に蹴り上げ、大剣の切っ先と天に向けて構える。


「――セット!」

【MEMORIA BREAK】


 迸る魔力の奔流に押し出され、周囲の大気が吹き荒れる。

 紗百合とアウィラは恋の背後に。これから放たれる攻撃の威力を察知しての行動だった。

 魔力が充填されていくと共に段階的に高まる輝き。発せられる光は流星にも劣らない。

 濁流の如く押し寄せる樹根の集団。その直線上にいるアルカエスの花たちごと消し飛ばす。


「おおおおおおぉぉぉッ!!」

【VERTICAL ECLIPSE】


 振り下ろされた一撃に乗せて、刀身に限界まで圧縮された魔力が解放される。

 氾濫する魔力と押し寄せる樹根の軍勢。災害と災害が正面からぶつかり合った。

 しかし拮抗は無い。樹根の悉くが魔力の奔流に呑み込まれて粉々に千切れ飛ぶ。樹根を幾ら喰らえど威力は衰えること知らず、最後に一層の輝きを見せた刹那辺り一帯を巻き込んだ大爆発を引き起こした。

 ――それは、星が命を終える瞬間にも似ていた。

 爆縮された大気が刃物の如く大地を抉り、小石ですら凶器となって辺りを飛び交う。

 暫くして光が止み、音が戻る。視界が晴れたとき、恋の前方に広がっていたのは削られ土色しか見えない大地だった。


「はぁ、はぁ……ッ」


 急速に魔力を失ったことによる虚脱感が恋を苛む。手にしている大剣が異様に重く感じた。

 全体の四割もの魔力を注いで放たれた一撃。イヴと戦った時のようにほぼ満タンの状態からではないが、アルカエスの花の強度からして全身を消し飛ばす威力としては充分だ。

 『ブラスト』単体でのメモリアブレイクとは違って魔力消費量をある程度コントロールできるのは利点だが、それでも多いものは多い。魔力欠乏による行動不能だけは避けたが、暫くは動きに制限がついて回るだろう。

 ――呼吸を整えていた恋の聴覚が、足下からの異音を捉えた。


「二人とも下だッ!」


 飛び退く恋たち。直後さきほどまで足元だった場所から蛸足のような樹根が溢れ出す。割れた大地から顔を覗かせたのはアルカエスの花。

 先の攻撃で確実に仕留めた筈――そう考えていた恋が閃いた。

 アルカエスの花は体内で核を自由に移動させることができる。それはつまり、肉体さえ存在すれば核の移動先足り得るという事。

 ――地下だ。アルカエスの花は地下深くに根を伸ばし、そこに核を移して難を逃れたのだ。


 着地した恋たち。しかしその直下からも異音が聞こえた。

 残る二体のアルカエスの花が地中より襲来。恋たちはそれぞれ跳び退いて回避する――が、樹根は更に伸びて宙に逃れた三人を追う。

 そこで恋ははたと気付く。その樹根の動きが、たった一人だけを狙っていることに。

 標的となっているのは――


「――アウィラぁぁぁあああッ!!」


 アウィラも攻撃の狙いが自分だと気付いたらしい。魔法で迎撃しようとしているが樹根は直ぐそこに迫っている。とても間に合うとは思えなかった。

 恋はメモリアブレイクを発動させ、魔力を糧に生み出された衝撃で宙を跳ぶ。一瞬の内にアウィラの元に辿り着き、その小さな身体を腕一杯に抱き締めて離脱。

 直後先ほどまで恋たちがいた場所に樹槍が殺到する。間一髪のところで串刺しになるような事態は避けられた。


 だが、攻撃は終わらない。一度目の奇襲を仕掛けたアルカエスの花が着地を狙い、入れ替わるようにその身を以て突撃。

 着地した瞬間アウィラを庇うように盾代わりに構えた大剣に樹根の塊が衝突。魔力欠乏による症状と咄嗟のことで防御体勢が万全でないことが重なり、耐える間もなく恋の身体が大きく吹き飛ばされた。

 宙で体勢を立て直し着地に備えようとした瞬間、脚部に大きな違和感を感じて咄嗟に視線を向ける。

 そこには(つた)のように絡みつく樹根。辿った先に居たアルカエスの花はつい五秒ほど前に恋が半分に切断した個体。その位置からして上半身が吹き飛んだ場所だ。

 ――さながらそれはキャッチボールのようなやり取り。この場合、恋がボールに相当する。


「しまッ――」


 気付いた時にはもう遅い。

 アルカエスの花は振り返りながら、野球のピッチングにも似た動作で腕を振り下ろす。

 転瞬ブレる恋の視界。充分な加速を経て音速を超えた恋の身体は、綺麗な弧を描いて背面から叩き付けられた。


「――――、」


 何が起こったのか、恋には何も分からなかった。

 光と音、感じ取れるはずの感覚全てが一瞬の内にブラックアウトする。

 花が咲いたように隆起した大地の中心。打ち捨てられた身体は、身じろぎ一つすること無く意識を閉ざした。





「嘘……でしょ……?」


 アウィラを敵の攻撃から助け出した紗百合がその眼で見たものは、恋が倒されるまでの一部始終だった。

 ――恋がやられた。この場にいる三人の中で最も実戦経験が豊富であろう、あの恋が。

 その衝撃は紗百合の心理を揺さぶる面でこれ以上なく発揮された。動揺からか自身の得物である鍵杖を握る手には力が入っていない。

 これで二対四。数と質で負けている上に、恋という前線戦力を失った。紗百合たちに勝ち目はほぼ無い。

 そして、勝機が更に無くなる事象がもう一つ。


「ぅ……ッ!」


 背後から聞こえたのは押し殺した微かな声。紗百合は反射的に振り向き、思わず息を呑む。

 そこに居たアウィラは地面に膝を付いて、自らの手で右足を抑えている。白く細い指から垣間見える踵部分――位置から察するにアキレス腱――から血が流れ出している。

 俯いているため表情までは読み取れないが、相当な痛みを伴っていることだけは理解できた。


 恋が防いだ攻撃。咄嗟の防御という事もあって体勢も悪く、背後のアウィラを庇いきれなかったのだ。

 脚が死ぬことは死を意味する。それは自然界の掟であり、あらゆる生物に適応される。

 攻撃、防御、回避、移動。全ての行動には基本的に脚が伴う。脚が機能不全に陥れば戦うことも、逃げることもできない。それがヒトのように脚の数が少ない生物なら猶更(なおさら)だ。

 つまり――アウィラは、もう戦えない。


 一対四。圧倒的な戦力差が紗百合の肩にずしりと圧し掛かる。

 だが、それでも――


「…………まだ、終わってない」


 落としそうになっていた鍵杖が、折らんばかりに握り締められる。

 ――そうだ、戦いはまだ終わっていない。まだ、敗北には至っていない。

 面を上げた紗百合。アメジストの瞳が見据えるのは自分たちを仕留めんとする四体のアルカエスの花。控えめに言って絶体絶命の状況だ。

 紗百合はメモリアを『フライ』から先程弾き出した『チャージ』に変更。脚を開いて重心を落とし、鍵杖を構えて瞼を閉じる。


「……すぅー……はぁー……」


 吐き出される空気と共に余分を排し、自己の中へと埋没する。

 立ち向かったところで負けるだけ――その通り。普通に考えれば誰でも分かる。寧ろ、この状況で勝てる要素がどこにあるというのか。

 敗北が決められた戦いに意味など無い――その通り。勝機は万に一つもない。これは無駄な足掻きだ。

 ならば何故戦う――そんなの最初から決まってる。大切な友達を護るため。

 その友達とやらに、自らを捧げるだけの価値はあるのか――あるよ。というか、それが友達ってやつでしょ。少なくとも、私にとってはそうなんだよ。

 凪いだ内海で繰り返される自問自答。それを乗り越えた先、再び瞼を開けばその瞳には世界が澄んで映っていた。


「アウィラちゃん」

「……なに、紗百合?」

「絶対に護ってみせるから。アウィラちゃんのこと」

「――――、」


 アウィラは息を呑み、大きく見開く。

 背中越しの会話。しかし紗百合はなぜかアウィラの表情がありありと想像できた。

 呼吸を整え、緊張の糸を張り巡らせる。


 ――――来る!


 敵の身体が小刻みに震えた直後、樹根の軍勢が噴き出すように現れる。大地を跳ね、宙を駆け、変幻自在の軌道で紗百合たちに向けて殺到する。


「数が減ったと見て即座に物量戦――この上ない最善手だよ畜生ッ!!」


 恐らく、接近戦で万が一にでも反撃を受けることを嫌ったのだろう。敵の狩人然とした態度には怒りを通り越してある種の尊敬すら湧く。

 吐き捨てられた言葉と同時、紗百合の周囲に魔法陣と水晶盾が展開された。

 『エクスセリオン・スマッシャ―』で撃ち抜き軌道を逸らし、通り抜けたものは鍵杖を振るっていなす。時折行われる地面からの奇襲は水晶盾で対応することでカバーする。

 思考回路はフルスロットルで回る。時々で頭蓋の内側から刺すような痛みに襲われるが一切構うことなく迎撃を続ける。

 アメジストの瞳は絶えず空間全域を睨み付ける。少しでも多く、少しでも速く情報を得て脳に届けるために。

 視覚だけではない。聴覚、触覚、持てる全てで敵の攻撃を察知し、空かさず対応策を実施する。


 圧倒的な戦力差にも決して退くことなく紗百合は立ち向かう。背後にいる友の為、唯々(ただただ)武器を振るい、魔法を手繰り、頭脳を回す。

 想いという名の薪をくべて、心という名の炉心が燃え盛る。

 不撓不屈――決して諦めないという気持ちが紗百合を突き動かす。


 ――だが、感情論で拮抗できるのなら、最初から苦戦などしていない。

 紗百合が現在やっているのは機関銃を前にして撃ち出された弾丸を弾くようなもの。よしんば最初は上手く事が運んでいたとしても、絶えず迫る弾幕は時間増しに精神と肉体を磨り潰していく。

 頬、右肩、左上腕、左脇腹、右太腿――逸らしきれなかった攻撃が紗百合の身体を着実に削り、装備は滴った血液で赤黒く染まる。足元には決して小さくない血だまりができていた。

 一割、また一割。栓の空いた湯船の如く魔力が消費されていく。魔力欠乏による意識の混濁といった症状まで出始めていた。

 それでも、背後にいるアウィラに攻撃を通すことは一度として無い。


「………………負けない」


 左太腿が貫かれる。体勢を崩しかけるが、決して膝は地に付かない。


「…………負けない……」


 右手小指付け根が削られ握力が喪失。左手だけで杖を手繰る。


「……負けない……!」


 右側の聴覚情報が無くなった。空かさず視覚情報で補い迎撃を再開する。


「負けられない……ッ!!」


 ――身体を捻り、既に損傷した右腕で左腕を庇う。何やら骨が飛び出ているが知ったことじゃない。


「アウィラちゃんを、護るんだッ!!」


 時間感覚はとうに喪失していた。

 不思議と痛みは無く、見渡す世界が透き通っているように感じられた。

 永劫にも感じられる刹那の中、迎撃した樹根は数知れず。ぞっとするような傷を負いながらも、背後のアウィラは未だ傷一つ無かった。


「はぁ、ひゅっ……はっ、ふっ……」


 いつの間にか、攻撃の嵐は止んでいた。

 呼吸は不規則。血色は最悪。とてもではないが、戦えるような状態ではない。

 崩れ落ちそうになる寸前、鍵杖を支えにしがみ付く。歯を食い縛り、再びその二本の脚で大地に立つ。

 誰が見ても満身創痍という状態で紗百合は倒れない。どれだけ傷をその身に負おうとも、アメジストの瞳だけは月夜の下で煌々と輝いている。

 限界などとうの昔に超えている。紗百合は精神のみで意識を繋ぎ止めている。

 ――友達を護る。紗百合にとって、それだけあれば立ち上がるには充分だった。


「ッ、アウィラちゃんは、私が――」

「――(いと)しき人、どうか私の歌を聴いてください」


 鍵杖を構え直そうとした寸前、囁くような声が耳朶を打つ。

 そしてそれを脳が認識した瞬間、紗百合の視界は白銀で染まっていた。


 自身が地に伏せていると気付くまでたっぷり五秒。錆び付いた歯車のような身体に鞭を打ち、大地に張り付いた頬を剥がしてなんとか首を動かせば、護るべき少女が此方を見下ろしていた。

 なんとか起き上がろうとする紗百合だったが、どれだけ試しても思い通りに身体が動かない。

 原因は直ぐに分かった。脳を犯す強烈な眠気が、思考能力を著しく阻害している。

 それと同じような現象には覚えがあった。桐花が使う魔法『ファンタズム』――催眠による幻覚を見ているような、何処か優しい浮遊感。

 つまりこの眠気は――アウィラの魔法によるもの。

 ――『ローレライの魔歌(まがうた)』。女性の人魚だけが使える、使用者の声を媒介として対象の意識を混濁させる催眠魔法。


 メモリーズ・マギアは精神系統の魔法を弾く。正しいが、それだけでは正確ではない。

 精神系統の魔法には種類がある。大まかに分類すると、表層領域に干渉するものと深層領域に干渉するものとで分けられる。

 この二種類の内メモリーズ・マギアが防ぐのは深層領域――“魂魄(こんぱく)”という高次元物質に干渉する魔法。例えば魂そのものを取り出したり、人格を書き換えるといった魔法がこれに当たる。

 『ローレライの魔歌』は表層領域――大雑把に言えば意識に干渉する魔法であり、歌声を聞いた対象を内側から揺さぶるという性質を持っている。生まれ持った耐性や保有魔力量次第では相殺することも可能だが、今の紗百合では抗う術などなかった。


「な、んで…………」


 ――何故、こんなことを。

 信じられないといった紗百合の視線を受けて、アウィラはぽつぽつと言葉を紡ぐ。


「……ごめんなさい、紗百合。あなたの戦いを、志を、(けが)すような真似をして」


 アウィラは硬く、ひたすらに硬く、拳を握り締めていた。


「でも……無理なのよ」


 肩が小刻みに震え、その震えが声に伝播する。


「私は……貴女が傷付くのを、見ていられない……ッ!」


 紗百合が見たアウィラの顔は、それはもう目も当てられない位に酷かった。

 憤怒、悲哀、苦渋――様々な感情がぐちゃぐちゃにかき混ぜられて表情として現れ、目尻は酷く赤腫れており、止めどない涙が頬を流れ落ちていく。


「紗百合、貴女は私にとって初めての友よ。確かに始まりは疑心暗鬼だった。でも共に肩を並べて戦い、一晩寝食を共にして、段々と貴女に魅かれていった私がいる。

 言の葉を交わす度に歓喜が私の胸の内を震わせて、触れ合う度に鼓動が酷く高鳴った。楽しそうに笑った表情は今まで見てきたどんな宝石よりも綺麗だった。拗ねて唇を(すぼ)めたときの表情はどんな愛玩動物よりも可愛らしかった。

 家族以外で――いいえ、家族を含めてもここまで大切に想う人ができたのは生まれて。紗百合、貴女という存在は私にとって、どれだけの金銀財宝や美食美酒にも及ばない、たった一つだけの宝物なの」


 でも――と、アウィラは続ける。


「だからこそ……私にとって何よりも大切な宝物が、私のせいで傷付くことが許せない」


 アウィラは三叉槍を異空間に収納する。

 コバルトブルーの双眸がアルカエスの花に向けられたとき、紗百合は全てを察した。

 ――アウィラは自らその身を捧げようとしている、と。


「駄目、だよ、アウィラちゃん……」


 懸命に起き上がろうと奮迅する紗百合。しかし魔法の影響か、身体が全く言うことを聞いてくれない。

 紗百合の眼前で屈んだアウィラ。二人の視線が交錯する。


「姉さん、それから恋たちにも“今までありがとう”って言っておいて。それから……“本当にごめんなさい”っていうのも」

「嫌、だ。自分で、言わなきゃ……」

「……それは無理。アイツらの目的は私一人。紗百合に守ってもらってる間に探査したけど、恋は生きてるわ。とどめを刺していない辺り、本当に私しか眼中にないみたい。生きていようが死んでいようが、アイツらにとってはどうでもいいのよ。ただ邪魔をしてくるから排除する、それだけなの」


 ――だから、これ以上貴女が傷付く必要は無い。

 アウィラは言外に、そう伝えた。


「……そろそろ行くわ。アイツら、いつまた攻撃してくるか分かったものじゃないから」

「嫌ッ、嫌だよ……行っちゃやだッ……」

「……ッ、ああもう。こんな紗百合でも可愛く思えちゃう辺り、相当毒されてるわね」


 紗百合の目尻から熱い雫がはらはらと零れ落ちていく。

 ――初めてできた異種族の友。話したいこと、一緒にしたいことは数え切れない。ここで終わるだなんて、そんなことは認められない。

 紗百合は最後の力を振り絞ってアウィラの服の裾を掴む。その手は小刻みに震えており、赤子の手よりも弱弱しい。

 アウィラは紗百合の髪を愛おしそうに何度か指で梳く。そして前髪を掻き上げ、額にそっと口づけを落とした。


「――我が生涯にて唯一の友、愛しき人よ。貴女の未来に、幸福があらんことを」


 紗百合の身体を包む浮遊感。瞳だけを動かして身体を見やれば、まるで時を巻き戻したかのように傷が癒えていく様子が見えた。

 それは遠くで未だ昏倒している恋も同じく、折れていた骨などが立ちどころに修復されていく。


 アウィラに残された四割の魔力。その殆どを注ぎ込んで行使した回復魔法は、恋と紗百合戦いで負った傷が初めから無かったかのように元通りにした。

 服の裾を掴んでいた手が優しい手つきで外されたことで、最後の繋がりが断ち切られる。

 儚げな笑顔を浮かべていたアウィラは一転。決意に満ちた表情で立ち上がり、アルカエスの花を見据えて歩み始める。

 一歩、また一歩。歩を進める度に刃物で抉られるような痛みが走るが、それでも彼女は止まらない。


「ア、ウィラちゃ……」


 混濁する意識の中で必死に手を伸ばすも、その手は遠くの背中を切望して空を切るばかり。

 霞む視界で見えたのは、樹根の波に呑まれていくアウィラの姿。

 友の名を紡いだことを最後に、紗百合の意識は闇へと堕ちた。





 ――約一時間後、ベネト含めた星宮市側の人員が救援として到着。メモリーズ・マギアに備わる位置情報発信機能により、山中で倒れる恋と紗百合が発見される。

 ――意識不明ではあるものの、両名目立った内外傷は存在せず。回復魔法が行使された痕跡があり、魔力パターンから使用者はアウィラと推測される。


 ――また、恋と紗百合が倒れていた地点から線路伝いに一キロメートル前で桐花を発見。軽い切創が見られるものの状態は良好。適当な応急手当を施す。

 ――そして、桐花が戦闘で無力化したアルカエスの花二体を確保。ベネトによる結界魔法で厳重に隔離される。


 ――公共交通機関を避け、魔法使いのみが知る裏ルートを利用。同日一二時三〇分、恋たちを連れて星宮市に無事到着する。


 ――周辺の捜索が実施されるも、アウィラの姿が発見されることは無かった。

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