第9話 侵入
「ね、姉さん!?」
驚愕のあまり声を漏らすアウィラ。場所を廊下から桐花の部屋に移し、改めて会話が再開される。
「本当に、姉さんなのよね?」
『あら、疑ってるの?』
「そんな訳ない! ……でも」
『ふふ、アウィラは心配性ね。えっと、ここを押せばいいのかしら』
通話画面に映し出されるのは事務所にも似た部屋。そこには葵と育、アウィラが少し大人っぽくなったような少女の顔があった。
『ほら、これで信じれる?』
「うん……うん! 本当に無事でよかった。……でも、それならどうして通信に出れなかったの?」
『そのことなんだけれど、ごめんなさい。追手の攻撃で破壊されちゃったの。心配させちゃったわよね』
「心配はしたけど、もう大丈夫。無事なのが確認できたから」
ほにゃり、と柔らかい笑みを浮かべるアウィラ。今までの彼女からは想像もできない安堵の様子だった。
だが、確認すべきことは幾つもある。一度断りを入れると恋が通話の矢面に立つ。
「なあ、この通話って何処からかけてるんだ? 見たところ葵の家とかじゃないみたいだが……」
『それについてはこちらから話そう』
返ってきたのは低めの女性の声。次いで切り替わった画面に映し出されたのは、どこか気だるげな表情をして黒革椅子に座る黒髪の女性だった。
その手前、立派な机の上で見慣れたカラスが羽を休めている。
「ベネト! 見ないと思ったらそっちに居たのか」
『久しぶりだねレン。連絡できなくてごめんよ』
「それは大丈夫だ。それよりも、どうしてそっちにラピスさんが?」
『仕事絡みだよ。魔法関連の、ね』
そこで入れ替わるように女性が矢面に立つ。孔雀の羽の如き緑色の瞳と画面越しに目が合った。
『初めまして、櫻木恋くん。私の名前は「名霧無憶」。探偵稼業を営んでいる、しながい大学二年生だ。成り行きではあるのだが、この子たちを事務所で預かっている』
その語り口は思慮深さを感じさせる。釣られてか思わず恋の身体も強張っていた。
「こ、こちらこそ初めまして。……あの、質問いいですか?」
『ああ、どうぞ』
「なんで探偵さんが葵たちと一緒に? それに、えっと……」
先を話そうとして思わず言い淀む。魔法は一般に知られていないものであり、それを明かすことはしてはならないというのが暗黙の了解だからだ。
そうして恋が言葉を選んでいる最中、名霧の方から話が切り出された。
『ふむ、キミが言いたいことは分かる。簡単に言ってしまえば、私もキミたちと同じ側ということだ。俗に言う「魔法使い」というヤツだよ。尤も、私の場合キミたち以上に半人前もいいところだがね』
「な、なるほど。……では、そっちの事情を聞いても?」
『勿論。時間は有限だからな。それと、話が終わったらキミたちの話も聞かせてくれ。こちらとしても、少しでも情報が欲しいんだ』
「分かりました」
名霧が話を始めようとしたその時、座る椅子の背もたれからこれまた初対面の女性が興味津々と画面に映り込む。一言で表すならば『ギャル』という表現が適切だろうか。顔立ちは大人びているものの何処か垢抜けておらず、短い金髪が目に眩しい。
『これが噂の恋君? うわっ、想像以上にカッコいいじゃん! いいねぇ、こういう美男子も好みだよ私。ねぇねぇ恋君、今度お姉さんと一緒にお茶しない? その後はホテルでも――』
捲し立てる金髪女性の後頭部が鷲掴みにされた刹那、『ゴシャバキィッ!!』という破砕音を立てて顔面から壁に叩き付けられる。健康的な肢体が壁に擦り付けられながら力なく滑り落ち、やがて画面から消え去った。
下手人である名霧は軽く手を払うと椅子に座り直す。
『ウチの変態が失礼した。「馬鹿は死んでも治らない」と言うように、そういう類いのヤツなんだ。……ああ、心配は無用。次に起きる頃には何事もなくピンピンしているだろうからな』
「は、はい……」
色々と言及したいことはあるが、それら全てを飲み込み了承する恋。それだけの圧力を名霧から感じたからだ。
『それでは、こちらの話を始めようと思うのだが……私の視点からでは少々事情が入り混じっていてね。整理するという意味でも、葵君たちの方から頼めるかな?』
『わかりました』
再び切り替わる画面。映し出された葵の口より、現状に至るまでが語られるのだった。
――時刻は昼過ぎ。恋たち三人が浜辺で食休みをしていた頃まで遡る。
星宮駅から徒歩一五分の所にある巨大ショッピングモール『ダンディライオン』。その入り口に葵の姿があった。
ウェストを絞るリボンが特徴的な白のワンピース。ウェッジサンダルと合わせて清涼感と共に大人の雰囲気を醸し出している。まさに夏にぴったりといった装いだ。
「あっ、葵先輩!」
葵はスマートフォンから顔を上げる。声が掛けられた方向を見れば、駆け寄ってくる人物が一人。
ハイカットスニーカーに細身のパンツ、黒の半袖シャツに派手な柄のキャップをポイントとした服装。背負うリュックも合わさって、何も知らない人が見れば活発な女子というような印象を受けるだろう。
だが、葵の待ち人は少女ではない。浮泡育という少年の姿だった。
「ん、大丈夫。それよりも……」
やってきた育の姿をまじまじと見つめる葵。その視線に耐えかねてか、育は身体を抱くように隠しながら一歩引く。
「ちょ、なんですか葵先輩。そんな見ないでくださいよっ」
「あ、ごめん。ちょっと気になって。そのパンツ、レディースだよね。なんで?」
「ボクの場合メンズ服だと小さいサイズ布を捲っても裾が余っちゃって、服に着られてる感が出ちゃうんですよ。シャツとかなら敢えて大きいサイズを着るのもアリですけど、下は基本的にレディースですね」
「ああ、そういうこと」
確かに男性服は大きく、お洒落をしたい育にとっては困る事もあるのだろう。
ただ、見た目も相まって余計に女子として見られるだろう。その事を気にしてはいないのか、葵は育に尋ねたところ「え、寧ろボクの見た目なら可愛い方が良くないですか?」という発言と共に心配は杞憂だと悟った。
会話もほどほどに切り上げた二人は自動ドアを潜る。約二五〇もの専門店から成るということもあり、広い敷地を利用したこの場所は連日賑わいを見せていた。
最近ではネット通販で何でも物が手に入る世の中だが、その流れに一石を投じたのがこの場所だ。白を基調とした高級感のある建物。敷地内から見える光景は非日常的に映るだろう。
さて、なぜこの二人が一緒に買い物をしているか。それは育による誘いがあったからに他ならない。
育は趣味である手芸に使う羊毛フェルトが切れたことで買い出しに行こうとするが、折角なら誰かと一緒に行きたいと思い立つ。同級生で昔から親交のある霞は事情があって誘えないため、次に仲が良いと思った葵に白羽の矢が立ったというわけだ。
その葵にしてもお気に入りの作家が新作を出版したとSNSで告知していたため買いに行こうとしていたところで、夏休みということもあって育の提案に乗ることにしたのだ。
「本当なら恋先輩も一緒に遊びたかったですよね。まぁ帰省なんでしょうがないんですけど。……そういえば恋先輩の実家ってどこなんでしたっけ。葵先輩は聞いてます?」
「九曜市の出雲区ってところ。県の中で南部に位置していて農業が盛ん。有名な生産品は山地を利用した棚田で作られるお米。それと、季節ごとの行事が多い。中でも夏にある『奉神祭』と冬にある『雪華祭』は海外からの観光客も見に来るんだって」
「へぇー! それはまた凄いですね。……というか、なんでそんな詳しいんです?」
「レンちゃんから聞いてネットで調べた。興味あったから」
「ほぇ~」と感心の声を上げる育。談話しながらショッピングモールを歩いていると、手芸関係の品物を取り扱う店舗に辿り着いた。
自身が求める羊毛フェルトや布地を選んでいく育。その瞳は真剣そのものであり、意識を全集中させて材料選びに臨んでいる。
対する葵はというと、店舗外のショーウィンドウに飾られているぬいぐるみやアクセサリーをじっと眺めていた。手先が器用ではない方だと自覚している分、裁縫など細やかな家事が出来る人は尊敬の対象だった。
葵は視線を動かして育を視界に収める。そこにはいつもの明るい笑顔は無く、どこか凛々しい印象を受ける姿があった。いつもこうなら少女に見間違えられないのに――そんな思いを抱くが、直ぐに飲み込む。本人が気にもしてないことを心配するなど、それこそ杞憂というものだろう。
「お待たせしました葵先輩! 行きましょう!」
「ん」
次なる目的地に向かう二人。どうやら満足のいく買い物ができたらしく、購入した手芸材料が入った袋を揺らす育は随分とご機嫌な様子だった。
そうしてショッピングモールを歩いていた時、ふと一人の女性が葵の目に留まる。
身長はおよそ一六〇センチほどだろうか。スニーカーにジーンズ素材のショートパンツ、カーゴの半袖シャツの上からパーカーを崩して羽織っているというラフな格好だ。
そんな女性がどういう訳か、手にするスマートフォンと往来間で瞳がしきりに行ったり来たりを繰り返していた。どうやら何かを探しているような雰囲気が伝わってくる。
そうして女性を見ていたからだろうか、動いていた女性の視線が葵を捉える。それを切っ掛けとして女性が人混みを縫って葵たちの元にやってきた。
「失礼。少々尋ねたいことがあるのだが、時間いいかね?」
「はい、大丈夫です」
「ありがたい。早速なんだが、この女性に見覚えは無いか?」
差し出されたスマートフォンを覗き込む。そこには深い青色の髪を持つ少女――やけに大人びているのでもしかしたら成人女性かもしれない――の写真が表示されていた。
だが、生憎葵はこのような女性と面識はない。
「私は何も。育の方は?」
「うーん……知り合いに似てる子はいますけど、別人ですね」
「そうか。くそっ、もう一度迷子センターに行ってみるか? ……ああいや、遊んでいるというのに協力ありがとう。良い休日を」
女性はそう言い残すと、そそくさと人混みの中へと消えて行った。風のように去っていた背中を思い、二人は顔を見合わせる。
「何だったんだろ……迷子探しとかですかね?」
「多分。買い物ついでに少し見てみよう」
「そうですね。困ってるみたいでしたし」
ショッピングモール内は休日ということもあって人が多い。何かの拍子に先程の女性が探している人が見つかるかもしれない。
周囲に気を配りながら歩いていた時、育はとある店舗の窓に視線を向けた。
「……? どうしたの。何かあった?」
「い、いえ……なんか影が通り抜けたように見えて。気のせいだったみたいです」
そんなことがありながら、二人は次の目的地である書店に辿り着く。店舗内はかなり広くスペースが取られており、話題の人気作から雑誌や参考書など品揃えも豊富だった。
「……あった」
従業員がいるカウンターの隣、新作が陳列された棚に求める本を見つける。
育は隣から葵の手元を覗き見て思わず「うげっ」と口にする。黒い表紙で飾られた本のタイトルは『脳の瞳』というものだった。
「葵先輩、そんな本読むんですか……?」
「この前、紗百合ちゃんにミステリー物おすすめされたんだけど意外と面白くて。お気に入りの作者さんだから買うことにした」
「ああ、そういう……」
育の脳裏に浮かぶのは何かと読書を勧めてくる紗百合の姿。どうやら彼女の布教活動に暇は無いらしい。
再度ちらりと本を覗き見る育。表紙にはタイトルの下に『裏白蕃歌』と作者の名前が印字されていた。会計を待っている間に調べてみると執筆のジャンルは多岐に渡るようだ。ミステリーに始まり恋愛やファンタジーなど幅広く取り扱っている。しかも音楽の作詞や作曲なども手掛けているそうで、相当な行動力の人物だということが見て取れた。
「でも、こういうのは読まないかなぁ……」
育にそう思わせる原因は本のタイトル。葵が購入を決めていた『脳の瞳』もそうだが、代表作として『クロユリ』や『シルバーバレット』など仰々しい名前がまとめサイトに羅列している。中身を見たわけではないため確定的なことは言えないが、入り口で足踏みしてしまうのは間違いない。加えて、どちらかといえば漫画など絵で見る方が好みというのもそれを助長させた。
「お待たせ。……どうしたの?」
「いえ、ちょっと調べ物してました。それでこの後はどうします? お互いお昼ご飯は済ませてきましたし」
「とりあえず歩いて回ってみようか。服とか見る?」
「そうですね。手持ち的には買えないですけど、秋物の確認だけしましょう」
次の目的地を決めた葵と育は再び歩き出す。通り抜けようと入った広場では丁度時間なのか噴水が吹き上がるイベントが起こっていた。
――その時だ。二人の身に寒気が襲ったのは。
瞬きの間、世界が一瞬にして塗り替わる。
時刻は昼過ぎだったにも関わらず広がる景色は夜そのもの。空には無数の星々と青褪めた満月が浮かんでいた。
更に周囲も異常だ。新品同然だった建物は罅割れ、支柱が所々が崩れている。地面のタイルは何か強い衝撃が走ったのか派手に捲り上がっており、元の歩きやすさは失われていた。
その中心に座すのは三叉槍を支えになんとか立ち上がろうとする深い青色髪の少女。その身体には無数の裂傷が刻まれており、血液が止めどなく溢れ出している。
そんな彼女を取り囲むのは数にして八人の魚人たち。不気味な鳴き声を発しながらゆらりゆらりと覚束ない足取りで距離を詰めている。
「――葵先輩」
「――うん。やるよ」
なぜこんなことになっているのか。そういった事情は後回しだ。
まずは眼前の少女を救うため、二人は待機形態のメモリーズ・マギアを手に駆け出した。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
次回、魚人たちとの戦闘です! どうぞお楽しみに!