第32話 モノルト・アッカーマン
【前回のあらすじ】
ライトの支援の元、ブラコの毒の浄化に挑戦したテオン。重いプレッシャーと過去の失敗に苦しみながらも、他人の中に意識を送り込むという未知の体験を経て、遂に毒の治療に成功するのだった……!!
朝。疲労感の残る体が重い。窓の外からは鳥の声。気持ちのいい朝だった、頭が重い以外は。
「ん…………ふあぁ。あ?」
冷たい風が吹き込んで、急速に頭を冷ましていく。ここは温泉宿「かれん」。昨日の朝も目覚めた和風の部屋だった。
「ああ、テオン君。目覚めたかい?」
部屋にはアデルが座っていた。窓際で椅子に座り、優雅に本を読んでいる。
「アデルさん、おはよう。えーと……ブラコは?」
「うん、昨日のうちにオルガノ刑事が話を付けて、今は彼の監督のもとこの宿に連れてこられたよ」
アデルは話しながら立ち上がり、僕の傍に座り込んだ。僕も体を起こす。
「ああ、無理しなくていいよ。さぞ疲れたろう。一昨日のあれはスゴかったらしいからね」
気遣うような言葉に僕は笑いながらも、ふと引っ掛かりを覚える。
「一昨日?」
「君は一昨日の夜からずっと眠りっぱなしだったんだ。君はブラコの毒を治療したあとすぐに倒れて、キール君がここまで運んできた。ブラコをどうするのか決めたのはその次の日なんだ」
キールが……。あとで礼を言わなくては。
「ごめんね、テオン君」
突然彼は謝り出す。
「な、何が……?」
「僕、あの関所では随分取り乱してしまったからさ。君が治療を頑張ってるときも、僕は暴れだしそうになって、あろうことか君に殴りかかろうとしてしまった。そのあと外で頭を冷やしてきて、戻ったときには君は倒れていたしブラコの容態は安定していた」
アデルが僕に殴りかかろうと……?そんな覚えはまったくなかった。集中していたとはいえ、まさかそんなことが起こっていたとは。
「ブラコをネオカムヅミの手から救おうと言った直後だったのにね」
そういえばそんなことも言っていた。アデルはずっと申し訳なさそうな顔をしている。
「シャウラさんはアデルさんの所謂幼馴染みだったんですよね。それがあんなことになって……。仕方がないと思いますよ。僕も同じ立場だったら」
ララの顔が頭を過る。そもそもブラコを助けるか否か、あれだけ迷っていたのだ。ブラコには彼を慕う部下たちがたくさんいた。そうでなければ助ける気になれなかったかもしれない。
ふと自分の右手を見つめる。
「僕、彼を助けられたんですね……」
今更その実感が湧いてくる。僕の中に少しでもアデルのような怒りや憎しみがあったら、光は彼を消していたのかもしれない。改めて何て恐ろしい力だろう。
僕は、この力のことを本当に何も知らないんだな……。
一昨日のあの感覚を思い返す。不快感の中を泳いで、ブラコの中に入り込んで、毒を見つけて……。何の確信もなく、何の自信もなく。それで人の命を背負ったことに寒々しさを覚える。
「皆は?」
「大体は広間にいるけどばたばたしているよ。無理せず落ち着いてから顔を出せばいい。体調はどうだい?かなり熱も出ていたみたいだけど」
言われてみると少し頭がボーッとしていた。毒の治療中のあの頭の重さがずっと続いているような感覚だ。だがまあ、動けはするだろう。僕は頷く。
「そうだ、温泉にでも行くかい?もう入れるようになってるよ」
そういえばブラコの部下たちと戦って身体を動かしたあと、ずっと布団で寝ていたことになるのか。僕は途端に落ち着かない心地になる。
「うん、そうするよ」
僕はがばっと布団を剥がして立ち上がる。少し立ちくらみがした。アデルがさっと僕の身体を支えてくれる。そのまま僕は彼に寄り掛かりながら湯殿へと向かった。
―――広間
「ふう、ひとまずこんなところかな。じゃあ僕は温泉に行ってくるよ」
オルガノが席を立つ。机の上には大量の書類。彼は今回の事件の報告書をまとめると共に、ブラコをキラーザから遠ざけるために様々な書類を用意していた。
「レナさんも程よく休むんだよ。まだ無理していい身体じゃないんだから」
「ありがとう。でもあまりのんびりはしていられないわ。キラーザの刑事局の腐敗疑惑となると、王都の刑事部だけでなく国王のご判断も仰がなきゃならない大事だからね……。今回の旅はそんなことばかりなんだけど」
私は溜め息をつきながら手元の書類に目を落とす。昨日の朝に目を覚まして以来、ずっと手を動かし続けている。
最初は魔法やスキル、ステータスの更なる可能性についての報告書を書き始めた。エリモ砂漠での騒動では帝国への危機感を、そして今回は自国の揺らぎを。報告書はどんどん膨れ上がるばかりだ。
「はあ……」
昨日の夜のことを思い出す。ユカリがオルガノに尋ねたのだ。
『マギーの歌を聞いて涙を流していたわね。気になるんだけど、聞いてもいい?』
『あはは。忘れてくれよ、そんなこと……でもまあ、そうだな。聞いてくれるかい?』
その後、彼は広間に集まっていた皆の前で徐に話し出したのだ。彼の弟、モノルト・アッカーマンについて。
『僕はね、実は自分で志願したんだよ。暗殺者サソリ――シャウラの捜索及び逮捕をね。僕は彼女に私怨を抱いていたんだ。
最初はサソリに関心なんてなかった。町で毒を扱う暗殺者が暗躍しているのは知っていたが、僕の役割ではないと感じていた。刑事失格と思われるかもしれないが、僕にとっては対岸の火事だったんだ。
いつも通りに万引き犯を追っているとき、その連絡が来た。僕の弟が……モノルトが死んだ、という知らせだった。連絡役の男は淡々と告げた。僕は一言も発せなかった。何を言われたのか、暫く分からなかったんだ。
弟は僕と同じ刑事だった。ちまちまと数字を稼ぐ僕と違って、凶悪犯の逮捕に燃える熱い男だった。だけど彼には裏の顔があったんだ。
彼はオオカムヅミという組織に属していたらしい。町の裏で暗躍する反社会的な集団なのだが、今まで刑事局の捜査網に引っ掛かったことはなく、僕は都市伝説か何かだと思っていた。
彼はその中でも実力者として人望を集めていたらしく、最近はネオカムヅミという新勢力のリーダーすら名乗っていたようなんだよ。長い間、弟と同僚としてしか接してこなかった僕は、全然知らなかったんだけどね。
弟は恐らくそれでサソリに殺されたという話だった。刑事局はこれを隠蔽することに決めた。そして大々的な捜査を打ち切ることを決定したんだ。
何故そのような事態になったのか……ブラコの話を聞いて納得したよ。うちはもう、すっかり腐っていたんだな。そしてその元凶こそ……弟のモノルトだった。
僕は上に直談判して、サソリと直接やり合ったというアデル君と二人で捜査する許可をもらったんだ。町の人の中にはうちに不信感を抱いている人もいたから、検挙率一位の僕だけでも動けば格好もつくという判断なのかな。
僕は私怨でサソリを追った。弟の話を聞いてこなかったどころか、得点稼ぎに微塵も執着しない彼を嗤ってすらいた。僕の恨みがサソリに向いていたのか自身に向いていたのか、今でも分からない。
ただ、たった一人の弟が死んだというのに、涙は一滴も出なかった。自分の薄情さに笑えてきたよ。僕はこの事件が解決するまで、冷淡な刑事のままでいるんだと思っていた。マギーさんの歌は、そんな僕に諭してくれたんだね。
僕はやっぱり、モノルトの兄なんだってさ……』
オルガノはそう言いながら唐突に上を向く。ああ、きっと彼はこれからも幾度となく涙を溢すのだろう。
彼の語った真実は事件の闇に潜んだ巨大な氷山の、ほんの一角に過ぎないことを思わせた。ネオカムヅミのリーダー、モノルト・アッカーマン。アデルの協力で作ったブラコの供述書にも、オオカムヅミ、ネオカムヅミという言葉が登場していた。
博士の忠告した事態が、あらゆるところで現実のものとなってるのね……。
『じゃあ僕はブラコに話を聞きに行くよ。事件の話じゃなく、僕の知らなかった弟の話を』
刑事ではなく兄として。そのときの彼の目は驚くほどに澄んでいた。
―――湯殿
脱衣所で僕は服を脱ぎ、浴室の扉に手を掛けてふと立ち止まる。中から話し声が聞こえた。
「バートンさん、それでもあなたは僕を刑事と呼んでくれるのかい?」
オルガノの声。
「何を言う。あんたは立派な刑事じゃないか。俺は忘れないぜ、サソリを生かして捕らえると言っていたあんたを。あんたにとっては弟を殺した暗殺者。それでもあんたは刑事として捕らえようとしたんだ。立派だよ」
「それはただ僕が薄情なだけだと思っていたけど……そうだな。サソリが殺人の被害者になってしまったことを、今も僕は残念に思ってる。僕の心は……少しはまともな刑事だと言ってもいいかもしれない」
「いいさ。あんたは立派な刑事だ。俺は何度だって言おう」
前にもここで刑事としての自分を卑下していたオルガノを思い出す。僕は彼に何も言ってあげられなかった。バートンのような励まし方が出来たら良かったのにと思う。
「なあ、オルガノさん。あんた、これからも刑事を続けるのか?」
「うーん、そうだな。キラーザの刑事局を敵に回して続けられるのかは分からないが、僕は刑事以外の生き方は知らないんだ。刑事としての自信も取り戻せそうだし、レナさんの紹介で王都の刑事局に受け入れて貰えるなら続けていきたいと思っているよ」
「そうか……。なあ、刑事って、どうやったらなれるんだ?」
「バートンさん、まさか刑事に興味が!?」
「俺も早く仕事を見つけなきゃいけないからな。あんたを見ていて刑事になりたいと思ったんだが、ダメか?」
「は……あははは!そうか、僕を見て。やめときな!バートンさんみたいな熱い男には生きにくいよ。だけど……それでもって言うなら、僕と一緒に王都へ行こうか!!」
バートンが刑事!!ふとリットのクイズを思い出す。あのときはくすっと笑ったものだが、まさか現実になるなんて。
「テオン君、入らないのかい?」
アデルが中へ入っていく。僕も後に続くとオルガノに怪訝な目を向けられた。きっとにやついた顔をしていたのだろう。
「あぁぁ~……」
身も心もじんわりと温まる。その日は特にいいお湯だった。
温泉宿「かれん」での湯煙殺人事件、如何だったでしょうか。リットのクイズに始まり、サンゲーン茶屋財布盗難事件を経て、女湯で発見される男の死体。その影にはポエトロの伝説の花園から持ち出された奇跡の花とキラーザの町の腐敗。
混沌とした事件の果てに芽生えたのは男たちの友情!!刑事となったバートンには期待が高まりますね。オルガノとの名コンビ誕生で、是非今後とも活躍して貰いたいものです。
第4章は残すところあと1話。第1章の2倍の分量となってしまいましたが、まだ書ききれていないような気がしてなりません。それでも次回がラストです。よろしくお願い致します!!
次回更新は4/18です。