第11話 岩影の夢と正義の鈴の音
【前回のあらすじ】
聖都ペトラを復興させるというゼルダの夢を聞いたテオンたち。彼女を狙うアルタイルから彼女を逃がすことを決め、見事撃退に成功したが、テオンは殲滅の意思に反して撤退を選択していたのだった。
僕らはアルタイルの襲撃を退け、北に向かって逃げていた。奴らの中の気配察知持ちを落とした今、この程度の撹乱が効果的になると思ってのことだった。
「テオンさんよ、何故あそこで逃げた?お前らなら残りの奴らも倒せただろうに」
バートンが当然の疑問を言う。確かに僕もそう考えていた。あそこで止めを刺さなければ必ず次の追っ手が来る。
「何言ってるんですか?バートンさん。無駄な殺生はいけませんよ」
ララがきょとんとした顔で言う。
「私たちの村ではそれが当たり前です。あの時点で目的は遂げていました。それ以上の攻撃は自然に反します」
自然に反することなかれ……。テオンの中にもある考え方だ。自然に生かされているものとしての自然な振る舞いをせよ、というような感じで小さな頃から聞かされてきた教えだ。村にいるときは反することなどあり得ないと思っていたほど、自然にできていたことだ。
「テオンも即断だったでしょ?」
そう。僕はさっきも自然に自然に従ったのだ。テオンとして培ったアルト村での常識的行動が、僕の理性と離れたところで行動を決めた。何だか落ち着かない……。
「大丈夫。奴らが援軍を率いて再び来ると言うのなら、そのときはそのときだよ」
「そうか。分かっているならば何も言うまい。頼りにしてるぜ」
「ニャ?来ないように遠回りしてるんじゃないのニャ?」
こうして僕らは大きく遠回りをして岩影に潜むゼルダたちと合流したのだった。太陽は既に真南を越え、1日のうちで最も暑い時間に入ってきている。僕らは少しでも睡眠を取ることにしたのだった。
ーーー夢
ここはミール南東、人があまり踏み込まない深い森の奥……。
「そっち行ったぞ!」「包囲狭めろ!」「一人も逃がすな!」
いつも静かなその森に荒々しい声が響く。追い立てられるものたちは必死の形相で木々の間を抜ける。その速度はとても人の追い付けるものではないが、罠を張り進路を絞って待ち伏せするのであれば問題ではない。
「隊長!!内側包囲網を抜けた奴らの掃討、終わりました」
「よし。ロイ、始めろ」
姫様に命じられた僕ーーテオンはさっと合図を出す。包囲網を敷いていた大盾の兵士たちが前進を始める。追い詰められた敵からもしっかり武装を整えた、集落の中で特に強いと思われる戦士が前に出てくる。
その姿はまさに異形だった。豚のような頭、青か紫か気味の悪い体色、口から発される聞き苦しい嗚咽のような音……。僕らが魔族と呼ぶ存在だ。醜悪な見た目、コミュニケーションの取りようもない不気味な声、人を見れば襲いかかる狂暴な性格。言わずもがな人類の敵である。
その勢力も約50年前の初代勇者の活躍で大幅に減退し、境界の山霊峰タミナスの手前、人族の領域では転々と集落を残すのみとなっていた。僕の住む交易都市ミールの近郊ではこの森が最後だった。
「何と言ってるのか皆目見当も付きませんが、人類の平和のためあなた方を滅ぼします。覚悟は宜しいですね」
僕は剣を構え先陣を切って突撃する。相手が魔族と言えど鎧を着て剣を構えている以上、武人として相対したかった。戦士の後ろには怯えるように抱き合っている親子のような魔族がいる。覚悟を決めたように遠くを見やる老人のような者もいる。
彼らの前で、僕は彼らの希望である戦士を斬った。振り切った右腕に着けた鈴が鳴る。彼ら魔族に襲われて親を失った近隣の村の子供がくれたものだった。怒りに震えて仇を討ってくれと縋る、涙に濡れた真っ赤な顔が脳裡に浮かぶ。
慈悲はない。今僕を見る恐怖の視線は放っておけば新たな恨みとなって、僕ではない人に向かって牙を剥く。生きるため、生かすため、僕は剣を横凪ぎに振るう。彼らの血は赤かった……。
ーーー岩影
「テオン起きるニャー!」「テオンさん起きてください」
目を開けるとマギーとルーミが左右両側から覗き込んでいる。空気が涼しくなっている。既に日が沈み始めていた。
「テオン行くよー!このまま北東に行けば宿屋があるんだって!」
既にゼルダたちは岩影を出て歩き出している。夢に見たのは前世の記憶。魔族の集落を全滅させたあの日の記憶。だが僕はアルタイルとは違う。彼らの目的は奴隷狩り。そこに正義はない。ララに貰った鈴があの日のように響いていた。
ーーー一方、クレーネに残ったプルース三兄妹
「たく、リットはいきなりあんなこと言うんだもんな。あなたは怪しいから引き渡した難民の方を返してください、なんてそりゃ相手を怒らせるに決まってるだろ」
「そんなこと言うならお兄様ご自分で仰れば良いじゃないですか。依頼人と話すときはいつも腕組んで黙り。格好つけてるのか知りませんが、ただの人見知りだってことくらいすぐ見抜かれますよ?」
「あっはっは!そりゃ正論だ。兄貴にリットを責める資格はねえな。クエストは打ち切りになっちまったが、引き渡し済みの難民の分の金はそのまま持ってって良いってんだ。有り難く受け取って帰ろうぜ」
プルース三兄妹はクレーネの寂れた区画を歩いていた。彼らの依頼人の商人はこの一画に事務所を構えていた。
「それにしてもこの辺りはほとんど廃墟だな。空き家もちらほらあるし、住民もかなり貧しいようだ。この町ももう長くないかもしれないな」
「ああ。こんなところに事務所を構えるなんて、あの商人の気が知れんな。怒ったときのあの雰囲気といい、ただ者じゃあなさそうだ。悪い意味で……」
「やはり受けるクエストは慎重に選ばないといけませんわね。師匠の言うようにレナさんたちと同じクエストを受けるべきでした。お金に目を眩ませちゃダメと言うことですね」
3人は日の暮れたクレーネを後にしようとしていた。残りはヒルダたちに任せて一度ポエトロに戻り、まだ残っていれば難民の護送を受けるつもりでいた。
「へっへっへ。冒険者さんたち、どちらへ行かれるおつもりで?」
その行く手を阻むように男たちが現れる。
「大人しく頼まれたことだけこなしてりゃ痛い目を見ることもなかったのにな。ティップの旦那を怪しむなんて、馬鹿は人を見る目がなくて気の毒だねえ」
プルース三兄妹を包囲していたのは黄色いスカーフを首に巻く集団、アルタイルだった。
「おいおい、嘘だろ?依頼人が言ってた帝国との繋がりって、こいつらのことかよ」
「怪しいってものじゃなさそうですわね」
「やるというなら、やるしかなかろう」
トットは棍棒を構える。ポットは腰に付けていたハンマーを片手で振り上げ肩に乗せる。リットは小型の魔法杖、スティックを構える。
「へへ、あの女はやっぱり魔導師か。さっさと近づいて倒しちまうか」
こうしてクレーネの隅で密かに戦闘が始まったのだった。
「ふふふ。まさかあんなところに隠れていたとはな……。あの程度の洞穴を見付けられないとは、やはりあいつらは無能だな。まあいいか」
男は視界の隅で始まった戦闘には目もくれず、砂漠の真ん中を駆けるモービルからの視界を楽しんでいた。映るのはオアシスの傍、大岩の影に小さく開いた洞穴の入り口だ。
「偵察のために出した奴らの目役を最初に射抜かれたときは焦ったが、リーダーも含めて三人も見逃すとは甘い奴らだ」
視界を切り替え帝国の様子を伺う。男が今抱える最も大きな仕事は魔国の戦力の分析であった。
「魔国から攻めてきた奴らの戦力は想像以上だ。田舎のカクト地方とはいえ、帝国の魔導兵器を最低限配備し、砂漠からメラン王国が進攻してきてもすぐに対処できるようにはなっていた。その戦力も今やほとんど壊滅状態。まったく少しは敵戦力を削れていればいいものを……」
男の名はティップ・スタンリー。アウルム帝国の元陸軍将校でありながら、現在はカクト地方に人材を提供する奴隷商であり、労働力配分や食料供給に至るまでカクト地方の全てを裏から一手に操る総元締めでもある。
ティップの名は表向きには砂漠地方の物資運搬を担う大商人として知られている。帝国から仕入れた大型の乗り物キャリーモービルを使い、大量の食料や水を運ぶことができる。数年前にクレーネにやって来たこの男は、既に町にとって欠かせない存在となっていた。
アルタイルによる遊牧民への襲撃は、クレーネへの物流停滞を招き、食料や水の価格を高騰させていた。食料の安定供給ができるティップを、町長は救世主のように歓迎していた。しかしほとんど彼による独占市場となっているため、一度高騰した物価が下がることはなかった。
クレーネは困窮を極め現在貧困の真っ只中にいる。人口もみるみる減少し、住民のほとんどは他の地方へと逃げていってしまった。ここに残るのは老人たちとティップに雇われた商人がほとんど。いずれこのオアシスの地はティップの物になるだろうと密かに言われていた。
「カクト地方はもう駄目かな……。名残惜しいが拠点をこっちに移そうか。折角手に入れたこのオアシスを活用しない手はない」
ティップの企みはなおも進んでいく。
「かつて聖都の礎となっていたアローペークスの巫女の一族。あいつらはあの小さなオアシスで、あれだけ大きな都を作る秘術を持っていた。あの女からは何としてもそれを聞き出さねばならぬな。
もう少し従順な性格なら傀儡の町長として使ってやってもいいものを……。ってうおっ!!」
彼の目に大剣を振るう女騎士の勇猛な姿が映る。一瞬びくっとして、それが能力による視界共有に過ぎなかったことを思い出す。帝国の大戦に紛れていた彼の目は、これで全て潰されてしまった。
「俺の前には何でこうも厄介な女ばかり現れやがる……」
目の端の戦闘もかなり苦戦していたようだが、ひとまずこっちは何とかなったようだ。そしてもうひとつの方も。
「やはりあの女は宿屋に向かったか。どれ、今度は俺も出掛けるとするかな」
ティップは重い腰を上げ、巨大なモービルに乗り込むのだった。