第8話 進化
【前回のあらすじ】
アストの参戦により、キングタートスとの戦いは優勢になったかと思われた。しかし亀は甲羅に籠ってしまう。その体はやがて強く光り出し、背中にいたテオンたちを弾き飛ばしたのだった。
僕らは宙を舞っていた。
快晴とは言えないものの確かに晴れていた空は、いつの間にかどんよりと分厚い雲に覆われていた。
背中ごしに光が当たり、雲に僕らの影を映し出す。空中で足を振り上げ、無理矢理視界を反転させる。その視界はもろに光を受けて白く塗り潰された。
すたっ。
四つん這いで着地する。一緒に弾き飛ばされていたララも少し離れた位置に降り立った。何が起こったのかよく分からないまま、目の前の光を凝視している。
突如ぼうっと輝きだした亀――キングタートスは、今や目が痛いほどに輝いて戦場を照らしていた。辺りの時間は止まり、冒険者も騎士たちも魔物たちですら、皆その異様な光景に目を奪われていた。
「うっ……」
ララが口を手で覆い、地面に伏せる。少し遅れて僕も強烈な吐き気を感じた。身体が震える。急いでララの元に駆け寄り、彼女を抱えて跳び退る。
強すぎる気。
亀はさっきまでとは比べ物にならないほどの気を放っていた。近くにいるだけで魂を喰われてしまうような、何者も傍に寄ることを許さないような、激しい拒絶の魔力が迸る。
ああ、今僕は何の誕生を目の当たりにしたのだろう。まさに神話の一片に立ち会ったような感慨……。
「こ、こんなの……無理……」
距離を取ってなお苦しそうなララの肩を抱きながら、僕もはっとして一際強く身震いした。
ほんの一時、すっかり忘れていた。あれと戦わねばならないことを。あれをここで倒さなければ、王都はあれに蹂躙されてしまうということを。
亀の姿は先ほどより少し小さくなったように見える。それでもなお山のような化け物であることに変わりはないのだが、あれならきっと戦いやすいだろう。
無論、僕らが戦いやすいのではない。あの亀が動きやすくなったのだ。
光が収まり始め、その姿が徐々に鮮明になる。やや細くなった足。丸みを増した甲羅。体表を覆う鱗はより細かくなり、逆立っていたのもつるっとして隙間も見えない。
普通の亀より長いと思っていたあの伸びる尻尾は、どうやら伸びっぱなしになっているようだ。その先端を立ててゆらゆらと揺らしている様子は、まるで鎌首をもたげた蛇だ。
進化……。魔物には稀にそういう現象が見られる。それは前世の頃に聞いた知識。一度も目の当たりにすることのなかった、ただの予備知識だ。
突如光に包まれた魔物が、以前とは段違いに強さを増して襲い掛かってくる。兵士として戦い続けるのなら、もしかしたらそういう場面に出くわすかもしれない。知らないよりは知っていた方が冷静になれるだろう……。
あれは隣の隊の隊長の言葉だっただろうか。冷静になるなんて冗談じゃない。さっきまでの亀が、段違いに強さを増すなんて。えーと、想像が追い付かないよ?
「まったく……これからが本気ですってか?いや、それどころじゃねえか。これは強くなりすぎだろ?」
いつの間にかアストがすぐ傍にいた。平然そうに立っているが、彼の気はだいぶ乱れている。
「アスト……あれ、勝てる?」
「うーん、ちょっと保証できねえな。あれは所謂神話級ってやつだろ?人の手には負えねえよ」
あはは、と笑いながら剣を肩にかける。その剣先はかたかたと震えていた。
「ぷしゅーっ!!」
鼻息だろうか。亀の頭がゆっくりとこちらを向く。何だ、動き自体はさっきまでと同じ……そう安心しかけたとき、亀の足が素早く持ち上げられて鋭く地面を踏み抜いた。
「やべえっ!!」
アストが僕とララを引っ張ってジャンプする。さっきまで僕らの立っていた地面はぱっくりと裂け、瓦礫を辺りに弾け飛ばした。
亀は空中の僕らに素早く向き直り、口をかっと開く。喉の奥に光の塊を見た。
「ざけんなっ!!」
彼は即座に身体を捻り、足の裏に集中させた魔力をすぐに発射して軌道を変える。
僕らのすぐそばを光の弾道が掠めていった。
どすん!!
地面に身体が叩きつけられる。咄嗟のことでアストも着地姿勢を取れなかったらしい。
「うう、げほっげほっ……」
ララが咳き込む。しかし直ぐに矢をつがえ、亀の方へと向ける。亀は既に頭を下げて次の攻撃の用意に移っていた。
「おいおい、マジかよ!亀のくせに突進でもする気か!!」
その言葉通り、亀は足にぐっと力を溜めて蹴り出すところだった。あんな巨体で走り回られたら、それだけでここら一帯は更地になってしまう。
「うそ!!……アスト、足!!」
ララの声に彼を見ると、その足元には血溜まりが出来ていた。その元を辿ると、彼の左の太股に行き着いた。その先は不自然に無くなっている。右の足も膝から下がない。
「まさか、さっきの光線で……」
亀はもう真っ直ぐこちらに駆け出している。両足をやられているアストには、あの突進は避けられない。しかし彼の目はじっと亀を見据えている。
「俺のことはいい!!お前ら、早く逃げろ!!」
彼の言葉が響くも、ララは亀に向かって矢を射た。矢は激しく動く前足に当たり、堅い鱗に虚しく弾かれる。だが彼女はお構いなしに次の矢に手を伸ばす。
「おい、ララ……」
「逃げれるわけないでしょ!!」
彼女の声は依然震えていた。僕らは逃げられてもアストは逃げられない。あの突進を止めるしかない。だがどうやって?ラストドンとは違う。あんなの止まるわけがない。
剣を構える。体勢を下げる。真っ直ぐに敵を見る。敵いっこない。止められやしない。それでもここを退けぬと言うのなら、僕にはこの構えしかない……。
時間がゆっくり流れる。亀はもう目の前に迫っている。死が眼前に迫っている。
「リクイファクション」
後ろから呪文が飛ぶ。がくっと亀の速度が落ちる。その足元がどろどろの沼に変わっていた。その巨体が沈んでいく。
「ナイスだ、ウィスプ!!」
そう言うなり、アストは身を翻して地面に腕立て姿勢になり、そのまま逆立ち様に胴体を持ち上げた。
「いよっと……!!」
そのまま腕の力だけで杖を構えたウィスプの元まで飛び下がった。
「す、すご……」
その様子に僕とララが唖然としていると。
「お前ら、気を抜いてる暇はねえぞ!!」
アストの声の通り、亀は口を開けて早くも次の手を打とうとしていた。
とにかく敵の意識をアストから遠ざけなきゃ……。僕は彼とは反対方向に走る。ララも同じ考えだった。矢を射掛けながら亀の周りをぐるりと回るように駆ける。
ぴかっ!!……どごーん!!
再び迸った光の塊は、戦場を駆け抜けて遥か彼方の山を吹き飛ばす。なんて出鱈目な威力。これでは迂闊に足を止められない。
「うーん、口の中すら隙がない。どうやって攻めたらいいの……」
ララの手が止まった。矢筒にはもう4本しか矢が残っていない。彼女は弓を頭から被るように背負い、腰に差した長剣を抜く。
ふとアストの方を見ると、彼の元には医者のベラが駆け寄って既に手当てを始めている。いつかクラの手元で見た青い光を確認し、安心して亀に目を向け直す。
やはり、あれを倒すには光の力しかないのではないか。
枯渇寸前の魔力がもどかしい。自然に回復する分、さっきよりは僅かに溜まってはいるが、この程度では1度小さな光の玉を作るだけで使いきってしまうだろう。
もっと……せめてもっと魔力を回復させなきゃ……。
それでも打ち破れるか分からないのだ。神話級の亀の魔力コートは、進化前とは段違い。さらに密度を増した気の隙間を縫って、確実に仕留められるような急所に当てて、それでなお魔力が足りなきゃ倒せない。
「きええええぇぇぇぇっ!!!!」
いきなり甲高い声が響く。音の出所は亀だろうか。いや、あの尻尾だ。あの蛇のようにゆらゆらと揺れる尻尾から、奇怪な音が響いたのだ。
「うええ、気味悪ぅ……」
ララが見るからに不快そうな目を向ける。そのとき……。
「テオン!」「うおっ!!」
ララの声とほぼ同時に何かにつまずいた。魔物……?
気付けば周りにカエルやらモグラやら、土に潜って隠れていただろう魔物たちだろうか。
普段は全く気に止めないような木っ端の魔物。今度もつまずいたときの衝撃で既に吹っ飛ばしてしまっている。
だが、だが今だけはまずかった。
「テオン、駄目!!」
ララの悲痛な声が響く。彼女の気配察知がなくとも、十分に分かっていたはずだった。
僕の足は一瞬止まった。大きく開いた亀の口がこちらを向いていた。
脳裏に吹き飛んだ山が浮かぶ。一瞬で両足を欠いたアストと、その足元に広がった赤い水溜まりが頭を過る。
ラストドンの突進が、大きく抉れた砂漠の景色が、大きな薔薇が、花畑と踊るルーミが、ララの笑顔が、月夜のハナが……。
ひとつ景色が浮かんで、次の景色を呼んで沈んでいく。
その景色の向こうに、絶望の光が見える。傾いていく視界で亀の喉の奥を見据えたまま、目の端には地面が迫ってきている。
頭を駆け巡る走馬灯は、あの光を掻い潜る術など持ってきてはくれない。ララやエナナとかくれんぼをして遊んだ少年時代。それに幕を引いたあの暴走の光。それから剣に打ち込んだ日々。そんな中……。
突如、体が思い出したように痛み出す。
右半身を襲った熱。あの日、対峙した魔王の放った黒い玉。冷たい地面に体が溶け込んでいく。意識が遠のいていく。
そして……。
僕はふわりと浮いて、倒れた「僕」を見ていた。そんな気がする。流れ出た血が峠の坂を駆け下りて。しかし、僕はそれをすっかり他人事として見ていて……。
「そ~れ、どすこーいっ!!」
突如、亀の口が閉じた。僕に向けられた光がその口の中でぼんと弾ける。
どさ。
止まりかけていた時間が再び流れ出して、僕はつまずいたまま地面に倒れた。
「テオン!!」
ララが踵を返して駆け寄ってくる。その顔は真っ青に青ざめて、かくれんぼの鬼をやっていた頃の赤みは見る影もない。
「う……亀は?」
急いで敵を見る。その頭の上には思いきり拳を振り上げる少女がいた。
「僕も君と戦いたいな。構ってくれるよね?もう一発、どすこーい!!」
それは『竜頭龍尾』のリーダー。アストと同じSランク冒険者、『昇龍』のイリーナだった。
お久しぶりです。小仲酔太です。
ようやく最新話投稿できました。本当にお待たせいたしました。
次回もいつ投稿できるか分かりませんが、来週のこの時間くらいを目指して頑張ります。どうぞよろしくお願い致します。