第10話 羨望と辟易の狭間
【前回のあらすじ】
バルト地方の領民に自分たちや地上の奴隷たちが見えていないことに気付いたシェリルたち。落ち込む彼女らの元に、透明人間が見えるという少女クラリスと貴族の少年タケル、そしてアオイが現れた。
―――キラーザの町
ちゅんちゅん。ちちちち。ととととと……。
朝です。開いた窓から冷えた空気が流れ込んできます。少し火山のガスの臭いを孕んで、ねっとりと私たちの眠気を拐っていきます。
「おはよーマール!相変わらず早いね~!!」
「わっ!!…………ミ、ミミさん。そんなに大きな声を出さなくても……」
「あ、ごめんごめん。マギーたちとの旅で、ついついあれくらいの声に慣れちゃって。ごめんね」
「あ、ううん。すみません。いつも私に合わせてくれてるんですもんね。ありがとうございます」
ミミは集落にいた頃から、人一倍声が大きかったです。私が部屋に引き込もって頭から布団を被っていても、彼女の声はいつも耳の奥まで響いていました。
彼女の声は集落の中はおろか、外に出てるときでさえもよく聞こえました。煩わしく思ったものです。それが理不尽なものだとは知りながらも。
「ミミ、マール、おはようございます。朝から仲が良いですね」
「あ!ゼルダちゃんもおはよう!!」
びくっ……。
「あぁ、マールちゃん。またまたごめん……本当に。小さい声って難しくて……」
「ううん。私の耳が弱いせいだから……。私の方こそごめんなさい」
頭を下げる私に、彼女は「いいのいいの」と慌てます。そう、私のわがままを許してもらっているのです。心にふっと湧く毒に、我ながら辟易します。
こんこん。
「皆様おはようございます。お目覚めのようですが、出立の準備はよろしいでしょうか」
ファムの声です。ああ、何て優しい声なのでしょう。
「ごめん!まだ起きたばっかりだから、もうちょっと待ってて!!」
またミミの大声。今度は彼女に気付かれないようにしかめ面をします。本当に私はいやな子です。
「もう、マジ何なのよあの男。自分であたしに惚れといて、うだうだ言ってんじゃねえっつーの!!」
どこからか刺々しい声が聞こえます。見れば遠くの方、窓から顔を出して煙草をふかす女の人が見えます。顔はよく分かりませんが、その声は昨夜喧嘩していた方でしょう。
「それでさ、そのおじさんが私の顔見て『いい!』って、いきなり近付いてきて……」
ミミとゼルダは気にせず話しています。恐らく彼女たちにあの声は聞こえません。それほど小さな声でしたが、私の耳には確かにぐさっと刺さるのです。
「マール、浮かない顔ですね。また何か聞こえてしまいましたか?」
「ファム。はい、昨日喧嘩していた方が……」
「喧嘩?」
「あ、そうか。それも聞こえてなかったんですね。昨夜の報告会のとき、町のどこかで喧嘩をしていた男女がいたのです。もうひとり変わった話し方の男の人もいましたが……」
彼は私の様子を見て音がしたことには気付いてくれます。それはとてもすごいことだと思います。だけれど、私のこの疎外感が晴れてくれることはありません。
「そうですか。それは朝から嫌なものを見ましたね。これから向かうところはすごく静かなところですよ。少しは落ち着けると良いですね」
私たちは昨日の聞き込みで判明した、サーミアさんのお店『山猫軒』へ向けて早速行動を開始していました。
今目指しているのはプルプラの村。彼女のいるバトス地方へと伸びるバトス古道の入り口の村です。
村と言っても本当に小さな山村で、幾つかの遺跡と有名な湖があるのみ。道もとっくに寂れて人の行き来は殆ど無いのです。だから、とても静かなのです。
「ええ。紫の湖、楽しみですね」
「紫の?湖ですか?」
「はい。昔本で読みました。プルプラには画家に人気の色鮮やかな湖があるのです。その色は絵の具で描いたような青。その周りには赤紫色の花が咲き乱れるのだそうです」
「はあ。それなら青の湖と言うのではないですか?花など、季節も限られるでしょうに」
「いいえ、紫の湖の由来は花ではないのです。何でも、世界に危機が近づく度、その湖は花と同じ赤紫に染まるのだそう。それも絵の中に赤紫の絵の具を垂らしたように、少しずつ少しずつ」
それは私の好きな物語の中の一幕でした。とある国のお姫様が悪い人たちに拐われて、激怒した王様が軍隊を指揮して助けに行きました。
そのとき、湖はその怒りを映すように真っ赤に染まっていました。間もなく世界には激しい争いが起こります。王様はお姫様を取り返すため、国ごと滅ぼそうとしたのです。
結局彼らはお姫様を取り返せませんでしたが、湖はすぐに元の青色に戻りました。お姫様は国での窮屈な生活を終え、自由に伸び伸びと生きられるようになったのです。
「そんな不思議な湖があったのですか。それは是非見てみたいですね。出来れば青い状態で」
「そうですね。アルタイルを退治して、世界は大きく平和に近付いたはずですから」
奴隷狩りアルタイル。帝国から来た悪い人たち。私の故郷を滅ぼした人たち。引きこもりだった私を無理矢理連れ出しに来たあの人たちの怖い顔。忘れられそうにありません。
私はお姫様と違い、そのまま拐われて良かったと思うわけはありません。ゼルダとファムに出会い、ミミに支えられ、そしてジェイクに助けられて私たちは逃げ出した。その先でテオンやララと出会い、遂に悪い人たちをやっつけた。
これで湖が赤くなるわけはないのです。
「あ!あの関所だよ!!みんなもう起きてるかなあ?」
「関所なんですから、夜から明け方にかけて寝ないで立ってる人がいるはずですよ」
「え!?何それ、大変。いつ寝てるの?」
「それはこれから寝るのではないでしょう?」
「そっか!!いいなあ。お昼寝し放題だ」
ミミの頭は今日もお花畑です。いいえ、ようやくお花が咲いた、というべきでしょうか。
集落にいた頃、私はずっと彼女をただのお気楽な子だと思っていました。ですが、アルタイルに拐われて、あれほど落ち込む彼女を見て、この子も私と同じ人間なのだと気付きました。
彼女がここまで笑えるようになったのも、世界が……いえ、私たちにとっての、私たちの周りの世界が平和になったからです。
「やあやあ、ご苦労」
「ちょっとミミ、それは流石に馴れ馴れしすぎますよ。守衛さん、今日もお疲れ様です」
ゼルダとミミが守衛に話しかけています。それはいつかのおしゃべりな守衛さんでした。私もぺこりとお辞儀します。
「やあ。もう行っちゃうのかい?寂しくなるなあ」
「私たちこう見えて色々やることがあるの。忙しいんだよ?」
面識があるとはいえ、守衛とこんなに親しくなった覚えはありません。私は話しかけられても答えられないでしょう。それをこの子はいとも簡単に、楽しげにお喋りするのです。
「ははは。ここで立つことしか仕事のない私には羨ましい限りだよ」
「そっか。それも大変だね~。じゃあ行ってきます!!」
ミミは明るく手を振ります。私も彼の前を通ります。手を振ろうとして、手が持ち上がらなくて、笑いかけようとして、目を合わせられなくて、私は黙って俯いたまま通り過ぎます。
羨ましい……そう、羨ましいのです。ミミの親しみやすさが。誰とでも仲良くお喋りできるその魅力が。ずっとずっと、羨ましいのです。
私たちは関所を潜り、一路東へ向かいます。私はふと立ち止まり、関所を振り返ってお辞儀をします。彼は気付いてくれたでしょうか。
前を向くとファムがこちらを見ていました。
「な、何ですか……?」
彼は少しだけ口許に笑みを浮かべると。
「何でもないです。行きましょう、青い湖のところへ」
そう言って彼は前を向いて歩き出してしまいます。その右手は然り気無く後ろに差し出されていて。私はとたたと追いかけると、そっとその手を握るのでした。
―――王都
どたどたどた……。
「はあ、はあ」
夜の王都、石畳の大通り、少し東に入って住宅地。そこを僕らは駆け抜けていた。訳も分からず。
「ねえ、待って!待ってください、レナさん!!」
僕は引かれる手を強引に引っ張って引き留めようと、少しだけ腕に力を込める。
「うわっとっと」
ずてーん。引く力が強すぎたのか、レナは派手に転んでしまった。
「いったーい!!急にそんなに強く引っ張らないでよ!!」
「あ、す、すみません。そんなつもりはなかったんですけど。とにかく止まって欲しくて」
「それならあんなに力を入れなくてもいいでしょ?……あ、短期間にステータスが伸びすぎて力加減が出来ないのか」
そうか。あれほど数値が伸びているのだ。確かに村にいた頃の感覚で力を使えば、予想以上の力になってしまうのだろう。
「でも止めてくれて良かった。私も聞きたいです。レナさん、何故急にギルドを飛び出したんですか?」
僕らはさっきまで王都の冒険者ギルドにいた。ララとアストが再会したのも束の間、彼女がアストを殴ったのだ。理由は村で彼を待つサラを置いて、彼がさっさと結婚してしまったこと。
「何でって、ララちゃん、あそこであんな力を見せちゃうんだもの。大変なことになりかねなかったのよ?」
「どういうことですか?」
「ステータスを測る流れになりそうだったじゃない。そんなことになったら、ララちゃん一発で戦争に巻き込まれてたわよ?」
「うーん、そうかぁ。でもテオンは戦争に行くんだよね?」
「うん。今度起こる戦争で、僕がいれば皆すごく助かるんだって」
「だからって冒険者として参加する気になってたんじゃないでしょうね!?」
急に血相を変えるレナ。
「僕は世界を知りたくて王都に来ました。世界では今戦争が起きようとしています。その現場を見ることは、今の僕に必要なことです」
「そう。その理由なら私に付いてきた方が確実よ」
「軍隊として、戦争に参加しろということですか?」
「そうよ。分かってるじゃない。そしてララちゃんはお留守番。その間研究所に来て貰うわ」
「どうして?私、テオンと一緒にいたい!!」
「ララ……」
彼女の言葉に、僕は覚悟を決める。僕もララと戦いたい。それをレナが望んでいないのなら。
「レナさん、ここまでありがとうございました。この先、僕らは僕らの好きにさせてもらいます」
マールの語り、筆がすらすらと動きます。ああ、何て書きやすいのでしょう。ファムとマールにピントを絞ったスピンオフの恋愛小説とかも書いてみたいですね。まあ私自身は恋愛小説に苦手意識があるのですが。
さて、お久しぶりです。テオン君です。俺TUEEEEな活躍までもう少しです。やっぱり勇者は誰かの指図を受けて戦うものではないですよね。王様?ただのセーブポイントです。
次回更新は7/12。どうぞお楽しみに!!